オリヴァー・ストーンは、リベラルというより急進左翼、社会主義者なので、内容は大いに偏っています。本書で語られる悪はアメリカ右翼の悪、すなわち軍産複合体の悪であり、逆に社会主義化を進めたF.D.ルーズベルト大統領時代はバラ色の時代として描かれます。
実際には、ルーズベルト時代のアメリカは平均40%の高関税で国内産業を守り、そのくせ外国に対してはアメリカ製品に門戸を開けと迫るジャイアンであり、世界に保護貿易レースを仕掛けた主犯でした。世界の自由主義者たちに死刑宣告を下し、「持たざる国々」を決起に追い込んだ張本人でした。
そうしたアメリカ左翼の悪も暴けば、この本は党派を超えて説得力ある「アメリカ黒書」の決定版となれたかもしれないのに残念です。
さて、そんな米帝バッシング本を読んだ後にこのような報道を目にするとあきれてしまいます。
旧日本軍の従軍慰安婦問題は「20世紀に起きた最大規模の人身売買だ」として、ニューヨーク州上下両院の議員が16日までに、被害女性らへ謝罪するよう日本政府に求める決議案を両院それぞれに提出した。…
決議案は、2007年に連邦下院で可決された日本政府に公式謝罪を求める決議を支持し「歴史的責任を認め、未来の世代にこれらの犯罪について教育する」ことを日本政府に求めている。
日本政府に謝罪要求 慰安婦でNY州決議案「最大規模の人身売買だ」
盗人猛々しいとはこのことです。米帝に他国の過去を断罪する資格などありません。たとえ日帝が組織的に性奴隷狩りをしていたとしても、米帝はそれ以上の罪を犯して頬かむりし続けています。原爆投下の罪です。
日本人が原爆について口を開くと、アメリカ人は「戦争を始めたのは日本の方だ」とか「悪虐な日帝に原爆に文句を言う資格はない」とか「本土決戦を避けるため仕方なく落としたのだ」とか反論してきます。しかし、原爆投下には日帝の悪も戦争も関係ありません。
1945年8月にはすでに戦争の帰趨は決しており、日本はひたすら敗戦交渉のテーブルにつく道を模索していました。当時の日本政府が降伏の条件としていたのは「国体護持」、すなわち天皇制存続の保障のみでした。しかしアメリカはそれを認めようとしませんでした。アメリカはただその一点だけのために、「消化試合」を何ヶ月も続け、瀕死の日本を殴り続けたのです。
そのくせアメリカは、終戦後は余裕で天皇を恩赦しました。アメリカ人からすれば、天皇制の存続など些事にすぎぬという証です。アメリカ人は、彼らからすればどうでもいい「国体護持」カードをチラつかせれば日本がひれ伏すことを知りつつ、あえてそうせず、戦争を引き伸ばしたのです。戦後の国際秩序において主導権を握るためです。
ドイツとの戦闘をほとんど一国で引き受け、ドイツを轢き潰したのはソ連です。欧州戦線の終結にあたり、ロシア人の発言権は圧倒的になりつつありました。しかし原爆投下により、米ソの立場は劇的に逆転しました。アメリカは、ただ国益のために数十万人の市民の命を吹き飛ばしたのです。
このような空前絶後の国家犯罪を、アメリカはいまだに認めようとしません。国際社会においてモラルなど存在しないことの何よりの証拠です。冷酷なレアルポリティークのダシにされた日本人は、国際政治をモラルで語ることの無意味さを思い知らされました。もし日本人が過去に対してタンパクであるなら、その理由は、広島、長崎という戦後日本の原体験にあるのです。
日本人に、「歴史的責任を認め、未来の世代にこれらの犯罪について教育する」のを求めるのであれば、日本人をモラルなき虚無的な国民としたあの出来事についてモラルが示されなければなりません。アメリカ人が「歴史的責任を認め、未来の世代にこれらの犯罪について教育」し、オバマ大統領が広島と長崎で頭を下げてはじめて、日本人はモラルの存在を目の当たりにし、請われなくても自分を鞭打つようになるのです。