2013年02月07日

テレビの性

昨日の関東地方は大雪だというので、テレビは大騒ぎでした。

結果的に予報は外れ、たいした雪ではなかったのですが、大雪に備えて報道体制を敷いていたテレビ局は事前に準備した大雪企画を捨てきれずに各地から総力中継を行い、冴えない降雪状況を名残惜しそうに伝えていました。

あまりにテレビが騒ぐので、JAFには前日のうちに装着したチェーンが外せないトラブルが殺到したそうです。お天道さまにテレビ局が踊らされ、テレビ局に小市民が踊らされたというわけです。

さて、いつもはテレビ局に厳しい自分ですが、降らない雪に翻弄されるテレビ局の様子を見て、今回は少し同情してしまいました。元テレビマンとして、大雪予想に興奮して食いついて準備し、気まぐれな空を恨めしく見つめるスタッフの気持ちは痛いほどわかります。

世の人々の多くは、災害報道などを嬉々として伝えるテレビに批判的です。表面的には被害者に同情的な態度をとりながら、その実人々の悲嘆を商品として取り扱う彼らの態度は確かに醜いです。今回のズレたハシャギぶりもそれと同根です。しかし自分はそうした批判を共有しません。そんな風にモラルに訴えても何も変わらないからです。

テレビマンに限らず、マスメディアで働く人が最も頭を悩まし、エネルギーを費やすのは「ネタ探し」です。番組のネタさえ見つかれば、仕事は8割方終わったようなものです。そんな彼らに、最高のネタである災害に内心小躍りして飛びつくなと要求するのは無理な相談です。

いわば彼らはネタという獲物を求めて常に半飢餓状態の野生動物のようなものであり、天から絶好のネタが降ってくれば、本能的にむしゃぶりついてしまうのです。これはマスメディアの最大の行動原理であり、災害報道に限らず、あらゆるマスメディアの振る舞いはこの原理に支配されています。

例えばゴリ押しのような現象もこの原理により引き起こされます。テレビマンは銭に目が眩んで、ブームでもないものをブームだとゴリ押しすると考える人も多いようですが、そうではありません。現場のスタッフにはそんな意識は毛頭なく、ただ恒常的にネタ切れに苦しんでいて、「ネタ屋」の提供するおいしそうなネタに食いついているだけなのです。

ネタ屋というのはテレビ番組にネタを提案する人です。要するに広告屋なのですが、宣伝をテレビ番組向きのネタに整形するという点で普通の広告屋とは違います。

例えばあるカメラメーカーが若い女性をターゲットにした一眼レフカメラを宣伝したいとします。するとネタ屋は、「今男の趣味に夢中になる女子が増えている!」といういかにもの企画を仕上げてスタッフに売り込みます。いくつかの「〜女子」現象を集めて、そのひとつとして「カメラ女子」を取り上げ、実際のカメラ女子をどこからか集めてきて取材の手配までしてくれます。

ここまで仕上げられると、テレビスタッフからすれば純然たるネタです。食いつかない理由はありません。そしてどこかのテレビ番組や新聞雑誌がとりあげれば、そのネタはブームとして一層信憑性を高めて加速度的に後追い企画が増殖し、あれよという間にゴリ押しになるわけです。しかもネタ不足に悩むのは民放もNHKも同様ですから、NHKもゴリ押しに加担することとなります。ネタ屋は1990年代半ばに普及した比較的新しい職種で、以来テレビ番組の親広告化が進んでゴリ押しが発生しやすくなり、今ではゴリ押しでないものを探すほうが難しいほどです。

こうしたテレビとマスメディアの歪みの修正は不可能です。それはマスメディアというシステムそのものが抱えた性だからです。資本主義には修正不能な欠陥があり、やがて必然的に自壊すると説いたのはマルクスですが、資本主義よりも人工的で明白な欠陥に溢れたマスメディアは必ず自壊します。我々にできるのは、マスメディアを修正するのではなく、平和裏に自壊してもらうよう準備することなのです。

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