2010年01月09日

格差の外にいる人たち

日本で「格差」が叫ばれるようになって久しいですが、格差というからには持てる者と持たざるものがいるはずです。持たざる者の「顔」は、最近だと派遣切りにあった人たちで、少し前まではワーキングプアが務めていました。では持てる者の顔はどういう人たちかというと、格差論の勃興期に見せしめ逮捕されたホリエモンなど、カネにモノを言わせて暴れ回るマネーゲーマーたち、古い言葉でいえば成金です。

「ファンドなのだから、安ければ買うし、高ければ売るのは当たり前と被告は言うが、このような徹底した利益至上主義には慄然とせざるを得ない」

というのは村上ファンドの村上前代表に対する判決文ですが、こういう拝金主義を市場原理主義などと呼び、格差社会の元凶とするのがここ数年のトレンドです。

ところが「徹底した利益至上主義」が足蹴にするのは、何も弱者だけとは限りません。

「誰が壊したんだ。泣きたい気持ち。国辱もの。アメリカ流の開発優先主義で文化・文明を壊していいのか。世論に問いたい」

去年の春、東京駅前の中央郵便局の再開発に待ったをかけた時の鳩山弟氏のコメントです。しかしこのとき、世論は醒めていました。「なるほど価値のある建物なのかもしれない。しかしそれを守るために数百億かかるとなると・・・」というわけで、持たざる者であればあるほど、いかにもボンボンらしい大臣の発想に首をかしげたものです。

このように、成金的な利益至上主義は、しばしば弱者の発想と合致します。だいたい先にあげた判決文も、日銭を稼ぐためにあくせくする底辺の庶民からすれば、いかにもカネに不自由しない恵まれた人の発想です。弱者からすればカネに目の色を変えるのは当たり前のことで、世の春を謳歌する成金は嫉妬の対象ではありますが、価値観を同じくする同じ穴の狢なのです。

成金的な利益至上主義と真っ向から対立し、その存在を最も脅かされるのは実は社会的な弱者ではありません。利益至上主義と真の敵対関係にあるのは、上の判決分を書くような裁判官や鳩山弟氏ーーー社会のエスタブリッシュメント層を形成する勢力なのです。

金持ちの二世、三世に、拝金主義を憎悪して平等な社会を求める「リベラル派」が多いことはよく指摘されていて、その理由として「苦もなく良い暮らしをしていることへの罪悪感」があげられたりします。確かにそれはあるに違いありません。しかし金持ちのボンボンが利益至上主義に反対する立場をとるのには、さらに大きな理由があります。それは、自らの地位が脅かされて、下に蹴落とされることへの恐怖です。

戦国の世を平定した徳川家康は階級制を固定することで下克上に終止符を打ちましたし、19世紀に世界の頂点についた大英帝国はモラルを前面に打ち出して力による覇権争いをけん制しました。そして資本主義サマサマで富を蓄えた経済大国は後進国の追い上げを眼にして反資本主義的な態度をとろうとしています。ある分野で頂点に立った勢力にとっては、自分が成功した手段を他に封じることこそが、自らの地位を守る一番の近道なわけです。

もちろん社会のエスタブリッシュメント層に属す方々は、意識してそうしているわけではありません。貧乏人のせがれが「いつか金持ちになってやる!」と思うのと同じように、ごくごく自然にそう考えるのです。で、自分は良心に満ちあふれた正義の人だと思い込んでいる・・・これを自己欺瞞といいます。

下克上の世に疲れて、別に立身出世などできなくていいから安定した生活が欲しいと思うのは当然のことです。しかしながら、弱者を成金にけしかけて、それを高みから見物している人たちがいることを忘れないでおきたいものです。

banner_03.gif
この記事へのコメント
>去年の春、東京駅前の中央郵便局の再開発に待ったをかけた〜
>いかにもボンボンらしい大臣の発想に首をかしげたものです。

これは、中央郵便局の建物がイマイチ中途半端でしょぼかったからだよ。もっと重厚で存在感のある建築物だったら、鳩弟に同調する世論が集まってたはず。

それと、堀江と村上は実際にブラックなことをやっていたので、つかまってもしょうがない。同情のしようがありません。
Posted by よーぽん at 2010年01月09日 14:16
面白いポストでした。いろいろ考えさせられるところがあります。オリベさんは休止を挟むたびに雰囲気が変わりますが、今回(香港行き以降?)はなかなかいい感じですね!
Posted by ぽ at 2010年01月09日 16:59
利益至上主義は資本主義の弱点の一つであり、行き過ぎた利益至上主義には、歯止めが掛けられねばならないというのは経済学の一つの基本です。

19世紀から、行き過ぎた資本主義によりさまざまな弊害が生じてきました。労働者の搾取、投機、公害、バブル。

このような弊害を解決する一つの方法が、日本的な倫理観を基にした企業社会主義といえる代物だったわけで。基本的には利己主義な成金の考え方より、リベラルな考え方の方が正しい場合が多いのです。

自分が不遇だからといって、真の敵は貧乏人と成金を争わせ、自分たちは安全なところでぬくぬくと利益を得ているエスタブリッシュメント層である。エスタブリッシュメント層を打倒して平等な社会を!と運動したところで、知ってのとおり、みんな貧しくなるだけで、幸せな共産主義社会はやってきません。

一方で経済大国が、後進国の猿真似に対して制限を加えるのは当然でしょう。同じルールで全て譲らなければならない義理はないですし。彼らとて自国には多額の関税を掛け、国内産業を保護しています。
Posted by 七誌 at 2010年01月11日 02:13
格差という名の弱者ナンバーワン決定戦。
自分がいかに弱者であり、社会全体が自分を救わなければならないか。

主催はマスコミをはじめとするエスタブリッシュメントな方々。
優勝賞品は手厚い援助でしょうか。
エスタブリッシュな方々はこの優勝者の味方をしていれば自分たちの
地位も安泰というわけですね。
Posted by white at 2010年01月11日 11:09
結局のところ、競争社会に耐えられる人間はそう多くないということで。。。
だから、「階層化」という利権を作るわけでして。
Posted by JFK at 2010年01月11日 23:18
whiteさんに一票。
荒んだ空気がどうしようもなく庶民ひとりひとりにまで浸透してくると、その隙間に上手い具合にわたしはあなたの味方、とばかりいかにも庶民目線でいながら(でも上目線)良い具合に埋めてくる、その上等な弁に長けている人には罠がある、ともいえる。
頭脳格差の外にいるー人たちの、まさに得意なことだ。
Posted by take at 2010年01月12日 00:15
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

banner_03.gif
この記事へのTrackBack URL


A君がB子を殺して食べる
Excerpt: 私たち人間が目的というときは、ふつう動物が使っていると思われるような直接の身体的
Weblog: 哲学はなぜ間違うのか?
Tracked: 2010-01-09 21:03