2012年11月02日

少子化のミステリー

少子化は日本の抱える大きな問題であり、先進国共通の悩みです。そんな少子化界最大のミステリーは、18世紀末にフランスでおきた少子化です。

ヨーロッパでは、生活の改善と医学の進歩により、18世紀末頃から人口爆発が始まりました。明治維新後の日本もこの流れに追随しています。19世紀初頭から20世紀初頭にかけて、日英独の人口はいずれも2倍以上に増えました。その他の先進国も似たようなものです。しかしフランスだけは違いました。人口は微増にとどまり、これによりフランスの相対的国力は大きく低下したのです。

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ではこの、時代に逆行する少子化はどうして起きたのか?人口増加の要因には事欠かないこの時代に、フランスだけ少子化した背景にある特殊事情とは何なのか?人口増減の仕組みを解く鍵はそこに潜んでいるはずです。

ところがこの問に答えはありません。いろいろな説はあるものの、どれも俗説にとどまり、学問的な根拠を持つ決定的な解答はないのです。以下俗説のいくつかと、それらが俗説である所以を紹介します。

「産業革命による都市化」
→都市化が進むと出生率は下がります。この時期のフランスは確かに都市化が進みました。しかしそれはその他の欧州諸国でも同じです。フランスを遥かに凌ぐ工業力で世界の工場として君臨していたイギリスや、19世紀後半にはそのイギリスと肩を並べたドイツで少子化は起きていません。都市化説では、フランスだけにおきた少子化を説明できません。

「フランス革命とナポレオン戦争による荒廃」
→18世紀末のフランス社会が大動乱に見舞われたことは間違いありません。しかし、その後100年以上後遺症に苦しみ続けたとは考えられません。たとえば第一次大戦や第二次大戦でナポレオン戦争以上に損耗した国々は、その後速やかに国力を回復しています。また、ナポレオン戦争後のフランスは決して地に落ちたわけではなく、産業革命により19世紀を通じてGDPを増大させています。その点においてフランスは他の先進国と変りなく、少子化との関連は見いだせません。

「ナポレオン法典による遺産相続の変化」
→革命前のフランスでは、遺産相続は長子相続でした。しかしナポレオン法典は遺族に分割相続するよう定めました。これにより、家の衰退を招く子沢山は逃避されるようになったというわけです。しかし、フランスの少子化はナポレオン法典が制定された19世紀初頭ではなく、すでに18世紀の後半に始まっています。ナポレオン法典説では、その理由を説明できません。

「フランス革命の世俗的価値観」
→女性を産む機械扱いし、子沢山を徳としたカトリック精神の崩壊が少子化を呼んだという説は説得力があるように見えます。しかしこれでは、ナポレオンの敗北を経て王政復古したフランスで少子化が加速したことを説明できません。また、ナポレオンにより拡散された世俗精神は、1840年代に欧州全土で自由主義革命の嵐を吹かせましたが、フランス以外の欧州諸国で少子化の兆しが現れたのは19世紀の末から20世紀の初頭にかけてのことでした。社会の世俗化と少子化の関連は否定できませんが、フランスでのみ100年も早く発生した理由としては不十分です。

さて、少子化の構造を解く絶好のヒントをくれそうなこの出来事に、どうして専門家による解答、定説がないのでしょうか?問題が複雑すぎて解釈できないからではありません(たいていの問題はそういうものです)。にわかには信じ難いことですが、この謎に真面目に取り組んで来なかったからです。今日ある人口論は、フランスで起きた奇妙な少子化を異常として切り捨てた上で成立しているものなのです。

少子化、少子化と騒ぐわりに、人口にまつわる言説というのは実はとても適当なのです。

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