マインドコントロールという言葉は、日本では非常に限定された意味を持たされています。有田芳生さんの次の記事のように、スピリチュアルな世界に特有な現象のようにとらえられています。
「オセロ」中島知子さんに寄生する悪質霊能者の過去
しかし海外では、マインドコントロールといえばその筆頭はマスメディアです。マスメディアが社会に定着した1920年代に、フロイトの甥エドワード・バーネイズが「PR」という造語を創りだして以来、マスメディアは広告屋のマス・マインドコントロール装置として発展してきました。
有田さんは、マインドコントロールの極悪さを次のように表現しています。
中島さんを強固に支配している悪質霊能者IRは、多額の金銭を吸い上げ、自分たち(母や伯母)の欲望(贅沢な衣食住など)を満たすために消費させている。悪質霊能者IRと母と伯母の3人は中島さんに出会う前は、都内のワンルームマンションに暮らしていた。服装もたいてい同じで、とても質素な生活だったという。やがて「神の計画」などの言葉を駆使し、マインドコントロールのテクニックを巧みに利用して中島さんの金銭、精神を支配するに至る。そこからは中島さんに全面的に寄生していく。
「悪質霊能者IR」を「マスメディア」に、「中島さん」を「大衆」に置き換えれば、これはそのままバーネイズ流の大衆操作術批判として読めます。バーネイズの提唱した広告術は、それ以前は「必要」を満たすために消費をしていた大衆の脳髄に「欲望」を植えつけることで消費を煽り、金銭を吸い上げることでした。それは今も変わりません。「悪質霊能者IR」の罪状が心を支配してカネを巻き上げることにあるなら、マスメディアもまた極悪と言わざるをえません。
しかしなぜか、マインドコントロールを攻撃する人はそこで立ち止まり、マスメディアの毒を指摘することはありません。
それはたぶん、彼らがカルトのマインドコントロールを攻撃する本当の理由は、洗脳して搾取する行為にあるのではなく、「異端」であることにあるからです。彼らはただ、異端なマインドコントロールに囚われ、異端な搾取システムに奉仕する人たちを、正しいマインドコントロールに囚われ、正しい搾取システムに奉仕する人にしたいだけなのです。
だいたいマインドコントロールから完全に自由な人間などいません。内発的な意志のみで生きているつもりでも、人は必ずなにかに心を支配されています。ただ、自分の欲望を疑い、自分をコントロールしようとする力があることを意識することだけが、人を操り人形であることから救うのです。
しかし、カルトのマインドコントロールのみに問題を矮小化しようとする人たちは、マインドコントロールは「現代の病理」だなどと言い、目を開かせるのではなく、再洗脳することで問題を解決しようとします。目を開かせることは、20世紀の教会であるマスメディアの威信をも貶めることになるからです。
そして日本では、膨大な税金をつぎ込み、愚かな聖堂を建立することになりました。聖堂から流される説教を浴びた人々は、頭の中に自分のものではない欲望を植えつけられて人生を吸い取られ、そしていつのまにか、有田さんが所属するような詐欺団に権力を委ねたりするようになるのです。