2012年06月26日

「加害者対犠牲者」の源流(2)

なぜイギリスは「犠牲者対加害者」という、当時としては奇矯なモチーフを立てて戦争プロパガンダをしたのでしょうか?

第一次大戦開戦当時、ドイツの陸戦能力は世界一と考えられていました。従ってドイツの目標は、戦場で敵を殲滅することであり、プロパガンダはその側面支援として行われました。

しかしイギリスは違いました。当時世界最大の植民地帝国を保持していた大英帝国ですが、陸上戦力ではドイツに及ばず、さらに国力の傾きはすでに19世紀末以来顕著でした。強大なドイツ帝国を英仏露の三国で倒すのは至難の業と考えたイギリスは、中立国を仲間に引き入れて中央同盟軍を圧倒することを目論んだのです。

ドイツとイギリスの戦争プロパガンダの性質の違いは、こうした両国の事情の違いに求められます。ドイツのプロパガンダは自軍の士気を鼓舞して敵の士気を削ぐために行われ、イギリスのプロパガンダは、ドイツの評判を落として仲間を増やすために行われたわけです。

とはいうものの、遅れてイギリスに助太刀した日本やイタリア、アラブ人などは、なにも加害者ドイツに憤怒して参戦したわけではありません。イギリスの圧力や領土割譲の約束など、そうした”普通の国々”はあくまで損得勘定からイギリスに組みしただけです。

日本では、イギリスのプロパガンダの一環として「新東洋」という雑誌が刊行され、ドイツへの反感を煽り、正義のために欧州への陸上部隊派遣を訴える論陣をはりましたが、一般大衆はもちろん、知識人たちの間でも影響は限定的でした。ドイツ人捕虜を通じた日独交流の美談は、今も語り継がれています。イギリスのご都合主義的正義は、決して世界の人々を動かしたわけではないのです。

ただし一国だけ、そうではない特殊な国がありました。イギリスの最大のリクルート目標であり、当時世界最大の経済大国の地位についたばかりのアメリカです。

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モンロー主義で引きこもり、豊かで平和ボケのアメリカは、他国のように損得勘定だけでは動きません。ではどうしたら動くのか?イギリスはそれを熟知していました。

ピューリタン的なモラリズムを源流に持ち、また高度に発達したマスメディアを通じて大衆が国を動かすアメリカでは、ワイドショー的なセンセーショナリズムと、わかりやすい勧善懲悪の構図こそが大衆を動かし、国を動かすのです。

「世界制覇を企む残虐で野蛮なフン族の末裔により虐殺される無垢な民衆」というチープな設定は、アメリカを一本釣りするための、アメリカ向けに特化したプロパガンダだったわけです。

イギリスの意図通り、アメリカの反独感情は刻々と高まりました。それまでフランクフルターと呼ばれていた食べ物はホットドッグと名を変え、ドイツに同情的な住民を集団リンチして公衆の面前でドイツを罵らせるなど、文革を思わせるような出来事も多発したといいます。

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そしてアメリカ大衆の”義憤”は、メキシコに対米参戦をうながすツィンマーマン電報の暴露という火花により引火、爆発しました。アメリカの参戦により完全に経済封鎖されたドイツは継戦能力を絶たれ、内側から崩壊することになります。

第一次大戦の後、アメリカは政治、経済で揺るぎない世界一の超大国となり、さらに第二次大戦をへて軍事的にも世界に冠たる超絶大国へと成長しました。世界を「犠牲者対加害者」という構図で見、加害者を憎悪して犠牲者を神聖化するという特異な発想は、アメリカの伸長にともない世界の共通通貨になりました。

しかしこの、敵を倒すために犠牲者の座を奪い合うという歪んだ行動原理を育むことになる世界観は、アメリカの世紀である20世紀を越えて未来へと続いていくのでしょうか?

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20世紀の初頭に、アメリカの大衆をかどわかすために生まれた特殊な世界観が今後も効力を持ち続けるためには、いくつかの条件があります。

まず、今後もアメリカがオンリーワンのスーパーパワーであり続けることです。

しかしこれは考えにくいことです。アメリカは没落するとか、そんな大げさな意味ではなく、ただ、アメリカがあきれるほどに一人勝ちした20世紀的状況は異常な状況であり、今後もそうあり続けると考えるほうが無理があるというものです。

次に、マスメディアが力を持ち続けるということです。

「犠牲者は正義」という発想は、アメリカ流のモラリズムだけから生じたものではありません。ものごとをセンセーショナルに単純化せずにおかないマスメディアの力と掛けあわせてはじめて生まれたものです。

これは、マスメディアの質とは関係ありません。マスメディアとはそういうシステムであり、マスメディアにおける主張の勝敗は、単純化とセンセーショナル化の度合いで決まるのです。

そんなマスメディアは、2000年前後のインターネットの台頭以来確実に衰退しています。そしてインターネットというシステムの性質がマスメディアシステムとまるで違うということは、理論的にだけでなく、すでに経験的にも明らかです。

また仮に米帝の一極支配とマスメディアの君臨が続くという、驚嘆すべき時代の巻き戻しが起きたとしても、やはり100年前に生まれた特殊なプロパガンダ手法が通用し続けるとは考えにくいことです。

なぜならば、世界を犠牲者対加害者という単純な構図で見たうえで、アメリカは常に犠牲者の側に立つという幻想は遠の昔に破綻しており、冷戦終結後は、その幻想を無理に維持する動機さえ消失しており、このままそれを維持しようとすれば、アメリカ自身の手でアメリカを葬らなければならなくなるからです。

イラク戦争のとき、多くのジャーナリストは「ベトナム化」を予想しましたが、あれはただの左翼の願望ではありません。アメリカの大衆がかつてのままであり、かつての行動パターンで動き続けていたなら、ベトナム化は必然的な帰結であり、アメリカは自壊するはずだったのです。

しかしそうはなりませんでした。アメリカは変化しているのです。生存のために。

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アメリカの影響力が相対的に低下し、マスメディアの力が低下し、さらにアメリカ自体が変化するとなれば、犠牲者を神聖化する時代もやがて終わりを迎えるだろうと考えるのが妥当です。

もちろん犠牲者を哀れみ、同情し、助けるのは美しい行為であり続けるでしょうが、犠牲者であることが勝者であるような状況は、それとは異なるものとして認識されるようになり、”犠牲者バブル”は弾けるのです。バブルが弾けるときの常で、まずは反動から犠牲者が過剰に訝られる風潮となり、その後徐々に落ち着くところに落ち着いていくに違いありません。

だとするならば、今日自らを犠牲者であると嬉々として声高に訴えるのは、これからも末永く語り継がれる神話の創生どころか、時代の流行に「事大」する軽薄な行為と言わざるをえません。

そして、そのような事大行為に何の疑いもなく邁進する者は、時代の潮流が変われば率先して態度を翻すものです。「性奴隷の碑」は、それを建てた者自身の手によって引き倒されるのです。

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2012年06月25日

「加害者対犠牲者」の源流(1)

最近、韓国人があちこちに「従軍慰安婦」の碑なるものを建てています。被害者としての韓国人と、加害者としての日本人の姿を後世に刻みつけようという行為です。

こうした行為に対し、少なからぬ日本人は、性奴隷としての慰安婦は「偽史」であると憤怒します。しかしながらより巨視的に見れば、そもそも真贋論争に引き込まれること自体、ある面において性奴隷碑の建立に血道をあげる韓国人たちと同じ価値観を共有する、同じ穴のムジナであると告白しているようなものです。

その価値観とは、「正義は犠牲者にあり」という、犠牲者を神聖視する価値観です。

なるほど今日、あらゆる対立の構図において、自らを犠牲者と位置づけ、犠牲者としての自分を周囲に認知してもらうことは大きな武器になります。しかし長い人類の歴史を見れば、犠牲者=正義という見方は、ごく稀にしか見られない奇矯な価値観でしかありません。

ではこの価値観は、人類が進歩の末に辿り着いた、今後も長くそうあり続けるだろう絶対的な価値観なのでしょうか?それとも、時代とともに移り変わる流行にすぎないのでしょうか?その答えは、この価値観が生まれ、普及した時代を見つめることで見えてくるはずです。

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人間が正義を主張する究極のイベントは、戦争です。古代から現代まで、戦争をする集団は、常に正義をかかげて敵との戦いにのぞみました。そこでは、残虐で野蛮な外敵の脅威にさらされる我等という構図は普遍的に見られます。しかし通常叙事詩はそこで終わりません。

勝つにせよ負けるにせよ、主題は非道な敵との戦いです。ただたんに犠牲者であることを高らかにうたいあげ、ゆえに我らは正義なのだと説く叙事詩など例外中の例外です。古の叙事詩や石碑をプロパガンダとするなら、我等が犠牲者であることや、敵が加害者であることはおまけでしかないのです。

ところが20世紀以降の戦争では、戦いの現場は脇へ追いやられ、犠牲者対加害者の構図が異様にフレームアップされます。

アメリカの対テロ戦争は、犠牲者の座の奪い合いでした。それより一世代前のベトナム戦争は、ベトナム人民が犠牲者の座をつかんだことで、アメリカの継戦能力は絶たれました。そしてさらに一世代前の第二次大戦では、双方ともに自らを犠牲者視して武器を取り、最終的に「加害者たるドイツ、日本と、犠牲者の側に立つ連合国」で決着しました。

ではそのひとつ前の第一次大戦はどうか?実はこの、1914年に勃発した大戦争においては、「犠牲者=正義」という認識にズレが見られます。

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欧州に第二次大戦をも凌駕する惨禍をもたらし、19世紀的価値観を瞬時にして葬ったとされる第一次大戦は、犠牲者も加害者もない、国家間の意地の張り合いから始まりました。

まだラジオが生まれておらず、映画もよちよち歩きだった時代でしたが、新聞を軸としたマスメディアの影響力は確立しており、マスメディアを駆使したプロパガンダ合戦に国家が本腰を入れた初めての事例とされています。

さてこのプロパガンダ合戦で、現代から見ると奇妙な傾向が見られます。第一次大戦を迎えるにあたり、参戦各国中最もプロパガンダの重要性を意識していたといわれるドイツ帝国において、プロパガンダの王道である、「我々は犠牲者であり、敵は加害者である」というモチーフがほとんど見られないのです。

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ドイツのプロパガンダの基調は、「我々は強く勇敢であり、敵は貧弱だ」というもので、味方を鼓舞し、敵を震え上がらせるというものでした。イギリスの海上封鎖により多くの国民が餓死するなど、自らを犠牲者の側におく事例には事欠かないというのに、ドイツはこれを積極的に活用しませんでした。第一次大戦当時、犠牲者の神聖化と加害者のスティグマ化の有効性が確立していなかった証です。

しかしドイツの主敵であるイギリスは違いました。こちらのプロパガンダは、ドイツの加害者化に全力を注ぎました。

女性の乳房を切り裂き、赤子を銃剣で殺すドイツ兵、死体を工場に運んで石鹸を作るドイツ、潜水艦で客船を沈めて高笑いするドイツ人…第二次大戦をへて現代にも続くドイツに対する偏見、戦争における加害国の典型的行動パターンは、第一次大戦におけるイギリスの対独プロパガンダにその原型を求められます。

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そしてこのイギリスのプロパガンダは大成功しました。一方ドイツのプロパガンダは、やればやるほどイギリスに揚げ足をとられるばかりで、プロパガンダの大失敗例のひとつに数えられています。

ここにおいて、国家間の対立における犠牲者対加害者という構図の有効性は確立し、以降の紛争では、いかに自らを犠牲者の側におくかが最重要項目となっていきます。

しかし、なぜイギリスは「犠牲者対加害者」という”先進的な”モチーフを採用したのでしょうか?

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