2011年01月12日

そうあるべき生と死

ネットは、「死」があふれた場所です。

去年はネットで自殺中継がありましたが、今年は年明けに、元日の海で高波にさらわれて行方不明になる高校生の様子を映した映像がユーチューブにアップされました。また、さまざまな事情で亡くなり、放置されたブログを始めとする個人ウェブページは、死そのものよりも死というものを意識させます。

ネットで触れる死は、どれもこれも衝撃的です。なぜ衝撃的なのかというと、これまでそういうものだと思い込まされてきた死と違うからです。ネットにおける死は、マスメディア時代の死とは異質な死なのです。

マスメデイア時代の死には、「そうあるべき死」の定形がありました。死とは、事件報道や訃報、お涙頂戴のドラマという特定の場で、涙や(事件の場合は)憤怒とともに語られるもので、それは非日常の存在でなくてはなりませんでした。

しかしネットでは、死はある特定の場所に囲われたものではなく、ユビキタスな存在で、往々にして笑顔や嘲りとともに語られます。まさに死は日常とともにあり、今ここにいる自分と連続して繋がっているのです。

高波にさらわれた高校生の映像は、のどかにフワッと生死の一線を超えていく高校生と、ビデオの背後で交わされる若い女性のあまりに日常的でのんきな会話が衝撃的ですが、死というのは元来あのようなもので、ああいう生々しい現実を伝える文体をマスメディアは持たず、ゆえに隠されてきたのでした。マスメディアのない世界の人にネットにおける死を見せたら、何が衝撃的なのかわからないに違いありません。

自殺中継 ネットに衝撃 「孤族の国」男たち (朝日新聞1月5日)

朝日新聞の記事は、あたかもネットが人間を歪めて孤独にし、歪んだ死へと駆り立てるかのように描いています。しかしそれは違います。ネットは歪みを生産しているのではなく、これまで隠されてきた生と死のあり方をあらわにしているだけです。

ネットにおける「衝撃的な死」も、ネットにたむろす「孤独で歪んだ人たち」も、以前からずっと社会に存在していましたが、マスメディア社会にその居場所はありませんでした。それがネットという表現手段を得て、一気に外に出てきただけなのです。

ではその「孤独」や「歪み」は何により生み出されたのか?おそらくそれは、ありのままの死を「衝撃的な死」に変えたのと同じように、人それぞれのありのままの生を「そうあるべき生」と「歪んだ孤独の生」に分類してしまったシステムにあるはずです。

この年明けに自殺したあるマンガ家志望の青年のブログを読みました。文章から素直な人柄が漂う彼は、先の衆院選を前に麻生元首相をコケにし、「民主革命」に熱狂していました。流行りのスイーツを親にプレゼントし、街で芸能人を見て幸せを感じるとともに我が身との差を嘆き、「のりピー事件」を気にしていました。そしてこの年末、部屋に残されていた民主党のポスターを始末し、のりピー本を夢中で読み、自ら命を絶ちました。

素直で純粋な彼は、テレビや新聞により植えつけられた「そうあるべき生」に合わせようと努力し、できない自分を責め、ついにそれを不可能と悟り、この世に別れを告げたように見えます。

一昔前なら彼の死は、余計な部分を隠蔽された「そうあるべき死」として新聞の片隅に場所を与えられてお終いでしたが、ネットのある今、彼の死はありのままの姿をぼくたちの前に晒しています。同情、共感を誘う部分だけでなく、罵り、笑い、批判、すべてを含んだ、それゆえに「衝撃的な死」です。彼は死ぬことで「そうあるべき〜」から解放されたのでした。

朝日新聞の記事は、自殺中継を見ていた若者に、「ネット漬けの生活を卒業する決意」をさせたりしていますが、それは彼を苦しめる「そうあるべき生」に追い返しているだけです。それでは何の解決にもなりません。根本的な解決のためには、「そうあるべき生」を破壊しなくてはなりません。そしてその最初のステップは、それがどこからやってきて、どうやってぼくたちの脳髄に埋め込またのか、それを意識するところから始まるはずです。

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この記事へのコメント
なんか昔流行したアプリオリな刷り込みを
取り払えば本来の人間の姿になるとかいう
変態思想の焼き直しみたいな感じ
ブログ主がおそらく大嫌いであろうフェミ
ニズムの源流がそうなんですけどね

あとメディアに影響されやすい主体性の無い
人間が、ネットの集合無意識に影響されない
保証がどこにあるんでしょう。
Posted by ミーシャ・ソコロフ at 2011年01月12日 22:45
あんなに美しい夜明けの海は痛ましい事故には不釣合いで、確かにある意味見慣れぬ衝撃映像でした。
昔、屈斜路湖の謎の生物を撮影したという素人映像をそのままTVで放送した時、背後の女性の「見て見て、クッシーよぉ〜」と叫びっぱなしの声がウケてましたが、TV制作のものでああいう演出はしませんものね。

ただ、マンガ家志望の青年は蓮舫ちゃん目当てで事業仕分け会場へ行ってみたり、ミーハーな所はありましたが、自殺に至ったのは母親と彼が抱えていた病気や、健康保険未加入となり病院へ行けなかった事、家庭の経済的な問題、過酷な仕事と不釣合な低賃金・・・と様々な不幸が重なった上での事だと思いますよ。

それにしても朝日の記事は校閲センター員2ちゃんねる荒らし騒動を思い出すと、なんだか笑ってしまいます。
Posted by ミツ at 2011年01月13日 10:58
>様々な不幸が重なった上での事

それが事実なら、やっぱりここのブログ主
さんはウソつきだね。

やっぱり元テレビ屋さんはウソつくことに
抵抗ないんだ。
Posted by ミーシャ・ソコロフ at 2011年01月13日 22:04
元々メンタルヘルスに問題を抱えてのアシスタント業というのが無理だったのだと思います。そして家庭もそんな彼をフォローできるような状態ではなかったようです。

ブログを読み進めるうちに不謹慎にも「いよいよ明日は選挙 民主党に入れるんだ♪」と「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ」のアスキーアートが頭に浮かんできましたが、ネットはリアルな社会ではしまっておかれる感情がむき出しになる世界でもあります。
また新しいスレッドが立って騒がしいようですが。
Posted by ミツ at 2011年01月14日 00:11
「組織的に配給されるモチベーション」というものに、どこかの時点で着いていけなくなってしまったんでしょうか。
ちゃんと決められた流れに乗って「海老蔵たたき」にでも熱狂してれば最低あと数ヶ月間は元気に延命できたでしょうに。
Posted by 自殺青年気の毒 at 2011年01月16日 18:08
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