ドイツ占領軍に向けては、「Your Job in Germany」、日本占領軍に向けては、「Our Job in Japan」。いずれの作品も、ドクター・スース脚本、フランク・キャプラ監督のコンビで、1946年初頭に作られました。
戦争終結後のフィルムですから、戦時中のプロパガンダフィルムと違い、敵に対する憎悪を無闇にかき立てる必要はありません。またその一方で、旧敵に対して配慮したり、偏見を隠す必要もありません。そういうわけで、この2本のフィルムには、ドイツ人と日本人に対する、当時のアメリカの本音が色濃く表れているといえます。
さてまず「Your Job in Germany」の方ですが、この作品は、占領軍の兵士のみならず、一般にも公開されて好評を博しました。そしてその内容は本当に苛烈です。今でこそ、悪いのはナチスで、その他大勢のドイツ人に罪はないとされていますが、このフィルムは、問題はナチスだけでなく、ドイツ人そのものだとしています。
君たちの任務は、未来の戦争を防ぐことだ。今ドイツは無害に見える。ヒトラーは去り、鉤十字は去り、ナチのプロパガンダは止み、強制収容所は開放され、そこには廃墟と美しい風景が広がる。しかし惑わされてはいけない。君たちは敵国にいるのだ。君たちは観光客ではなく、ドイツの歴史と相対しているのだ。その歴史は、1人のフューラーにより書かれたものではなく、総体としてのドイツ人により書かれたものだ。
フィルムはこう始まり、ナチスの征服戦争を、ビスマルク時代、第一次大戦時代のドイツとの延長線上に描きます。そして、戦間期のドイツ人は、平和的に振るまい周囲を油断させるが、ほとぼり冷めると正体を現して、世界征服を企むといいます。だから結論はーー
すべてのドイツ人はトラブルの種だ。従ってあらゆるドイツ人と友好を結んではいけない。ドイツ人は我々の友人ではない。女、子供を問わず気を許してはならない。公の場はもちろん、プライベートでも気を許してはならない。家を訪ねたりして、信用してはいけない。いかに友好的でも、いかに反省しているように見えても、いかにナチスの崩壊を歓迎しているように見えても、彼らの握手の求めに応じてはならない。それは握ってはならない手なのだ。
その後冷戦の勃発によりアメリカは占領政策を変更しますが、アメリカ人のドイツ人に対する不信と憎悪、偏見は、これほどまでに大きかったのです。
では一方の「Our Job in Japan」はどうなのか?
黄色人種の日本人に対して、偏見の限りをこれでもかとばかりにぶつけるかと思いきや、そうではありません。
この平和が維持されるかどうかは、7000万人の日本人の取り扱い次第だ。占領軍として日本人をどう扱うべきか?占領軍として、元兵士たちの父、兄弟、母、親類、そして軍服を脱いだ元兵士たちをどう扱うべきか?指導者の命令に盲目的に従うよう教育され、文明人なら目を覆うような野蛮を働いた彼らをどう扱うべきか?彼らを操る軍人たちは消え、日本人はまたトラブルを起こすかもしれないし、正気になるかもしれない。我々は、彼らを正気に戻すことにした。そしてその仕事は、日本人の脳から始まる。我々の問題は、日本人の脳なのだ。
こう始まる「Our Job in Japan」は、「日本人の洗脳を解き、再教育する」ことをひたすら訴えます。

7000万人の脳に正しい考えを注入せよ

軍人により注入された選民意識を破壊せよ

友好的に振る舞い、アメリカ思想の魅力を伝えよう
これはこれで大問題で、その弊害は今でも残りますが、作品中に無垢な子供たちのカットを何度も挿入するなど、昨日まで殺し合いをしていた相手に対する態度としては驚くほど寛容です。実際マッカーサー将軍は、あまりに寛容すぎるということで、このフィルムを兵士に見せませんでした。
ドイツ人に対する、「我々の任務は再教育することではない。良いドイツ人も悪いドイツ人もなく、もう絶対にトラブルを起こさないと確実にわかるまで、彼らを認めてはならない」という態度と、日本人に対する、「おかしな思想を抱く日本人には厳しく、良き思想を抱く日本人には優しく。友好的に振る舞うことで、日本人を良き方向に導かなければならない」という態度。同じように殺し合いをした相手に対する態度の違いはどこから来たのか、興味深いことです。
当時の見方として日本人は文明人ではないってことでしょう。
お前らアメリカ人が言うな、だな。
結局採用されなかったのだし、アメリカ人一般の考えが反映されているとは、とても言えませんね。
記事を読んでなんとなくの感想です。
当然の論理ですね。
それこそ、皆さんおっしゃってますが「敵」認定か「飼育」対象かってことでしょう。
日独でこれだけ対応が違うのはある意味当然かなと思います。全然違う人たち、そして思想を持っていたんですから。
戦後統治のやり方、考え方が違うだけで。
いずれにせよ、冷戦が始まる事で日独が救われたのは事実ですね。
新しい戦争が始まった事で救われたなんて皮肉です。
彼らの感覚からしてみれば、未発達な日本には責任能力がないから、罪には問わないって感じだったんでしょう。
アメリカ人らしさが前面に出ていて、非常に解りやすい資料ですね。もちろん今でもそれほど意識に差はないかと思われます。
かなり馬鹿にされている感が満載ですが、これが良かったのか悪かったのか、一概には言えない所が日本人の悲しい所でもある気がします。
日本の未来が危ない
私も最初は上の方々同様、日本人を人間扱いしていないのだと思ったのですが、oribeさんがおっしゃてるように、それは違うことに気づきました。
彼らが我々の父祖を人間扱いしていなかったのなら、はっきりと日本人を「猿」と言っているはずです。間違いなく。彼らは日本民族の生殺与奪は思いのままで、何も遠慮する理由は無いのです。むしろ、自分たちの肉親や仲間がたくさん殺されていて、怒り骨髄に達している状況で彼らがそう呼んでいないのは驚くべきことです。
私は、その一番大きな要因は、終戦後彼らが今のイラクのようなゲリラ戦をまぬがれたことにあると思います。日本軍は、つい昨日まで自爆攻撃を繰り返していたのです。それが終戦を迎えた途端、武器を捨てて米軍を迎えたのですから彼らにしてみたら奇跡が起きたと思ったでしょう。実際、当時の米軍は本土での武力衝突を覚悟していたそうです。
私は、米軍は日本人を人種的に劣っていたとは思っていなかったのだと思います。
もし日本人を劣った人種だと思っていたら、日本人を馬鹿にして劣等感を植え付けて永遠に歯向かう気力が起きないようにしたはずです。他の欧米の植民地のように。しかし、彼らは「日本人の脳に勝て」と言っているのです。むしろ、日本人を知的な人々だと思っていたのだと察せられます。
そして狂信的な思想を排除すれば米国と日本は、ドイツと違って建設的な関係を持てると思ったのでしょう。まあ、ドイツに異常に厳しいのは、ドイツが前科持ちだったからでしょうが。
ただそれにつけても、アメリカがイラクに対しても日本と同様に扱えば、同じように建設的な関係を築けると思ってしまったことは、哀れです。やはりそれは、時代の変化を悟れる頭の良さを持っている相手ではないと通じませんね。
敵国に対する憎悪とともに、西洋とはまた別の高い文化を持つ日本に対する尊敬と畏怖の入り混じった複雑な感情が見えます。
結局アメリカは戦争には勝ったものの、日本人の歴史や文化に根ざした思想(フィルムの中では脳みそ)を最後まで理解できなかったんだと思います。だから自分たちの理解できる思想(脳みそ)にしてしまえ、と考えたのかな?と思いました。
このへんが西洋圏のドイツと東洋圏の日本に対する差を生んだのかなと。
マッカーサーは明らかに政治に対して野心的で、そしてフィリピン総督時代で(失敗を糧にするだけの)経験も積んでいました。そして何より、日本の優秀な官僚の言葉を聞くだけの余裕がありました。
アイゼンハワーは政治を忌避する傾向が多大で(大統領選に出るまで投票行動をしたことが無いのは有名です)、そして政治的経験は絶無という状態でした。また、ドイツの優秀な官僚を自己の経験の欠如を補完する存在ではなくあくまでも敵としてしか見ることが出来ませんでした。さらに加えて、ドイツという国に対して悪意を持った政治を執る意図が明白だったのですから、これはもう犯罪です。
マッカーサーの軍政は世界史上稀に見る成功した軍政となり、アメリカが犯した戦略的大敗北(日本との戦いではアメリカは戦略目標を何一つ達成することが出来ませんでした。太平洋戦争は日米共に敗北したと見るのが正しい見方でしょう)を挽回してしまいました。
アイゼンハワーの軍政は欧州に大量の餓死者を発生させ、それは敗者のドイツだけでなく勝者の各国まで巻き込んで大迷惑を撒き散らしました。
マッカーサーは政治家として飛び抜けて有能で、アイゼンハワーは無能な加害者であった。それだけのことかと思います。
アイゼンハワーこそは最も純粋な意味における戦争犯罪人です。こんな人物を大統領にしてしまったアメリカこそ良い面の皮です。
「日本人は何が地雷なのか良く分からない。寛容のようで不寛容。従順のようで猛々しい。仲良くやっていてもいつ何で怒り出すか予想できず、付き合っていて非常にナーバスになる。」
みたいな事を白人の教授が仰っていました。
「Our Job in Japan」の内容は、我々を見下している面もあるんでしょうが、理解できないものを理解できる形にしようという思いもあるのかと。
白人の世界から遠く離れた極東の島国。この腫れ物にどのように接するか?
その結論が「日本人のアメリカ人化」に至ったのかなぁと。
ドイツに関しては騎士団で各国をヒャッハーするのが伝統ですし、白人同士予備知識がある分、比較的扱いやすかったのかなぁという印象です。
ヨーロッパ>アメリカ>その他
あこがれの欧州文化と、ほとんど歯牙にもかけていない日本文化への対応の差、じゃないでしょうか。ミネソタのアンチャンじゃ、日本なんてどんなものか分からないでしょうから。「Our Job in Japan」の方は、日本を紹介する内容に主点がおかれているように思えました。(英語わかりません、私)
イラクに自衛隊が派遣されましたが、そのときはどのような教育が行われたんでしょうかね?
「Our Job in Japan」に近い内容の教育ビデオが作られていたりして。
この映画を見ることで見せることで憂さ晴らしが出来る人はしたらいい。
そういう感じに受け取れました。だって、アメリカ自身移民にドイツ系だって居たわけだし。
「帽子をかぶった猫」の作者とシチリア出身で『第二次世界大戦中は軍隊に志願し、アメリカ陸軍の映画班に所属したキャプラは、ワシントンに駐在して新兵教育のための「われらは何故戦うのか」といった戦意高揚のプロパガンダ映画を製作し、その功績が認められ中佐にまで昇進するが、実際の戦場を目の当たりにしたキャプラは「あの戦争は私を焼き尽くしてしまった」と語るほど、ショックを受ける。(引用wiki) 』というキャプラには理屈より先に身近なヨーロッパの方に感情を強く爆発させここで溜飲を下げようとしたんじゃないかと。
実際に二人がヨーロッパ戦線と比べて、どれくらい対日本戦において知識や他者と共有できるほどの恐怖感を日本に覚えた経験があるのか疑わしいと思うんですよ。よく知らない分日本に対しては理知的にいられたのではないか、と。知らなかった分、インテリなアメリカ人らしい語り口になったのが日本用の映画じゃないんでしょうか。
ほら、あの憲法草稿あたりでの民政局長の語り口とよく似ているのではないでしょうか。
上手く行き過ぎて今困っていますが。。。
大変面白い記事をありがとうございます。目から鱗です。
アメリカの2000年の国勢調査では、白人75.1%、黒人12.3%、アジア系3.6%、アメリカン・インディアン0.9%で、白人が圧倒的マジョリティーです。
http://www.census.gov/prod/2001pubs/c2kbr01-1.pdf
ちょっと古いデータしか手元になくて申し訳ないんですが、1990年の国勢調査では、白人は80.2%で、その内訳は、23.3%がドイツ系、15.6%アイルランド系、13.1%イギリス系、4.1%イタリア系と続いています。という訳で、白人の中で最大のマジョリティーはドイツ系です。アングロサクソンのイギリスはアイルランドにも抜かれて、なんと3位。にもかわらず、終戦直後、ドイツ・へイターがそんなにあったとは以外です。
父の知人で、終戦後GHQの宿舎(帝国ホテル?)でボーイをしていた方があり、アメリカ女性が彼の目の前で着替えをするのに、下着を取ることすら躊躇しなかったので、ぶっタマゲタという体験があったそうで、それからすると、日本人はやっぱり人間以下と思われてたんじゃないでしょうか。ヒトモドキだから、女性はオトコの目の前で裸になっても恥ずかしくないし、原爆を2発も落としたり、東京大空襲みたいに非戦闘員を1区画に閉じ込めて焼き払うのにも、あまり良心に訴えなかったんじゃないような気がするのは、私だけでしょうか?
それと、4年も前の記事に遡って申し訳ないんですが、戦時中の日系人の強制収容所について、ドイツ、イタリア系移民はちゃんと市民権の手続きを取っていたので収容されなかったとありますが(間違いだったらごめんなさい)、当時日本人を含め、中国人、韓国人、インド人、とにかくどこでも、アジア系一世は市民権を取る資格がなかったそうです。日系2世(法律上は生まれつきのアメリカ市民)は、刑務所に行くか、従軍するか、2者択一を迫られたそうです。だからやっぱり差別的隔離でしょう。
もちろん現在は、少なくともアジア系に関しては差別を感じません。むしろ、日本の方がちょっと全体と同じ行動が取れないと、すぐにツマハジキ!?
長文すみません。
というのもまた上の方の書き込みにもありますが、マッカーサーが「日本人は十四歳である」としたアメリカ議会での発言について、当時の日本人は大いに困惑し(当時の日本人はGHQについて多大な尊敬と感謝の念を抱いており、マッカーサーへのファンレターは膨大なものであったそうです)、後に贈る予定であった栄誉賞の類も世論の硬化と反発をみて断念したという経緯があったそうですが、これについて「エコノミックアニマルはほめ言葉だった」という新書があり、その文脈から見て「ドイツ人との文明論的な比較」の故だったという解釈が乗っています。つまりマッカーサーの本意は、ドイツ人あるいはアメリカ人は文明的には四十台の壮年であるが、日本人は14歳のティーンネイジャーであるので、ドイツ人の犯した罪は彼らのきわめて意図的かつ謀られたものであるのに対し、日本人のそれは子供がちょっとした勘違いをして間違いを起こしたに過ぎず、後の矯正もその分容易であるのだ、ということだったらしいのです。したがって「マッカーサーの発言は日本を侮蔑したり馬鹿にしたりする意図ではなく、ドイツとの対比でむしろ日本を擁護したものである」と結論付けるのですが、しかしこれは擁護という文脈で見るのが正しいとしても、たぶんに偏見の混入したものであり、大上段からの文明論として日本人には苦々しく感じられるのも確かです。
戦時中から戦後にかけて軍部およびGHQの中心にあったマッカーサーの日本および日本人についての認識は、おそらくこのビデオの内容とも無関係ではないものと思われます。というよりも内容的にはほぼ相同してるといっていいでしょう。生まれながらのエリートであるマッカーサーにしてそうなのですから、当時のアメリカにおける為政者およびエリート層の認識もこれと大差なかったのではないでしょうか。
私が思うに、アメリカは「劣った可哀想なもの」を啓蒙することに快感を覚える国のようです。この快感には、他国に介入する際の免罪符として心理的負担を軽くする効果もあります。敗戦後の日本などに「正しい民主主義」をもたらしたとアメリカが言うのも、これに起因すると思います。
己の寛容の精神を自他共に示し、さらに自らの価値観を世界に広める「啓蒙活動」は、「正しい民主主義、正しい資本主義」の担い手を自負するアメリカの、アイデンティティを再確認する作業なのかもしれません。
この「俺たちは正しいことをしている!」って感じがどうにもならないぐらい臭って来ますね。
日本人の骸骨を土産に持って行った国が「文明」を語ることに反吐が出る思いです。