2011年01月06日

文明のエンジン

アメリカの、特に共和党よりの自由主義者たちは、ヨーロッパ諸国の政治のあり方をとても軽蔑しています。ヨーロッパには「大きな政府」を奉じる福祉国家が多いからです。そんなことでは何のイノベーションも生み出せない。だからヨーロッパは老人なのだというわけです。

しかしよくよく見てみると、ヨーロッパというのは、ヨーロッパ独特のやり方で、自由の国アメリカも顔負けな自由さを維持していることに気がつきます。

ひとつひとつの国はやたらと規制にうるさく統制的であるけれど、各国ともにそれぞれ方針が違うので、息苦しくなったら国境を越えればいいのです。これはなにもEUができてからの話ではなく、ずっと昔からそうでした。18世紀の音楽家は、理解あるスポンサーを探して各国を渡り歩きましたし、ある国で迫害された思想家や科学者は、別の国で保護されることで活動を続けました。ヨーロッパの文化は、そういう多様性の中で育まれ、世界を支配するに至ったのです。

そんなヨーロッパ式多様性の優越性は、たとえば大航海時代のヨーロッパと中国の差に如実に現れています。中国の明王朝は、当時としては空前の規模の大艦隊(鄭和艦隊)を編成し、ヨーロッパに先駆けてアフリカ東岸に至るまでの大航海を実施しました。しかしこの大国家事業は国庫を圧迫するばかりで、中央の方針が変わるとピタリと海外進出を停止し、残された航海記録まで破棄されてしまいました。まさに歴史のあだ花、中央集権国家の悲しさです。

一方ヨーロッパの場合、遠洋航海はベンチャービジネスとして始まりました。有能な探検家は国境を超えて計画を売り込み、各国はそれぞれの思惑からそれぞれのタイミングで参入し、ポルトガル、スペイン、フランス、オランダ、イギリスと競争の中で主役は入れ替わり、海外進出は途絶えることなく続きました。その過程で航海技術は進歩し、リスクを軽減するために株式や保険の制度も発展し、後の産業革命に向けて富を蓄えたのでした。

ヨーロッパというのは、個々の国々を見ると統制的かつエリート主義的でろくなものではありませんが、国境を閉じずに各国が競いあうことで、文化の発達とイノベーションに必要な多様性と自由競争を確保してきたのです。EUがヨーロッパを殺すと言われる理由もそこにあります。EUが政治統合を強めれば強めるほど、ヨーロッパの活力は失われてしまうのです。

そんなヨーロッパのあり方に照らすと、逆になぜアメリカが個人の自由というものに強くこだわるのかもよくわかります。アメリカは、州ごとにある程度の独立性が保持されているとはいえ、あくまでワシントンDCを首都としたひとつの国家です。そしてアメリカと同じ北米文化圏に属する国はカナダくらいしかありません。そんなアメリカが多様性と自由競争を確保するためには、政府の力を制限し、個人の力を大きくするしかないのです。ヨーロッパ型の大きな政府を導入したアメリカなど、中国の中央集権帝国と何ら変わりません。

アメリカとヨーロッパは、政治志向的に正反対の方向を向いているように見えながら、実はそれぞれ違う形で、多様性と自由競争を確保しているのです。

では日本はどうか?日本は、トインビーやハンチントンによれば、独立したひとつの文明に区分されますが、残念ながら日本文明は、文明として刷新発展していくためのエンジン=多様性と自由競争を欠いています。イノベーションは外部(海外)に委託し、それをカイゼンすることに特化した奇矯な文明、寄生文明です。

寄生文明だろうと何だろうと、明治維新から1990年代まで、日本文明はほんとうによく健闘してきました。しかしもはや外の世界にはお手本とすべきイノベーションはなく、自分で見つけるしかありません。アメリカのように個人に力を与えるか、ヨーロッパのように分身するか、どちらも嫌なら文明の看板を外して、どこかにお世話になるしかありません。

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この記事へのコメント
ブログ主のヨーロッパとUSAにおける考察は首肯できますが、日本に対する結論には疑問も感じます。我が国の中にある多様性を自分は認めています。明治維新以前遣唐使を廃止して以来自国の中で育んできたものを考えると全く別の結論も出るのでは無いでしょうか?
西洋を追い続けるという意味では、亀に追いつけないアキレスという話かも知れませんが・・・
Posted by しりうす at 2011年01月06日 11:36
上に同意。

日本の独自性の分析が弱すぎると感じます。

何も追いつくことがすべてではないと思います。
自然と一体化していく、この日本のたぐいまれな文明は西洋に比べるとも劣らないものがあり、しかも優れて普遍的でもあるのではありませんか。
それと、多様性が素晴らしいという議論と同時に、日本全国何処へ行っても(住んでも)、あまり違和感がないというのも優れている点ではあるまいか。海外に住んでみると、土地土地で全く違うことにそれこそ驚かされます。
Posted by 危険 at 2011年01月06日 15:34
 一神教と多神教という視点が完全に抜けているところは、気になるところです。
 西ヨーロッパ文明の基本はカソリック、それにプロテスタント的要素が加わるとしても、キリスト教が根本にあることは変わりはありません。各国の独自性といっても、その範囲内のことであり、アメリカもその点は同じです(世俗国家主義としての近代文明や、多文化(多宗教?)主義が頓挫するのは当然です)。
 多神教で文明国家というのは日本しかありませんが、その中に独自の多様性を含んでいることに、もう少し目を向けるべきでしょうね。
Posted by m at 2011年01月06日 22:04
鄭和の大航海もヨーロッパの大航海も強大なイスラム文明が産み出した科学と航海技術の力があってこそ。
多様性と自由競争も、野蛮な欧州がイスラム文明のマネをしたもの。

中央アジアやイスラム文明が人類文明の先進国だった時代に産み出した功績をプロパガンダで抹消して自分達の功績にしてしまっているのが欧州と中国。
Posted by ほる at 2011年01月08日 01:20
ヨーロッパの考察一部賛成です。せめぎ合いや多様性等でヨーロッパが生み出した価値は有ると思います。しかし何故50年近い年月を掛け今に至るのかを考えればEUと言う連合国家化の長所は否定できないと思います。また、イノベーションとは知の結合ですからEU内の人材等交流や移動の活性化はそれを促進するかもしれません。

さらに、アメリカ人の一部が好きなミニマム政府とイノベーションの関連も微妙です。例えば、近代の知識ベースのイノベーションは政府の内外への介入なしには成立しませんよね。

アメリカの政治科学の教科書に「独立国家は連合国を、連合国は連邦を、連邦は独立国家を目指すのかもしれない」と書いてありました。最終的には全ては時代の流れと反動の中にあるのかもしれませんね。

注:否定的な事ばかり書きましたが、個人の意見なので気を悪くしないでください。
Posted by haiwan at 2011年01月09日 15:17
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