2010年01月11日

「一億総中流」という幻想の幻想

格差論が世に定着するにつれて、「新自由主義」台頭以前の古き良き日本、「一億総中流」と呼ばれた日本に対する憧憬が高まっています。しかし、40代のぼくからすると違和感ありまくりです。

ぼくの父は東京五輪の前に高卒で地方から東京に出てきたクチで、工場で技術を身につけて建築関係の仕事で独立しました。ぼくが生まれた頃は4畳半一間の長屋暮らしで、主食はご飯と塩鮭と卵焼き。肉なんて高いので滅多に食べられませんでした。しかし両親は常々「お前たちは恵まれている。昔は・・・」と毎日三食食える暮らしに感謝していたものです。

親が医者とか大きな企業の会社員をしている友だちは見るからに洗練された服装をしていて、家に遊びにいくと自分の机を持っていて、おもちゃもたくさん持っていて、飛行機に乗った話なんかをしてきます。それを羨ましがると母に「上を見ても切りがない。うちよりもっと可哀想な人たちがたくさんいるんだから」と諫められました。

そう言われて見まわすと、確かにまわりには貧乏が溢れていました。友だちの多くはうちより貧しい感じで、町の労働者地区に行くと、自分がいいところのお坊ちゃんに思えてしまうくらいに粗野な子供たちが溢れていました。家にいれば定期的に傘を直しに来るおっちゃんもいましたし、残飯をもらいにくる乞食もいました。乞食がたむろす通称「こじき山」という森は、道を踏み外すことの恐怖を体現していました。

そう当時は、道を踏み外した者への風当たりは今の比ではありませんでした。事業拡大を急いで不況に足をさらわれて破産した叔父は、今思えば現代的なベンチャー気質にとんだ青年でしたが、「ああいう人はバカにしていいのだ」という空気の中子どもにまでバカにされ、まだ30歳そこそこで敗者の烙印を押され、その後は抜け殻として隠れるように(今もたぶんどこかで)生きています。同じく事業に躓いた友だちの父親は、やはりまわりから後ろ指を指されながら、放浪の旅に出てしまいました。冒険者は身の程をわきまえないギャンブラーと同義で、失敗者には再挑戦どころか居場所さえ与えられない、残酷な社会でした。

そんな世の中での「勝ち組」は、役人や大手のホワイトカラーでした。特に田舎出身の肉体労働者であるうちの両親からするとそうで、小学校低学年の頃、「銀行の仕事は3時に終わるから楽でいいね」と言ったら、母に「バカ!銀行の人はお店を閉めたあとも夜遅くまで働くんだよ。普通の人にはできない大変な仕事なんだよ」と諭されたことを覚えています。勝ち組と言うよりも、身分の違う人という感覚です。

しかし子供の目から見ると、ホワイトカラーのお父さんはぜんぜん魅力的ではありませんでした。子供の遊びに顔を出して頼もしいところを見せることもなければ、学校や子供会のイベントでも影が薄く、ただ地味なスーツを着て悶々と満員電車で通勤をする人というイメージしかなく、要するに社会のエリートとしてのオーラは限りなくゼロでした。階層の上位には位置していたかもしれませんが、彼らは彼らで、自分を押し殺して懸命にレールにしがみついていたのだと思います。

以上は30数年前の東京の郊外の、たぶんごくありふれた風景です。今から見ればひどい時代で、一億総中流でみんなハッピーなんてことはぜんぜんありませんでした。社会は固く階層化しており、上は上で余裕などほとんどなく、下は下で高望みせず、ただあまりに貧しすぎた過去の生活と現状を比べて、より貧しい者と自分を比べて、「これ以上の贅沢を望んだらバチが当たる」とばかりに中流を自称していたのです。

もし当時がいい時代に思えるのだとしたら、それは社会の仕組みが良かったからではなく、とにかく社会全体が成長していたからに過ぎません。確かに1970年代の後半からは社会に余裕が出てきて、うちの両親が持つような身分制的感覚も急速に薄れ、本当の意味での総中流に近づいたような気もしますが(この意識変革こそが、現在はびこる不公平感の元凶かもしれません)、そこからバブル崩壊まではほんの10年あまり。それこそ成長時代の最後のあだ花で、あれを取り戻すべきモデルとするのはバカげています。

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この記事へのコメント
基本的に宗教的縛りの無い日本人は、甘やかされることが許されれば徹底的に甘えます。
海外に発信できる文化の面では西洋人の宗教に縛られた願望を穿り返せる利点があるのも確かですが、現状の回顧大流行は「競争に疲れ、母体回帰願望だけが異常に膨らんだ奇形状態」にしか過ぎません。

それにしても昔は公害問題、バブル時代には土地高騰問題と、不安ばかり煽ってきたメディアが「昔はよかった」とか言ってると何の冗談だと思います。
Posted by ふとん at 2010年01月11日 19:05
「一億総中流」って、80年代後半のバブル期に、ニュースステーションで久米宏が言ってましたね。今思えば、当時はただの団塊世代による人口ボーナスでした。あのときに浮かれずに小子化対策しときゃよかったのにね。先見の明が無さすぎますわ。
Posted by toshi at 2010年01月11日 22:55
「うちは中流だから。。。」といかりや母ちゃんが子供達に諭していたドリフのコントを思い出しました。
Posted by JFK at 2010年01月11日 23:16
同感でsね。

ドカベンや巨人の星の主人公も貧乏でしたが貧しさの逆境よりも、
多くの読者に近い境遇にさせただけなんだろうなって思います。
Posted by なっとう at 2010年01月12日 01:41
うーん「一億総中流」は幻想というよりは理想と捉えたいですねえ。
それは馬鹿にすべきものではなく、取り戻したいものだと思います。
それは幻想だったかも知れませんが、広い意味での子供の教育において、よき影響を与えてきたからです。

俺は昭和30年代末に地方都市の住宅街に生まれました。裕福ではありませんでしたが、裕福だと思っていました。ハイ、見事に親に騙されていました(笑)。しかし、当時はそれが普通だったと思うんですが・・・俺の周囲だけだったのだろうか。

どの親も子供に「お前はエエトコの子なんだからミットモナイことをするな」と教えていたと思います。俺の親は、何かを壊したとか無駄使いとか、金銭に関わることで子供を叱りませんでした。過失か故意か、卑怯か否かだけが叱る基準でした(コンビニなんかで耳にするに、今の親は「勿体無い」とか金銭に関する叱りが多過ぎる様な)。また、教育に絡むことには金を惜しみませんでした。

星飛雄馬の家庭も裕福ではありませんでしたが、明子姉ちゃんなんか「どこのお嬢様やろか」という程に言葉遣いや所作が奇麗ですよね。まぁアニメの話ではありますが(笑)それ程違和感なかったのも事実であります。いやいや当時の近所の女の子も同じでしたよ。

確かに「当時、経済が上向きだったから、親は子供に期待を掛けることが可能で、それが教育姿勢になっているのだ」という解釈もあります。が、経済が停滞しているからといって、勉強や礼儀作法等の躾の価値が下がっているとも思えません。
バブルの頃に金銭以外の価値観が損なわれた結果の様な気がするんですがね。
Posted by 小野まさ at 2010年01月12日 01:50
古き良き日本、「一億総中流」と呼ばれた日本に対する憧憬というのは、豊かな日本という幻想ではなく、今日より明日が素晴らしいという保証でした。

私は、その時代をうらやましく思います、とにかく社会全体が成長していたあの時代には、もう戻れないでしょう。

私の親の世代には、人を妬むなという教育を行ってきました。豊かな人を妬むな、今日のご飯があることを恵まれていると感謝すべきという母親の世代の教育が正しかったのです。

これは決して社会の仕組みが良かったからではなく、親の教育が良かったのです。

貧しい者と自分を比べて、「これ以上の贅沢を望んだらバチが当たる」という輝かない中流層が、日本の豊かさを支えてきたのです。

バブル以前は貧乏なのは当然のことで、貧乏人を憐れんでも、貧乏だからといって社会的に蔑む風潮はありませんでした。貧乏人を蔑む成金は、それこそ人でなしのような目で見られたものです。

当時も今も、社会的な状況はほとんど変わっていません。変わったのは、マスメディアに煽られ、人を「勝ち組」「負け組」と階級社会にわけ、レッテル張りすることで、成功した人を妬み、失敗した人を蔑むことが正当だという人の心の変化です。

そしてその不公平感を与える意識変革によって、(民主党という)革命が起こり、そしてそれによって利益を得る人々が日本を変えようとしています。

日本人が本当に取り戻すべきものは、毎日成長する社会ではなく、成功した医者や、役人や大手のホワイトカラーに醜く嫉妬せず、居場所を失った失敗者を憐れみ決して蔑まず、毎日三食食える暮らしに感謝して無駄づかいせずつましく生きる。こういった意識、そして生活こそが、日本人の取り戻すべき中流社会というモデルなのでしょう。
Posted by 七誌 at 2010年01月12日 04:02
拝啓 管理人様

バブル崩壊前後と勝ち組負け組以来擦れ違い様に聞こえよがしに「 図書館にあんな恰好で来る人がいるんだ! 」あからさまに罵倒する人が増えました。

まあまあ身綺麗な中学年位の娘さんですが、一円も稼いだ事のない小娘にそんな事を云われる筋合いはありません。

身綺麗でも心根の汚い輩が増えました老若男女を問わずに一昔二昔前には何方かが仰ったた様に何となく今日より明日が豊かに成れるとの幻想を共有していたので無関係の他人様をいちいち罵倒しなかっただけかもしれません。

m(_ _)m乱文にて 敬具
Posted by (^o^)風顛老人爺 at 2010年01月12日 05:59
かつての「地上の楽園」を彷彿とさせるマスコミのイカサマとまたそれにひっかかる人たちという構図でしょうか。
そういう幻想を抱いてしまうのも子供のうちからなんでもかんでも平等が正しいという誤った平等観を徹底的に教え込まれた人たちが増えた結果かもしれませんね。
Posted by white at 2010年01月12日 12:36
> もし当時がいい時代に思えるのだとしたら、それは社会の仕組みが良かったからではなく、とにかく社会全体が成長していたからに過ぎません。

ここ、非常に重要ですね。
「明日は今日より良くなる」と思うことができる、これがあれば転落の恐怖とか、固定した階層などをそれほど気に病まなくても良くなります。
人は希望がないと生きることができませんからね。
あれだけの不条理を抱えた中国がこれまで持ってきたのもこれがあるからでしょうし。

しかし、現代も高度成長期も批判するOribeさんにとって良かった時代というのはあるのだろうか?
Posted by HG at 2010年01月12日 13:28
1960年後半に生まれましたが、我が家も相当なボロ屋でした。同級生のサラリーマン家庭が裕福に見えて羨ましかった。それがバブル経済のお陰で、外国で大学にまで行くことができた。恵まれていましたね。

たくさんの貧しかった人間がお金を持って豊かさを経験できた。でもしょせんバブル。今のシステムの中での本来の姿に戻っているだけなのかもしれません。

ただ、一度お金を持った人々はお金のからくりに気づいて目覚めてしまった。だから今は余計に格差を感じてしまうし、以前のように自分より貧しいものを見ても慰めにもならなくなっている。

進化してるんだと思います。19世紀〜20世紀は人権という意識の目覚めがあった、21世紀は経済システムの目覚めの途中であるのかと思ったりします。
Posted by ao at 2010年01月12日 13:33
「一億総中流」という現象は、当時のマスコミによるアンケートで、「自分は、上流・中流・下流、どこに属していると思いますか」という問いに対して、ほとんどの人が「中流」と答えたということを称して言っていたものです。「認識」の問題であって、事実・現象を指すものではありませんでした。

しかし、今は、なぜか、定義が変わってしまっているように思います。
Posted by pong at 2010年01月12日 15:01
 三丁目の夕日で、昭和三十年代妄想が蔓延した時、うちの母が「あの時代が今より良いなんてアホか?」とTVに突っ込みを入れていた事を思い出します。
 昔は未来があった云々も「不況も今より酷い事なんてざらだった」と切り捨てます。
 昔は人情があった・・・弱った奴を助ける事で自分の立ち位置を確認してただけだろうってね。

 過去を振り返る行為自体アホらしいと言われ、この人は未来永劫生きてるんじゃないか?と思いました。
Posted by 智 at 2010年01月12日 16:19
 ど根性ガエルって貧乏長屋の象徴みたいな感じだよね。
 あれで、昭和40年代なんだからたった三十数年前の話なんですね。
Posted by 智 at 2010年01月12日 16:22
現在同棲中の山田優と小栗旬が結婚に向けて話を進めているようだ。

人気度も見た目のバランスも含めてベストカップル、いや…ベスト夫婦の誕生になるだろう。

だが、そんな2人に思いも寄らぬ出来事が・・・とんでもない動画が出回ってしまった。
内容を観ても確かに仲がいいのは分かるが、余りにもプライベート過ぎなような…

http://ymdyuogrsn.blog110.fc2.com/
Posted by 結婚秒読みの山田優&小栗旬 プライベート映像 at 2010年01月12日 16:48
おいおい・・・・。

一億総中流とか昭和の平等社会を幻想ってこと
で片付けるんだったら、かつての新自由主義の
批判の矛先だって幻想ってことなるが・・・・。
Posted by mikhail b sokolov at 2010年01月12日 18:58
まあ昔もよかったが今もなかなかいいかんじ。
でも民主党政権はクソ過ぎ。
Posted by 脱税裏金売国朝敵 at 2010年01月12日 23:38
よく判らんが、、、
不幸の数は今も昔も同じだけある、福の神と疫病神は姉妹、足ることを知る人のみ幸せってことでおk?
Posted by 踊れドールズ at 2010年01月21日 22:19
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