朝日新聞を始めとしたマスメディアに追及されて辛酸を嘗めた数々の企業や個人、そしてその過程で生まれた不祥事対策の専門家たちは、朝日新聞社のあまりの体たらく、その幼稚ぶりに、にわかに信じられない思いを抱いているに違いありません。
マスメディアの堕落は何も日本だけには限らないものの、これほどの無責任は他の先進国では見られません。日本のマスメディアの鏡であることを自認してきた朝日新聞のクズっぶりは、日本のマスメディアの特異な歪みと後進性の現れに他なりません。
では日本と他国のマスメディアの違いはどこにあるのでしょうか?その違いは、朝日新聞の常套句である「戦争責任」との向き合い方、「戦争と新聞の関係」の捉え方の違いに如実に現れています。
敗戦後、朝日新聞を始めとする日本の新聞各社は大いに反省しました。朝日新聞の場合、1945年8月23日に「自らを罪するの弁」とする社説を掲載しました。そこにはこんな風に書いてあります。
個人としての吾人は 必ずしも全部が優柔不断であつたとは信ぜられない。しかし組織の一部にあることを思ふ時、この組織を守り通す必要を余りに強く感じたが故に,十分に本心を吐露するに至らなかつた場合もないではない。…その結果として今日の重大責任を招来しなかつたかどうか。
戦争を起こした主犯は軍部と政治家であり、新聞は保身のためにやむなくそれに加担したと悔いているわけです。上司の犯罪行為に協力させられた部下の弁解そのものですが、朝日新聞の論法は通り、多くの日本人は新聞と戦争の関係を今もそう見ています。
しかし、戦争と新聞の関係をそんな風に見る先進国は他にはありません。新聞はそんなに弱い存在ではないからです。今はともかく、20世紀初頭の頃の新聞は強大な権力を有していました。
1898年の米西戦争を起こした主犯は「イエロー・ジャーナリズム」です。新聞があらゆる階層に急激に浸透したこの時期、ピューリッツァーとハーストという2人の新聞王は、読者の獲得競争を展開する上で扇情的な記事を連日掲載しました。おかげで読者はキューバにおけるスペインの圧政に対してマスヒステリアに陥り、政府を動かしたのです。
1914年に勃発した第一次世界大戦で有名なのは、イギリス人の集団ヒステリーぶりです。ドイツ人を劣等人種視してあらゆるドイツ風なものを排斥し、果ては犬のダックスフントまで迫害しました。こうした異常行動を引き起こしたのは、やはり新聞でした。
軍部や政府のプロパガンダのせいではありません。当時はまだマスメディアのパワーについて未解明で、政治家に新聞を通じて大衆をコントロールしようという着想はありませんでした。それどころか、当時のイギリス首相ロイド・ジョージは新聞を過大評価して新聞にコントロールされる始末で、イギリスの新聞王ノースクリフ卿は堂々とこう述べていました。
神は人に読む力を与えた。おかげで私は人々の脳髄を事実で満たし、そのあと誰を愛すべきか、誰を憎むべきか、何を考えるか指示できる。…私は政治家にはならない。なぜなら独立した新聞こそ将来の政府の形だからだ。
ノースクリフ卿は、新聞は第4の権力どころか、政府をも上回る権力を持つと豪語しているわけです。第一次世界大戦は新聞の持つ強大な権力をを浮き彫りにし、この体験を元にプロパガンダとPRという概念が生まれ、研究され、発展していくことになります。
日本では、日露戦争を機に新聞は急速に普及し、その後英米と似た状況になりました。検閲はありましたが、原始的な検閲でコントロールできるほど新聞の力はヤワではありません。1918年の米騒動や1923年の関東大震災における外国人襲撃、さらには1920年代の反軍ムードから軍国ムードへの急旋回などに、米西戦争時のアメリカ人、第一次大戦時のイギリス人と同様のマスヒステリアを嗅ぎとれます。
しかし日本では、英米におけるように、その原因を新聞を始めとするマスメディアに求める動きは起こりませんでした。「軍部に怯えて仕方なく従った」という朝日新聞の弁解は、日本を遅れた国と見ていたアメリカ人の偏見と、新聞を利用して占領統治を進めようとしたGHQの思惑に合致し、新聞そのものに潜在的に備わる危険性は見逃されてしまったのです。
英米の新聞観が、「新聞とは本源的に強大で危険なものである」という所からスタートし、だからこそ「政府にコントロールさせてはならない」であるのに対し、日本の新聞観は最初の大前提をスルーし、教条的に「新聞を政府にコントロールさせてはならない」という所から始まります。
これでは、「政府の圧力を受けない独立した新聞は善なのだ」というおめでたい結論をへて、先進国の中では突出した日本人のマスメディアに対する無邪気な信仰、自らの利益やイデオロギーのために大衆を踊らせて恥じないマスコミ人の傲慢につながるのは必然です。朝日新聞の常軌を逸した倨傲と無責任は、その成れの果てなのです。
朝日新聞の「腐乱」は、左翼や朝日新聞だけの問題ではありません。朝日新聞を廃刊に追い込んだ所で、新聞を始めとするマスメディアは正しい姿には戻りません。なぜならマスメディアは本源的に劇薬であり、どう対策しようと毒性と凶器性を排除できないからです。
マスメディアの毒を若干でも和らげる唯一の方法は、情報の送り手と受け手の双方がマスメディアの毒性を意識し、身構える習慣をつけることに尽きます。今回の件を通じて、100年前に確立したマスメディアの第一原則━━マスメディアの最大の目的は正しい情報を送り届けることではなく、より多くの読者/視聴者を獲得して社会に君臨することにあり、その過程でマスヒステリアを作り出してしまうという認識が、朝日新聞という巨人の崩壊を通じて、遅ればせながら日本にも根付くことを願います。