2012年11月29日

アメリカの野球チームが景気いい理由

日本のプロスポーツはファン離れと収益悪化に苦しんでいるのに、アメリカのメジャーリーグはウハウハです。

日本では日本テレビの巨人戦中継(地上波)が全盛期と比べて年々減少傾向にあるが、海の向こうアメリカでは、スポーツ中継のコンテンツ価値が飛躍的に上昇している。

現在、FOXスポーツがドジャースに支払う放映権料は、12年で総額3億5000万ドル(約288億円)。来季が契約の最終年となるが、ドジャースが新たにFOXに提示した契約は25年、総額60億ドル(約5000億円)の超大型契約で、場合によって70億ドル(約5760億円)に達する可能性もあるという。


放送権料10倍です。こういうニュースを読むと、「実はアメリカは好景気なのか?」とか「アメリカは野球ブームなのか?」と考えてしまいます。

いえいえ、日本同様アメリカは不景気ですし、野球人気も落ち目です。ついでに言えばテレビ業界も落ち目です。でも、放送権料は10倍に跳ね上がるのです。しかもドジャースだけでなくほとんどすべての球団で。

なぜだと思いますか?そのからくりは、アメリカのテレビ事情にあります。

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日本でテレビといえば、キー局を中心とした地上波放送ですが、アメリカでテレビといえばケーブルテレビです。アメリカのプロスポーツチームは地域に根ざしていますから、ケーブルテレビと相性がよく、すでに1970年代末から、スポーツ中継はケーブルのローカルスポーツチャンネルで視聴するものとして定着してきました。上の記事に出てくる「FOXスポーツ」は各地のローカルスポーツ局をたばねた最大手で、つい最近までメジャーリーグ中継をほとんど独占していました。

ところが今、そんなケーブルテレビのスポーツチャンネル界に変化が起きています。ライバル局が大金を積んでフォックスの牙城を崩そうとするなど、放送権獲得競争が激化し始めたのです。

競争激化の理由は、スポーツ中継の相対的地位の上昇にあると言われています。CMスキップ機能の普及により、ドラマやドキュメンタリーの広告価値は低下しました。さらに番組配信サイトの広がりにより、そうしたオンデマンド向きのコンテンツでは、テレビに客を集められなくなりました。

そんな中、CMスキップせずにライブで視聴されるスポーツ中継は、テレビの力を最も活かせるコンテンツとして再注目されるようになったのです。いわばスポーツ中継は、砂漠化して川や湖が干上がる中、最後に残されたオアシスのような存在なのです。

しかもオアシスに群がるのは、テレビ屋だけではありません。ローカルケーブル網という安価なインフラを使い、オアシス自身であるスポーツチームが、自ら放送事業に乗り出し始めたのです。

この動きは2000年頃に始まり、最初はヤンキースやレッドソックスのようなファンベースの大きな人気チームだけでしたが、やがて収益性が高いことがわかると、ファンベースの小さないわゆる「スモール・マーケット・チーム」も続々と球団放送局を立ち上げ始めました。

本拠地とする地域の人口が300万人に満たないクリーブランド・インディアンスのようなチームですら放送局を開設し、チームの試合中継を核としてその他の地域スポーツにも放送の枠を広げ、着実に事業を拡大しています。

というわけでアメリカのプロスポーツチームは、新しいビジネスモデルの開拓と「オアシス効果」による競争加熱により、放送局との関係において一人勝ち状態となり、ガッポガッポなのです。

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では日本のプロスポーツチームは、アメリカのケースに習い収益をあげられるでしょうか?

難しいと言わざるをえません。日本のテレビ事情は未だに地上波の独壇場であり、ケーブルも衛星放送もそれほど普及していません。従って地上波放送局を脅かす新規参入は期待できず、スポーツ中継をめぐる競争も起きようがありません。

ガチガチに固定化された地上波テレビを核とするメディア構造が壁となり、スポーツ中継に限らずコンテンツ産業へのカネの流れをせき止めているのです。

確かにアメリカで起きている状況はある意味過当競争であり、プロスポーツ自体が先細りする中、いつかクラッシュする可能性も否定できません。しかし、球団に落ちた大金は有能な人材を惹きつけ、産業全体を活性化させ、21世紀にふさわしい新しいスポーツの魅力を創造する土壌を育むはずです。

旧態然としたビジネス構造を守るためにカネが浪費される日本に比べ、いかに羨ましい状況であることか。一刻も早くこの壁を壊さないと、日本の大衆文化はテレビ局と心中することになりかねません。

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2012年11月27日

歪んだ多文化主義

イギリスで、非常に興味深い事件が起きました。

里親として、7年前からマイノリティの子どもたちの面倒を見てきた50代の夫婦が、当局から突然里親不適格と判断され、一緒に暮らしていた子どもたちを取り上げられてしまいました。

Foster parents 'stigmatised and slandered' for being members of Ukip

その理由は、彼らが「イギリス独立党(UKIP)」の党員と判明したから。イギリス独立党は、EUからの離脱と移民の制限を訴える政党です。

問題の夫婦は、過去7年模範的な里親として活動していたといいますが、市当局から思想的にふさわしくないと判断されてしまったのです。

いかにも現代のイギリス、ヨーロッパらしい出来事です。この程度の出来事はヨーロッパでは日常ですから、これまでならニュースにすらなりませんでした。

ところが今回は違いました。この事件をニュースサイトが伝えると、イギリスのインターネッターは激しく反応し、BBCの当該記事は1000を超えるコメントを集めています。

私はUKIPの支持者ではないが、合法的な政党に勝手な烙印を押す地方政府は何様のつもりなんだ?子供から引き離すべきはこの里親ではなく、当局の方だ。

親による子供虐待は平気で見逃すくせに、里親の政治思想には即座に反応して子供を取り上げるとは…。イギリスの社会福祉は歪んでいると言わざるをえない。

私は白人で妻は黒人。間に2人の混血の子供がいる。移民問題に憂慮しているので、選挙では保守党かUKIPに投票しているのだが、私も子供を取り上げられてしまうのだろうか?

ニュースを読んで調べてみたら、案の定この町は労働党支配だった。労働党の地盤でよく見られる典型的な歪んだポリティカル・コレクトネスだな。

左翼の信奉する「多文化主義」は、実は所属する文化だけで人を測ろうとする単眼的思想だ。そんなものは実際には人種間の軋轢を深めるばかりで社会を分断し、犯罪を誘発するばかりなのに。

明白な政治的迫害だ。市当局は左翼的な開かれた社会を実現しようとするあまりに反動化し、下手なファシストよりもファシスト化している。

私はUKIPの支持者ではないが、UKIPは移民制限を主張しているだけで、人種差別的な主張などしていない。政治思想の違いで子供を取り上げるとは、この国の状況は深刻だ。

人種や宗教や政治理念で人を差別するのは違法だ。市当局は裁かれねばならない。偏狭な差別により、彼らは法を犯したのだ。

というわけで、コメント欄は当局への怒りと、多文化主義への批判で埋めつくされています。これほどワンサイドな左翼批判は、過去にはありえない現象で、「人が犬を噛んだ」ようなニュースと言えます。

ヨーロッパ各国の政治は、英労働党のような社民勢力と、保守勢力の綱引きで表向き動いています。しかし近年、社民と保守の政策にほとんど差はなく、ともに「ポリティカル・コレクトネス」という理念に囚われた同じ穴の狢と化してしまっています。

ポリティカル・コレクトネスというのは、人種差別を悪とし、ナショナリズムを危険視するような、20世紀の政治的常識のようなものです。「差別は悪」だけならいいのですが、時とともにそれは、「差別を糾弾するのは絶対正義」というドグマへと転化し、それに異を唱えるのは悪とする、抑圧装置へと変質してしまいました。

イギリス独立党は、左派系メディアからは「極右」と呼ばれることもありますが、コメント投稿者の指摘にあるように、彼らは極右ではありません。イギリスの真性極右「イギリス国民党(BNP)」の政策=国粋主義×移民排斥×保護主義を極右の三大条件とするなら、愛国主義×移民制限×リバタリアニズムのイギリス独立党は、右左では語れない斜め上を行く反ポリティカル・コレクトネス政党、異端と呼ぶにふさわしい性格を帯びています。

左右接近による政治選択肢の消滅と、それに伴うUKIPのような異端政党の登場は、イギリスだけでなくヨーロッパ各国で共通して見られるトレンドです。UKIPは今回の一件で全国的に名を轟かせましたが、ポリティカル・コレクトネスに対する違和感は、予想以上に広くコンセンサスを得つつあることを再確認させられました。

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2012年11月25日

ゴリ押し再考

先日、常々ネットでゴリ押し視されている某若手女優が原作とまるでイメージの合わないテレビドラマの主演に抜擢され、話題を呼んでいました。

人々が「ゴリ押し」について文句を言うようになったのは、近年マスコミがゴリ押しを始めたからではなく、以前はゴリ押ししても誰もそれと気づかなかったのに、ネットの普及で多くの人がそれに気づくようになったのが主因です。

しかし、ネットにゴリ押しという言葉が定着してからすでに3、4年はたつのに、相変わらずゴリ押しが止まないというのは、世間の空気に敏感なはずのマスコミと広告屋にしては仕事が雑すぎます。

どうして彼らは、世間からゴリ押しと批判されながら、態度を改めようとせずにゴリ押しを続けるのでしょうか?

考えられる理由のひとつは、「ゴリ押しだろうと何だろうと、名前を売り込んだほうが勝ち」だからです。これは古くからある宣伝の大原則で、かのゲッベルスも、「無関心よりは憎まれた方がいい」と説きました。ネット時代の現代でも、「炎上商法」として受け継がれています。

しかしこの手法が成功するには条件があります。ゴリ押しする商品に中味がないと、本当にバカにされるだけで終わってしまうのです。ナチスの理念は、時代を考えれば十分中味を伴うものであり、ゲッベルスの発言は、ナチズムの本物ぶりを前提とした上でなされたものでした。

広告的手法でただの石ころを宝石に変えるという、アンディ・ウォーホルやマルコム・マクラレンが皮肉って見せた倒錯的状況は、マスメディアが情報を独占していたほんの一時期だけに見られた特殊な現象で、今日ではもはや通用しません。

長期間にわたり、人々から「ゴリ押しだ!」と指摘される商品は、中味がないと判断されたも同然であり、宣伝としては大失敗なのです。

しかし、広告屋はバカではありませんから、そんなことは重々承知しているはずです。でもゴリ押しを続けます。どうしてなんでしょう?

その最大の理由は、ゴリ押しのターゲットは大衆ではないからです。

テレビ屋や広告屋は、ゴリ押しで大衆を洗脳しようとしているのではありません。別の対象をかどわかすために工作し、それがゴリ押ししているように見えるのです。

その対象とは、広告主です。

メディアというメディアに露出させて、スターとしての体裁を整え、「今若者に大人気でマスコミから引っ張りだこのこのタレントを使えば、広告効果抜群ですよ!」と広告主を惹きつけるのです。きちんとした企業や官庁は、新聞やテレビを見て世情を判断しますから、コロリです。

もちろんこんなやり方は長続きしません。しかし、マスメディアとそれを牛耳る広告屋に、中長期的な視野で活動する余裕はありません。とにかく騙せるところから騙して、カネを集めるので精一杯なのです。

もしかしたら彼らには、もはや広告主を引っ掛けているという意識すらなく、自分たちの広告に自分たちで引っ掛かっているかもしれません。末期的な業界ではよく見られる光景です。

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2012年11月22日

マスメディアとカルト

インターネットの普及による弊害として、カルト宗教が広がるのではないかと、かつて危惧していたことがあります。
インターネットはマスメディアの力を削ぎます。カルト宗教に批判的で、人々を常識という牢屋に閉じ込めるマスメディアが衰退すれば、カルトが跋扈するのではないか?そう考えたのです。

またインターネットは、偏った世界観を抱く人たちが連携しやすく、それもまた、カルトの蔓延にはおあつらえ向きの環境です。

ところが、インターネットがマスメディアのヘゲモニーを揺るがし始めてかれこれ10年ほどたちますが、カルトブームが起きる気配がありません。もちろんカルト教団は多々あり、準カルトとでも呼ぶべき陰謀論もあちこちで見かけます。しかしそれらは昔からあるもので、近年力を増しているという風には見えません。それどころか、その反対のトレンドすら嗅ぎ取れます。

自分の予想はどこで間違えたんだろう?

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そう考えているうちに、推論の前提に間違いがあることに気がつきました。マスメディアとカルトは対立するものではないのです。

オウム真理教の犯罪にTBSが関与していたのはよく知られていますが、オウムが伸長し1995年に暴発するまでのあの頃、マスメディアとカルトの深い仲はそれにとどまりませんでした。

あの頃、テレビのワイドショーと週刊誌は、連日カルト宗教ネタで視聴率を稼いでいました。表向きはカルト叩きでしたが、若い女性信者と高学歴信者を前面に押し出した派手なオウムと、タレントの合同結婚式参加で一世を風靡した統一教会は国民的見世物であり、マスコミはただ彼らの動向を外から伝えるのではなく、能動的に関与して、「リアリティ番組」に仕上げていたのです。

それだけではありません。1980年前後からスピリチュアルな話題をプッシュしていたテレビと出版界は、1990年頃には「心霊ブーム」を招来し、スター霊媒師はゴールデンタイムの顔に昇格していました。朝の番組で占いを流し始めたのも90年代初頭で、スピリチュアルな世界を大衆の日常に刷り込んでいました。

いわばマスメディアは、自ら肥やしをまいてカルトの育つ土壌を作り、そこに実った甘い実を食べていたわけです。簡単にいえばマッチポンプです。

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さらに考えてみれば、そもそも今日的な意味でのカルト宗教の起源は、マスメディアの登場と時期を同じくします。

欧米における新宗教運動(ニューエイジ運動)の祖は、19世紀末に大ブームを巻き起こした霊媒師、ブラヴァツキー夫人とされていますが、それはまさに新聞が普及し、マスメディア時代に突入したのと同時期でした。

日本では、日露戦争がスイッチとなり急速に新聞が普及しましたが、やはりその時期、「大本」「太霊道」「ほんみち」など、数々の新宗教が生まれています。

こうして見ると、カルトはマスメディアとともに生まれた、同じコインの表と裏、正統と異端のような関係と言えるかもしれません。

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そうであるならば、マスメディアの力が落ちているのにカルト宗教が今ひとつ伸びないのも納得できます。マスメディアの衰退はカルトを利するのではなく、カルトの存在意義をも脅かすのです。

311地震とそれに続く原発事故は、カルトにとってこれ以上ない発展のチャンスでした。 そして実際、各カルト教団は信者獲得に精を出している聞きますし、怪しげな陰謀論、ニセ科学も跋扈しました。しかし、今のところその被害は最小限に留まっているようです。

むしろ、もしインターネットが存在せず、情報がマスメディアだけであったなら、人々の不安は情報不足により増幅され、マスメディアの吹く笛に乗れない人々は疎外され、新たなカルトムーブメントの温床となったに違いありません。

あらゆる人に向けたあらゆる情報が散りばめられたインターネットは、規格情報しか流せないマスメディアほどには人を疎外せず、従って、少なくても20世紀的な形でのカルト宗教の出番はないのかもしれません。

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2012年11月21日

飛行機で泣く赤子と少子化

漫画家のさかもと未明氏が、搭乗した飛行機で泣き通しだった赤ちゃんに腹をたてた顛末を記事を書き、集中砲火を浴びています。

再生JALの心意気/さかもと未明

こういう現象は、すごく日本らしいと思います。これでは子供も増えないはずです。

さかもと氏の態度のことではありません。彼女をひたすら叩く世間のことです。

飛行機で泣きまくる赤ちゃんの問題は、あたりまえですが日本だけの問題ではありません。旅客機利用率が日本よりも高く、子供の数も多いアメリカでは、スクリーミング・ベイビーに出くわす確立が高く、ネット上では、クオリティペイパーを巻き込んでたびたび議論になります。

つい先日、画像投稿サイトimgurに、赤ちゃんを連れた両親の心遣いとして下の写真が投稿され、200万近いアクセスを集めて賞賛されました。

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生後14週の双子を連れたその両親は、飛行機に乗り合わせたすべての乗客に、次のようなメッセージを添えたキャンディーを配布したそうです。

「ぼくたち14週目の双子で飛行機初めてです。がんばって行儀よくするけど、もし我慢できなくてうるさくしたらごめんなさい。そのときは、ぼくらのママとパパ(ポータブルミルクマシンとおむつチェンジャー)に言えば、耳栓を用意してあります…」

どんな子供嫌いの人でも微笑ませてしまうだろうすごい気遣いです。英語社会では、こんなネタが大きな注目を集めるほどに、飛行機で泣きわめく赤ちゃんは日常の存在なのです。

では英語人は、その現象にどんな風に反応しているかというと、「親がいくら気をつけても赤ちゃんは泣く時は泣くので親を責めてはいけない」と言う人から、「子供を静かにできないのなら飛行機に乗せるな。わたしはそうして子育てしてきた」という人までいろいろです。

そう、この問題に決定的な答えはありません。2年前にこの件を取り扱ったCNNの記事は、「Babies divide air travelers」とタイトルをつけていますが、旅客機内で泣く赤ちゃんについては、それを迷惑行為とする意見にも、そういう意見をわがままとする見方のいずれにも一理あります。だから英語世界では、一流のコラムニストから無名のインターネッターまで、各々意見を投げ合いますが、さかもと氏のような一見解を総バッシングするなどという光景はまず見られません。

ところが日本ではそうなります。日本人はモラルフェチですから、さかもと氏のような言動は、自らの徳のなさ、ダメ人間ぶりを告白しているようにしか見えず、そういうウンターメンシュ(下等人間)はムチで叩いて矯正すべしと発想するのです。

「よき社会とは、ダメ人間のいない社会である」と考える日本社会と、「社会とはダメ人間の集まりである」と考えて制度設計する英語社会の差といえばそれまでで、その優劣は一概にはつけられません。しかし、さかもと氏の言動を無闇にバッシングするような環境では、おそらく子供は増えないはずです。

なぜならば、逃げ場のない飛行機の中で赤ちゃんの泣き声にイライラするさかもと氏の姿は、子育てという逃げ場のない空間に24時間閉じ込められた日本のママさんたちの姿に重なるものであり、「もうやだ、降りる、飛び降りる!」というさかもと氏の叫びを基地外呼ばわりするのは、「もうやだ、子育てやめる!」という、育児に悩むママさんたちの悲痛な叫びを糾弾するのと同義だからです。

赤ちゃんに常に愛情を注ぎ、子育ての苦労を明るく乗り越えていければ、それに越したことはありません。飛行機の中で金切り声をあげ続ける他人の赤ちゃんに、「泣くのは赤ちゃんの仕事」と優しくほほ笑みかけられれば、なるほどそれは賞賛すべき態度です。しかし、そうした成人君主的な態度は、誰にでもとれるものではありません。

一時も目を離せず、頓珍漢な時間に唐突に泣き始め、女性から自由と肌の張りを奪う赤ちゃんに対し、時として「もう堪えられない!」と叫んでしまうのは、機内で泣き声にブチ切れたさかもと氏同様、聖女としては失格かもしれませんが、不完全で弱い人間ならば仕方のないことです。

さかもと氏を人非人のように非難する態度は、一見美しい赤ちゃん讃歌のように見えます。しかし実のところ子育てに高度なモラルを付加することにより、「明日のママ」たちに重圧を与え、子育てを躊躇させる空気の醸成と連携しているのです。

フランスの出生率が高いのは、国による子育て支援の成果ではない、という人がいます。フランス語すらまともに喋れない移民のベビーシッターに平気で乳児を預け放しにし、子供にろくな食事も作ってやらず、仕事と遊びに精を出すフランス女性は、日本の感覚からすると子育ての責任を放棄したダメママ以外の何者でもなく、だから軽いノリでーー子育ての嫌な部分を妻任せにする男のようなノリで子作りできるのだと…。

さかもと未明氏は英語人的な考えの持ち主だとお見受けします。だから赤ちゃんを連れたママへの文句だけで終わらせず、航空会社に意見し、ダメ親とダメ乗客ばかりでも平和に共存できる制度設計を注文しました。ところが世間は、子供を取り巻く大人は聖人であれと叫びます。人々の批判はさかもと氏一人に向いているように見えますが、実は批判の矛先は、暗に出来損ないのダメ親にも向けられています。

ダメ人間でも子育てできる社会と、聖人でなければ子育てできない社会。親も子もそれを取り巻く人々もストレスなく暮らせて、人口の増える社会はどちらであるか?答えは自明です。

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2012年11月17日

今回は選挙ではなく裁判である

野田首相はやるなー、と思いました。

民主党の選挙課題は自民党に勝つことではなく、反自民票をいかに取り込むかです。相手が自民党だけなら、いくら民主党が信任を落としたところで、それなりの反自民票を得ることができます。しかしもし「第三極」ができてしまうと、反自民票はそちらに流れてしまいます。ならば座して「第三極」が結集するのを待つのではなく、バラバラで油断している今叩いてしまえ、というわけです。

なかなかの計算力と行動力で、軍の軍団長にでもしたいような、民主のトップにしておくのは惜しい逸材だと思います。

党利党略として果断なのに加え、日本という国家にとっても、今解散するのは悪い話ではありません。もし任期満了まで解散しなければ、中国の新体制も第二次オバマ政権も、下野確実な民主政権と何ら交渉できず、風雲急を告げる世界で、日本は8ヶ月以上宙ぶらりんになってしまいます。2013年末に大きく動くだろうユーロ情勢についても、ユーロ後を睨んだ交渉に出遅れてしまいます。

今年中に新政権が発足すれば、どこの党がどんな政策でのぞむかに関係なく、日本の外交空白は最小限ですみます。

しかしナイスなのはそれくらいです。いかに野田首相が有能だろうと、解散が歓迎すべきことだろうと、選挙として見るなら、今回の選挙は最悪です。詐欺集団を下野させるのは当然としても、積極的に応援したくなる政党が存在しないからです。自民党は何も変わらないどころか劣化してしまい、それに変わる政党はまだ育っていません。

ただしそれは、選挙として見た場合です。今回の選挙は、次の政権党を選ぶ選挙ではありません。政治理念だとか、マニフェストで選ぶ選挙でもありません。今回の選挙は、国民対詐欺師の勝負であり、詐欺師たちを裁く国民裁判です。

まずは詐欺を働いた実動部隊を裁かねばなりません。民主党については、いかに正しい主張しようと、いかに野田氏が有能な人間であろうと、話を聞いてはいけません。過去3年、涼しい顔でありとあらゆる約束を反故にした彼らはサイコパス集団であり、同じ手がまた通用すると思わせたら、国民は未来永劫舐められ続けます。

ただ民主党を負けさせるだけでなく、民主党と民主離党組の賊議員たちを衝撃的なレベルまで駆逐せねばなりません。小選挙区では、個人の趣向を捨てて民主の対立候補に投票し、一人でも多く路頭に迷わせるのです。国民を舐めるといかに恐ろしいことになるかを目の当たりにした政治家たちは、次の選挙では多少なりとも誠実に振る舞うようになるはずです。

そして詐欺の本丸、マスコミに鉄槌を下さねばなりません。民主党などという、少し冷静な眼で見ればすぐに見抜けるパペット集団に権力を預けたのは、マスコミの煽りあればこそでした。あの過ちを二度と繰り返してはなりません。マスコミは選挙のテーマをそれらしく提示してくるに違いありませんが、今回は普通の選挙ではないので徹底無視し、マスコミの主張は逆が正しいのだと肝に銘じ、マスコミの面目を丸つぶれにするのです。

そうすれば、新聞とテレビの方を向いて政治をしてきた多くの政治家は、次からは有権者の方を向いて政治をするようになります。政治家から一目置かれなくなったマスコミは、いよいよ裸の王様です。

理念や政策を抜きにして選挙するなんて、と呆れる人もいるでしょう。しかし今回の選挙は、理念や政策で選ぼうとすると選びようがなく、結果として民主党とマスコミを利するだけです。

今回の選挙で唯一国民が得する選択は、民主党とマスコミを徹底的に叩くことであり、そうすることで、次の総選挙で選挙らしい選挙ができる可能性が膨らむのです。

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2012年11月14日

ネットをめぐる日米欧の視点の違い

基本に立ち返りまくる議論で恐縮なのですが、インターネットという、1990年代以前には存在しなかった新しい媒体に対する世界各国の向き合い方の違いは、各文化の特性を非常によく現していると感じます。

アメリカ文化は、言うまでもなくインターネットをビジネスとして捉えました。そして数々のビジネスモデルを考案して今に至ります。今日見られるほとんどのネットビジネスはアメリカ発、あるいはアメリカで生まれた着想にインスパイアされたものです。

一方ヨーロッパは、インターネットのビジネス応用という点において大きくアメリカの後塵を拝し、あまりイノベーションを生み出していません。しかしビジネス以外に目を向ければ、アメリカとは違う分野で世界の先端を進んでいます。

それは例えば、ネットの論理を政治に反映させようとする「パイレート党」のようなムーブメントです。アメリカにも同様のムーブメントはありますが、ヨーロッパの後追いで、本場ほどには成功していません。物事を政治的、理念的に捉える伝統の強いヨーロッパでは、インターネットもまた政治理念として発展しやすく、その点において他の追随を許さないのです。

そうした傾向は、スウェーデン生まれのビットトレントサイト「パイレート・ベイ」の運営グループや、メガアップロードで逮捕されたドイツ出身のキム・ドットコムなど、ヨーロッパ産「ファイル交換界の寵児たち」の姿勢にも表れています。彼らの姿勢は、例えば最初期のファイル交換サービス「ナップスター」の仕掛け人として有名なアメリカ人、ショーン・パーカーの姿勢などとは根本的に違います。

パーカーはあくまで「新時代のビジネスマン」であろうとし、ナップスターをめぐる体制との衝突は、目的ではなく結果にすぎませんでした。しかしヨーロッパ人たちは、体制と衝突して変革することを目的とし、「ディシデント(反体制活動家)」として振る舞おうとします。

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新しいミディアムに対するアメリカとヨーロッパのアプローチの違いは、およそ100年前のマスメディア勃興期にも見られました。

新聞、映画、ラジオという新しい情報伝達システムの誕生に際し、アメリカはそれを大衆の心理を操作して消費意欲を刺激するビジネスツールとして認識し、そのためのビジネスモデル、広告理論を発展させました。

しかしヨーロッパ人はマスメディアを政治として捉えました。有能なジャーナリストであるムッソリーニにより創始されたファシズムは、上から下、中央から外縁へと流れる情報を通じ群衆を巨大なマシンへと変えるマスメディアというシステムをそのまま政治理念化したものです。

ファシズムは敗北しましたが、その遺産である「マスメディアに最適化された政治」は今に受け継がれ、マスメディアビジネス同様、20世紀社会の核心として今も君臨し続けています。インターネット時代を迎えた今、インターネットに最適化された政治を開発するのは、今回もまたヨーロッパであるに違いありません。

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さて日本です。

アメリカはビジネス、ヨーロッパは政治なら、日本もまた特有の視点からインターネットにアプローチし、ネットの発展に大きく貢献しています。

インターネットにおける日本的なものの存在感は想像以上に大きく、ネット流行の発信地として世界各国で人気を集める匿名掲示板は直接、間接的に日本にインスパイアされたものばかりです。なぜならば、いち早くインターネットの持つ匿名性に目をつけ、遊び方を確立し、文化にまで高めたのは日本だからです。

ではこの日本のユニークな視点、アメリカやヨーロッパではスルーされた匿名性に惹きつけられた背景にある事情は何なのでしょうか?

およそ100年前にマスメディアと邂逅したときに見せた姿勢は、そのヒントになるかもしれません。

ラジオという新技術の導入にあたり、案の定日本の力点の起き方は欧米と相違していました。1925年のラジオ放送開始にあたり、東京放送初代総裁の後藤新平によりなされた演説は、それをよく表しています。

我々は声を大にして強調したい。無線電話は決して享楽的事業ではありません、一時の遊戯気分や好奇心に駆られて、これに投ずるがごときはむしろ科学文明を冒涜する外道である。現代および将来における国家生活と社会生活とを支配する一大新勢力の勃興ーーそれがすなわちラヂオであります。したがって当局者も、ないし幾万のファンも極めて厳正なる意味において、新文明の利用に堪えゆべき倫理的、自治的自覚を有するや否や試験せらるべき場合に立っているのである。

15分間の演説の中で、後藤は何度も「倫理」や「道徳」という言葉を繰り返しました。ラジオを手にした日本は、何よりもその倫理的側面を気にかけていたのです。次にあげる欧米の放送パイオニアたちの言葉と比べると、そのトーンの違いに驚かされます。

(テレビは)この動乱の世界に希望の灯をもたらすアートであります。全人類の利益のためにその活用方法を学んでいかねばならぬ創造的力であります。この工業技術の奇跡は、いつの日か各家庭に世界をもたらし、また民衆の物質的福祉に奉仕するための新産業をアメリカにもたらすでありましょう。…(テレビは)アメリカの経済生活における重要な要素となるのです。ーーアメリカ「放送の父」デビッド・サーノフ、テレビジョン発表時の演説より(1939)

日々の苦しい生活に耐え、労働意欲を保ち続けるには、娯楽と気分転換は不可欠であります。放送の役割はここにあります。あらゆる層の国民の耳に、芸術的、精神的に優れた番組を届け、またそれと同時に新しい産業を興し、労働者と事務員に就労の機会を作り出す。その時はじめて放送は意義のあるものとなり、ドイツ国民の利益となるのであります。ーー初代ドイツ放送長官ハンス・ブレドウ、ラジオ放送開始に向けての内示(1923)

アメリカ、ヨーロッパ同様、日本文化もまた100年前の特性を維持しているとするなら、インターネットという新媒体に、まずは倫理という尺度をあてるのは自然であり、既存の倫理をリセットする匿名性の力に注目するのは必然と言えます。

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日本の匿名文化は倫理への過剰な意識から生まれたという推論は、日本の匿名文化にのみ見られる特異な傾向を説明できます。

欧米の匿名文化は、日本から「倫理/権威からの自由」という側面のみ輸入し、あらゆる権威に背を向ける、「ゆるいアナキズム」とでもいうべき性格を帯びています。しかし日本の匿名文化は、倫理の鎖を切断して得た自由で、周囲の不倫理を叩くという倒錯した傾向を持ちます。

また欧米では、「ゆるいアナキスト」たちの生み出す下劣で醜悪な言論に対して、実際に違法行為でも起こさないかぎり誰も特に問題視しません。しかし日本では、既存の倫理を否定する匿名文化は、それ自体大問題と捉えられがちで、喧々囂々の議論を呼びます。

アメリカはビジネスフェチ、ヨーロッパは政治フェチ、そして日本は倫理フェチ。倫理をめぐる議論はベタベタして辛気臭いですが、それも日本文化の宿命と、受け入れるしかないのかもしれません。

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2012年11月13日

アメリカ分裂

アメリカのオバマ政権は、「We the People」というサービスをしています。どんなサービスかというと、ホワイトハウスのページで何か政策提言をして、提言してから1ヶ月以内に2万5000人の署名を集めると、政府から返答するというものです。

日本では少し前に竹島に絡む署名で話題になりましたので、ご存じの方も多いかもしれません。ちなみに「国際司法裁判所で領土問題を解決するように韓国を説得しろ」という請願は3万人以上の署名を集め、基準をクリアして返答待ちの状況です。

Persuade South Korea (the ROK) to accept Japan's proposal on territorial dispute over islets.

さてこのページでロックなことが起きています。大統領選の直後から前代未聞の提言が続々と立ち始め、盛大に署名を伸ばしているのです。

それは「☓☓州に連邦からの平和的離脱と新政府の樹立を認める」というものです。

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Peacefully grant the State of Texas to withdraw from the United States of America and create its own NEW government.

11月7日にルイジアナ州から始まったこの署名運動は、ヴァイラルで広がりみるみる仲間を増やし、今や独立運動は南部を中心に、現時点で22州まで拡大しています。

CSA?

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2012年11月09日

米大統領選の総括

米大統領選はオバマ大統領が二期目を決めました。自分はテレビを見ないのでよくわかりませんが、史上空前の接戦と謳い、現地の熱気を伝える報道もあったようです。

しかし個人的には、これほどまでに興味を持てない大統領選はありませんでした。世界の親分を決める選挙に自分も参加したいと、かつては思ったものでした。しかし今回は、もし選挙権をあげると言われても辞退したと思います。それほどまでに、今回はどちらが勝とうと同じと感じさせられる選挙でした。

経済政策的には、社会主義者などと呼ばれながらマネーゲーマーの顔色をうかがい、借金地獄で身動きの取れないオバマと、口だけ番長でもともと共和党左派のロムニーは、結果として同じような政策に着地したに違いありませんし、日米関係でも両者に差はないと言えます。違いは肌の色だけです。

さて、今回の大統領選挙を総括し、その世界史的意義をどう見るかという議論が盛んです。オバマが2期目を決めたことは、新自由主義の終わりを示すなんて言う人もいます。しかし、今回の大統領選からはより明白な傾向が見て取れます。

APの調査によれば、今回の投票者数は、2008年の選挙に比べて1400万人も少なかったといいます。アメリカでは、イラク戦争以降左右の対立が高まるにつれ投票率が伸び、オバマ旋風が吹いた前回の選挙では有権者の58パーセントにあたる1億3100万人が投票したのですが、今回は1億1700万人程度にとどまり、50パーセントを割り込みそうです。50%未満の投票率は、1828年以降3回しかない珍事です。

ハリケーンのせいではありません。投票率の低下はあらゆる州で見られました。今回の選挙では、「スイング・ステート」といわれる両党が拮抗している州に両陣営とも大半のリソースをつぎ込み、とくにオハイオ州とフロリダ州では空前の選挙祭りという様相を呈したのですが、その両州ですら投票率は低下しました。

民主党支持者はオバマに幻滅し、ただ共和党候補に勝たせたくないという動機から活動し、共和党支持者は分裂し、ただオバマに勝たせたくないという動機から活動する、「lesser of two evils」を選ぶ中傷合戦に有権者は失望したのです。

「積極的に支持する政党がない」という嘆きは、世界中で共通して見られる現象です。日本では次の総選挙でそうなるのは確実ですし、ヨーロッパ各国でも同様です。ヨーロッパでは、左派政党は社民主義を捨て、保守政党は左傾し、もはや左右の差は一切なく、従って有権者に選択の余地はありません。

日本やヨーロッパでは、主要政党は「中道よりやや左」に収斂し、左右の対立軸が消滅して久しいですが、鈍重なアメリカでは、世界のトレンドから一周遅れて左右の対立が激化していました。しかしそれもどうやら終わりで、共和党も民主党も同じ穴のムジナと認識される日が近いようです。そしてアメリカという超大国が左右対立の構図は現代に合わないと気づいた時、世界は動き、新しい対立軸の確立へと近づくに違いありません。

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2012年11月06日

日本の問題は下ではなく上にある

自分は日本人論は嫌いですが、日本とその他の国々に違いがあるのは確かだと思います。先日、社会学者の宮台真司先生がこんな風にインタビューに答えていました。

ヨーロッパやアメリカの人たちには、元々は貴族文化に由来する社交の伝統があります。知らない人たちの間で互いの尊厳を保ちつつ関係を深める作法です。だから、知り合いしか前提にできない日本人の大方がやるような、杜撰なアピールをしないんです。

三年前にアメリカの大学で連続講演をしたとき、日本の2ちゃんねるに似たサイトがあるものの全然広がらない理由を尋ねると、「逆にアメリカ人の我々から見ると、なんで2ちゃんねるにああいう書き込みができるのかわからない」と問い返されました。

「アメリカだと、匿名性に守られて居丈高に誹謗中傷すると、友達がいないか、頭が悪いか、性格がチキンか、どれかだというふうに思われるので、とてもじゃないが2ちゃんねるのような書き込みはできない」と言われました。本質的なコメントだと思いませんか。

宮台真司インタビュー「自分はイケてるぞアピールからは腐臭がただよう…“見るに耐えない”コミュニケーション 」(マイナビニュースより)

すると間髪入れず、今度はアニメ監督の押井守先生が似たようなコメントをしていました。

先日、ドワンゴの会長が言ってたけど「日本では最下層の人間が全部ネットにぶら下がってる。これが日本の特殊事情だ」って(笑)。だからネットが罵詈雑言の世界になっちゃう。恨みつらみばかりで人間性下劣な世界。こんなにひどいネット世界は日本だけだって。中国だろうがヨーロッパだろうがアメリカだろうが、ネットでこれだけ聞くに耐えない 言葉が氾濫してる世界は他にないんだって。なんでかというと、日本は最下層でもみんな、パソコンや携帯を持てるから。

…なまじインフラが整備されてるから、他の国だとネットにアクセスできないような最下層の人たちが 全部ネットにぶら下がっちゃった。で、全体のネットの文化程度を全部引き下げてるというさ(笑)。

「優秀な中間管理職」が壊れていく必然(日経ビジネスオンラインより)

2人のコメントを読んで、なるほど日本の特殊性はここにあるのかと妙に納得してしまいました。匿名掲示板のことではありません。宮台先生の質問に答えたアメリカ人の意見はともかく、そんなものは洋の東西を問わずどこにでもあり繁栄しています。

2ちゃんねる/ふたばちゃんねるにインスパイアされた「4chan」は、ハッカー集団アノニマスを生んだ板としても有名ですが、毒気に溢れた流行発信地として世界に影響を及ぼしています。今やアメリカのネット風景に欠かせない「ミーム」を生んだのはここですし、「リックロール」のような妙な遊びはほとんどここから生まれています。その4chanをライバル視する「Reddit」は、「良い子のための4chan」ともいうべき存在で、最近では大統領も書き込みするほどの影響力を持ち、Redditで認められればアメリカで成功するとまで言われています。

アメリカだけではありません。ドイツには「ポーランドボール」を生んだ「Krautchan」、ロシアには「2chan」、フィンランドには「Ylilauta」と、2ちゃんねる/4chanと同系統の掲示板は世界各地にあり、それぞれに妖しい魅力を放っています。また欧米の場合、人気ニュースサイトが匿名掲示板の役割を兼ねており、アメリカの「The Huffington Post」や、イギリスの「Mail Online」では、1つの記事に1000を超えるコメントがつくのはザラです。

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ポーランドボール(この作品にポーランドはでてきませんが…)

では匿名コメントの内容はどうかというと、宮台先生の仰る「貴族文化に由来する社交の伝統」に根ざしているとはとても思えない、「恨みつらみばかりで人間性下劣な世界」です。例えば、この記事を書きつつ覗いたMail Onlineに、ニュージーランドの首相がベッカムの知性をバカにして批判されているという記事がありましたが、寄せられたコメントは次のようなものでした。

ベッカムは下着姿はいいけど口を開くとバカだろ。声も甲高いし。

今どきめずらしい率直な政治家だな。

問題なし。てかフットボーラーはみんな頭弱いんだけど。

真実を口にして責められるこんな世の中なんて。

ベッカムはサッカーはうまいけどそれだけの男。たかが球蹴りで稼ぎすぎなんだよ。首相は悪くない。イカれてるのは彼を責めるUKの方だろ。

こんなのは序の口です。次はドイツのKrautchan。板で写真を晒されて罵詈雑言を浴びせられ、自殺宣言したメキシコの女の子についてのやり取りです。

ライブチャットのメスが自殺して気分いいなー。

売春婦は死ね。

仲間の死はいつも寂しいぜ。クスン。

鼻の整形に失敗したのが痛かったな。あれじゃジャクソンだ。

1人で50人もガキを作るメキシカントは減らさないとな。

とうわけで、匿名掲示板は世界中で隆盛であり、その内容はお下劣で、この点において日本のネット文化はまるで特殊ではないのです。というか、むしろ日本の匿名掲示板はお坊ちゃまの集まりに見えてくるほどです。

では日本の特殊性はどこにあるかというと、宮台先生や押井先生やドワンゴの会長様のような方々があたり前のように存在するというところです。欧米では、彼らが口にするようなネット批判は頭の固い年寄りの専売特許で、サブカル界隈で活躍する人やネット企業の経営者の口から出てくるものではありません。

もし彼らのようなセリフを口にしたらどうなるか?確実につぶされます。それがネット企業の経営者なら、アノニマスに嫌がらせされたあげくサービスをボイコットされ、退陣するまで許してもらえないでしょう。サブカル界隈の人ならば、化石の烙印を押されて永遠に信用を失うでしょう。

でも日本ではそうなりません。彼らは余裕でその地位を維持し、転倒した日本人論を語り、日本人を萎縮させ続けます。これでは破壊的なイノベーションなど生まれるわけもありません。結局日本は権威主義的な国であり、問題はそこに尽きるのです。

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2012年11月04日

悪いのはシンドラーである

今月10日は、1890年のこの日に日本初のエレベーターが稼働したことにちなんで、エレベーターの日とされているそうです。

そんなエレベーターの誕生日を控えて、今エレベーターと言えば、「またシンドラー」です。先日金沢で死亡事故を起こしたエレベーターがシンドラー社製だったことから、2006年に一世を風靡したシンドラー社製のエレベーターが、「殺人エレベータ」として再び脚光を浴びています。

自分はエレベーターの素人ですし、他のところでさんざん言い尽くされてもいるので、今さら事故をめぐるテクニカルな問題に踏み込むつもりはありません。ここで語るのは、「またシンドラー」という現象についてです。

人々が「またシンドラー」と口にするとき、そこに込められているのは、「あの欠陥エレベーターがまた」という思いです。

しかしながら、2006年に東京港区で起きた悲惨な事故をめぐり、激しいシンドラー社バッシングのほとぼりが冷めた後に警察が下した判断は、「シンドラー社のエレベーターは欠陥エレベータではない」ということでした。

警視庁捜査1課は近く、保守管理会社「エス・イー・シーエレベーター」(台東区)の点検担当作業員(28)を業務上過失致死容疑で書類送検する方針を固めた。…製造元「シンドラーエレベータ」(江東区)の関係者については、製品に問題がないとして立件を見送る。…シ社については、▽設計・構造自体に問題がない▽事故時の保守点検を担当していないーーなどの点から予見は難しかったと判断した。

<エレベーター事故>東京の高2死亡、点検員を書類送検へ(2008年12月19日毎日新聞より)

結局警視庁は、2009年3月に保守管理会社の社員とともにシンドラー社の社員を書類送検しましたが、理由はエレベーターに欠陥があったからではなく、保守点検の情報引継ぎに問題があったという、こじつけに近いものでした。

起訴状によると、シンドラー社の2人は04年11月、ブレーキ異常が原因のトラブルが起きた事故機を点検した際、原因調査などの再発防止対策を怠り、05年3月に保守点検業務を終える歳にも、マンションを管理する港区住宅公社に再発危険性や対応策を引き継がなかったとされる。…
◇法に基づかぬ起訴ーーシンドラー社の話
十分な法律的理由に基づかない政策的な起訴。当該従業員は04年11月に綿密に点検し、ブレーキが正常に作動していることを確認している。…事故は、エス社により保守の基本中の基本が励行されなかったことで発生したものだ。…

東京・芝のエレベーター事故死:業過致死罪、シンドラー元部長ら起訴 在宅で5人(2009年7月17日毎日新聞より)

まだ公判は始まっていないようですが、裁判の結果がどうなろうと、エレベーターの製造会社に責任がないことに変わりはありません。それが、どうにかシンドラー社をお縄にかけようと四苦八苦した末に捜査当局が下した結論なのです。それでもあの事故が欠陥エレベーターによるものであるとするなら、それは、欠陥エレベーターを欠陥とせずに認可している行政の責任ということになります。

実際それは、事故報道の中で強く指摘されねばならなかったはずです。しかし人々の眼はそこには向かわず、なぜか「シンドラー社製エレベーター」という一点に向けられました。どうしてなのでしょうか?

エレベーターの事故はたびたび起きますが、2006年の事故のように製造会社が注目されることはまずありません。例えば、2011年11月に起きたエレベーター死亡事故を伝える記事は、次のように報じていました。

5日午前10時20分ごろ、東京都中野区中野のディスカウント店「ドン・キホーテ中野駅前店」で、商品の搬入に来ていた飲料水販売店会社アルバイトの半田博基さん(74)=新宿区中落合=が荷物用のエレベーターで移動中、建物の間に挟まれた。東京消防庁が1時間後に助け出したが、頭を強く打って死亡した。…

エレベーターに挟まれ男性死亡 東京・中野の「ドン・キホーテ」(2011年11月5日中日新聞より)

この記事の中には、エレベーター製造会社の名称は出てきません。そのかわりに、全国的に有名な「ドン・キホーテ」という店名が見出しに使われて強調されています。ドン・キホーテに責任があると考えられるから強調されているわけではありません。ありふれた死亡事故が、ドン・キホーテの知名度と掛け合わされることによってニュースバリューを増すと判断されたからです。

2006年の事故も同じです。いかに悲惨な事故であろうとも、ただ悲惨なだけでは大ニュースにはなりません。大きなニュースになるためには背景となるストーリーが必要で、事故を大きな社会問題の表出として位置づけるのは、その常套手段です。シンドラー社はそのターゲットとされたのです。

事故が起きた2006年6月、小泉政権の幕引きを目前にして、社会派のマスコミ人たちはウズウズしていました。小泉政権の代名詞である規制緩和による弊害を、彼らは追い求めていました。規制緩和から短絡的に導かれる弊害は、例えば「格差の拡大」であり、「外資の参入による社会秩序の破壊」です。そんな時におきたエレベーター事故は、彼らの頭の中に、「外資であるシンドラー社の品質を無視した安売りにより、日本人の安全が脅かされている」というストーリーを瞬時にして組み上げたのです。

社会派マスコミ人たちの叫びは、2006年9月にカリスマ首相ほど手強くない安倍政権が発足するといよいよ大きくなり、格差を拡大し、マネーゲームを助長して日本のものづくり精神を破壊する改革路線は失敗の烙印を押され、ついには民主党政権を生むに至りました。そして今、民主党の善政により、不況に苦しむ世界を尻目に日本から格差は消え、マネーゲームは根絶され、日本の製造業はものづくり精神で躍進しているわけです。

それはともかく、2006年の事故で唐突にシンドラー社がやり玉に上げられたのは、そういう理由からでした。事故の後、シンドラー社がなかなか頭を下げず、それもまた「外資」というイメージを強めてストーリーの補強につながりました。しかし、本来ならまず疑われるべき所有者の公団や保守管理会社をスルーして、特に根拠もないのに唐突に製造会社が糾弾されるという思いがけない展開に、仮にシンドラー社がバリバリの日本企業であったとしても、そうやすやすと頭を下げたかは疑問です。

もしも日本のシンドラー社が、その前身であり、シンドラーグループに買収された後も1991年まで商標として使用していた「日本エレベーター工業株式会社」と名乗り続けていたならば、こんなことにはならなかったはずです。「世界第2位の国際エレベーター企業シンドラー」というバタ臭さ炸裂の看板は、日本のシンドラー社を奈落の底に突き落とし、同時に2006年のエレベーター事故の本当の問題を隠蔽することにつながり、再び犠牲者を生んでしまいました。シンドラー社は、一刻も早くこの呪われた名前を捨て、日本エレベーター工業株式会社(NEK)というコテコテの日本風名称に回帰すべきです。

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2012年11月02日

少子化のミステリー

少子化は日本の抱える大きな問題であり、先進国共通の悩みです。そんな少子化界最大のミステリーは、18世紀末にフランスでおきた少子化です。

ヨーロッパでは、生活の改善と医学の進歩により、18世紀末頃から人口爆発が始まりました。明治維新後の日本もこの流れに追随しています。19世紀初頭から20世紀初頭にかけて、日英独の人口はいずれも2倍以上に増えました。その他の先進国も似たようなものです。しかしフランスだけは違いました。人口は微増にとどまり、これによりフランスの相対的国力は大きく低下したのです。

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ではこの、時代に逆行する少子化はどうして起きたのか?人口増加の要因には事欠かないこの時代に、フランスだけ少子化した背景にある特殊事情とは何なのか?人口増減の仕組みを解く鍵はそこに潜んでいるはずです。

ところがこの問に答えはありません。いろいろな説はあるものの、どれも俗説にとどまり、学問的な根拠を持つ決定的な解答はないのです。以下俗説のいくつかと、それらが俗説である所以を紹介します。

「産業革命による都市化」
→都市化が進むと出生率は下がります。この時期のフランスは確かに都市化が進みました。しかしそれはその他の欧州諸国でも同じです。フランスを遥かに凌ぐ工業力で世界の工場として君臨していたイギリスや、19世紀後半にはそのイギリスと肩を並べたドイツで少子化は起きていません。都市化説では、フランスだけにおきた少子化を説明できません。

「フランス革命とナポレオン戦争による荒廃」
→18世紀末のフランス社会が大動乱に見舞われたことは間違いありません。しかし、その後100年以上後遺症に苦しみ続けたとは考えられません。たとえば第一次大戦や第二次大戦でナポレオン戦争以上に損耗した国々は、その後速やかに国力を回復しています。また、ナポレオン戦争後のフランスは決して地に落ちたわけではなく、産業革命により19世紀を通じてGDPを増大させています。その点においてフランスは他の先進国と変りなく、少子化との関連は見いだせません。

「ナポレオン法典による遺産相続の変化」
→革命前のフランスでは、遺産相続は長子相続でした。しかしナポレオン法典は遺族に分割相続するよう定めました。これにより、家の衰退を招く子沢山は逃避されるようになったというわけです。しかし、フランスの少子化はナポレオン法典が制定された19世紀初頭ではなく、すでに18世紀の後半に始まっています。ナポレオン法典説では、その理由を説明できません。

「フランス革命の世俗的価値観」
→女性を産む機械扱いし、子沢山を徳としたカトリック精神の崩壊が少子化を呼んだという説は説得力があるように見えます。しかしこれでは、ナポレオンの敗北を経て王政復古したフランスで少子化が加速したことを説明できません。また、ナポレオンにより拡散された世俗精神は、1840年代に欧州全土で自由主義革命の嵐を吹かせましたが、フランス以外の欧州諸国で少子化の兆しが現れたのは19世紀の末から20世紀の初頭にかけてのことでした。社会の世俗化と少子化の関連は否定できませんが、フランスでのみ100年も早く発生した理由としては不十分です。

さて、少子化の構造を解く絶好のヒントをくれそうなこの出来事に、どうして専門家による解答、定説がないのでしょうか?問題が複雑すぎて解釈できないからではありません(たいていの問題はそういうものです)。にわかには信じ難いことですが、この謎に真面目に取り組んで来なかったからです。今日ある人口論は、フランスで起きた奇妙な少子化を異常として切り捨てた上で成立しているものなのです。

少子化、少子化と騒ぐわりに、人口にまつわる言説というのは実はとても適当なのです。

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