日本の愛国者たちを憤らせる「南京大虐殺」とは、1937年の暮れに起きた事件のことではありません。
たとえば終戦直前1945年8月6日のオーストラリアの新聞は、南京事件について記していますが、憎き敵の暴虐を描いているわりには、今とはだいぶ趣が違います。
南京の恐怖の復讐戦
ブーゲンビル8月6日ーーおよそ10年前におきた恐ろしいレイプ・オブ・ナンキンの復讐は、オーストラリア第3師団による、南部ブーゲンビルに陣どる日本第6師団の殲滅で果たされようとしている。
第6師団こそ、世界に衝撃を与えた暴虐を実行した部隊である。南京を占領した日本軍は数千人の男性を殺害し、多くの女性を陵辱した。この犯罪は長い中国人の苦しみの中でも最悪の出来事であり続けるだろう。だからこそ第3師団は、これはオーストラリアのみならず中国のための戦いだとしばしば口にする。レイプと残虐を働いた悪名高い日本の部隊は、さぞかしブーゲンビルの住民を苦しめたと思われるかもしれない。しかし襲われた現地女性はほんのわずかしかいない。
協力をえるため?
3年前に日本がブーゲンビル島を占領したときに逃げ遅れた中国人女性たちでさえ、陵辱されてはいないと証言している。その理由としては、切れ者の神田中将により厳しい軍規を課された第6師団は、南京の暴虐の償いをしているのではとの推測もなされている。だがより論理的な説明は、神田たちは人道的な理由ではなく、協力をえるために5万人の島民を懐柔しているというものだ。そのために神田は現地女性を尊重するように指導し、違反した者は軍法会議にかけて厳しく罰しているとされている。
戦後に衝撃的な新事実が発覚したわけでもないのに、現代の南京事件はこうした当時の見方からあまりに大きくかけ離れています。
中国人民の頭にある「南京大虐殺」は、1985年に日本社会党の寄付で建てられた南京大虐殺記念館で語られる誇張と偏見に満ちた物語を拠り所としています。「南京が幻なら原爆も幻だな!」などと揶揄すアメリカ人に、ならば南京に関する情報をどこで仕入れたのかと聞けば、その出所はやはり誇張と偏見に満ちたアイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」だと胸を張ります。
現代の「南京大虐殺」とは、1937年から綿々と検証されてきた歴史的出来事ではなく、1980年代以降に生じた政治トレンドの結晶なのです。
中国人民は、共産主義凋落のあとに国民統合の柱として南京虐殺を必要とし、アメリカ人は、世界を席巻した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」時代の日本への反感から、日本叩きのネタとして南京虐殺にとびつきました。彼らは信じたいから信じたのであり、客観的な事実だから信じたのではありません。
そういう人たちに、客観的な検証を呼びかけても無駄なことです。ならば日本人は汚名を着せられたまま永遠に我慢しなければならないのかといえば、そうではありません。信じたくて信じている人たちは、信じることによるカタルシスを得られなくなれば信じなくなります。
その日のために粛々と客観的事実を検証し、中国人民や海外の自称正義漢による「南京大虐殺」糾弾に対しては、道徳的問題として引き受けるのではなく、ゲームとして割り切り、冷徹に対処していけばいいのです。
その点河村市長の行動はナイーブ過ぎるように思います。しかし冒頭に述べたように、こと今回に限れば、発言のタイミングからして必ずしも日本の損にはならないような気がします。
かつてアメリカ人がアイリス・チャンにとびついたのは、日本を叩きたい空気が充満していたからでした。しかし今のアメリカにそんな空気はありません。アメリカ人が叩きたいのは、アメリカ人の仕事を奪い、太平洋の覇権に色目を見せる中国の方です。
さらに今は、いつ転ぶかわからないユーロに、核開発のイラン、内戦のシリアと、世界中で問題が山積みです。そんなときに、日本の一地方都市の市長の歴史発言などというのんきな問題に、あれこれ口を出す物好きなどいません(人民系住民は除く)。
従ってもし中国が本気で絡んでくるなら、日本とサシの勝負になる可能性が大です。そしてそうなると、必ずしも中国が有利とはいえません。へたに人民が反日で燃え上がると、ふとしたはずみで反政府運動に転化する危険があるからです。
中国は経済面で圧力をかけてくるに違いありませんが、日本と中国の経済関係が冷え込めば、両者ともに傷を負うことになります。そして景気が失速中の中国には、一昔前のようにその痛手を無視できる余裕はありません。
野次馬がおらず、失速中の中国に対しては、「歴史カード」は必ずしも日本に不利なばかりのカードではなく、攻めのカードになりえるのです。