2009年07月18日

マスメディアが滅んだら情報ソースは枯渇するか?

小飼弾さんのところのサイトで、「2011年新聞・テレビ消滅」という新書を紹介して絶賛していました。

要するにマスメディアは消滅し、ネットを舞台とする「ミドルメディア」の時代になると断言しているのですが、こういう主張を聞くと、必ずこう反論する人が現れます。

「でもミドルメディアはマスメディアを情報ソースとして活用しているだけではないか?マスメディアがなくなったらミドルメディアも成り立たないのではないか?」

しかしこの問いは、3つの点で的外れです。

まず1点目、それは、「マスメディア=情報生産屋ではない」ということです。

テレビや新聞は、情報ソースとして情報の生産もしていますが、それは彼らの本質ではありません。マスメディアに権力とカネをもたらしているのは、新聞でいうなら紙面、テレビニュースでいうならコンダテです。要するに、どの情報を取り上げてどの情報をボツにするかを決める力、いわば「情報の格付け機関」としての役割こそが、マスメディアの本質なのです。

「マスメディアが滅ぶと情報ソースがなくなる」と主張するのは、「テレビがなくなるとドラマがなくなる」と言うのと同じことで、マスメディアというものを誤解釈しています。

マスメディアとは、あくまで情報の小売店であって、情報を生産しているとしてもそれはオマケ程度にすぎません。そして情報の生産を専門とする業者は、通信社等のかたちでこれからも残り続けるのです。

2点目は、「情報は力のあるところに集まる」ということです。

マスコミの情報生産力はバカにはできませんが、彼らが集める情報のかなりの部分は、情報の方から集まってきます。新製品を開発した企業や、世の中の不正を告発したい人が、マスコミの影響力を見込んで、みずから情報を持ち込んでくるのです。

旧来のマスメディアにおいて、こうした「寄せられる情報」の比重はとても大きく、仮にこの情報吸着力と記者クラブという特殊権益を奪われたとしたら、ほとんど何も残りません。それ以外のオリジナル情報の量は、現段階ですでにネットに負けています。

「2011年新聞・テレビ消滅」の著者も、小飼さんに自ら著作を進呈したそうですが、マスメディアが弱体化すれば、このように情報は自然とミドルメディアの方に引き寄せられていき、それとともに情報の生産力はアップしていくと考えられます。

さて最後の3点目、これは上記2点よりもわかりにくいですが、「メディアが変われば、求められる情報もまた変わる」ということです。

20世紀初頭、日本人は急速に新聞を読むようになりましたが、それ以前は、見知らぬ土地で起きた事件や事故などよりも、「近所で大蛇がでた」とかいうニュースの方がずっと価値ある情報でした。それが、日露戦争で戦地に赴いた肉親や知人の状況を知るために新聞を読み始め、やがて大多数の人に新聞が行き渡ると、身の回りで起きることよりも、新聞に書かれるような出来事の方を重大視するように変化したのです。

同じようにラジオが生まれると、今度はそれまで見向きもしなかったスポーツ情報に興味を持ち始め、テレビが根付くと、テレビという媒体で映える人物を偉人として捉え、テレビという媒体で映える事件や事故を重大事として認識するようになりました。

このように人は、新しいメディアの形に合わせて興味の方向を変えてきたわけですから、マスメディアが衰弱してミドルメディアが主流になれば、逆にミドルメディアに合った情報をありがたがるように、社会の嗜好の方が変化すると予想されます。

ミドルメディアは、今現在マスメディアが提供するのと同じ情報を提供するのには適していませんが、社会の方がそれを求めなくなるということです。

以上の3点から、マスメディアが消滅すると情報ソースが枯渇するというのは杞憂にすぎません。

ただし、マスからミドル、スモールへと分散されたメディアは、信頼性の面で劣るのではないかという危惧は、誤解や幻想ではありません。しかし、高い信頼性を武器にして大衆を煽動し、暴利をむさぼるマスメディアとどちらがいいかといえば、あとは好みの問題としか言いようがありません。

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この記事へのコメント
マスメディアという中間流通業者を使わなくとも、直売もできれば産地直送もできる、っていうことでしょうね。
Posted by n at 2009年07月18日 21:44
産地直送なんですよね。ネットって。

まあ無茶苦茶書く人(ただの誹謗中傷)もいるから
そこは問題だと思いますけど。

良い意味で編集感覚をみんな持てば変わるかなと。

まあそんな日は来ないかもしれませんけど・・・

今より1歩1歩でもいいから良くなればいいかな。
Posted by b at 2009年07月19日 01:27
ブラックジャーナリズム的な物は次世代ではどう形態を変えるでしょうね。
Posted by ト at 2009年07月19日 16:38
そう遠くない将来にネットも凋落するのでしょうね。
そしてポスト・ネット後の世界では、ネットが現行のテレビや新聞のような位置に甘んじるのでしょう。
既存のメディア群がネットを叩くように、ネット自身も見苦しい末路を迎えるのでしょう。
Posted by qquee at 2009年07月20日 02:58
 1点目・2点目について言えば、マスメディアのビジネスモデルが崩壊すれば、いずれは無くなっていくものでしょう。ただ、情報の格付け機能は何らかの形で残るのではないでしょうか。マスである必要はないと思いますが。
 この点で、新聞と専門誌の比較からも分かるように、「マスからミドル、スモールへと分散されたメディアは、信頼性の面で劣る」とは言えず、ユーザー側の需要と専門性の問題だということでしょうね。
Posted by MF at 2009年07月20日 17:20
個人的には、「試練」を経た後のマスメディアの自浄能力に期待したいところなのですが。。。(ところで、欧米のマスメディアで日本並みにヒドイものなのでしょうか?)
Posted by JFK at 2009年07月20日 22:05
素晴らしいコラムです。

>ミドルメディアは、今現在マスメディアが提供するのと同じ情報を提供するのには適していませんが、
>社会の方がそれを求めなくなるということです。
啓発されます。確かにそうですね。

大学の学者さんが世代交代して、ネットに強くなると、良い記事を書くようになるのでしょうね。
後、シンクタンクの研究員とか、企業の企画部員とか・・・
海外では既にそうなっているようですが。
Posted by SilentVoice at 2009年07月21日 12:25
佐々木さんの著書、面白いですね。
oribeさんが以前書かれていた、制作の現場にお金が落ちてこない実情や、たとえコンテンツが劣化しなくとも、テクノロジーの進歩によってマスメディアが構造不況に陥って行く様など、ネットでは断片的に得ていた情報が本という形で読むとわかりやすかったです。

タイトルのように2011年に消滅したりはしないと思いますが、ジワジワと南北戦争後のタラ大農園みたいになってしまいそうな気もします。
Posted by ミツ at 2009年07月26日 09:49
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