そんなエレベーターの誕生日を控えて、今エレベーターと言えば、「またシンドラー」です。先日金沢で死亡事故を起こしたエレベーターがシンドラー社製だったことから、2006年に一世を風靡したシンドラー社製のエレベーターが、「殺人エレベータ」として再び脚光を浴びています。
自分はエレベーターの素人ですし、他のところでさんざん言い尽くされてもいるので、今さら事故をめぐるテクニカルな問題に踏み込むつもりはありません。ここで語るのは、「またシンドラー」という現象についてです。
人々が「またシンドラー」と口にするとき、そこに込められているのは、「あの欠陥エレベーターがまた」という思いです。
しかしながら、2006年に東京港区で起きた悲惨な事故をめぐり、激しいシンドラー社バッシングのほとぼりが冷めた後に警察が下した判断は、「シンドラー社のエレベーターは欠陥エレベータではない」ということでした。
警視庁捜査1課は近く、保守管理会社「エス・イー・シーエレベーター」(台東区)の点検担当作業員(28)を業務上過失致死容疑で書類送検する方針を固めた。…製造元「シンドラーエレベータ」(江東区)の関係者については、製品に問題がないとして立件を見送る。…シ社については、▽設計・構造自体に問題がない▽事故時の保守点検を担当していないーーなどの点から予見は難しかったと判断した。
<エレベーター事故>東京の高2死亡、点検員を書類送検へ(2008年12月19日毎日新聞より)
結局警視庁は、2009年3月に保守管理会社の社員とともにシンドラー社の社員を書類送検しましたが、理由はエレベーターに欠陥があったからではなく、保守点検の情報引継ぎに問題があったという、こじつけに近いものでした。
起訴状によると、シンドラー社の2人は04年11月、ブレーキ異常が原因のトラブルが起きた事故機を点検した際、原因調査などの再発防止対策を怠り、05年3月に保守点検業務を終える歳にも、マンションを管理する港区住宅公社に再発危険性や対応策を引き継がなかったとされる。…
◇法に基づかぬ起訴ーーシンドラー社の話
十分な法律的理由に基づかない政策的な起訴。当該従業員は04年11月に綿密に点検し、ブレーキが正常に作動していることを確認している。…事故は、エス社により保守の基本中の基本が励行されなかったことで発生したものだ。…
東京・芝のエレベーター事故死:業過致死罪、シンドラー元部長ら起訴 在宅で5人(2009年7月17日毎日新聞より)
まだ公判は始まっていないようですが、裁判の結果がどうなろうと、エレベーターの製造会社に責任がないことに変わりはありません。それが、どうにかシンドラー社をお縄にかけようと四苦八苦した末に捜査当局が下した結論なのです。それでもあの事故が欠陥エレベーターによるものであるとするなら、それは、欠陥エレベーターを欠陥とせずに認可している行政の責任ということになります。
実際それは、事故報道の中で強く指摘されねばならなかったはずです。しかし人々の眼はそこには向かわず、なぜか「シンドラー社製エレベーター」という一点に向けられました。どうしてなのでしょうか?
エレベーターの事故はたびたび起きますが、2006年の事故のように製造会社が注目されることはまずありません。例えば、2011年11月に起きたエレベーター死亡事故を伝える記事は、次のように報じていました。
5日午前10時20分ごろ、東京都中野区中野のディスカウント店「ドン・キホーテ中野駅前店」で、商品の搬入に来ていた飲料水販売店会社アルバイトの半田博基さん(74)=新宿区中落合=が荷物用のエレベーターで移動中、建物の間に挟まれた。東京消防庁が1時間後に助け出したが、頭を強く打って死亡した。…
エレベーターに挟まれ男性死亡 東京・中野の「ドン・キホーテ」(2011年11月5日中日新聞より)
この記事の中には、エレベーター製造会社の名称は出てきません。そのかわりに、全国的に有名な「ドン・キホーテ」という店名が見出しに使われて強調されています。ドン・キホーテに責任があると考えられるから強調されているわけではありません。ありふれた死亡事故が、ドン・キホーテの知名度と掛け合わされることによってニュースバリューを増すと判断されたからです。
2006年の事故も同じです。いかに悲惨な事故であろうとも、ただ悲惨なだけでは大ニュースにはなりません。大きなニュースになるためには背景となるストーリーが必要で、事故を大きな社会問題の表出として位置づけるのは、その常套手段です。シンドラー社はそのターゲットとされたのです。
事故が起きた2006年6月、小泉政権の幕引きを目前にして、社会派のマスコミ人たちはウズウズしていました。小泉政権の代名詞である規制緩和による弊害を、彼らは追い求めていました。規制緩和から短絡的に導かれる弊害は、例えば「格差の拡大」であり、「外資の参入による社会秩序の破壊」です。そんな時におきたエレベーター事故は、彼らの頭の中に、「外資であるシンドラー社の品質を無視した安売りにより、日本人の安全が脅かされている」というストーリーを瞬時にして組み上げたのです。
社会派マスコミ人たちの叫びは、2006年9月にカリスマ首相ほど手強くない安倍政権が発足するといよいよ大きくなり、格差を拡大し、マネーゲームを助長して日本のものづくり精神を破壊する改革路線は失敗の烙印を押され、ついには民主党政権を生むに至りました。そして今、民主党の善政により、不況に苦しむ世界を尻目に日本から格差は消え、マネーゲームは根絶され、日本の製造業はものづくり精神で躍進しているわけです。
それはともかく、2006年の事故で唐突にシンドラー社がやり玉に上げられたのは、そういう理由からでした。事故の後、シンドラー社がなかなか頭を下げず、それもまた「外資」というイメージを強めてストーリーの補強につながりました。しかし、本来ならまず疑われるべき所有者の公団や保守管理会社をスルーして、特に根拠もないのに唐突に製造会社が糾弾されるという思いがけない展開に、仮にシンドラー社がバリバリの日本企業であったとしても、そうやすやすと頭を下げたかは疑問です。
もしも日本のシンドラー社が、その前身であり、シンドラーグループに買収された後も1991年まで商標として使用していた「日本エレベーター工業株式会社」と名乗り続けていたならば、こんなことにはならなかったはずです。「世界第2位の国際エレベーター企業シンドラー」というバタ臭さ炸裂の看板は、日本のシンドラー社を奈落の底に突き落とし、同時に2006年のエレベーター事故の本当の問題を隠蔽することにつながり、再び犠牲者を生んでしまいました。シンドラー社は、一刻も早くこの呪われた名前を捨て、日本エレベーター工業株式会社(NEK)というコテコテの日本風名称に回帰すべきです。