第一次大戦開戦当時、ドイツの陸戦能力は世界一と考えられていました。従ってドイツの目標は、戦場で敵を殲滅することであり、プロパガンダはその側面支援として行われました。
しかしイギリスは違いました。当時世界最大の植民地帝国を保持していた大英帝国ですが、陸上戦力ではドイツに及ばず、さらに国力の傾きはすでに19世紀末以来顕著でした。強大なドイツ帝国を英仏露の三国で倒すのは至難の業と考えたイギリスは、中立国を仲間に引き入れて中央同盟軍を圧倒することを目論んだのです。
ドイツとイギリスの戦争プロパガンダの性質の違いは、こうした両国の事情の違いに求められます。ドイツのプロパガンダは自軍の士気を鼓舞して敵の士気を削ぐために行われ、イギリスのプロパガンダは、ドイツの評判を落として仲間を増やすために行われたわけです。
とはいうものの、遅れてイギリスに助太刀した日本やイタリア、アラブ人などは、なにも加害者ドイツに憤怒して参戦したわけではありません。イギリスの圧力や領土割譲の約束など、そうした”普通の国々”はあくまで損得勘定からイギリスに組みしただけです。
日本では、イギリスのプロパガンダの一環として「新東洋」という雑誌が刊行され、ドイツへの反感を煽り、正義のために欧州への陸上部隊派遣を訴える論陣をはりましたが、一般大衆はもちろん、知識人たちの間でも影響は限定的でした。ドイツ人捕虜を通じた日独交流の美談は、今も語り継がれています。イギリスのご都合主義的正義は、決して世界の人々を動かしたわけではないのです。
ただし一国だけ、そうではない特殊な国がありました。イギリスの最大のリクルート目標であり、当時世界最大の経済大国の地位についたばかりのアメリカです。
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モンロー主義で引きこもり、豊かで平和ボケのアメリカは、他国のように損得勘定だけでは動きません。ではどうしたら動くのか?イギリスはそれを熟知していました。
ピューリタン的なモラリズムを源流に持ち、また高度に発達したマスメディアを通じて大衆が国を動かすアメリカでは、ワイドショー的なセンセーショナリズムと、わかりやすい勧善懲悪の構図こそが大衆を動かし、国を動かすのです。
「世界制覇を企む残虐で野蛮なフン族の末裔により虐殺される無垢な民衆」というチープな設定は、アメリカを一本釣りするための、アメリカ向けに特化したプロパガンダだったわけです。
イギリスの意図通り、アメリカの反独感情は刻々と高まりました。それまでフランクフルターと呼ばれていた食べ物はホットドッグと名を変え、ドイツに同情的な住民を集団リンチして公衆の面前でドイツを罵らせるなど、文革を思わせるような出来事も多発したといいます。


そしてアメリカ大衆の”義憤”は、メキシコに対米参戦をうながすツィンマーマン電報の暴露という火花により引火、爆発しました。アメリカの参戦により完全に経済封鎖されたドイツは継戦能力を絶たれ、内側から崩壊することになります。
第一次大戦の後、アメリカは政治、経済で揺るぎない世界一の超大国となり、さらに第二次大戦をへて軍事的にも世界に冠たる超絶大国へと成長しました。世界を「犠牲者対加害者」という構図で見、加害者を憎悪して犠牲者を神聖化するという特異な発想は、アメリカの伸長にともない世界の共通通貨になりました。
しかしこの、敵を倒すために犠牲者の座を奪い合うという歪んだ行動原理を育むことになる世界観は、アメリカの世紀である20世紀を越えて未来へと続いていくのでしょうか?
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20世紀の初頭に、アメリカの大衆をかどわかすために生まれた特殊な世界観が今後も効力を持ち続けるためには、いくつかの条件があります。
まず、今後もアメリカがオンリーワンのスーパーパワーであり続けることです。
しかしこれは考えにくいことです。アメリカは没落するとか、そんな大げさな意味ではなく、ただ、アメリカがあきれるほどに一人勝ちした20世紀的状況は異常な状況であり、今後もそうあり続けると考えるほうが無理があるというものです。
次に、マスメディアが力を持ち続けるということです。
「犠牲者は正義」という発想は、アメリカ流のモラリズムだけから生じたものではありません。ものごとをセンセーショナルに単純化せずにおかないマスメディアの力と掛けあわせてはじめて生まれたものです。
これは、マスメディアの質とは関係ありません。マスメディアとはそういうシステムであり、マスメディアにおける主張の勝敗は、単純化とセンセーショナル化の度合いで決まるのです。
そんなマスメディアは、2000年前後のインターネットの台頭以来確実に衰退しています。そしてインターネットというシステムの性質がマスメディアシステムとまるで違うということは、理論的にだけでなく、すでに経験的にも明らかです。
また仮に米帝の一極支配とマスメディアの君臨が続くという、驚嘆すべき時代の巻き戻しが起きたとしても、やはり100年前に生まれた特殊なプロパガンダ手法が通用し続けるとは考えにくいことです。
なぜならば、世界を犠牲者対加害者という単純な構図で見たうえで、アメリカは常に犠牲者の側に立つという幻想は遠の昔に破綻しており、冷戦終結後は、その幻想を無理に維持する動機さえ消失しており、このままそれを維持しようとすれば、アメリカ自身の手でアメリカを葬らなければならなくなるからです。
イラク戦争のとき、多くのジャーナリストは「ベトナム化」を予想しましたが、あれはただの左翼の願望ではありません。アメリカの大衆がかつてのままであり、かつての行動パターンで動き続けていたなら、ベトナム化は必然的な帰結であり、アメリカは自壊するはずだったのです。
しかしそうはなりませんでした。アメリカは変化しているのです。生存のために。
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アメリカの影響力が相対的に低下し、マスメディアの力が低下し、さらにアメリカ自体が変化するとなれば、犠牲者を神聖化する時代もやがて終わりを迎えるだろうと考えるのが妥当です。
もちろん犠牲者を哀れみ、同情し、助けるのは美しい行為であり続けるでしょうが、犠牲者であることが勝者であるような状況は、それとは異なるものとして認識されるようになり、”犠牲者バブル”は弾けるのです。バブルが弾けるときの常で、まずは反動から犠牲者が過剰に訝られる風潮となり、その後徐々に落ち着くところに落ち着いていくに違いありません。
だとするならば、今日自らを犠牲者であると嬉々として声高に訴えるのは、これからも末永く語り継がれる神話の創生どころか、時代の流行に「事大」する軽薄な行為と言わざるをえません。
そして、そのような事大行為に何の疑いもなく邁進する者は、時代の潮流が変われば率先して態度を翻すものです。「性奴隷の碑」は、それを建てた者自身の手によって引き倒されるのです。