桜宮高校の男子バスケットボール部顧問は、高校バスケ部の指導者として全国的に知られる存在で、16歳以下の男子日本代表チームのアシスタントコーチも務めていた。以前から体罰も含めた“熱血”指導で知られ、同部を全国大会の「常連校」に育てたという。
…顧問は平成6年4月から保健体育科教諭として勤務。学校での評判について、顧問を知る卒業生からは「先生がやってきたことは間違っていない」などと擁護する声も聞かれた。
「先生は間違っていない」”熱血”指導で全国大会常連校にした顧問
顧問は次のようなシゴキをしていたと言います。
市教委や学校関係者などによると、生徒は自殺前日の12月22日の練習試合で顧問から叱責や体罰を受けた後、桜宮高の体育教官室で約1時間にわたり顧問と面談。顧問がより厳しく接する主将を続けることについて「しんどい」と気持ちを伝えた。
これに対し顧問は、生徒が主将をやめれば2軍に落とすことを迫りながら翻意を促し、「キャプテンをやめて一線を退くか、殴られてもキャプテンを続けるか、どっちや」と質問。主将を続ける意思を示した生徒に対し、「ほんなら(殴られても)ええねんな」とさらに迫った。
「主将続ける」悲壮な決意の生徒に顧問「今後も殴られてもええな」
このニュースを聞いた世間は、「顧問は許せない!」「顧問を擁護するやつらは頭おかしい!」と憤り、問題は体罰の是非になりつつあります。
しかしこのニュースには、シゴけばシゴくほど立派な選手になると考えているような顧問の勘違いと同等か、あるいはそれ以上に異常な要素があります。自殺した生徒の判断です。生徒は、「キャプテンをやめて一線を退く」か「死ぬ」かの二択を与えられて、死を選びました。判断として歪んでいます。
似たようなことは以前にもありました。去年の初頭、ワタミの女性社員が過酷な仕事を苦に自殺した事件です。世間はワタミのブラックぶりを非難しましたが、ほとんどの人は女性社員の姿勢はスルーしました。「仕事をやめる」か「死ぬ」かの判断を迫られて、死を選んだことをです。
「キャプテンをやめて一線を退く」のも「仕事をやめる」のも、当の本人にとって極めて重大なことであるのは否定しません。しかし断じて、自分の死と引換にするほど大事なことではありません。
それがいかにおかしな判断であるかピンと来ない人は、自分にこう問うてみてください。「あなたにとって、自分の命と子供の命(あるいは親、伴侶の命)のどちらが重いですか?」。中には自分の命の方が圧倒的に大事と答える人もいるかもしれませんが、恐らくほとんどの人は、自分の命と大切な人の命は同等に重いと考えるのではないでしょうか。価値の重さとしては、「自分の命=大切な人の命」です。では、「キャプテンをやめて一線を退く」のと「大切な人の死」の二択を迫られたら?
答えは「キャプテンをやめて一線を退く」に決まっています。冷酷な自己中と思われたくないからではありません。どう考えても大切な人の命の方が重いからです。なのに彼らは、「大切な人の死」を選んでしまいました。一等地に建つ持ち家を100円で売るくらいありえないことです。彼らは正常な価値判断能力を失っていたのです。
ですからこのような事件は、メンタルヘルスの問題か、あるいはそうした精神の歪みを生む構造の問題としてとらえるべきで、「ブラック企業」とか「体罰の是非」の問題に矮小化すべきではありません。ブラックも体罰も、その重さは相対的なもので、いくら体罰教師を処罰したところで、あるいは「生徒に指一本触れてはいけない」と法制化したところで、精神の歪みを生み出す構造が残されている限り問題はなくなりません。体罰教師は生徒に指一本触れずとも、ブラック企業は社員にムチを振るわなくても、死刑宣告できるのです。
以前、40代の元プロ野球選手と話していて、大学時代のシゴキについて聞いたことがあります。いわゆる「脳筋大学」出身の彼の口からは、普通の人には想像もできないようなおぞましい体罰とイジメの数々が語られたのですが、最近母校に顔を出してみたらシゴキは消えていたといいます。「近頃の子はヤワだからさ、シゴくとすぐ大学やめちゃうし、部員も集まらないんだそうだよ。ただでさえ学生の数が減ってるのにそれだと困るだろ?だから今の時代、部員は大学の大事なお客様なんだとさ」と彼は嘆いていました。「やめる」という選択肢を考慮できる正常な判断力さえあれば、みんな幸せになれるのです。