2012年03月03日

政治先進国日本を猛追する世界

政治へのアパシーというと、日本のお家芸のような気がします。日本人は政治意識が低すぎる、アメリカやヨーロッパを見習えとさんざん言われてきたものです。

しかし最近の世界を見ていると、どこもかしこもあきらめムードで、むしろ日本はましな方ではないかと思えてくるほどです。

たとえば今アメリカでは共和党の大統領予備選が行われていますが、共和党支持者の多くはすでに共和党に絶望しており、ただ「オバマを倒せるなら誰でもいい」という観点から候補者を選んでいます。

民主党支持者も同様で、オバマ政権に幻滅しつつ、ただ「共和党に政権をわたしたくない」という観点からオバマを支持しています。

共和党の主流派は左傾化して民主党と同化し、オバマ政権はビッグビジネスの味方で共和党と変わりません。選択肢のない両派の一部は、茶会やオキュパイムーブメントなど、既存の政治システムの枠外で活動したり、または理想主義的リバタリアンのロン・ポール氏を支持したりしてもがいています。

しかし彼らの運動は、既存のシステムの枠外であるがゆえに非現実的になりがちで、現実の政治に対する影響は限られています。政策と理念の論争を欠く政治は、畢竟政局のみでまわるようになり、人々の政治への幻滅とあきらめは加速するばかりです。

欧州も同じです。かつてのドイツは非常に政治意識の高い国でした。しかしやはりここでも主要政党は総中道化し、同じような政策を掲げて同じ方向を向いているため、国民に選択肢はありません。そしてアメリカ同様に政治は政局オンリーになり、国民の総意とは乖離した方向に進んでいます。

今週の月曜日に、ドイツの連邦議会は1300億ユーロの第二次ギリシャ支援を可決しました。しかしドイツの国民はまるで納得していません。世論調査によれば、実に62パーセントのドイツ人はギリシャ支援に反対し、賛成はわずか33パーセントです。

Deutsche gegen Hilfen für Griechenland

多くのドイツ人は、今回の支援は壊れ瓶に水を注ぐようなもので、結局ギリシャを救済するのは不可能だと考えて反対しています。しかし政治家たちは危機を先延ばしにすることしか頭になく、超党派で可決してしまいました。

日本では仰ぎ見られている脱原発も同様です。国民を交えた議論を深めることなく、テクノクラートの独断で決められたものでした。

ドイツ人たちの政治不信は、次期大統領になると見られているヨアヒム・ガウク氏への圧倒的支持によくあらわれています。世論調査によれば、ドイツ人がガウク氏を支持する最大の理由は、ガウク氏がどの政党にも属さない、非政治的な人物だからです。

Die Bürger bejubeln die Lichtgestalt Gauck

第二次ギリシャ支援の審議では、こうしたドイツの政治状況を象徴するようなハプニングも起きました。国の運命を左右するような大きな事案であるにもかかわらず、ショイブレ財務相は審議中に密かに数独で遊んでいたのです。

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とはいうものの、多くのドイツ人はこの件についてそれほど大騒ぎしていません。しょせん政治はその程度のものだからです。

政治といえば政局のことで、政治に対するあきらめが支配する日本は、民度の低い遅れた国だと思われてきました。しかしどうやら遅れていたのは海外のほうで、ようやく追いついてきたようです。



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2012年03月01日

日本はドイツに学ぶべき

過去との取り組みについて、日本がドイツと比較されるのは古典的な手法です。

日本は被害国を感動させよ=ドイツにならって跪くべき

記事の中では次のように述べられています。

戦後、日本とドイツは正反対の道を歩んできた。1970年12月、ポーランドのワルシャワを訪問したドイツのブラント首相はユダヤ人ゲットー記念碑前で跪き、その反省の心が東欧各国との和解に結びついた。第二次世界大戦終戦40周年の1985年にはヴァイツゼッカー大統領が「5月8日はナチスの暴力支配からの解放の日」と語った。日本政府からは、中国など被害国を心から感動させる言動はなく、日本はドイツに学ぶべきだとの思いを禁じ得ない。

ブラントもヴァイツゼッカーも、ナチスのホロコーストについて謝罪しただけで、民族としてのドイツ人やドイツ国防軍の「犯罪」について謝罪したわけではありません。

だから戦時中ドイツから最大の被害を受けたポーランドでは、今でもときおり「ポーランド人に謝罪せよ」との声があがります。しかし「ブラントの跪き」のような謝罪がドイツからなされることはありませんし、むしろあきれられています。

Polish PM Prickled by "Spud" Slander

また、1985年にホロコーストを反省する有名な演説をしたヴァイツゼッカー大統領は、ナチス時代にリッベントロップ外相の次官を務め、ニュルンベルク裁判で有罪とされた父親の罪を冤罪として断固として認めていません。そして、東部戦線で一兵士として戦闘に参加した自らの経験をもとに、2009年のインタビューで次のように述べています。

Q:東部戦線で戦争犯罪を目撃しましたか?

A:個人的には見ていません。

Q:あなたの師団の6月下旬の報告書に「残虐に切り刻まれた兵士」との記述があります。記憶にありますか?

A:当時報告書は見ていません。しかし切り刻まれたドイツ兵の死体は見ました。ソ連に捕らわれたらこうなると、ゾッとしました。

Q:報告書は、第9連隊からの報告として、次のようにも記しています。「捕虜はとらずに始末した。残虐に切り刻まれた戦友の死体を見た連隊は、とてもそんな気になれなかったからである」。

A:それはひどい言いがかりです。わたしはそんな報告書など聞いたこともありませんし、そんな雰囲気はまるでありませんでした。わたしたちの連隊の中でも、そんな行動をした者がいたなど聞いたことがありません。ですからわたしたちの戦域ではそんな事実はなかったと断言します。

Q:質問にムッとされたようですね。

A:ムッとする?違います。切ないんですよ。こんなあたりまえのこともわかってもらえないのかとね。戦争が乱暴にしかけられ、乱暴に行われたことに疑いはありません。しかし、ドイツ軍は何百万人もの捕虜をとり、そしてすべての捕虜が虐待され惨殺されたわけではないんです。いいですか、わたしたちの歩兵連隊は長い伝統を持ち、高い軍紀を誇りにしていました。戦時中においてもです。もちろん歴史研究の成果は尊重します。当時のわれわれに知りえなかったことはたくさんあるでしょう。大事なのは、歴史的、倫理的に世代間の理解を深めることです。そしてその作業はお互いを尊重しつつやれるはずですし、そうすべきなんです。

Former German President Details WWII Experiences

というわけで、ヴァイツゼッカー氏は何でもかんでもドイツが悪いなどと考えているわけではありません。ホロコーストの悪を糾弾し反省する一方で、当時を生きたドイツ人たちの存在を汚すつもりなどまったくないのです。

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