2009年07月23日

似て非なる日独の過激派

WOWWOWを見ていたら、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」という映画を放送していました。去年公開された映画です。内容はタイトル通りで、40年前に社会を揺るがした極左過激派組織のお話しです。

ところで今月日本で、「バーダー・マインホフ・理想の果てに」という映画が公開されます。「実録連合赤軍」と全く同時期にドイツで活動した過激派の話で、日本では「おくりびと」とアカデミー賞外国語映画賞を争ったことで知られています。

以前ぼくは、この映画の主役であるバーダー・マインホフ・グルッペ(アンドレアス・バーダーとウルリケ・マインホフを軸に活動したグループなのでそう呼ばれる)に興味を持ったことがあり、この映画の原作も読んでいたので、しばらく前にこちらの方を先に見ていました。そして今回たまたま「実録連合赤軍」を見たのですが、同じ時代に、同じ夢を見て洋の東西で起きた若者の反乱が、異様なほどシンクロしていながら、かつ異様なほど正反対であることに改めて打たれました。

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手配ポスター 上列左から2人目がバーダー


「実録連合赤軍」で描かれる日本の過激派は、暇さえあれば仲間内で共産革命について議論していて、その過程で「自己の共産主義化が足りない!」とか「総括しろ!」とかいう話になって、仲間をリンチで殺しまくります。

一方ドイツの過激派、バーダー・マインホフ・グルッペことRAF(赤軍派分派)は、細かい議論などほとんどせずに、アンドレアス・バーダーというリーダーのカリスマで突っ走ります。やることはバイオレントで、日本の過激派が悶々と総括している間に、米軍施設やら保守系新聞社やら、ばんばん爆破して人を殺していきます。

グループ内での確執は当然出てきますが、日本のように「おまえはスターリン主義者だ!」などと言いがかりを付けて処刑することはなく、去りたい者は去れで離反者を止めたりしません(1人粛清したという説もあるが確認されていない)。

またドイツの過激派はグラマラスです。日本の過激派はやたらと禁欲的で、女性のメンバーがおしゃれな服を着たりパーマをかけたりすると、「共産主義化が足りない!」という話になって陰湿なイジメが始まります。しかしドイツの過激派はクスリはやりますし、平気で人前でいちゃいちゃしますし、逃走する際に好んで盗む車はBMW(バーダー・マインホフ・ヴァーゲンと呼ばれた)ですし、おかげで当時はマニアックなスポーツカーメーカーにすぎなかったBMWは脚光を浴び、一躍メジャーなメーカーに成長したという逸話もあります。やることは外道ですが、ロックスターのような魅力も備えていたということです。

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左は反抗声明書に添付していたポップなRAFのロゴ。右は当時西ドイツで流行した「私はバーダー・マインホフ・グルッペではない」というバンパーステッカー。これを貼ってBMWに乗るのが粋だった。


彼らは日本であさま山荘事件が起きたのと同じ1972年に逮捕されましたが、逮捕後の態度も日本の過激派とぜんぜん違います。感傷的なムードの中あっけなくリンチ殺人等についてゲロした日本の過激派に対し、ドイツの過激派はまるで態度を改めず、法廷闘争を続けながら脱獄のチャンスを待ちます。

そしてその後、日本でもドイツでも、彼らの跡を継ぐ新たな過激派が現れ、国内外で凶悪なテロを起こして収監中の仲間の釈放を迫り、両国共に1977年に起きたハイジャック事件を契機に、テロの時代は終息に向かいます。しかしここでも両者は決定的に対称的です。

日本の場合、ダッカ空港日航機ハイジャック事件で、当時の福田首相は、「人命は地球より重い」と語ってテロリストに譲歩し、超法規的措置で身代金を払い、収監中のテロリストを釈放しました。しかしその1ヶ月後に起きたドイツのルフトハンザ機ハイジャック事件では、ドイツ政府は一切譲歩せず、対テロ特殊部隊GSG9を投入して制圧しました。

というわけで、同じ現象でありながら、何から何まで正反対な両国の過激派群像ですが、もうひとつ、もしかしたらさらに大きな違いがあります。それは、事件を語るナラティブの違いです。

日本では、この「実録連合赤軍」以前にも「突入せよ!あさま山荘事件」「光の雨」という映画が作られました。そしていずれの作品にも共通するのは、テロリスト側か官憲側か、どちらか一方の視点から描かれているということです。「突入せよ!あさま山荘事件」は官憲側の視点からのみ語られますが、それへのアンチテーゼである「実録連合赤軍」の方は、テロリスト側からの視点のみで語られています。

ドイツでも、バーダー・マインホフの話は過去に何度か映画化されています。しかしそのどれも、どちらか一方の視点からのみ描かれたものではありません。

これは何も、語り部の態度として両者の視点を尊重しているからではありません。どこで読んだか忘れてしまいましたが、「バーダー・マインホフ」の監督は、当初テロリスト側からの視点だけで描こうとしたそうですが、ストーリー上難しいので、官憲側の視点を随所に入れることにしたといいます。

確かにその通りで、ドイツの場合、一連の出来事は、テロリストと官憲の動きが、両者がまるで物騒な文通でもしているかのようにインタラクティブに作用しつつ進展するため、どちらか一方の視点からのみ描くのは不可能なのです。

ところが日本では、どちらか一方だけから描くのは十分に可能です。というより、どちらか一方から描かないと、ただのイベントの羅列と化して、物語として成立しにくいような気さえします。

その分析をし始めると長くなりそうなのでここでやめておきます。いずれにしても、「バーダー・マインホフ」という映画は、単体で見ると日本人にはピンと来ないかもしれませんが、日本の学生運動回想映画と対比して見ると、なかなか興味深い映画だと思います。

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この記事へのコメント
>どちらか一方から描かないと、ただのイベントの羅列と化して、物語として成立しにくい

対話してる相手が違うんでしょうね。政策で争うのと政局を弄るのとの関係にも置き換えられそうです。就職の実態が就社・社畜化ならば、その様な中間組織の目的や生存が、曖昧で未発達な自我より優先されるんでしょうかねぇ。

Posted by ト at 2009年07月23日 07:24
>対話してる相手が違う

日本は往々にして内部の論理で動きます。
外部は無視される。敵として存在しているのに。

ちなみに日本軍での話だそうです。組織論として今でも通じます。
Posted by 卜 at 2009年07月23日 17:21
>仲間をリンチで殺しまくります。
「いじめ」なんでしょうか。
最近、以下のブログを読んだせいか、リンチ=いじめ と考えてしまいました。

いじめの構造 - 池田信夫 blog(2009-07-16)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/012c01871ea97ec8a0b2aad2648f2a2e

Posted by 福富 at 2009年07月23日 18:39
これこそ民族性ってやつでしょう。たぶん。
Posted by a at 2009年07月23日 19:08
うーん。コメントの方々、山本七平が書きそうな日本人論に落とし込んじゃうのはちょっと…。
普通に
大菩薩峠で軍事訓練→警察に見つかる
→おもな幹部は逮捕されるか国外逃亡(よど号ハイジャックで北朝鮮亡命/パレスチナで日本赤軍結成)
→リーダー不在で内ゲバ
って言う経緯の結果でしょう。

それでもBMWにこだわったり人前でいちゃいちゃしたりする
お茶目さには驚きです。
Posted by speculativebubbbbbbble at 2009年07月23日 20:17
結局、何事においても、ドイツ人の方が日本人より余裕があるということでして。
Posted by JFK at 2009年07月23日 20:44
おまけ。
あと、ウルリケ・マインホフの方が永田洋子よりずっときれいだと思うのは気のせいでしょうか?
連投、失礼しました。
Posted by JFK at 2009年07月23日 20:48
テロと言えば、オウムについての「突入せよ、第〜サティアン」みたいな映画もそろそろ作られていい頃だと思うんだよな。
Posted by i at 2009年07月24日 03:10
日本人論に落とし込む程のつもりはないですし、程度の差はあれドイツの警察でも左翼活動家でもそれぞれ政権や上層部・インターナショナルの意向やイデオロギーを意識したり介入は有り得ると思います。
ただ日本では捜査対象<化外の民>内部に入れ込むような手法は、捜査員個人が使っていても公言できないんじゃないでしょうか?つまりレクター・ハンニバル博士の真似事は組織内秩序や組織防衛的に危険過ぎる≒砂を噛む様な業務に辟易してる社畜には刺激的過ぎる、お前はシンパか?と疑われるという感じでしょうか。
鬼畜米英・生きて虜囚の辱めを受けずという激しいスローガンが個人嗜好ではなく社会を席捲したのも、何か思考の中身の無い弱さを精一杯隠したり押し通したりしないと、ガラガラと崩れて組織だって何も出来ないというか戦えないようなものを感じましたし。何か上手い事言えないですが。
Posted by ト at 2009年07月24日 06:10
>日本の過激派はやたらと禁欲的で、女性のメンバーがおしゃれな服を着たりパーマをかけたりすると、「共産主義化が足りない!」という話になって陰湿なイジメが始まります。

女同士の陰湿な虐めが横行していたことは確かですが、「やたら禁欲的だった」と云うのはどうでしょうか?
 かなり性的な乱れがあった、むしろ出鱈目な状態でありましたね。
 
 映画見ていませんが、ちょっと美化し過ぎなのでは。
 今振り返ると、狂乱の時代であったと思いますが・・・
Posted by TOUSOUSEDAI at 2009年07月25日 23:37
禁欲的?ほお。
女同士だけではなく男同士でも陰湿なリンチ、男女においては
偉そうにご高説を垂れながら安アパートの部屋で輪姦を繰り返し、という反吐の出る印象も多くの人々は持っています。
そういう空気は、現状でも場所によっては受け継がれていますしね。
Posted by taku at 2009年07月26日 16:43
>ドイツの過激派はまるで態度を改めず、
>法廷闘争を続けながら脱獄のチャンスを待ちます。

ドイツ人=日本人比較論を言っちゃうと、日本人は潔すぎる気がするねえ。
猛烈に聡くて機を見るに敏過ぎるというか。

不利な状況で膠着するのに耐えられないというか、そういう状況になるとバンザイ突撃をやってしまったり、内部分裂で崩壊したり、降伏してしまったりする傾向がある様な。明治維新とか敗戦の時とかね。硫黄島みたいなのは例外と思われる。
まぁ、それは立ち直りの早さに直結するので、良し悪しであるのですが。

ドイツの場合は、ヒトラー周辺はともかく、国防軍の一般将兵は、イタリア半島後退戦とか、負けかけの状況でも、実にしぶとく淡々と抵抗を続けるのな。鈍感とさえ思える程に。
敵にとっては非常に嫌な相手だと思う。
ああいう「潔くなさ」は見習いたいと思っている。
「敗北」を先延ばしにするだけという夢の無い戦いを淡々と続ける根性。或いは「むふふ、楽に勝たしてやんねえ♪」という楽しみを見つける逞しさ。
粘れば状況が変わることもある。
こういう性格は日本人も身に付けるべきだ。状況によって使い分けできればベスト。
Posted by 小野まさ at 2009年07月27日 02:49
初めて訪問致しました。同じ年代を生きたものとして大変興味深いものです。
日本とドイツの差は歴史的思想的な背景の差もあると思います。共産主義の本家であり思想的にも鍛えられたドイツと、輸入し劣化コピーした日本の共産主義では、論争の内容が違い、戦前の日本共産党でも正統を巡る枝葉末節の言葉に熱中し、本来の共産主義の思想とは、まったく別のものであったことです。連合赤軍はそういう日本の共産主義の思想的な系譜の中にあり、官憲側も思想的に鍛える必要がなく、ただ、犯罪として取り締まれば良いというスタンスだったように思います。
Posted by 爺 at 2009年07月29日 10:38
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