ウェブ上のあちこちで聴けるJAL123便のボイスレコーダーは、何度聞いても怖く、そして泣けます。
しかしこの事故で最も恐ろしいのは、個人的に、墜落してしまった後のことだと思っています。墜落直後に米軍が墜落地点を特定し、横田基地からヘリを派遣して海兵隊をスタンバイしていたのに、日本政府は米軍の申し出を拒否し、おかげで現場入りしたのは、墜落から12時間以上経過した後でした。4人の生存者の1人、落合由美さんの証言によれば、墜落後しばらくはまだたくさんの人たちが生きていたということですので、本当に残酷な話です。
日本のマスコミも、しばらく前までは時折スキャンダラスにそのことを取り上げていましたが、やがて興味を失い、今では事故調査委員会の不誠実な態度を責めるくらいで、あとはとにかく「事故の記憶を風化させてはいけない」の大合唱と、涙、涙。
本当に人の命を尊ぶ国柄ならば、救えたかもしれない人々を見殺しにしてしまったこのエピソードは、その裏にどんなやむを得ない事情があったにせよ、痛恨のきわみとして語り継がれておかしくないはずです。海外では、米軍の申し出を拒否した政府の態度は、この事故をめぐる“人為的ミス”のひとつとして必ず取り上げられるのですが、米軍の災害対策の迅速さを讃えることになりかねないこのエピソードは、政府、官僚からマスコミまで共通の、“触れられたくない傷”なのかもしれません。
そう考えると、記念日に必ず組まれるテレビの特集などで絞り出される涙が、なんだかとても白々しく、この国の欺瞞体質の象徴にも思えてきて、暗澹とした気持になります。
ところでテレビ業界においてこの事件は、それまで報道に絶対的な自信を持っていたNHKと、「民放のNHK」ことTBSが、フジテレビに出し抜かれた(生存者の救出場面の生中継に唯一成功した)という意味で、“過信は禁物”の教訓として語り継がれています。その衝撃は災害報道レースを加熱させ、1991年の雲仙普賢岳噴火における、なりふり構わぬ過剰取材へとつながり、マスコミ不信の先駆けとなったのは、皮肉な話です。
自然が相手の事故は防ぎようがないので、運を天に任せるしかありません。
安全な脱出方法があればよいのですが。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/space/1220083247/
このスレッドを読むうちに何が本当なのか、さっぱりわからなくなってきました。自分の詳しくない分野について検証するのは難しいですね。
当時のNHKの取材に関して
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20090518/1242610719
>当時、陸幕防衛部長室で2回に分けて合計20分近くも収録したテープの中で、私が『明確に否定した』部分だけを放映したから、担当記者を追及すると、『リハーサル』も『本番』も一切無関係、収録したテープ全部をディレクターが流してみて、気に入った部分だけを採用するシステムだそうで、「収録内容を否定された部分」についても無関係、放映されないためにはその部分を「物理的手段」で破棄する以外に阻止する手立てはない、と彼は答えたものである。
>ニュース番組『NC9』で訂正するよう申し入れたが、取材記者とは別のI記者が上役をつれてきて、私に対し「NHKの看板番組にけちをつけるのは許されない。『出るところに出て問題にする』」と脅迫したから、私も、マイクロカセットレコーダーを出して(以下略)
当時のNHKは「報道」に自信を持っていたのでしょうか?
「NC9」は宮崎緑さんがキャスターを務め、好調だったかもしれませんが。
こんなことが、あったんですね。 知りませんでした。
是非とも総括が必要ですね。
仮に、「条約でやむを得ず認めている以上の、外国の軍隊の国内での活動を認めるくらいなら、事故の際の救援活動に多少の遅れが出るのはやむを得ない」って、結論なら、それはそれで一つの見識だと思いますが、次回どうするのか、決めておかないのは、犯罪的怠慢だと思います。
http://obiekt.seesaa.net/article/31798228.html
>そして彼等は真っ先に救援を申し出た在日アメリカ軍の活動を断りました。第7艦隊は空母や揚陸艦、駆逐艦にヘリコプターと救援物資を積み込んで、大規模な救援活動を行うと言って来たのに、神戸港は「非核神戸方式」だからと、接岸を拒みました。空母と揚陸艦による救助活動は、インド洋大津波被害の時にその有効性が実証されたように、他の艦船では到底真似できない、搭載する大量のヘリコプターによる空中輸送能力があります。これなら港湾施設が破壊され直接接岸できなくても物資を運べます。ですが、それすら拒まれました。アメリカ政府は「空母を宿泊施設として提供する」とまで言いました。それも断られました。
>在日米軍による現場特定・ヘリによる救出の申し出は、事故当日にニュース速報として流されたが、翌日未明には「アメリカ軍の現場特定及び救出活動の申し出はすべて誤報であった」として否定された。
>なお、事故より10年後に「在日アメリカ軍の現場特定・救助の申し出は事実であった」と改めて発表されている。
事故から10年後に報道されたアントヌッチ氏の証言(週刊文春)
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/space/1220083247/446-447
ここでは事故直後に「厚木基地から来た救援の海軍ヘリがロープで事故現場に降りようとしていた」とされています。
記事の元となったSTARS and STRIPES 紙の記事について
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/space/1220083247/104
>嘉手納や岩国にしかいないmarine(海兵隊)の救難ヘリがなぜか米空軍のそれも横田基地から救助に発進しているとさ。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/space/1220083247/453
>まぁそれはさておき、勝手に書き換えた理由はわかるよ。厚木に海兵隊はいない事を週刊文春のこの記事書いた奴は知ってたから、記事の整合性を合わせるために”海軍のヘリ”と記事を捏造せざるを得なかったんだろう。
いわれなき批判に反論する
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070308/1173317610
いわれなき批判に反論する(その2)
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070309/1173397609
>米軍側の援助申し出は確かにあったが、それはあくまでも多数のケガ人の発生が予測されるので、設備の整った病院まで現地からケガ人を運ぶためのヘリコプター(UH−1B)と医療班提供の申し出であって、米軍が当日横田や座間に保有したヘリにはホイスト(吊り上げ機構)や大型サーチライトは装備されておらず、航法機材も空自が保有していないような“特殊なヘリ”ではなかったのである。
米軍のヘリは横田・厚木・座間どこから来たのでしょうか。スタンバイしていたのはどこの海兵隊か。
それは事故当日の夜間の山中で救援活動ができるようなものだったのか。
そして、なぜNHKは「破線のマリス」ばりの編集で被取材者の意図と真逆の「主観的事実」を報道したのでしょうか。
メインローターが地面に当るからで
ヘリからのリペリング降下も斜度があって出来ませんでした。
当時西側で高いリペリング技術を持っていたのは、陸自の第一空挺だけでした。
後日、米軍は自衛隊の技術の高さに驚いています。