2009年07月14日

英語オンチは日本の勲章

マレーシアの小中学校では理科と数学の授業が英語で行われていたんですね。知りませんでした。2003年から導入されていましたが、結局学力低下を引き起こしただけで終わり、やめることにしたそうです。

英語での授業を始めた理由は、「国際的に活躍できる人材を育成するため」といういかにもの理由の他に、もうひとつ切実な理由がありました。それは、

「科学や数学はマレーシアが起源ではない。専門用語はマレー語になく、英語から移植するしかない。それなら最初から英語で学ぶほうがよい」

マレーシア、英語での理数科授業廃止へ 理解できず学力低下


ということです。

これは日本人には理解しにくいことなのですが、ほとんどの発展途上国は同じ状況で、要するに英語(或いはフランス語など)を駆使できないと、科学を学べないのです。

今年の春にカンボジアとベトナムを訪れ、プノンペンからホーチミン・シティまでバスで移動したとき、隣に座るカンボジア人起業家とあれこれ世間話をして暇を潰しました。

3台の携帯ガジェットを持ち歩き、移動中も頻繁にチャットしていた彼は、とにかくテクノロジー好きで、「なんで日本の電機メーカーの携帯は見ないの?」などと日本人には耳の痛い質問をしてきます。

彼はケーブルテレビでBBCとかCNNを日頃から見ているそうで、小渕首相以降の日本の首相を全部言えるほどに日本の事情にも通じているのですが、「日本の首相が英語喋ってるの見たことないんだけど、日本の首相は英語できないの?」というところから英語の話になりました。

そこで彼が心底不思議そうに聞いてきたのが、「日本人は英語を使えないのにどうやって科学を学んでるの?」でした。

クメール語には科学の基礎的語彙がなく、旧宗主国のフランス語か英語を使えないと科学を学ぶことは不可能で、そういう彼からすると、英語ベタなのに先進技術に長けた日本は謎なのです。

それを可能にしたのは、言うまでもなく150年前の先人たちのおかげです。ありとあらゆる西欧産概念を漢字に置き換え、日本語で科学を語れる環境を作ったのです。

もし彼らの努力がなければ、長く西欧に支配された多くの国々同様、日本は一部のインテリと学のない大衆とに知的分断され、後の発展はあり得なかったはずです。

その弊害で、日本人は外国語オンチになりました。エリートでも外国語オンチ、外国語オンチでもエリートになれるという国は、世界を見回してもごく少数です。しかしそれで得られた利益と比べれば、すばらしいトレードオフです。

外国語オンチは、優れた独自の文化を持つことの勲章なのです。

そんな先人たちの努力により培われた英語オンチを解消しようと、2年後から小学校で英語が必修化されます。しかしそのせいで英語学習にリソースを割かれる学校システムのことを考えると、こちらの方はあまりうまいトレードオフではないと思います。

マレーシアのようにドラスティックな教育改革ではないので、あらゆる科目で目に見えて学力が落ちるということはないでしょうが、例えわずかでも英語にリソースを割いた分、その他の部分での学力低下は不可避です。

一方言語というのは、必要性と真の積極性があれば誰にでも習得できるものであり、逆に言えば、必要性と積極性を欠いては、何百時間費やそうと時間の無駄です。

ほとんどの日本人は、マレーシアやカンボジアのような元植民地の人たちと比べてもケタ外れに英語を必要としないのですから、結局英語はほとんどうまくならず、その分ますますバカになるだけのような気がします。

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この記事へのコメント
近代における語彙発明の巨人として、宇田川榕菴の名前を挙げておきたいです。
西周とかに比べると見落とされ易いので。

> そんな先人たちの努力により培われた英語オンチを解消しようと、
> 2年後から小学校で英語が必修化されます。

そんなことになっていましたか。何たる愚行か。
週何コマか英語をやろうと使わなければモノになりません。逆に必要に迫られればモノになり、その基礎は中学英語で充分。人によってはそれすら不要かと。

小学生に必要なのはひたすら日本語の本を読むことと考えます。僕の場合は、小学校高学年から読み始めた「早川SF文庫」と「創元推理文庫」が血肉になっています。質より量! 兎に角、量の多い少々硬い文章を苦にせず高速に処理できる「脳内基本ソフト」作りこそが肝要です。さもないと実質的な文盲になり、知性を育てることが出来ない。
月に一冊も本を読まず、硬い本に強い忌避感を持つ人が社会には案外と居ます。
その大切な時期に、異なる文章フォーマットをぶち込んだらどうなるか。
問題は単なる学習時間の減少に止まらないと思いますね。

英語力を身につけるとしたら、成長期を過ぎてからで構わないと思います。
ただ経験で言えば、聞く能力は20代の内に訓練を始めないと駄目かな。耳が付いていかなくて非常に苦労しました。無論小学生で始める必要はありません。
Posted by 小野まさ at 2009年07月14日 19:30
I think, studying than speaking, reading and writing.英語は習うより慣れろだと思います。
Posted by h_sakurai at 2009年07月14日 22:11
>必要性と積極性

ピロートークが言語習得の一番の近道といわれている理由が分かる気がします・・・。

私は言語というのは単なるツールでしかないと思っています。せっかく高価な万年筆を持っていても出来上がってくる作品の内容がすっからかんだと誰にも相手にされないのと同じですね。
Posted by 権兵衛 at 2009年07月15日 09:49
表意文字である漢字を駆使する日本語は、情報伝達効率がアルファベット系に比べ圧倒的に高いので、これを生かさない手はないと思います。
もう少し情報工学がハード、ソフトともに発達すれば、情報保存、伝達は漢字系で決まり!な世の中でありますように・・
Posted by N at 2009年07月17日 00:04
「和魂洋才」を進めた先人に一理あったということですね。

いまではその価値観はすっかり戦後教育によって否定されて久しいですが、昔のIBMのマニュアルを見ると「キーボード」が「鍵盤」とか全て日本語で書いてあって、結構楽しいです。

おかげで中国や韓国の技術用語も、みな日本語のパクリになってしまっていたりするので、戦前の人は偉大だったのだなとつくづく思います。
Posted by 七誌 at 2009年07月23日 01:06
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必死に翻訳を続けてきた日本語は凄いんだよ!!
Excerpt: こん: 国語教育強化こそ英語にも役立つ http://konn.seesaa.net/article/132350476.html  最終的に世界的な学会へレポートを出すには英語じゃないと駄目..
Weblog: とっちのブログ
Tracked: 2009-11-23 06:41