2012年10月19日

なぜ日本はPSY旋風に巻き込まれないのか?

欧米で大ヒットしているPSY(サイ)の「ガンナムスタイル」について、タイム誌のサイトが「日本でブレークしないのはどうして?」という記事を載せています。

記事では、竹島問題のこじれが影響しているのかもしれないとして、「ホントに残念 (It's a shame, really)。馬ダンスで解決できない外交問題などないのに」と軽く締めているます。しかし一部のサイトがおそらく意図的に It's a shame を「恥ずべきこと」と誤訳し、「ガンナム・スタイルを受け入れない日本は恥ずかしい」と書かれているかのように伝え、読者の神経を逆なでしているようです。

それはともかく、世界最大のケーポップ制圧国である日本で、世界中でこれだけヒットしている曲がまるで受けないのは、外から見ると奇妙に映るのは当然だと思います。しかし日本人からすると、不思議でもなんでもありません。竹島問題も多少は影響しているかもしれませんが、それよりもっと大きな理由があります。ガンナムスタイルが受けないのは、ガンナムスタイルがケーポップクラッシャーだからです。

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日本におけるケーポップスターは男も女も二枚目で、部屋に彼らのポスターを貼ったり、ケータイの壁紙にしてウットリ眺めるような、そんな対象として売りだされてきました。ところが、小太りのオッサンのおバカダンスが売りのサイは、その対象にはなりえません。彼のポスターをウットリ眺めるのは、お笑いコントにしかならないのです。

そんな彼を、もし日本の韓流プロモーターがいつもの調子で猛プッシュすれば、これまで開拓されてきたケーポップファンはどう反応してよいかわからず途方に暮れるでしょう。新たなファンを獲得できるかもしれませんが、ガンナムスタイルを面白がるようなファンの嗜好は、由緒正しいケーポップとは逆のベクトルを向いているので、その暁にはこれまでのケーポップ戦略を根底から見なおさなければならなくなります。

だから、売る方も売られる方も、どう動いてよいかわからないのです。「日本でケーポップはビッグなのにサイにハマらないのは不可解」のではなく、ケーポップがビッグだからハマらない、ハマれないのです。

ガンナムスタイルのミュージックビデオを見たアメリカ人は、一様に同じ反応をします。まずポカンと口をあけ、次にギャハハと大笑いし、そして馬ダンスのマネをし始めます。ところがケーポップの世界では、そこがケーポップの気味悪いところなのですが、「ギャハハと笑う」という行為は許されていません。そんなことをしたら、「オマエは嫌韓か?」とばかりにシンパの人にギロリと睨まれてしまいます。こんな状態でガンナムスタイルを楽しめるわけがありません。

ガンナムスタイルは日本のCMのパクリだという声もあり、個人的にもインスパイアされた可能性は高いと思いますが、この曲は独創性で受けているわけではないので、そこにこだわるのは野暮なことです。もし日本で馬鹿げた韓流押しをしていなければ、ガンナムスタイルは、アメリカほどではないにしても、そこそこ受けたに違いありません。そして、「dress classy, dance cheesy =上品にキメて下品に踊る」をモットーにする小太りのオッサンが踊りまくる姿を見て笑い、真の文化交流のきっかけになったかもしれません。

しかし、それもこれも、韓流押しがすべてを台無しにしてしまいました。こういうことはガンナムスタイルが初めてのケースではありません。韓流路線から外れる、グロい描写を得意とする韓国映画も被害にあっています。最近のものでは「悪魔を見た」などは、猟奇度においてかなりがんばった作品だと思うのですが、韓流であるばかりに逆に埋もれてしまい、損をしていると感じます。

以前も書いたことがありますが、韓流とかケーポップの日本での売り方は、その根底に人種差別の構造を宿しているため、表面的な人気の裏で差別の種をふりまいています。外面だけを繕ったハリボテを売るために、その国の文化の真に魅力的な部分を切り落とすような事態は、その現れのひとつと言えます。

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