2012年02月27日

『歴史カード」は日本の弱みとは限らない

名古屋の河村市長の「南京虐殺はなかった」発言が波紋をよんでいます。南京事件論争については、あきれるほどたくさんの本が出版されているので、今さらブログで書くことなどありませんが、今回は発言のタイミングがなかなかおもしろく、今後の展開が気になります。

日本の愛国者たちを憤らせる「南京大虐殺」とは、1937年の暮れに起きた事件のことではありません。

たとえば終戦直前1945年8月6日のオーストラリアの新聞は、南京事件について記していますが、憎き敵の暴虐を描いているわりには、今とはだいぶ趣が違います。

南京の恐怖の復讐戦

ブーゲンビル8月6日ーーおよそ10年前におきた恐ろしいレイプ・オブ・ナンキンの復讐は、オーストラリア第3師団による、南部ブーゲンビルに陣どる日本第6師団の殲滅で果たされようとしている。

第6師団こそ、世界に衝撃を与えた暴虐を実行した部隊である。南京を占領した日本軍は数千人の男性を殺害し、多くの女性を陵辱した。この犯罪は長い中国人の苦しみの中でも最悪の出来事であり続けるだろう。だからこそ第3師団は、これはオーストラリアのみならず中国のための戦いだとしばしば口にする。レイプと残虐を働いた悪名高い日本の部隊は、さぞかしブーゲンビルの住民を苦しめたと思われるかもしれない。しかし襲われた現地女性はほんのわずかしかいない。

協力をえるため?

3年前に日本がブーゲンビル島を占領したときに逃げ遅れた中国人女性たちでさえ、陵辱されてはいないと証言している。その理由としては、切れ者の神田中将により厳しい軍規を課された第6師団は、南京の暴虐の償いをしているのではとの推測もなされている。だがより論理的な説明は、神田たちは人道的な理由ではなく、協力をえるために5万人の島民を懐柔しているというものだ。そのために神田は現地女性を尊重するように指導し、違反した者は軍法会議にかけて厳しく罰しているとされている。

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戦後に衝撃的な新事実が発覚したわけでもないのに、現代の南京事件はこうした当時の見方からあまりに大きくかけ離れています。

中国人民の頭にある「南京大虐殺」は、1985年に日本社会党の寄付で建てられた南京大虐殺記念館で語られる誇張と偏見に満ちた物語を拠り所としています。「南京が幻なら原爆も幻だな!」などと揶揄すアメリカ人に、ならば南京に関する情報をどこで仕入れたのかと聞けば、その出所はやはり誇張と偏見に満ちたアイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」だと胸を張ります。

現代の「南京大虐殺」とは、1937年から綿々と検証されてきた歴史的出来事ではなく、1980年代以降に生じた政治トレンドの結晶なのです。

中国人民は、共産主義凋落のあとに国民統合の柱として南京虐殺を必要とし、アメリカ人は、世界を席巻した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」時代の日本への反感から、日本叩きのネタとして南京虐殺にとびつきました。彼らは信じたいから信じたのであり、客観的な事実だから信じたのではありません。

そういう人たちに、客観的な検証を呼びかけても無駄なことです。ならば日本人は汚名を着せられたまま永遠に我慢しなければならないのかといえば、そうではありません。信じたくて信じている人たちは、信じることによるカタルシスを得られなくなれば信じなくなります。

その日のために粛々と客観的事実を検証し、中国人民や海外の自称正義漢による「南京大虐殺」糾弾に対しては、道徳的問題として引き受けるのではなく、ゲームとして割り切り、冷徹に対処していけばいいのです。

その点河村市長の行動はナイーブ過ぎるように思います。しかし冒頭に述べたように、こと今回に限れば、発言のタイミングからして必ずしも日本の損にはならないような気がします。

かつてアメリカ人がアイリス・チャンにとびついたのは、日本を叩きたい空気が充満していたからでした。しかし今のアメリカにそんな空気はありません。アメリカ人が叩きたいのは、アメリカ人の仕事を奪い、太平洋の覇権に色目を見せる中国の方です。

さらに今は、いつ転ぶかわからないユーロに、核開発のイラン、内戦のシリアと、世界中で問題が山積みです。そんなときに、日本の一地方都市の市長の歴史発言などというのんきな問題に、あれこれ口を出す物好きなどいません(人民系住民は除く)。

従ってもし中国が本気で絡んでくるなら、日本とサシの勝負になる可能性が大です。そしてそうなると、必ずしも中国が有利とはいえません。へたに人民が反日で燃え上がると、ふとしたはずみで反政府運動に転化する危険があるからです。

中国は経済面で圧力をかけてくるに違いありませんが、日本と中国の経済関係が冷え込めば、両者ともに傷を負うことになります。そして景気が失速中の中国には、一昔前のようにその痛手を無視できる余裕はありません。

野次馬がおらず、失速中の中国に対しては、「歴史カード」は必ずしも日本に不利なばかりのカードではなく、攻めのカードになりえるのです。

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この記事へのコメント
ただ、このカードが日本にとってもさほど有利なものではないんですよね、多分。
風化させるくらいしか解決法がないのかも?
Posted by JFK at 2012年02月27日 18:28
アメリカ、ロシア、中国、韓国、北朝鮮と日本の周辺国は指導者交代の年であり、時期的にはベストだと思います。
Posted by ヒロ at 2012年02月27日 20:16
いつも少し変わった記事?意見?を楽しく読ませて頂いております。
南京大虐殺記念館を日本人が寄付してわざわざ自分から建てさせていたことを初めて知りました。
もうそのことだけで南京事件のことは充分です。
ほとんどの日本人、また中国人も一部の人達に踊らされているだけなんですね。
プロパガンダなんでしょうが、このような手段で私腹を肥やした人達に怒りを覚えました。
Posted by 36歳 at 2012年02月27日 21:43
たまにはやっぱりいいこと言うね、このブログw
Posted by a at 2012年02月27日 23:13
上記のコメントの中に「南京大虐殺記念館を日本人が寄付してわざわざ自分から建てさせていたことを初めて知りました」との書き込みがあったのが、印象的でした。

ネットを駆使していらっしゃるはずの当ブログの読者の方でさえ「1985年に日本社会党の寄付で建てられた南京大虐殺記念館」のことをご存知では、なかったとのこと。

これまで日本のメディアを支配してきた大手新聞社、テレビ局がいかに偏向した報道を行って来たことか。

河村名古屋市長の勇気ある発言で、ようやく日本のメディアによる歪んだ情報空間に風穴が開こうとしています。

河村市長の健闘を支持したいと思います。
Posted by 屋根の上のミケ at 2012年02月27日 23:55
ブログ主さんの「かつてアメリカ人がアイリス・チャンにとびついたのは、日本を叩きたい空気が充満していたからでした」とのご指摘。アイリス・チャンとは時期が異なりますが、日本のバブル最盛期に米国の大学にいた者として、なるほどと納得のいくご指摘でした。

当時、大学の至る所(エレベーターの各階入り口等)に、南京事件を糾弾する写真入りのポスターが貼られていたのを複雑な気持ちで思い出しました。
Posted by 屋根の上のミケ at 2012年02月28日 00:04
実は私は「南京事件」否定派なのですが

歴史家、研究者の先生方々には生憎だし
私は専門化ではないのだが、
色々諸説拝見した範囲では・・

いわゆる「南京事件」なるものは

捕虜であるかないのか、
良く分からない身分の人間を
どうやら処刑したらしい、、
のかどうかも良く分からない・・

その件を元に、
更に想像を膨らませせて、実はもっと処刑されたのではないのか?

と、言っているだけで。

まぁ、とてもあった、と断定するには程遠いとしか。

まして「大虐殺」なんて、一体なんの妄想?

およそ、陸戦があったところで程度の差こそあれ
市民が巻き添えにならなかった例はない。

沖縄戦では10万に近い市民が巻き添えになった。
だがコレを「沖縄事件」と呼ばない
あるいは他の何れの地上戦に対しても呼ばず
ただ南京戦にだけ事件と呼ぶのは奇異としか言いようがない、と思える。

それに主張してるのがあの中国人だしねぇ
Posted by 名もなき名無し at 2012年02月29日 01:22
つらつら書きましたが
要するに、「歴史カードなんか存在しません」。

と、いうことかと
Posted by 名もなき名無し at 2012年02月29日 01:34
論より証拠と言うよりも証拠より論の世の中です
Posted by 山口 at 2012年02月29日 09:34
実際30万人という証拠はどこにもなく、科学的検証を試みた学者の中で
「中国寄り」の方の説でも6〜8万人という状況のようです。

中国側には、「数の問題ではない」とする主張もみられますが
数は極めて重要です。

戦争中のことであり、各地でゲリラ戦が行われていた当時の状況ですから
日本軍が中国人の一般市民をわずかも殺していない、ということはありません。
当時は戦時中であり、どこの国も大なり小なり人を殺していたのです。

問題は日本軍が組織的に、意図を持って中国非戦闘員を殺害したか
どうかであって、それを理解するために数はとても重要です。

文明国において、あるいは理知的な各国の人々にとって、
歴史は科学であり、真実の追求は科学的になされるべきであって、
その検証の過程で感情論や道義を挟むべきではありません。
残念ながら、東アジアはまだ非文明的な地域ということなのでしょう。

彼らが求めているものは日本からの謝罪による精神的優越感、
および賠償による金銭と推察します。
求めている方の大半は、戦争後何年も経ってから生まれた人々であり、
戦争による直接的な被害を受けているわけでもありません。

中国の、一部の方々の鬱憤晴らしのネタとして、この題材が使われている
印象すら受けます。
これは逆に、戦争犠牲者に対して失礼で、冒涜とも取れる行動と捉えます。

戦争においては、勝った側が常に正義となりますから、
日本やドイツが戦後、「悪」として裁かれたのは無念ですがやむを得ません。

しかし、当時を生きた世代はともかくとして、その子孫までもが
戦争の論理から「正義」と「悪」に分けられ、謝罪や賠償を求められるのは
純粋な民族差別であると捉えます。

平和な世界を築くためには、戦争が起きた原因やプロセスを科学的に
分析し、検証していくことが重要と思いますが、

現在の状況は真実の追求ではなく、戦勝国にとって都合の良い真実の
製造ばかりが行われており、これは次世代に禍根を残し、
新たなる対立の原因を生んでいくだけです。
Posted by cat at 2012年03月01日 13:34
客観的事実だから信じるのではなく信じたいから信じる。正にこれ

南京大虐殺を盾に好き放題してきた中国人なんか事実でないと困るといった感じ。
中国人限らず米国人も豪州人も結局は自国に都合のいいことしか信じない

世界情勢は道徳で動いてるわけじゃありませんからね。パワーバランスを考慮せずに無実を訟えても孤立し集中砲火を浴びるだけ

情勢を見計らいタイミングを考慮して、といっても難しいですね。国家間だけの問題ではなく敵は国内にも居て同じ日本人が足を引っ張るのですから。
そして反日カードは南京だけじゃない。旧連合軍側は日本悪の歴史認識を共有してるわけで、豪州では毎年決まった時期に旧日本軍悪を特別番組で訟えてるし米国も定期的に反日ドラマ、映画等で印象づけてる

道徳的に訟えててもどうにもならない。先ずは連合に割って入る。捕鯨問題で騒ぎ始めたら中国による捕鯨、フカヒレ等を突いて分断してやればいい
クロマグロの時も中国は日本と同じ立場で、ひっそりと賛成表を投じてる。捕鯨問題等で中国が温和しいのは触れられては困るからです
そんなやり方は汚いと日本人なら言いそうですが相手は日本の優しさなんか理解せず、仇で返して来るのです
Posted by R34 at 2012年03月01日 21:32
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