„Es wird zu früh Hurra gerufen“
インタビューは、この冬のドイツの電力事情を総括する内容です。日本の新聞の中には、この冬のドイツは原発大国のフランスに電力を輸出して、脱原発/自然エネルギーの有効性を示したと伝えるものもありました。(→脱原発でも電力輸出超過 再生エネルギー増加で)
ではドイツの監督省庁の見解はどうなのか?マティアス・クルト所長は、次のように述べています。
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…エネルギーシフトにのぞむにあたり、ドイツはここまでとてもよく対処しています。しかし、だから大丈夫と考えるのは早計です。厳しい冬を乗り越えた今だからこそ油断大敵で、気を引き締めてかからなければなければなりません。
…エネルギーシフトの成功を喜ぶのは少し早すぎます。まだドイツの電力のおよそ6分の1は原発によるものです。エネルギーシフトの本当の試練は、これらの原発を稼働停止しはじめてから始まるのです。われわれは、今後10年かけて大変な問題に取り組んでいかなくてはなりません。
…自然エネルギー施設の拡充方針に反対する人はいません。しかし問題は建設地の確保で、特に南ドイツでは不足しています。現在建設中の発電所では不十分なのです。すべての関係者には、この冬の経験を通じて新規建設の必要性を認識して欲しいと思います。
…今多くの人は、ドイツが数週間フランスに電力を輸出したと喜んでいます。しかし2011年全体でみれば、ドイツはフランスに対してかつての電力輸出国から輸入国へと転落しています。都合のいい数字ばかりではなく、事実を見つめるべきです。
…極度の寒波とガス輸送の停滞により、予想を超えた困難に直面しました。…非常に逼迫した状況で、数日間は予備電力に頼らねばなりませんでした。万が一の場合もう後がないわけで、極めて異例な措置でした。
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すでにこのブログでも何度か伝えたように、ドイツは一時的にフランスに電力を輸出したものの、その後深刻な電力不足に見舞われていました。クルト氏は穏やかな口調で、日本では伏せられているその事実を認めています。
ではドイツの人たちは今回の電力危機をどう見ているのか?読者の支持が高いコメントをいくつか紹介します。
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◆エネルギーシフトの失敗は日毎に明らかになるばかりだ。ドイツの電力は限界で、電気代の値上がりもひどい。なにより雄弁に失敗を物語るのは、プロパガンディストがほんの小さな成功に大騒ぎして、プロジェクトの成功を声高に語るところだ。たまたま天気に恵まれて、ほんの少しフランスに輸出しただけだというのに。
◆私の知る限り、2011年にフランスから輸入した電力は約18000GWhで、輸出は140GWhだ。これは輸入超過なんてレベルではなく、130倍もの差だ。だがドイツの政治家とメディアは、エネルギーシフトに疑いを持たせる数字は語ろうとしない。
◆バイエルンではすでにエネルギーシフトは破綻している。原発の半分を停止したため、電力はチェコとオーストリアからの輸入頼み。州政府はガス発電所を建設しようとしているが、自然エネルギー優先政策のせいで採算が合わないとドイツ企業は撤退し、今はロシアのガスプロムと交渉中。外国頼りで不安だ。しかも新規発電所の稼働は残りの原発の稼働停止に間に合わないとくる。
◆エネルギーシフトなんていうのは、素人をその気にさせるためのコピーにすぎない。ドイツは輸出工業立国であり、安くて安定した電力はその命綱だ。ドイツの存亡に関わる重大な問題をエコロビーに任せるべきではない。プロの判断を仰ぐべきだ。
◆かつてのドイツは一流の電力産業と一流の原発を有し、安くて安全な電力を生み出していた。だが政治家のゲームに滅茶苦茶にされてしまった。本当の悪夢はこれからだ。
◆つい最近までエネルギーシフトを熱く語っていたやつらはどこに隠れたんだ?天候次第では停電してたんだから仕方ないか。巨額の税金をつぎこんだのに風力と太陽光発電は見込みの2割しか発電せず、そのくせ電気代は去年から2割増しだ。そろそろバカなことはやめるべき時だ。
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フランクフルター・アルゲマイネ紙はドイツを代表するセンターレフトの高級紙ですが、記事によれせられたコメントのほとんどは「反エネルギーシフト」でした。
ドイツでここまで反原発派が衰退している理由は、この冬の電力危機はもちろんですが、日本からのニュースの影響もあると感じます。
福島第一で事故が起きたとき、ドイツのマスコミは、チェルノブイリを凌駕する大事故としてセンセーショナルに伝え、それでエネルギーシフトを決めた経緯があります。ところがここまでのところ日本で犠牲者は出ていません。
もちろん放射能の最終的な影響は時間がたたないとわかりません。しかし、ドイツの国民に阿鼻叫喚の地獄絵図を描いて見せてしまった手前、今さら「影響はこれから」などと言説を変えてもオオカミ少年にしか見えないのです。
日本人に劣らず両極端に走りやすく、しかも一度決断するといやに迅速に行動するドイツ人のことですから、あるいは「ドイツ情勢は奇々怪々なり」ということもあるかもしれません。
ミルトン・フリードマンは正しかった、てコメもあるし、割と市場原理で何とかなると思ってる向きもあるみたいだね。
ギリシャやスペインのデモを見てると、混迷は一層深まっているように見えます。
70年前にドイツ「主導」で欧州統一が果たされていたら、こんなことにならなかった・・なんて話には絶対なりませんよね?
原発なんてのはまさに10万年もの計画経済を必要とする共産主義の産物だ。
万が一事故が起きた時のリスクが大きすぎる
あの鉄の女サッチャーでさえ、原発の民間運営を諦めたぐらいですよ
野田首相が言うように後世に負担を残さないようにするなら原発稼働はなるべく避けるべきですね
放射性廃棄物の問題とか、そのうち解決するだろうということでナァナァでやってきたけど、もんじゅの失敗で目処が立たなくなってきたし
目先の利益のことばかり考えちゃダメだと思いますよ
Das stimmt, gegenüber Frankreich hatte Deutschland einen Importüberschuss von 18.679 GWh
Dafür hatten wir gegenüber allen anderen angrenzenden Ländern einen Exportüberschuss von 22.385 GWh, so dass Deutschland 2011 immer noch Nettoexporteur war!
>
原発に戻すしかないだろうな。
原発に戻したら電気代も安くなって経済的にもうまくいく。
「安全は保障されない」けどw
「あちらを立てればこちらが立たず」
「いいとこ取りができない」んだろ
解決策がないわけではないからいいんじゃないの?
それより日本も原発に頼るしかないだろうな。
コストかかっても安全第一に考えるなら脱原発だろうけど。
この世界では
エネルギー確保の新しくて効率的で安価な技術はまだまだ完成しないだろうしね。
犠牲者とはなんでしょう、JOCの事故で亡くなったお二人のようなケースを指すのでしょうか?
そういった形の犠牲者は大手のメディアでは報道されていませんが、多くの人が健康障害を抱えているようですよ。実際に現地で医療活動をしている方々の話はインターネットメディアやチャンスがあれば地域の講演会で聞くことができます。報道されないことが、犠牲が「出ていない」ことではないと思うので、この点はよくリサーチなさって発言された方が良いかと思います。
福島第一原子力発電所に事故に起因する、直接の犠牲者は一人もおりません。
津波来襲から全電源喪失、その後の冷却不全から起った一連の事故とベント作業による放射性物質放出による、直接の健康被害による死亡者は0です。
その後の復旧作業による労災認定者(死亡を含む)はおりますが、放射線被曝による件は全く無く、全例放射線被曝以外の一般の労災として処理して差し支えありません。
なお労災認定の際、その健康被害が何に起因するかは結構厳密に審査されますので、悪しからずご了承下さい。
ちなみに震災後の健康被害には、避難生活による種々の環境変化によるものも多く認められます。
避難をせずに現地に留まっていれば起きなかったかもしれない健康被害もありますし、その逆もあります。
健康被害の発生原因は、意外と多岐にわたるものですので、健康被害があった、と言って短絡的に何かに結びつける事は、健康被害に遭われた方々の救済にむしろ妨げになる場合もございますので、なにとぞ冷静な対応をお願い致したく存じます。
被爆後、3年後、5年後、いや8年、10年後にじっくりと現れるもの。β線崩壊によるDNA損傷から細胞のガン化が出てくるからである。
今、出ていないから、大丈夫じゃないかといっているのは愚者の逃げ口上。
またそこで左翼という言葉を持ち出したのは首をかしげざるをえず、その論理的根拠、必要性もあなたの文からまったく読み取れない。
どちらを支持するにせよ、この問題はあなたのように感情にまかせて議論することは絶対に避けねばならない。
>あの、私はあくまでも論理的に…
見るに耐えない原発カルトコメントごくろうさん。通常、新薬などで医学的安全が確保されには2000人ほどの臨床実験が必要です。それに対して、放射性物質の安全性に対する臨床実験が公的に行われた例は世界に一例もありません。理由は簡単、危険すぎて検体になってくれる人がいないから。お前の言うように本当に安全なら冷戦中、米ソなどで行われた非合法の人体実験の産物であるアトミックソルジャーの情報はなぜ公開されない。各国のアトミックソルジャーたちはなぜ未だに健康被害を訴えるのだ?”国民に恐怖心ばかり植えつけンで論理的に説明してみいよぉ”
ttp://www.internationalnetworkforpeace.org/spip.php?article306&lang=en
アトミックソルジャー・全米被曝者協会会長、故John Smithermanさんの場合、自覚症状は被バク後一ヶ月くらいで両脚を切断したのは31年目と32年目だそうです。写真では少しわかりにくいですが手がグローブのようにパンパンに腫れています(故人の名前で検索すればより鮮明な写真はみつかります)。彼らが言うには一般的に症状が出始めたのは9年後で、ほぼ15年後ぐらいになって一斉に発生し始めたそうです。1983年のデータで言いますと、28%の人がガンや白血病などの症状になやまされていたそうです。
アトミックソルジャーと原発被害を同レベルで語ることにあまり合理性を感じないということはおいといて。
要するに原発をやめないこととやめることのリスクを天秤にかけて”どっちがマシか”という事だと理解しております。
その上で、原発はやめるのはあまりマシな選択じゃないと考えています。
原発のリスク、無いとも、問題ないとも主張するつもりはさらさらないです。そして原発事故が起きたとき許容できないリスクがあることは全面同意です。
ただ原発をやめるかどうかの判断は、
”原発事故が起きたから”ではなく、”原発事故が起こるから”でないといけないと思います。
フクシマは起きてしまいましたが、今後同様の原発事故が起こる可能性が極論すればゼロならば原発をやめる必然性はありえないと考えます。極論ですが。
自分はその”今後原発事故が起こるその可能性”ですが、
その可能性はどうやっても高くなるとは思えないです。原発事故のリスクはすごく低いけど起きたときは大変だという評価をしています。
そして原発をやめたときのリスクですが、これは現在でもいくらかはわかりませんが人を殺していると見なせます。
節電の為、熱中症でお亡くなりになられた人、工場を閉鎖するはめになって、その結果クビをつった人、居ないとは思えません。
人命という点では、現時点に置いては原発をやめることのリスクのほうが重いように思えます。
加えて、代わりになっている火力の液化天然ガスの備蓄はひと月切っていると聞き及んでいます。
これは、なんらかの情勢が絡み、輸入が滞る事になれば決定的な電力不足も考えられ、関節被害を考えると放射能被害どころではないと思えます。
例えば、イランが海峡封鎖するとか、台湾、尖閣辺りでの有事で液化天然ガスの輸入ができなくなること等考えられます。
例えばそのような有事の起こる可能性だけみても、どう考えても新たな原発事故が起きる可能性より高いとは思えません。その被害は正直わかりかねますが・・どちらも許容出来るものではないとは思えます。
自分としてはこのあたりを考慮して天秤にかけると脱原発は、マシな選択に思えないのですがどうでしょうか。
無論、脱原発をするリスクがなければ両手をあげて賛成するところですし、長期的に脱原発するリスクを排除して原発をやめることも同様ですが、現状を見る限りにおいて短期の脱原発はマシな選択に思えないのです。
例えば、首吊り対策、熱中症対策、輸入リスクへのヘッジ等セットでしたら賛成するかもしれませんが、現在そのような意見をおっしゃる反原発の方は見たことがありません。
>その可能性はどうやっても高くなるとは思えないです。原発事故のリスクはすごく低いけど起きたときは大変だという評価をしています。
このまったく学術的根拠ゼロの主張が前提になってることであなたの主張は全て無意味ですね。
まず、あなたは原発を止めるリスクよりも原発を安全に運営するリスクについてまじめに考えるべきでしょう。
例えば、原子発電所の過酷事故の予測の土台となった「ラスムッセン報告」では原子炉1基あたり10億年に1回となっていましたが、今回は実績として4基連続して起こったためこの理論が完全に破綻したことが証明されました(日本の場合、実績値として10年に1回という記録が作られました)。そのため、原子力工学学会では新たな予測理論が確立されるまでいかなる原発も安全とは言えないという見解です。あなたがノーマン・ラスムッセン以上の予測理論の確立に成功したのならこんな所で無意味な書き込みを行うのではなく原子力工学会で自論を展開してはいかがでしょうか?
また、あなたの主張を散見するに経営学や経済学に興味がおありのようですが、組織管理上、賞罰規定(軍事用語で言うなら「信賞必罰」)と結びつかない安全基準など守られるはずがありません。あなたは、担保もとらずに貸したお金が返ってくると思う人ですか?仮に今後も過酷事故を起こさないように原発運営を続けたいなら、事故の被害などから比較してまず今まで原発運営に携わってきた経済産業省や電力会社などの上から1000人ほどを死刑にすべきです。
ついでに、「アトミックソルジャーと原発被害を同レベルで語ることにあまり合理性を感じない」とのことですが、あなたは放射線医学について専門的な知識を有しておいでなのでしょうか?前にも書きましたが放射線障害の公的な臨床実験は存在しないはずですが、あなたはどこで原発被害における被曝が安全であるとの学術的な確信にいたったのでしょうか、詳しくお聞かせ願いたいですね。
自分は一言も原発被害における被曝が安全だなんて言っておりませんし、ましてや放射能事態無害などと言うつもりさらさらありません。
その中で核兵器の放射能を取り出して、原子力発電所の事故と同列に語り放射能が危険だなんて指摘すること無意味です。
そもそも、原発被害が問題ないからやめるなという立場じゃありません。
原発は問題あるけど、やめることの方が問題ありそうだからすぐはやめるなという立場です。止められるような手をうってからやめろです。
学術的根拠もまた重要なんでしょうが、自分は、例えば・・
・津波を被っても女川は生き残ったこと。
・福島の事故を受けて教訓を得たこと。
なにより、保安院とか政治家の人たちはちょっとわかりませんが、東電の人すら思っているでしょう”原発事故なんてもうこりごりだ”と。
東電の惨状を見て、それでも事故対策に安穏としていられる電力会社があるなんて思えません。
実際に以下なんて見ると必死になって事故対策をしているように見えます。
(http://www.youtube.com/watch?v=9F6_nfM2A00)
これらを勘案し、再び原発事故が起こる可能性が、例えば中国が尖閣に軍事行動を起こし、資源輸入が滞り決定的な電力不足になる事が起こる可能性より高いものになるとは思えないのです。
これはもし起きた時の話ですが
・現時点で非作業員の被曝被害と思われる死傷者が出ていないように思える。
これらの事実を重視します。
>まず、あなたは原発を止めるリスクよりも原発を安全に運営するリスクについてまじめに考えるべきでしょう。
まったく理解できません。これは、原発をやめた時とやめない場合のリスクを同じ視野に立ち、どっちがマシであるか判断すべきはまったく考えが変わりません。
原発がどんなに危険であろうとやめるとより危険ならやめるべきではないです。双方のリスクを考えないで結論を出すなんてありえません。
原発を止められるなら他のどんな厄介事を背負ってもいいという事なんでしょうか。
ですので双方のバランスをもって判断します。原発をやめないリスクが実は危惧することがないとか、原発事故が例えば今後30年間の間に極めて起こる見込みが高いとか等納得したなら、原発すぐやめるなという考えも翻すかもしれません。
自分のコメントもベクトルがずれてますね。
学術的論拠の話は、放射能の被害に対してのことでした。
起こる可能性についてコメントしてしまいました。
改めてみれば、”原発事故のリスクはすごく低いだろう”を学術的論拠がないと一蹴されてますね。
そしてすべて自分の考えを無意味だとし、起きたその被害のみをフィールドにし学術的論拠を示せという流れに見えました。
自分は、以下のように発言しているのにもかかわらず。
>原発のリスク、無いとも、問題ないとも主張するつもりはさらさらないです。そして原発事故が起きたとき許容できないリスクがあることは全面同意です。
初見に感じた程度じゃなく話になってませんね。
わかりました。
原発すぐに廃止にしましょう。
あなたの言うことはもっともです。
ただ、自分も何の説明もなく学術的根拠という言葉を使ったのはあまりよくなかったと思います。後付ながら説明しますと、学術とか科学というのは簡単に言えば、事前の予測と事後の結果に対する評価です。例えば、相手になにかをして欲しいとき、自分はどうすべきか。@まず、相手に自分がどうして欲しいか伝えます(ここで、相手が実行可能なことであることを事前に予測することが理学となります)。A次に、相手が本当に自分の言ったことを実行してくれることを担保させるため賞罰を決めます(より効率的かつ有効的な手段を考えることが工学となります)。Bそして事後、相手がが正しく自分の言ったことを守ってくれた場合は褒めてあげますが、実行しなかった場合は罰を下します(予測と実績の比較を行います)。当たり前のようですが、この手順が踏まれていつかいなかが、科学と宗教の違いとなるわけです。
翻って、これを原発事故の放射線障害にあてはめてみます。@まず、ある学者が原発事故による放射線障害は害がないかもしれないという理論を立てます。ここまでは問題ありません。Aしかし、この理論が有効であることを工学的に証明するための手段として臨床実験が必要となりますが、これをまともに行った例はありません。従って、この理論は臨床実験を行われない限り永遠に正しいかどうかを証明できません。Bそして、この理論を臨床実験もなしに実行してもそれを評価し賞罰する機関が存在しません。したがって、この理論(工学的根拠がないためすでに宗教)を実行していてもこの学者(と言う名の宗教家)たちはなにも罰せられないので永遠にその理論を実行し続けます。本来ならこうした学者が理論を実行にうつす前にを国は取り締まるべきなのでしょうが、現状はおして知るべしです。そのため、まがりなりにも科学の徒である放射線医学会は安全とは言えないという全く真逆の意見が多数派を占めるという矛盾が生じるわけです。
同様のことは原子力発電所の安全運営にもあてはまります。こう言った科学的視点でものごとを見ると意外と世間の矛盾が見えてきておもしろいものです。