19世紀的価値観を瞬時にして葬った第一次大戦が勃発した1914年の夏は、欧州では数年に一度のすばらしい夏で、人々はすっかり呆け、19世紀的社会が永遠に続くかのような錯覚に囚われていたといいますが、時代が転換するときというのは、その直前に奇妙な凪が生じるものなのかもしれません。
オリンピックは20世紀を象徴するイベントです。そこには20世紀のすべてがあります。100年後に20世紀を知ろうとする人は、オリンピックを研究すれば、そのすべてをつかむことができるはずです。
そんなオリンピックは、今回とても普通に行われました。
ジャッジミスや進行の不手際は随所に見られたものの、そうしたことはスポーツイベントにはつきもので、むしろ大会の普通さを示すほのぼのとしたできごとであり、前回の北京大会のように、政治やカネの匂いは意外なほどかぎとれませんでした。歴代のオリンピックは、多かれ少なかれ、良くも悪しくも時代を映してきましたが、今回はまるで会場ごと1990年代にタイムスリップしたような、時代からふわりと浮いているような、不思議な大会でした。
ところが時代は突如として顔を出しました。サッカー3位決定戦における「ドクトは我が領土」プラカード事件です。安穏とした20世紀の風景を演出したオリンピックの裏では、オリンピックを場違いとしてしまうような時代の変化が進行しており、そのズレがスッと顔を出したのです。
以来、日本の周辺を中心として、世界はタガが外れたように揺れています。奇妙なほど普通なオリンピック、「美しい20世紀の風景」を最後に、いよいよ20世紀は「昨日の世界」になったのかもしれません。
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さて、中国の反日暴動です。
日本人の多くは、中国人暴徒の様子をポカンとして見ているようです。口の悪いネットでも怒りの声は少なく、むしろ愚かな中国人たちの自滅ぶりを楽しんでいる風でもあります。
確かに今回の一件は、中華人民共和国の内部矛盾が相当なレベルまで来ていることの証です。中華人民共和国が倒れるとするなら、それは外国人ではなく、人民の手により暴力的に葬られることはおそらく間違いなく、そうなる期待を抱かせる状況ではあります。ですから自分も、日本のネットで見られるセンチメントに大いに共感します。
しかし、もしそういう方向に事態が推移しなかったら?体制が崩壊するにしても、それは今ではなくしばらく先のことだったら?と考えると、日本人として絶望的にならざるをえません。
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今回の暴動は、「ライヒスクリスタルナハト」を思わせる明白な人種差別暴動です。
日本語で水晶の夜と呼ばれるこの事件は、1938年の11月にドイツで起きたユダヤ人店舗、シナゴーグの襲撃事件です。路上に散乱したショーウインドーの破片が水晶のようにキラキラと輝いて見えたので、水晶の夜と呼ばれます。
この事件は、ドイツ外交官がユダヤ人青年に射殺されたのを機に、当時公私にミス続きで功を焦るゲッベルス宣伝相が「党はデモを行わないが、自発的に起きるデモは妨害しない」と宣言し、過激分子による暴力デモにゴーサインを出したことで起きました。
中国の「デモ」も同じ構図です。
ドイツは、この事件により世界的な非難を浴び、ゴロツキとしての地位を確定的なものにしました。「21世紀のクリスタルナハト」に対する世界での報道と、それへの反応を見ると、中国も悪の帝国としての印象をいよいよ強くすることは間違いないはずです。
それは日本としては救いではあります。しかし、なぐさめ程度の救いでしかありません。
クリスタルナハトを目撃した世界は何をしたか?以前よりもユダヤ人の声に耳を貸すようにはなりました。でもそれだけです。口でドイツを非難するばかりで何もせず、ドイツの反ユダヤ主義者はますます牙を研ぎ、迫害を強めるばかりでした。
ようやく諸外国が拳を振り上げたのはクリスタルナハトの10ヶ月後。ドイツのポーランド侵攻に対して宣戦したわけですが、そのときですら英仏軍は国境線から動かず、もしドイツからフランス侵攻作戦を仕掛けなければ、しばらく睨み合った後に和平していたかもしれません。
いくら世界の賛同を集め、相手の非道ぶりを明らかにしたところで、弱ければやられるしかなく、誰も何もしてくれないのです。
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今日の中国は、ドイツ第三帝国に酷似したファシズム国家ですが、大きな違いもあります。
ドイツは戦争のできる国家建設にいそしみ、経済的に自給自足を目指していましたが、中国は世界経済に深くコミットすることで、攻められにくい国家建設にいそしんでいます。もし中国が先進国と戦争すれば、中国経済は大打撃を被るでしょうが、相手国もまた大打撃を被るので、戦争になりにくいのです。
そして中国は膨大な人口を擁する大金脈であり、なおかつ一党独裁です。民主国である他の先進国と軋轢が生じれば、経済人たちのロビー活動により、必ず民主国が折れる仕組みなのです。
中国の経済はおそらくすでにバブル崩壊しており、金鉱としての価値は半減していると自分は見ていますが、経済人たちは目に見える目先の利益を追い求めるので、そんな話は耳に入りません。今回の場合、日本はもちろん、アメリカ、ヨーロッパの経済人たちは、戦争を食い止めるために、各政府に猛烈にプレッシャーをかけているはずです。
それでどうなるのか?
アメリカ政府は中国に強面で自重するようにもちかけ、一方で日本に譲歩を迫るはずです。尖閣をめぐり、一見して譲歩には見えないけれど、その実中国を利する譲歩と、中国政府バージョンの南京大虐殺を認めるような公式声明のセット、というところでしょう。
そうして平和は守られます。ミュンヘン会談再びです。
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ミュンヘン会談で国家防衛の要衝であるズデーテンラントを割譲させられたチェコは、もはや独立国として生存できず、やがて全土をドイツに併合されてしまいました。今回日本が飲まされるだろう譲歩は、それほど大きなものではありません。
しかし、世界は結局弱肉強食であるという現実を見せつけられた日本は、力への信奉を強めることになるはずです。
核武装して憲法9条を改正する?それもひとつの手です。ただし、それは必ずしも力とイコールではありません。
でかくて強くて経済的恩恵ももたらしてくれる(ように見える)中華帝国に擦り寄り、その庇護下に入るという手も、もはや大国とは言えない日本が力を手にし、弱肉強食の時代に生き残る術のひとつなのです。
21世紀の大動乱はアジアが発火点となる可能性が高いですが、中朝連合軍に国土を蹂躙される恐怖に比べれば、中国様のポチとして生きるほうが、何倍もましというものです。