2013年02月18日

メリットの有無と戦争

伝統芸能レベルの左翼クリシェを書き散らす沖縄新報が、中国脅威論を批判していました。

自衛隊も持ち出して緊張状態が続く尖閣問題を意識させれば、日米同盟強化もオスプレイ配備も納得してもらえるという算段だろうが、あまりにも作戦の想定が安直で非現実的ではないか。

国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなどを考えると、中国が尖閣諸島を「奪う」メリットがあるとは思えない。従って「奪還」のためのオスプレイが役立つこともないだろう。

オスプレイ宣撫 離島防衛に絡める安直さ

沖縄新報の主張を真面目に受け止める人は今や少数だと思いますが、中国が武力行使するメリットはないとする論理には説得力があるように思えます。中共嫌いの人も、尖閣防衛の強化を訴える人も、心の底では中国が開戦に踏み切るはずはないと感じており、対中警戒はあくまで中国の横暴を牽制するためのポーズ程度に考えている人は多いはずです。

中国のメリットのなさで最大のものは、経済的な理由です。グローバル経済と密接に結びついている中国は、もし武力行使すれば、敵に与える以上の経済的打撃を受けかねない、いや確実に受けます。そんな非合理な自滅行動をとるとは、常識的に考えられません。国家間の経済的相互依存関係が高いグローバリゼーションの時代に、主要国間の戦争はありえないように思えます。

しかしそれは誤謬です。経済のグローバリゼーション化は現代の専売特許ではありませんし、むしろ史上最大の戦争は、グローバリゼーションの時代に起きました。それは第一次世界大戦です。

第一次大戦前の世界、19世紀末から20世紀初頭における、特に先進国間の経済は緊密な相互依存関係にありました。1913年の日本のGDPにおける輸出の割合(輸出依存度)は12.5%で今日よりも高く、日米欧を合わせた輸出依存度は11.7%でした。資本も国境を飛び越えました。当時の外国投資の3分の1は直接投資で、1913年の世界の総生産の9%は対外直接投資によるものと推測されています。

当然関税は低く、世界経済をリードしていたイギリスは関税ゼロで、関税自主権のない日本は1900年代までやはりゼロでした。当時世界に冠たる保護貿易国のアメリカを除けば、世界の主要国は軒並み10%程度の低関税で、輸送手段と冷凍技術の進歩により、世界の食料品価格は年々平準化していました。

100年前の世界は、データ的にはほとんどあらゆる面において1990年代の世界に比すグローバリゼーションを成し遂げていたのです。

しかも、こうした国境のない世界ぶりはビジネス界に限りませんでした。日本の農民はハワイや南北アメリカに盛んに移民し、腕に覚えのある者は中国大陸で運試ししました。ヨーロッパ人も同様で、ある者はアメリカに、またある者は世界の果ての植民地に新天地を求めて移住しました。

また隣国と国境を接するヨーロッパ諸国の場合、地域の経済は国境に縛られていませんでした。たとえばドイツ帝国の場合、東部地域はその他のドイツ地域よりもロシアと、西部地域はフランスと、南部地域はオーストリアとより経済的に結びついていました。

このように第一次大戦前の世界は、人、物、資本が国境などお構いなしに移動するグローバリゼーション時代であり、主要国間での戦争に勝者がいないのは誰の目にも明らかでした。しかし当時の人々は、オーストリアのセルビア懲罰という些細な紛争を契機にして何のメリットもない戦争に突入し、案の定ヨーロッパは没落したのです。

歴史を見る限り、グローバリゼーションによる経済の緊密化は戦争を抑止しません。戦争は「国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなど」おかまいなしに起きるのです。

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2013年02月15日

ジョブスの教え「お客様は神様です」

スティーブ・ジョブスは、生前も今も「イノベーション」の象徴のように崇拝されていますが、彼の築いたアップル帝国は決してイノベーションの力のみで巨大化したわけではありません。

アップルが失いつつあるもの

アップルで長年働いていたというこの記事の著者は、ジョブス時代のアップルは決してイノベーティブではなく、アップルを押し上げたのは「イノベーションよりもむしろ、その徹底した任務遂行能力」であると述べています。同意します。ジョブスアップルはイノベーションを売りにはしましたが、イメージほどイノベーティブではありません。強さは他にあるのです。

自分は最近、イノベーションという言葉に疑念を持ち始めています。もちろん、個人も企業もイノベーティブであろうとするのは良い事です。しかしイノベーションはその他の欠点をカバーしませんし、それだけで競争を勝ち抜けるわけでもありません。最近のイノベーション熱は、イノベーションをあたかも特効薬のように礼賛し、地味な努力から逃げる口実化しているように思えてなりません。

例えばアップルの場合、イノベーションという派手なネオンサインに隠れて、「顧客第一主義」という泥臭い企業姿勢はほとんど語られません。割高のブランド品を売り、客の苦情など歯牙にもかけないイメージのあるアップルですが、実はそうではありません。ジョブス時代のアップルは顧客サービスの改善に全力で取り組み、アメリカでは、客の声に真摯に耳を傾け、製品の不具合を改善につなげるメーカーの代表的存在と見られています。

日本でそう見られていないのは、ブランド・メーカーに対する偏見に加えて、外資の宿命もあると思います。一般的に外資は下級社員にはマニュアルワークしか求めず、そのため客対応は日本企業に比べて機械的になりがちです。実は外資的組織は、想定外の不具合などのシリアスな案件は「本部」で対応しており、外国人の無責任下級社員は面倒な案件はすぐに本部に投げるのですが、外資の日本人下級社員は日本的職業倫理から案件を上に投げるのを嫌がります。アップルも例外ではありません。そのため自分の限られた裁量で問題を解決しようとし、「融通の利かない外資」になりがちなのです。

またアップルの場合、小売店に対する姿勢も誤解を助長しています。日本の家電メーカーは大手小売チェーンに対して腰が低く、例えばヨドバシカメラあたりで製品を買えば、いざ不具合が出た時はヨドバシに相談すれば一発です。しかしアップルは小売店に対する立場が強く、そのため小売店経由の苦情は効果がなく、また値引きもしてくれません。小売店パワーに慣れた消費者からすれば、お高くとまったアップルと見えるのもしかたありません。

しかしアップルの顧客サービスは実際に優れたもので、アメリカではPCメーカーの中で常にダントツの1位に選ばれています。日本でも、何の権限もないのに自分の権限で客をあしらおうとする下級社員の壁さえ超えれば、あれほどの大企業であるにも係わらず、原則に囚われない、人間対人間の対応をしてもらえます。

PCは大小の不具合が出やすいものですから、多くのメーカーは、「消耗部品は壊れるときは壊れますから、そこまで責任とれません」とか「データの喪失はお客様の責任ですから」とか「保証書に書かれた通りの対応しかできません」などと、時に明確に、時に言外に責任を回避しようとしがちです。しかしアップルは根気良く客の話を聞き、場合によっては驚くほど柔軟に商品交換に応じたりします。

しかも客の機嫌をとって終わりではありません。自分の場合、不具合交渉からしばらく後に、アップルは3年前の製品までさかのぼり無償部品交換を発表しました。返品された製品をきちんと精査し、客の温情に甘えて誤魔化すのではなくきちんと責任をとり、よりよい製品開発のための参考としているのです。

もちろんアップルの顧客サービスは完璧ではありません。日本人下級スタッフの勘違いぶりはその代表で、その壁を越えるのは本当に大変です。アップルには、日本人社員の特性を理解し、下級社員の教育にも力を入れてほしいものです。しかしいずれにせよジョブスアップルの成功は、イノベーションと並んで、顧客サービスを抜きにしては語れないのです。

イノベーションという念仏ばかり唱えていると、日本企業全般が顧客サービスにおいてアメリカに教えを請う日も、案外すぐそこかもしれません。


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2013年02月12日

クール・ジャパンとハリウッド

先日、経産省は「クール・ジャパン」に500億円の予算要求をすると報道されました。

「クール・ジャパン」推進に500億円 税金でクールな文化は作れるのか?

クール・ジャパンの根底にあるのは、広告的アプローチで国家ブランドを向上できるという発想ですが、この発想の誤謬は、「国家ブランド」概念の発案者であるサイモン・アンホルト氏によりたびたび指摘されており、また国家ブランディング政策の先駆けである「クール・ブリタニア」の失敗は、その何よりの証です。

しかしながら、国家ブランドを向上できるかどうかは別として、宣伝しなければ売れないのもまた事実です。日本のポップカルチャーを巨額な宣伝費をかけて売り込めば、費用対効果は別にして、それなりに売れるのは確実です。クール・ジャパンの目的が、とにかく日本のポップカルチャーを海外で売ること、ただそれのみにあるのであれば、それは不可能ではありません。

ただし、それを目的とするにはクール・ジャパンというやり方は効果的ではないし、またコンテンツを売り込むことによる日本全体への波及効果はほとんど期待できません。それはハリウッドを見ればわかります。

全興行収入の3分の2にあたる224億ドルをアメリカ国外で稼ぐハリウッドは、世界で最も成功しているコンテンツ産業です。しかしそのアプローチはクール・ジャパンとは真逆です。すなわち、星条旗を立ててアメリカ文化のクールさを訴えるのではなく、コンテンツの内容、売り方ともに、「クールUSA」どころか「脱USA」、無国籍であることを目指しています。

文化商品というのはその他の商品に比して感情的摩擦を生みやすく、へたをすると文化侵略ととらえられてしまうので、国籍を前面に押し出して売るのはタブーなのです。日本のコンテンツを海外に売りたいのであれば、コンテンツ産業に海外展開を念頭においた無国籍作品、良く言えばユニバーサルな価値観を持つ作品の制作を促し、そのうえで輸出ダンピングすればいいのであって、日本を前面に押し出して広告展開するのは邪道です。

先日、クールジャパンにも関わるAKBのメンバーがお泊りの反省として坊主にし、海外から怪訝な目で見られましたが、あのように日本国内でしか通用しないメディア・スタントはご法度です。海外でコンテンツを売る基本は、まずはコンテンツの国際化であり、クールジャパンではなく脱ジャパンなのです。

しかしそれでも、500億円もの宣伝費を投入すればさすがにある程度は売上も伸びるはずです。ただしその売上アップは、ハリウッドの例を見る限りその他の産業や国全体のイメージ向上に寄与しません。

ハリウッド映画は1920年代以降世界一の映画産業として世界に輸出されてきました。いくらハリウッド映画が脱USAを指向しているとはいえ、そこにはアメリカのライフスタイルが溢れています。世界中の人々がコーラを飲み、ハンバーガーを食べ、ジーンズをはいてロックを聴くようになったのには、ハリウッドの影響は否定できません。しかし、アメリカ文化とアメリカ製品全般へのイメージアップに貢献したのかといえばそうではありません。

アメリカ文化は底が浅く、アメリカ人は単細胞でアメリカ製品はセンスが悪いというのは、世界共通の認識です。あらゆるアメリカ的なものに反感を覚える反米主義は、ブッシュ時代に生まれたものではなく、20世紀の通低音です。

実はアメリカは1950年代から60年代初頭にかけて「クールUSA」を実行したことがあります。1953年に設立されたアメリカ情報局(USIA)は、ニューオリンズ・ジャズとハリウッド映画は世界の人々を親米にする武器だとの報告書をまとめ、CIAはさまざまな文化工作を実行しました。「文化爆撃」により冷戦に勝利できると考えたのです。

ところがアメリカの対外イメージは一向に上がらず、1960年代初頭にはソ連型経済の勝利は時間の問題という認識まで広がり、途上国の指導者たちは共産主義に惹かれ、先進国の若者たちは反米に走りました。やがてCIAの工作が暴露されるに至り、アメリカはクールUSA戦略を放棄したのでした。

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今日でもヨーロッパの破産危機に瀕する国々では、若者たちはジーンズをはいてロックを聴きながら反米を叫んでいます。アメリカの製品とサービスには、実は日本よりも進んだ面も多々あるにもかかわらず、世界中で実際よりも低く見られています。100年におよぶ強力無比なハリウッド映画の世界支配は、アメリカの映画産業を潤わせてはいるものの、アメリカのイメージ向上にはほとんど貢献していません。国のブランドを広告的手法で上昇させるのは不可能なのです。

クールジャパンは、一重にコンテンツ産業ーー実際には広告屋を水ぶくれさせるだけの施策であり、しかも、コンテンツの国際化をなおざりにしてエスニシティを前面に立てるそのやり方は、コンテンツの海外展開をする上で非効果的かつ邪道です。クール・ブリタニア以降急速にポップカルチャーの衰えたイギリスや、クールUSA時代に激しく反米に揺れた世界を見れば、むしろこれまでコツコツと築き上げた日本ブランドを瓦解させかねない危険な策なのです。

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2013年02月11日

悪いのは猫である

この国では、猫を愛でて一人でいるのが好きで空気が読めないと反社会的人物になり、警察のミスを誘引するという人に非ざる凶悪犯罪を犯して社会的に抹殺されるようです。

この事件が世間の目を引いたのは、ネットに犯罪予告をするという、せいぜい万引き程度の軽微な犯罪そのものに理由があるのではなく、警察が誤認逮捕したことにあります。事件は犯人と警察の合作なのですから、犯人のみを叩くのは片手落ちです。

それでも、面子を潰された警察が猛り狂うのは理解出来ます。類似犯罪の抑止のためにも、自分たちの責任を棚に上げて犯人を晒し者にするのは仕方ありません。

しかし寒気がするのはマスコミの態度です。どうしてマスコミは、そんな警察の都合に合わせて容疑者のすべてをほじくり返し、ステレオタイプによる人格判断を撒き散らし、容疑者を社会的に抹殺しようとするのでしょうか?

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ネットの問題としてしばしば炎上の恐ろしさが語られますが、今回のようなマスコミによる炎上は、悪名高きネットの炎上とどこが違うのでしょうか?

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ネット普及以降のテレビ界は、「テレビを見てよき社会人になろう」というメッセージを広めていますが、権力のまくエサに無批判で食いついて物事をステレオタイプで判断し、ターゲットを決めたら全力で炎上させ、猫に注意するのが良き市民なのでしょうか?

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2013年02月10日

架空戦記に見るステレオタイプ

架空戦記というジャンルがあります。戦国時代や第二次大戦を舞台に、もしもの世界を描くジャンルです。架空戦記は世界各国にあり、Uchroniaというアメリカのサイトには、たくさんの架空戦記が紹介されています。

架空戦記というのは、一般的に文化を異にする者には面白さが伝わりにくい、ドメスティックなジャンルです。本能寺を生き延びた信長の戦いぶりや、日本軍無双の太平洋戦記をハラハラドキドキ読めるアメリカ人はあまり想像できません。架空戦記というのは、あくまで自文化圏の人たちに向けた、自文化圏の人たちにカタルシスをもたらすために書かれたエンターテイメントなのです。

さて、そんな架空戦記ものですが、先日興味本位から、日米戦争を舞台にしたアメリカ産の架空戦記を読んでみました。アメリカ人が昨日の敵をどう見て、どんな所にカタルシスを感じるのか、肩の力の抜けた大衆レベルでのステレオタイプを楽しんでみようとしたわけです。

読んだのは、去年の暮れに発売されたばかりのロバート・コンロイ著「ライジング・サン」というベタなタイトルの作品です。ミッドウェー海戦で日本が米空母3隻を沈める大勝利をあげるところから物語は始まります。



太平洋全域の制海権を握った日本は、パナマ運河を特攻で破壊し、アラスカに上陸し、ハワイ島を占領し、米西海岸を脅かします。アメリカに残された唯一の空母サラトガを沈めて講和に持ち込もうとする日本を、劣勢のUSAは知力を尽くして迎え撃ちます。

話のトーンは主プロットに恋を絡めたハリウッド調で、ちょうど映画「パール・ハーバー」のような感じです。登場するアメリカ人はみなヒーローというわけではなく、ダメ軍人やダメ政治家、そして日系人を差別する偏狭なアメリカ人たちの姿も批判的に描かれます。また主役の米軍人は日本語を解す知日派であり、日本軍人もかなり人間的に表現されます。

日本の架空日米戦記の多くは、白人レスラーをぶちのめす力道山と同じで、日本人のアメリカに対する劣等コンプレックスに働きかける構造をしています。しかし先の日米戦争にわだかまりを持たないアメリカ人は、日本を巨悪として叩きのめすだけでは心に響きません。オープンな人間性を至上のものとし、それがアメリカの国家意志と融合して大きな困難を乗り越えるときにカタルシスを覚えるのです。

しかし、そうした微笑ましくもある典型的アメリカンエンターテイメントの中にも、日本軍の嫌なステレオタイプは登場します。武士道を信奉してやたらと自爆攻撃するのはご愛嬌。捕虜の首をその場でハネまくるのも、誇張されたマンガ的表現として我慢できます。しかし「性奴隷」の登場には暗澹とさせられます。

アラスカのアンカレッジを占領した日本軍は、現地女性をことごとくレイプします。またハワイ島では、現地女性を強制的に連行して慰安婦にします。決して当時の日本人を野蛮人視しているとは思えない著者が、エンターテイメント作品の味付けとして性奴隷を描くのは、中国人や韓国人がレイシズムから性奴隷を描くのとは別の意味で深刻です。日本軍のレイプ魔ぶりはそれほどまでに浸透しているのです。

ここまで定着してしまったイメージはそう簡単には拭えません。レイプ魔の烙印を補強するには1つの事例で事足りるのに対し、反証するには10の事例が必要です。20数年かけて世界中に浸透した確証バイアスを覆すには、20年以かかると覚悟すべきです。

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2013年02月07日

テレビの性

昨日の関東地方は大雪だというので、テレビは大騒ぎでした。

結果的に予報は外れ、たいした雪ではなかったのですが、大雪に備えて報道体制を敷いていたテレビ局は事前に準備した大雪企画を捨てきれずに各地から総力中継を行い、冴えない降雪状況を名残惜しそうに伝えていました。

あまりにテレビが騒ぐので、JAFには前日のうちに装着したチェーンが外せないトラブルが殺到したそうです。お天道さまにテレビ局が踊らされ、テレビ局に小市民が踊らされたというわけです。

さて、いつもはテレビ局に厳しい自分ですが、降らない雪に翻弄されるテレビ局の様子を見て、今回は少し同情してしまいました。元テレビマンとして、大雪予想に興奮して食いついて準備し、気まぐれな空を恨めしく見つめるスタッフの気持ちは痛いほどわかります。

世の人々の多くは、災害報道などを嬉々として伝えるテレビに批判的です。表面的には被害者に同情的な態度をとりながら、その実人々の悲嘆を商品として取り扱う彼らの態度は確かに醜いです。今回のズレたハシャギぶりもそれと同根です。しかし自分はそうした批判を共有しません。そんな風にモラルに訴えても何も変わらないからです。

テレビマンに限らず、マスメディアで働く人が最も頭を悩まし、エネルギーを費やすのは「ネタ探し」です。番組のネタさえ見つかれば、仕事は8割方終わったようなものです。そんな彼らに、最高のネタである災害に内心小躍りして飛びつくなと要求するのは無理な相談です。

いわば彼らはネタという獲物を求めて常に半飢餓状態の野生動物のようなものであり、天から絶好のネタが降ってくれば、本能的にむしゃぶりついてしまうのです。これはマスメディアの最大の行動原理であり、災害報道に限らず、あらゆるマスメディアの振る舞いはこの原理に支配されています。

例えばゴリ押しのような現象もこの原理により引き起こされます。テレビマンは銭に目が眩んで、ブームでもないものをブームだとゴリ押しすると考える人も多いようですが、そうではありません。現場のスタッフにはそんな意識は毛頭なく、ただ恒常的にネタ切れに苦しんでいて、「ネタ屋」の提供するおいしそうなネタに食いついているだけなのです。

ネタ屋というのはテレビ番組にネタを提案する人です。要するに広告屋なのですが、宣伝をテレビ番組向きのネタに整形するという点で普通の広告屋とは違います。

例えばあるカメラメーカーが若い女性をターゲットにした一眼レフカメラを宣伝したいとします。するとネタ屋は、「今男の趣味に夢中になる女子が増えている!」といういかにもの企画を仕上げてスタッフに売り込みます。いくつかの「〜女子」現象を集めて、そのひとつとして「カメラ女子」を取り上げ、実際のカメラ女子をどこからか集めてきて取材の手配までしてくれます。

ここまで仕上げられると、テレビスタッフからすれば純然たるネタです。食いつかない理由はありません。そしてどこかのテレビ番組や新聞雑誌がとりあげれば、そのネタはブームとして一層信憑性を高めて加速度的に後追い企画が増殖し、あれよという間にゴリ押しになるわけです。しかもネタ不足に悩むのは民放もNHKも同様ですから、NHKもゴリ押しに加担することとなります。ネタ屋は1990年代半ばに普及した比較的新しい職種で、以来テレビ番組の親広告化が進んでゴリ押しが発生しやすくなり、今ではゴリ押しでないものを探すほうが難しいほどです。

こうしたテレビとマスメディアの歪みの修正は不可能です。それはマスメディアというシステムそのものが抱えた性だからです。資本主義には修正不能な欠陥があり、やがて必然的に自壊すると説いたのはマルクスですが、資本主義よりも人工的で明白な欠陥に溢れたマスメディアは必ず自壊します。我々にできるのは、マスメディアを修正するのではなく、平和裏に自壊してもらうよう準備することなのです。

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