しかし今回の暴動には、過去の暴動と明確な違いがあります。なぜ起きたのか、どう対処すればいいのか、見当もつかないということです。
過去にロンドンで起きた暴動というのは、いずれの場合もまず政治的なデモに端を発し、それが暴動に発展するというパターンに従うものでした。2010年の学生騒乱、今年3月の歳出削減反対騒乱などはその好例です。そこには明確な政治的アジェンダがあり、人々はその文脈で暴動を語ることができました。
しかし今回の暴動は違います。なるほど発端は、無職で移民の黒人男性(ギャングの一味と言われる)が警察に射殺された事件でした。しかしそれは文字通り発端にすぎず、その後に続いた暴動は一切の政治的メッセージを持ちません。
ある人は、貧困層の不満が爆発したのだと言います。保守党政権が福祉予算を削減したことが背景にあると言います。しかし、流行のストリートファッションに身を包み、携帯ツールを駆使しながら、エレクトリカルショップや高級ブティックでの無料ショッピングに夢中になり、貧しい個人商店を嬉々として破壊するガキどもの姿は、貧困層の反乱というイメージからはあまりに遠すぎます。
またある人は、ずばり甘やかされたガキの馬鹿騒ぎだと言います。ロンドンに根をおろし、間近で暴動に接した人であればあるほど、体感からそのように考えるようです。しかしそれでは「なぜ」に答えることはできません。甘えたバカガキなど先進国名物なのに、今この時期に一体何が彼らをロンドン史上に残る大暴動に駆り立てたのか、ぜんぜんわかりません。
このように今回のロンドン暴動は、どう語ってもうまく説明できません。言い方を変えれば、ぼくたちはこの暴動を語る言葉を持たないのです。そしておそらく問題の核心はここにあります。
今回の騒乱を伝えるイギリスのウェブサイトで、こんな書き込みを見つけました。「アラブで起きれば民主革命で、先進国で起きればならず者の騒乱か」。これはただの皮肉ではなく、事態の本質を突いています。ジャスミン革命で政府庁舎に放火した戦士も、イギリスで放火略奪を働くガキどもも、ネットによって目を開かされ、ネットによってつながって街頭に繰り出し、警官隊と衝突したという点において何一つ変わらないのです。
アラブ諸国の場合、ネットによって開いた目が見たものは、前近代的な独裁権力に縛られる自分たちの姿でした。古い価値体系を破壊しようとする人々の行動は、西側諸国の知識人たちから民主化への一歩と認識され、支援を受けています。しかし西側知識人の認識は誤解で、「アラブの春」が民主化、あるいは反独裁の形をとっているのは、たまたまその国が独裁国家だったからにすぎません。
「アラブの春」と同じ現象が民主国家で起きればどうなるか?それが今回イギリスで起きたことです。ネットによって開いた目は、やはりそこに古い価値体系を見出し、それを破壊したいと望むようになったのです。しかしイギリスのガキどもは、そしてより重要なことに大人たちさえも、不幸にもその衝動を定義付ける言葉を知りませんでした。
ガキどもが無意識のうちに望む変化は何なのか?それは、カビの生えたまま化石化した共産革命の再来でないことはもちろん、民主主義を進化させたものだとか、そんなだいそれたことではことではないはずです。ただ、ネットの普及によりもたらされた新しい価値観と、現実世界の古い価値観の間にある大きな乖離を解消したいという程度のことだと思います。今の社会のあり方は、ネットを体の一部とした人々が作るであろう社会のあり方とは、あまりにズレ過ぎているのです。
しかし残念ながらまだ、ネットを体の一部とした人々が暮らす社会への変革は、概念として確立されていません。だからフラストレーションばかりがたまり、ただただこのおかしな社会を破壊したいという衝動ばかりがつのり、ときにこうして爆発することになります。
21世紀のキリストだかマルクスだかが、向かうべき道をわかりやすい言葉として提示するまで、イギリスの暴動のようなことは、アメリカでも日本でも起きるはずです。今回の暴動を糧にぼくたちがすべきことは、古い言葉であれこれ解釈して古いやり方で社会をいじることではなく、とにかく新しい言葉を見つけることに尽きるのです。
なんか韓流が気に入らないとかでフジテレビに抗議するんだとか、、、。
なるほど感慨深いですね。知らず知らずに頭に刷り込まれた偏見で物事をみてるに過ぎないってことでね。
なんかって書くくらいだから、
たいして調べてもないか、フジの人かも知らんけど
少なくともイギリスレベルの暴動ではないな
よく調べてから発言したほうが
恥をかかないと思いますよ。
いや、煽りでなく真面目に。
ただ、それはそれとして、この後にアメリカの破産・EUの崩壊が控えています。欧米はこれから激動の「幕末」に向うことでしょう(もちろん日本も無関係ではいられない)。
それが最終的に「世界の夜明け」に繋がればよいのですが。
FumiHawk氏による『ロンドン暴動』の分析・考察
http://togetter.com/li/173018
それ以外に、色々な意見の集約として、面白かったものを。
緊迫するロンドン暴動(May_Roma氏のツイートまとめ。2、3もあります)
http://togetter.com/li/172436
イギリス、ギャングによる暴動のbcxxxさんのつぶやき
http://togetter.com/li/172301
とっくにご存知でしたら、すみません。
英国暴動もフジ抗議も「参加してる奴らは○○」「原因は〜だ」等、うっかり断じたりすると「違うだろ」の大合唱が起きる所が似てるかも。
英国の事はわかりませんが、フジに関しては渦中の人達でさえ、歴代一位の522スレを達成した事に「ここまで行くとは」「今まで溜まってたガスに引火して?」と驚いてたりするくらいですから。
ブクマ外さなくてよかった (^ ^)
コメント欄の分析もかなり興味深いものですね。
「天漢日乗」様の記事、
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2011/08/5-88a7.html
に紹介されていたはてな匿名ダイアリーに、非常に感銘を受けたので、紹介させてください。
イギリス暴動の裏にある鬱屈と絶望について
http://anond.hatelabo.jp/20110816094649
ここで書かれている、社会的弱者を救済する制度が社会的弱者を拡大再生産している構図には、心中が暗澹とするものがあります。
実際に周囲にも、離婚後、親元に帰って子供の世話を年老いた親に任せて、生活保護で遊びまわるシングルマザーの話等があり、日本でも同じ危険がある事を実感しました。
納得しやすい説明を多くの人が求めていて、その心情はわかりますし、「真相」などと言って盛り上がってるわけではないのですけどね。
http://news.bbc.co.uk/panorama/hi/front_page/newsid_9474000/9474045.stm
この匿名日記の記事を「また社会福祉悪玉論が出てきた」と批判している人達は、ちょっとナイーブになりすぎているように感じます。
この日記の記事が問題にしているのが、社会福祉全体ではなく、社会的弱者を拡大再生産する社会福祉と切り分けている事に気づかずにヒートアップしている時点で、やれやれです。
なんとなくですが、ノルウェーのテロ等も含め、多文化共生と高福祉を目指す民主主義社会モデルが逆風を受けている現実を、認められないで逆上しているように感じます。
「彼らを一個人ではなく社会現象の一部として扱った方が、まだ冷静な判断は下しやすくなるのではないか」
と最後に締めているので、その範疇で書かれた事として読めばいいと思うのですけど、そうした姿勢を受け入れがたい人もいるのでしょうね。
この件の分析に関する話題がハイテンションになりがちなのは、Togetterに寄せられたコメントなど見るに、規制緩和でも移民政策でも福祉政策でも、この暴動をネタに支持する政策に味噌が付けられそう・・・という心理もあるかもしれませんね。
面白いと思ったのは、在英邦人のツイートを眺めていて彼らがしばしば「ネトウヨ」なる言葉を使っていた事です。
使用者がその意味を定義できていないとか、私自身ネトウヨを連呼し続けて、世間の大半をネトウヨにしてしまった人を見かけた事があるくらい広範囲な使われ方をしてたりしますが、そういうのを見ると「これって言葉なのかな?」という思いが頭をよぎったりします。
これももっと相応しい言葉の到来がいつかやってくるのかもしれません。
今暴動で、まず思い出しましたのが、SF作家のブルース・スターリング が書きました90年代の作品『ディープ・エディ』(早川SF文庫『タクラマカン』収載)です。
作中では、社会的な原因は不明なのですが、「ヴェンデ」と名付けられた局所的な暴動・騒乱が都市に不定期に起こる話です。多分著者はベルリンのレイブやフーリガンに触発されて書いたのだと思います。はっきりとは書かれてはいませんが、暴動を人間の盲目的な生の舞踏の突発的な表出として人間に必要なものだとして描かれていたと思います。人間の暴力的性向を根源的に去勢しようと思えば、人間の生きる意味も意欲もおそらく去勢されてしまうのでしょう。60年代のアンソニー・バージェスの小説、『時計じかけのオレンジ』も思い出されます。