2009年06月08日

リベラル派の模範スピーチ

6月4日のDーDay、ノルマンディ上陸作戦の65周年記念日になされたオバマ大統領のスピーチは、ありふれた内容といえばそれまでですが、典型的なリベラル派色にいろどられたものでした。

まずオバマ大統領は、利害対立による戦争を否定したうえで、第二次大戦の意義をこう説きます。

No man who shed blood or lost a brother would say that war is good. But all know that this war was essential. For what we faced in Nazi totalitarianism was not just a battle of competing interests. It was a competing vision of humanity. Nazi ideology sought to subjugate, humiliate, and exterminate. It perpetrated murder on a massive scale, fueled by a hatred of those who were deemed different and therefore inferior. It was evil.

(要約)戦争はよくないが、あの戦争は必要だった。なぜならナチズムは悪だったから。


これは、戦後のポリティカル・コレクトネスの基本であり、ノルマンディ上陸戦の記念日にこう訴えるのは当然のようにも思えます。しかし過去の例を見るとそうではありません。

例えば、名演説のひとつに数えられる、1984年、DーDay40周年にレーガン大統領が行ったスピーチでは、ナチスとの戦いは善悪の戦いとして強調されていません。ソ連に対して強硬な態度でのぞんだ大統領としては、いかにも悪を強調しそうなものですが、そうではありませんでした。

It was the deep knowledge -- and pray God we have not lost it -- that there is a profound, moral difference between the use of force for liberation and the use of force for conquest. You were here to liberate, not to conquer, and so you and those others did not doubt your cause. And you were right not to doubt. You all knew that some things are worth dying for. One's country is worth dying for, and democracy is worth dying for, because it's the most deeply honorable form of government ever devised by man.

(要約)解放のための戦いと、征服のための戦いは違う。民主主義は命を賭けるに値する崇高な政体なのだ。


こちらの方は、あくまで自由と民主主義の価値、そしてそれを守るために戦う側の姿勢を強調し、讃えています。

自由と民主主義を旗印にして戦われたイラク戦争に対する批判から生まれたオバマ大統領としては、当然こんな言い方はしません。とはいうものの第二次大戦の意義を認めないわけにはいかないので、“ナチスは悪だった”という表現になるわけです。

では“悪”とは何か?冒頭に紹介した部分にあるように、それは「人を奴隷化し、尊厳を踏みにじり、虐殺したから」で、さらにキリスト教的な価値観を持ち出すことを嫌うリベラル派の大統領らしく、こう念を押します。

We live in a world of competing beliefs and claims about what is true. It is a world of varied religions and cultures and forms of government. In such a world, it is rare for a struggle to emerge that speaks to something universal about humanity.
・・・
whatever God we prayed to, whatever our differences, we knew that the evil we faced had to be stopped. Citizens of all faiths and no faith came to believe that we could not remain as bystanders to the savage perpetration of death and destruction.

(要約)多様な価値観がある現代社会において、何教徒にとっても、宗教を持たない人にとっても、ナチスは、宗教的価値観を超えた普遍的な人道に反する悪だったのだ。


ナチスドイツは、“ナチス教徒”には天国だったと思うのですが、そういう疑問はおいておきます。しかしこれだと、北朝鮮はいうに及ばず、中国なども含めようとすれば含められますし・・・、まあこうなると実際には何が“悪”とも決められないので、何とも戦わないということだと思います。

ただし、だからこそ第二次大戦は“特別”でなくてはならないので、ナチス同様当時の日本についても、絶対悪にしておく必要がでてきます。慰安婦やら南京やらあれやこれやで、下手するといつの間にか北朝鮮より悪者にされかねません。そんなことをして何になるのかわかりませんが。

さて、オバマ大統領のスピーチにはもうひとつ、いかにもリベラル派らしい考え方がテーマとして貫かれています。

you remind us that in the end, human destiny is not determined by forces beyond our control. You remind us that our future is not shaped by mere chance or circumstance. Our history has always been the sum total of the choices made and the actions taken by each individual man or woman. It has always been up to us.

(要約)人類の運命は人知の及ばない力に決められるものではない。

オバマ大統領は、ノルマンディ作戦がいかに困難で、失敗して当然のミッションだったのかを強調し、そのうえで、ひとりひとりの努力で歴史を変えたのだと述べます。

確かに、ノルマンディ上陸戦はとても困難で、多大な犠牲を出した作戦ではありました。しかし、成功がおぼつかないほどというのは言い過ぎで、ノルマンディはインパールとは違います。オバマ大統領は、あえてノルマンディ戦の困難さを強調することで、それを覆した人間の力の万能性を説いているのです。

この姿勢は、前述したレーガン大統領のスピーチと比べるとより際だちます。レーガン大統領の場合は、何度も“神”について言及していました(ちなみにオバマ大統領の場合は、先にあげた宗教観の違いを否定する部分のみ)。

Something else helped the men of D-day: their rockhard belief that Providence would have a great hand in the events that would unfold here; that God was an ally in this great cause. And so, the night before the invasion, when Colonel Wolverton asked his parachute troops to kneel with him in prayer he told them: Do not bow your heads, but look up so you can see God and ask His blessing in what we're about to do. Also that night, General Matthew Ridgway on his cot, listening in the darkness for the promise God made to Joshua: ``I will not fail thee nor forsake thee.''

(要約)兵士たちの心の支えは、忠誠や使命感だけではなく、神とともにいるという信念だった。リッジウェイ将軍は作戦を前にした夜、「わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもない」という神の言葉を探した。

これは特別宗教的なわけではありません。神という言葉を運命に置き換えてもいいのですが、この世には人間にはどうにもならない巨大な力があり、その前でもがく人間という世界観の現れです。オバマ大統領が、人間は神になれると言わんばかりなのと比べて大きな違いです。

実はこれこそ、リベラル派の核心ともいえる最大の特徴で、だからこそリベラル派は、エリートによる経済のコントロールを指向しますし、地球環境も人間のコントロール下におけると信じていますし、寛容を訴えながらも、一度相手を“悪”と認識すると極めて不寛容なのです。

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この記事へのコメント
oribe様初めまして。
オバマ大統領の演説を聴いて不快になったのですが、
何となくその理由が納得できました。
基本的に信仰を持たない現代日本人が、
米国のリベラルとの相性はよいのに
何となく不愉快になるのは、人間の力ではどうにもならない
神の御力=運命または自然と言う概念を有しているせいかと。
Posted by 安酒 at 2009年06月08日 20:47
oribeさん、初めまして。
今回のエントリは、非常に興味深く拝読させていただきました。
レーガン大統領の演説と対比させながら、リベラル派の特質をあぶりだしていく様は素晴らしいの一言です。

私にとっても、リベラル派の言動というのは、どうも「鼻につく」んですよね。

それはoribeさんのご指摘にもありますが、「人間は神になれる」という彼らの「思い上がり」のせいだと考えてます。

彼らは、自らの「理性」を万能だと考え、神の代わりになり得ると思い込んでいる。

だから、非理性的な人間を見下し、ゆるすことができなくなる(不寛容)になるのでしょうね。

対話を叫ぶ人に限って、リアルでは対話しようとしないように、寛容を口では唱えながら非寛容であるのがリベラル派の実態なんでしょう。
Posted by 一知半解 at 2009年06月08日 23:20
俺には、神を語る奴(レーガン)も正義を語る奴(オバマ)もイカレて見える。
神も正義も余計な血を流すのに持ってこいの興奮剤と言うか麻薬だよ。基本的に「神様がどーでも良い」日本人から見たら、一神教起源の民族は、信仰の篤い保守も自称無神論者のリベラルも似た者同士だ。自己主張が激しく興奮し易いビッチ共だ。

奴等は利害の対立する者から奪う時、率直に「それが欲しい」と言わず、先ず、神とか正義とか人道とか人権とか平和とか友好とかの卑猥な言葉を叫んで、その御名の下に難癖を付けてくる。そして「自分は正しい」と自画自賛しながら攻め込んでくるのである。その辺の一種の権威主義的というか建前志向な行動パターンは保守もリベラルも本質的に変わらない。
単に「それが欲しい」で良いんじゃねーかって思うけどね、正直でさ(笑)。

リベラルにより厭らしさを感じるのは、中身が一緒なのに「自分達を保守より進歩した存在」と思い上がり「人権」とか「平和」とか、より浮わついた看板を掲げるからじゃないかな。また、その思い上がりの分だけ現実が見えなくなっている様に思う。

俺達、日本人はそこまで堕落したくはないと思うな。
心の何処かで、自分達は1つの動物に過ぎない、欲望を溜め込んだ糞袋に過ぎないんだという事実を見つめていたいと思う。
Posted by 小野まさ at 2009年06月09日 01:16
オバマなんて、当選したときから“祭り上げられた”大統領っていう
印象しかないんだけどねぇ。 如何にも、愚衆受けが良く、
最も敵対的なエスニックからの批判も逃れやすい人物として
選ばれたってニオイがするのはアタシだけ?  
Posted by モロッコ隠元 at 2009年06月10日 04:14
TBです

NHKへの抗議デモ&大東亜戦争
http://konn.seesaa.net/article/120967697.html
Posted by こん at 2009年06月10日 06:55
>では“悪”とは何か?冒頭に紹介した部分にあるように、それは「人を奴隷化し、尊厳を踏みにじり、虐殺したから」で、

同じロジックで、フセインを否定できてしまう不思議。

「フセイン政権」と「ナチズム」の違いが俺にはまったく理解できない。
Posted by さく at 2009年06月16日 05:00
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