海外に出ていた間に放送が始まっていたNHKのドラマ「坂の上の雲」の1話から3話までを先週まとめて見て、日曜日に第4話を見ました。
この手の、周辺国の現代史に係わるドラマを見るときは、どうしても制作側の変な配慮を警戒して身構えて見てしまうぼくですが、第3話までは、いくつか鼻につく場面はあるにせよ、さすがに膨大な制作費をかけているだけあり、明治の世界に引き込まれました。例えば主役である秋山真之の上京前の腕白ぶりは、彼の型破りなキャラクターを表現するためとはいえ、人間描写としてはあまりに安易な、朝のテレビ小説風の健全なステレオタイプの集積でした。しかし、テレビドラマに安易なステレオタイプ以上のものを求めるのは酷なことですし、逆に言えば、そんな当たり前のことを欠点と感じさせてしまうほどに、このドラマは秀逸なのだと言えると思います。
実際ぼくはこのドラマを見ながら、NHKを見直し始めてさえいました。第4話を見るまでは。
第4話は日清戦争を描いていました。そしてこの回を見ていてどうしようもなく印象的なのが、まず中国大陸に進駐した日本軍の横暴ぶりです。許してくれと懇願する老人を蹴り飛ばして物資を徴発するなどして民衆に恨まれ、それに異議を挟む従軍記者の正岡子規に対して「記者は軍の言うことだけを書いていればいいのだ!」と恫喝するステレオタイプなバカ軍人・・・。やはり来たかという感じです。
原作を忠実に映像化しようとすれば、戦争賛美になりかねない作品ですから、何らかの形で戦争の悲惨さを挟み込んで、無垢な視聴者の極右化を防止する配慮をしなければならないのはわかります。しかしだからこそ、この作品の最大の腕の見せ所はそこの所の料理法にあるはずです。それをこのように安直かつ軽薄かつ凡庸な形で処理されてしまうと、豪華な配役やセットばかりにカネをかけて、肝心な所に知恵を絞れないNHKは、やはりクリエイターである前に役人集団だと言わざるを得ません。
似たような場面は他にもありました。従軍記者に選ばれて喜ぶ正岡子規に対して、子規の母が床の間の漢詩を指し、これまで多くを学んできた中国と戦争していることを指摘して心を痛めるのです。原作にはない、いかにも現代的なこういう感傷は、日本が中国より格上か、せめて対等の、ある程度余裕のある時に初めてしっくりくるもので、落ちぶれたとはいえまだまだ大国に数えられていた当時の清との紛争に際し、日本敗戦の可能性も十二分にある状況下では、端的に不自然です。「戦争は良くない。日中友好万歳」ということなのでしょうが、蛇足感はぬぐえませんでした。
さて、問題が以上の2点だけであり、そういう余計な要素を持ちつつも、余計な要素を余計な要素としてドラマの軸がぶれておらず、夢中で坂を駆け上がってゆく明治日本の雰囲気が出ていればいいのですが、残念ながらそうではありませんでした。主役の秋山真之は、初陣で部下を死なせたことに衝撃を受けて、悩むのです。まるでガンダムのアムロのように。「おれは軍人に向いていないかもしれない」と、番組の大半を費やしてくよくよと悩み、同僚の広瀬大尉から東郷さんにまで、胸の内を吐露して相談しまくるのです。
ここに至り、ドラマの主題自体が揺らぎます。ドラマはもはや明治の群像ではなく、そこに見えるのはただ明治という舞台を借り物にしただけの現代日本であり、現代日本人です。大陸で悪行に精を出す日本軍も、日中衝突に心を痛める正岡親子も、とってつけた余計な場面ではなく、「明治を舞台とした現代日本」という主題に合流するのです。
おかげで、日清戦争後の雰囲気はまるでお通やです。そこにあるのは、前だけを見て歩いていられた若者の国ではなく、一歩踏み出すたびに誰かを踏みつけ、置いてけぼりにし、そしてそのことを意識してスティグマを刻まれてゆく老人の国です。
「坂の上の雲」という原作を、明治日本のプロパガンダとせずに映像化するのは、極めて難しいことです。その難しさを最も安易な方法で回避しようとし、そうすることで原作のエッセンスを台無しにしたこの作品は、クリエーターの作品ではなく、役人に統率された技術屋の技の品評会と見るべきものです。
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ステレオタイプな軍批判には、私も「またか」と思いましたが、
>子規の母が床の間の漢詩を指し、これまで多くを
>学んできた中国と戦争していることを指摘して心を痛める
この場面で「支那」という言葉を「自主規制」しないでちゃんと使っていたのには、少しNHKを見直しました。
この原作をドラマ化するのには、あの最強のNHK労組と対抗しなければいけないわけで大変だったのだろうと(実現する前のいろいろもあって)容易に想像はついてはいたんですが…ひどいなあ。
突然湾岸戦争から始まった功名が辻以来のショックだったなあ。
そもそも当時は、欧米列強に認められようと、涙ぐましい努力を払って国際法その他ルールを遵守していたというのに。
まぁ、酷い編集だわなw
どーみても、反戦ドラマです。
原作では、単に、秋山好古・真之兄弟と正岡子規の青春群像は物語のキッカケに過ぎず、本当のテーマは過酷な国際環境の中で、懸命に努力をすることで勃興していく明治国家そのものなのですが、これを描くことなど今のNHKには無理でしょう。
原作の後半の半分以上は、軍事だけではなく、財政や外交など国家の総力を尽くして日露戦争を戦い、「勝利」していくまでが克明に描かれていますが、NHKがこれを映像化することができるでしょうか?
司馬遼太郎自身も言っていたように、この作品を映像化することは無理。2005年(日露戦争100周年)までに製作・放送できなかった以上、すっぱりと諦めた方が、膨大な予算を無駄遣いせずに済んだのではないですかね。
正しくは、「どーみても、反日ドラマです」ですね。
蛇足を加えると…
「戦争」には当事者が「二者」必要です。
「反戦」なら、両方の当事者の戦争に反対する必要がある。
従って…
一方の当事者に対する「反戦」活動なら、
他方の当事者に対する「戦争」支援ということです。
さすが反日放送局。
「とんでもない」は貴兄の主観です。
「とんでもない」の具体的な内容の説明をお願いします。
>原作が実際にはとんでもない愛国主義的な原作ですから、
本当に原作を読んでおられますか?
そんなことないですよ。原作のスタイルは極度に客観的であります。日本という小国家の懸命さを(多分)多少の愛しさを持って描いている作品ではありますが、敵国となるロシアや清に対する不当な非難・批判は見当たりません。
まぁ、もともと作者の司馬遼は満蒙の地に愛着持ってる人ですし。
また、原作には心情を吐露する主人公というものが存在しません。
作者の視点は特定の登場人物の「中」ではなく、端役に至る全ての登場人物の「背後」にあり、時にユーラシア大陸や日本海の上空を彷徨います。勿論、ロシア側にも光を当て、惰弱な人物も勇敢な人物も描き出します。
登場人物の言動も、その関係者や本人(下手すると当時は生きていた)からの取材で得られた見聞を骨格として描いており、戦国モノや幕末モノと違って、作者の主観や主義主張で事実を捻じ曲げることは出来ない話です(取材先からツッコミが入りかねないから)。
最後に、司馬遼の小説は基本的に「技術者の物語」であるということです。
忍者も戦国武将も商人も蘭学者も軍人も、明治の政治家も官僚も技術者です(現代の政治家と官僚は怪しい)。ここで「技術者」とは「事実ヲ観テ対処スル者」であり、事実を見ない思想家や宗教家、どぶ板政治家は「技術者」ではありません。彼は愛国主義とか、そういう現実と乖離した、思想的に粘質なものを忌み嫌っています(晩年になるまで空海も嫌いだったそうな)。
群像劇で客観的・現実・現実主義というと、散漫で詰まらない内容に思えるかも知れませんが、それでいて大変に面白いのです。もし読んでいないなら読んでみてください。