2012年06月25日

「加害者対犠牲者」の源流(1)

最近、韓国人があちこちに「従軍慰安婦」の碑なるものを建てています。被害者としての韓国人と、加害者としての日本人の姿を後世に刻みつけようという行為です。

こうした行為に対し、少なからぬ日本人は、性奴隷としての慰安婦は「偽史」であると憤怒します。しかしながらより巨視的に見れば、そもそも真贋論争に引き込まれること自体、ある面において性奴隷碑の建立に血道をあげる韓国人たちと同じ価値観を共有する、同じ穴のムジナであると告白しているようなものです。

その価値観とは、「正義は犠牲者にあり」という、犠牲者を神聖視する価値観です。

なるほど今日、あらゆる対立の構図において、自らを犠牲者と位置づけ、犠牲者としての自分を周囲に認知してもらうことは大きな武器になります。しかし長い人類の歴史を見れば、犠牲者=正義という見方は、ごく稀にしか見られない奇矯な価値観でしかありません。

ではこの価値観は、人類が進歩の末に辿り着いた、今後も長くそうあり続けるだろう絶対的な価値観なのでしょうか?それとも、時代とともに移り変わる流行にすぎないのでしょうか?その答えは、この価値観が生まれ、普及した時代を見つめることで見えてくるはずです。

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人間が正義を主張する究極のイベントは、戦争です。古代から現代まで、戦争をする集団は、常に正義をかかげて敵との戦いにのぞみました。そこでは、残虐で野蛮な外敵の脅威にさらされる我等という構図は普遍的に見られます。しかし通常叙事詩はそこで終わりません。

勝つにせよ負けるにせよ、主題は非道な敵との戦いです。ただたんに犠牲者であることを高らかにうたいあげ、ゆえに我らは正義なのだと説く叙事詩など例外中の例外です。古の叙事詩や石碑をプロパガンダとするなら、我等が犠牲者であることや、敵が加害者であることはおまけでしかないのです。

ところが20世紀以降の戦争では、戦いの現場は脇へ追いやられ、犠牲者対加害者の構図が異様にフレームアップされます。

アメリカの対テロ戦争は、犠牲者の座の奪い合いでした。それより一世代前のベトナム戦争は、ベトナム人民が犠牲者の座をつかんだことで、アメリカの継戦能力は絶たれました。そしてさらに一世代前の第二次大戦では、双方ともに自らを犠牲者視して武器を取り、最終的に「加害者たるドイツ、日本と、犠牲者の側に立つ連合国」で決着しました。

ではそのひとつ前の第一次大戦はどうか?実はこの、1914年に勃発した大戦争においては、「犠牲者=正義」という認識にズレが見られます。

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欧州に第二次大戦をも凌駕する惨禍をもたらし、19世紀的価値観を瞬時にして葬ったとされる第一次大戦は、犠牲者も加害者もない、国家間の意地の張り合いから始まりました。

まだラジオが生まれておらず、映画もよちよち歩きだった時代でしたが、新聞を軸としたマスメディアの影響力は確立しており、マスメディアを駆使したプロパガンダ合戦に国家が本腰を入れた初めての事例とされています。

さてこのプロパガンダ合戦で、現代から見ると奇妙な傾向が見られます。第一次大戦を迎えるにあたり、参戦各国中最もプロパガンダの重要性を意識していたといわれるドイツ帝国において、プロパガンダの王道である、「我々は犠牲者であり、敵は加害者である」というモチーフがほとんど見られないのです。

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ドイツのプロパガンダの基調は、「我々は強く勇敢であり、敵は貧弱だ」というもので、味方を鼓舞し、敵を震え上がらせるというものでした。イギリスの海上封鎖により多くの国民が餓死するなど、自らを犠牲者の側におく事例には事欠かないというのに、ドイツはこれを積極的に活用しませんでした。第一次大戦当時、犠牲者の神聖化と加害者のスティグマ化の有効性が確立していなかった証です。

しかしドイツの主敵であるイギリスは違いました。こちらのプロパガンダは、ドイツの加害者化に全力を注ぎました。

女性の乳房を切り裂き、赤子を銃剣で殺すドイツ兵、死体を工場に運んで石鹸を作るドイツ、潜水艦で客船を沈めて高笑いするドイツ人…第二次大戦をへて現代にも続くドイツに対する偏見、戦争における加害国の典型的行動パターンは、第一次大戦におけるイギリスの対独プロパガンダにその原型を求められます。

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そしてこのイギリスのプロパガンダは大成功しました。一方ドイツのプロパガンダは、やればやるほどイギリスに揚げ足をとられるばかりで、プロパガンダの大失敗例のひとつに数えられています。

ここにおいて、国家間の対立における犠牲者対加害者という構図の有効性は確立し、以降の紛争では、いかに自らを犠牲者の側におくかが最重要項目となっていきます。

しかし、なぜイギリスは「犠牲者対加害者」という”先進的な”モチーフを採用したのでしょうか?



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