テレビのニュースを見るとキャスターは言います。「いじめが原因とみられる自殺…」
違う、違います!そろそろぼくたちは、この集団ヒステリーの責任はどこにあるのか、明確に語るべき時が来ています。一連の自殺の直接の引き金はいじめではなく、メディアの報道にあるのです。子供たちの命を奪ったのはメディアであり、これはいじめ問題ではなく、メディア問題なのです。
約一ヶ月前に、教室で自殺した女児の遺書を感傷的に紹介し、土下座する学校関係者を糾弾して以来、メディアは子供たちの頭に時限爆弾を仕掛け続けているのです。
なるほどいじめは大問題です。教師も親もしっかり対策を立てる必要があります。しかし、こんなペースで自殺が相次ぐほど、このまま行けば年に3桁の子供が首をつるほどに、学校と社会が歪んでいるわけでは断じてありません。
いじめはどこの国にもあります。「bully(ing)」と「school」でグーグル検索してみてください「mobbing」と「schule」で検索してみてください。イギリスにもアメリカにもドイツにもいじめはあって、そのやり方も日本と変わらず陰湿です。
そしていじめはどの時代にもありました。「昔のいじめはこんなに陰湿じゃなかった」なんてのは真っ赤な嘘です。少なくてもぼくが知る20数年前のいじめは十分に陰湿で救いのないものでした。
でもどこの国でもこんなに多くの子供が自殺したりしませんし、日本でもそうだったのです。ほんの一ヶ月前までは。
すべてを変えたのはメディアです。
子供の自殺報道の危険性を指摘する声を受けて、報道をトーンダウンする動きも出始めています。しかし、それで済まされる問題ではありません。自動車事故で人を死なせたドライバーが、事故原因を冷静に振り返るだけで済まされないのと同じで、メディアは人を殺した責任を受け止め、社会的制裁を受けなければなりません。
「こんなことになるとは想像していなかった」なんて言い訳は通用しません。その程度の知力と想像力に欠ける者が、絶大な影響力を持つメディアで働くなどということはあってはならないことです。旅客機のパイロットは特別な技能があるからパイロットをしているのであって、技能に欠ける者が操縦して事故を起こせば逮捕されます。
これはもう、文科省の管轄ではなく、総務省マターとして取り扱うべき事件です。そして、いじめによる自殺ではなく、報道による間接殺人として後世に語り継ぐべき大災害です。
自殺の連鎖を止めるために、現場の教師たちがまず取り組むべき事は、命の大切さを説くことではありません。いじめは罪だと唱えることでもありません。テレビを始めとするメディアというのはいかに信用ならないか、メディアとはいかに危険なものかを、徹底して親と子供たちに言い聞かせることです。いじめの問題はその後です。
メディアの作り手たちは、自分たちが“正義の代弁者”であると言わんばかりに自殺してしまった子供(大人も)英雄的な扱いをし、彼らを死に追いやったいじめっ子たちや学校の人間を糾弾しようとしています。
しかし、それはメディアの作り手たちにとっては、一種のエンターテイメントであり、視聴率などを獲得するためのネタのひとつに過ぎないのです。
テレビなんかで「死なないでください」などとキャスター等が言うたびに、その言葉に真実味が薄れていきます。
研究されててわかってる事なのにね・・・
マスコミだって知らないはずが無い
確信犯だな
人が死のうが面白けりゃいいんでしょう
唯一の救いは
いじめられてる人はチャンスだよ
訴える
動かなかった人間が、今なら動くかもしれないよ
年明けたら忘れ去られるよ、今動け
最大のチャンスだから
最近RSSリーダーに登録させて頂きまして、いつも興味深く拝読いたしております。冷静かつ真っ当なご意見に触れまして我が意を得たりの思いです。
近くアップする私のサイトの関連記事に、貴サイトの本記事のリンクを貼らせて頂けたらと存じます。どうぞ宜しくお願いします。
これからも新しい記事を楽しみにいたしております。
ここまで来れば威力業務妨害ではないかと思うのですが、マスコミは何も言わないどころか、子供を助けろとしか言いませんし。
以前某TBSで福沢が狂ったように教育委員会を罵倒した後、同じトーンで子供に『死ぬな』と叫び、一瞬置いてスケートでメダルと言った時には以前から知っていたとは言え、腐ってるなと憤ったものです。
自分が記憶する範囲では70年代末、NHKのドラマ「ぼくは十二歳」が放送されていた当時も子供の自殺をさかんに報道していました。この頃はいじめが原因ではなく「これといった理由が思い当たらないのに小中学生が自殺する」という現象だったと思います。
ある時点からかき消すように報道が途絶えましたが・・・
YouTubeに日本のアニメ「フランダースの犬」のラストシーンがUPされていて、オーストリア人の人がこんなコメントをしていました。
「欧州版ではナレーションで『ネロはこの夜生き延びて、新年から学校に通いました』と言っているが、日本版では何と言っているのか?」。
あの絵(少年と犬が天使に導かれて昇天する)で死んでないっていうのはいくらなんでも無理があるだろうと思ったけど、ウソでもいいから子供にはそう伝えたほうがいいのかな?
もし海外で同様の自殺があったら、メディアはどう伝えるんでしょうね。
「報道による間接殺人」であるというのもその通りだと思いますし、認めるべきだと思いますが、上の噂が本当なら、それも明らかにすべき責任があると思うんです。
同和・部落と否定・糾弾しろというのでは、勿論ありません。
けれど、被差別者または被差別者側を自称する者からの暴力や「差別者」とのレッテルや糾弾を恐れ、虐める側に対処できずに学校や地域があるのならば、それは差別を助長し生み出すものとして、光をあて改善していこうとしなければいけないのではないでしょうか?
この事件のイジメ側7名は、また違う標的を見つけイジメていたと続報がありましたが、学校・地域での対処ができているとの報には触れていません。
噂ではなく事実であるならば、マスコミとは
・イジメ自殺の環境の温存を手助けする
・新たな自殺志願者を募る
だと思います。
北九州市の校長先生が自殺したことを報じたときに、コーナーMCのテレビ朝日
吉澤アナは「大人のいじめによる大人の自殺者も出てしまったようです。」といった
コメントをつけました。私は「マスコミがとうとう自分たちの責任も認めたんだ!」と
驚いたのですが、その後に吉澤アナが続けた言葉は、自殺はすべて文科省と
教育委員会のせいだと取れるものでした。
マスコミは、自らの度重なる魔女狩り報道が原因の一部であったかもしれない、
とは全く考えてもいないんだな…と脱力しました。
(私も文科省・教育委員会に問題がないとは思いませんが。)
すると、そこで紹介されていた、熱海の錦ヶ浦などで、爆発的に投身自殺が増大してしまいました。
みな、日本遺書全書を持っていた由。
死ぬか生きるか、瀬戸際まで行く人はかなり多いのでしょう。真面目な人ほど、人生に真剣な人ほどそんな危険な場所に立つことはある。
そんな時、誰かが勇気付けて呼び戻してあげなければならない。
自殺の知識を与えることは、生死の淵に立った人の背中を押すことになるのでしょう。理屈ではなく、実例はそうです。
日本遺書全書は、直ちに発禁となったそうです。
警察も原則としては、自殺は報道発表しないと聞いております。
マスコミが、発表せよと強要しているのではないでしょうか?
私は、自殺は報道すべきでないと考えております。年に三万人もいるのです。もし公平に報道すれば、一日100件の自殺報道!!!
害のある報道は、見聞きしたくないし、すべきでもないと考えます。
マスコミは分かっていてやっていると思います。
で、大騒ぎしている割には何も考えてなく、「たけしの日本教育白書」みたいなスカスカ番組を作っているのがその証拠。
1. 写真や遺書を公表しない
2. 自殺手段の詳細を報道しない
3. 自殺の理由を単純化しない
4. 自殺の美化やセンセーショナルな報道は避ける
となっているようですが、全部やってますね、日本のメディアでは。
拒食症は同調しやすい(精神的な影響を受けやすい)ので、著名人の拒食症が報道されたりすると患者が急増するといいます。
しかし、この時期は特にそうした報道もなく、急増の原因がわからず面接を重ねると、女性たちが同じ女性向け雑誌の読者であると知れました。
雑誌には、拒食症の若い女性の手記が投稿記事として掲載されていたのです。
拒食症や自殺のような、受け手がシンクロしやすい問題には慎重であるべきです。
特に子供や思春期の若者は、同年代の当事者から影響を受けやすい。そのことに、メディアはあまりに無自覚だと思います。
この件でもそうですが、メディアは自らの行為を省みることは極めてまれだと思います。事件を報道することは大切なことかもしれませんが、事件を誘発しないようにしてもらいたいです。
テレビ等が自殺を助長しているのを端的に示す例として、石原都知事を脅迫するいじめられっ子の手紙がありますね。自らの命を質に取り、他者平伏させようとしています。大きな間違いです。
しかし同じ方法ではいじめっ子を脅迫でき無いでしょうね。
棺桶覗いて笑う子供がいるようですから。
いじめられた子供の親だけでなくいじめた子供の親がどのような人たちなのかも「報道」してほしいです。
やってますと言うか、そのものですね…
やってますと言うか、そのものですね…
英国でもこういった報道やキャンペーンがなされていたようですが、その顛末が気になります。
http://nofrills.seesaa.net/article/27315005.html
http://nofrills.seesaa.net/article/27319835.html
まるで次々と自殺していくのが楽しいかのように、
メディアは報道していきます。
いっそ、自殺者に哀悼だけではなく、”馬鹿なことをしている”と報道すればいいかもしれない。
生きていることの大切さや、自殺する前に見てほしい
という特番くらい作れんのか。
教師のなかにも「いじめ」問題を見てみぬふりをする教師もいる。
その原因の一つはこれ。取り上げれば大きくなる。
マスコミの存在意義は権力を掣肘し、弱者を助ける事。
いじめ報道はその意味では利にかなう。
ただ、結果がこうなることは、もう何度かの繰り返しで分かっているはずのことだった。
正直マスコミが報道の正義の為にいじめ報道を行ったとは思いがたい。感情的で煽情的な報道姿勢からは「売らんかな」という意図が明瞭に窺える。
マスコミはまず自らの非を認めるところから始めるべきだ。
その上で報道番組からCFを廃止したらどうだろう。
増加した死者も、マスコミの問題意識の上でならともかく、
ソロバン勘定の上に死んだのだのだとすれば遺族がかわいそうだ。
自殺対策支援センター ライフリンク
「自殺報道のあり方について」
http://www.lifelink.or.jp/hp/jisatsuhoudou.html
目立ちたい連中の大騒ぎに見えてきましたし、一定数過ぎたら落ち着くんじゃないでしょうか。
本当に悩んでて、周りに迷惑かけたくないと思ってる子にしたら、「あんなのと一緒にされたくない」と思うでしょうし。
…そういう子に、親なり先生なり近所の人なりが気付いて、助けの手を差し延べてくれればいいのですが。
>・・・いわゆるウェルテル効果ってやつですね。
もうちょっと解説しないと普通の人にはわからないので…
つまり、ゲーテが『若きウェテルの悩み』を発表すると、ヨーロッパ中の若者が絶望に駆られて自殺連鎖を起こしたと。
ゲーテ自身はワイマールの宰相をするぐらい切れ者なのに、女ったらしのロリのエロじじいって、ありがちだけど。
ああ、これってマスゴミの無責任放置スタンスと同じなのね。
の人間の盲点をついて正論を吐いてくれます。
まさに今日の子供の自殺の多発は、自分達の報道
の影響を正しく予測できないマスコミの責任重大
なるものがあります。
マスコミは、売らんが為にする大衆の煽動をして
はけません。
然るに現状はまさにお寒い状況で電車の中吊り広
告などを見ると目を覆いたくなる状況です。
どうしようもない、困ったものです。
事の問題は、ネット上でも激しく糾弾されてる・・・というかネットの方がすごい。
ならば、メディアとしてのネットも責任を取るべきだと思うんですが。
いじめに遭う子供達はそういう状態になります。
そういう部分で、無責任にメディアでコメントする人々は責任があるでしょう。
どんな気持で発言しているのか、是非聞きたいものです。
この緊急事態には早急に学校にカウンセラーを常備するなり、転校をし易くするなりの逃げ場を作るほかないでしょう。
ある程度まで追い詰められてしまうと、もはや逃がすほかに手だてはありません。
教師や親の説得など、自らを殺すまでに追い詰められた子供にはなんの効果もないことをそろそろ皆が気がつくべきです。
そして、虐めに重い社会的ペナルティーを課す等のようないじめを減らす努力をすべきですが、マスコミからも政府からもこのような声は聞こえてきませんね。
我々が声を出さないと駄目かもしれません。
教育基本法改正と無理やり絡めようとしていた勢力が、あるような気がしてなりません。
タウンミーティングやらせ問題で、加熱した虐め自殺報道も
とりあえずやむのではないでしょうか?
「あなたの言葉に傷つきました」と。
ここまで来ると、もはや自分の命を人質にとった脅迫ですね。
ただの嫌がらせや愉快犯だったら悪質過ぎますし、
子供だったら説教してやらねばなりません。
一刻も早く差出人を見つけ出して欲しいものです。
そうやって突き放さないから、また哀れみを乞おうと自殺する奴が出てくる。
自分の命は自分で管理するもの、自己責任なんだと徹底して教えてやらねばならない。
極論すれば、マスコミは事実を報道しただけ。
それにつられて死んだ奴の責任まで負わされたらかなわん。
自殺者が後を絶たないなら、それは社会の問題だ。
社会全体で考えるしかない。マスコミにばかり責任を押し付けるな。
その上で、自殺報道のあり方を問うべきだ。たしかに自殺は伝染するものだからだ。
しかしそれでもなお、マスコミの責任はわずかだと言える。
死ぬ奴も、死なれた奴も、それを報道する奴も、報道を受ける奴も
どいつもこいつも「あいつが悪い」「こいつのせいだ」と責任の擦り付け合い。
そのドタバタのなかで、命だけがほっとかれている。
カツ揚げされてて自殺した埼玉の中学生も「さわやか相談室」に行ったそうですし。
金銭を脅し取るという立派な犯罪が校内で行われていたにも関わらず、学校側は月曜に相談されて日曜にこの生徒が自殺するまで脅していた側の生徒に事情を聞きもしなかった。
「相談室」はあってもそれは建前で本音は「面倒な事は御免」だし、大人も無力だ、とかえって失望する事になるのかもしれません。
で、日本のマスコミ対策は誰がどうやればいいんだろうと考えてしまいました・・・。
確か学校は何年か前からカウンセラーを入れるようにしているようだが、
自殺の死亡率(学生)は約28年前から特に変化はない。
ttp://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm
する法律は必要だと思う。
人の命にまで被害が及ぶようでは、もはや猶予は無い。
誰か、この巨悪となった日本マスコミを叩き潰す勇気のある政治家は居ないのか……!?
自分で殺す。おかしい。
自分を殺すために生きてきた?これ分からない。
死ぬために生きてきた、なら分かる。
叩かれたら言論の自由が云々とか言うんでしょうね
って、益体もなく言ってみるテスト。
結局、自分で判断するしかないんだから
↑
そうなんですよね。母親が自分の子供を苛めて殺したり、という事件も、日本の世相の悪化を象徴する、ありえない事件のように報道されているように思います。実際、悪いニュースではあるのですが、これも、「child abuse」とか「child-battering」、つまり大人による児童虐待として、欧米でも以前から問題になっています(児童の権利がない国々では、そのような定義さえないですが)。
先日サンフランシスコ・クロニクル紙をパッと覗いてみたのですが、その一日だけでも、「母親の子供殺し・虐待」事件は2件あって、しかも全米規模のセンセーショナルなニュースでなくて、地方版の日々の記事の一つでした。
つまり何が言いたいかと言うと、日本のマスコミは、イジメ問題を被害者のためというより、「日本社会批判」のための、新しい政治ネタとして扱っているように見える、ということです。だから情緒的でセンセーショナルな、糾弾口調になってしまうんじゃないですか?
必要なのは情緒ではなく、他国のシステムやルールなどに関する調査報道であり、大人社会による淡々とした抑止システムの構築ではないでしょうか。クロニクル紙の記事の周囲には、犯罪防止センターや被虐待者シェルターへのリンクが貼ってありました。
しかし、具体的に一体どうしたら良いのか。
自分は,自殺というのは最後の逃げ道なんだと思います.日本の社会は他の逃げ道を許さない.家出だって,登校拒否だって,なんでもあるはずなのに,それはダメだと言う.
きっと,昔の地域共同体にはその逃げ道が残っていたのだと思う.どこにでも,子供の相談を聞くおばあちゃんが居たはずだ.
そんな逃げ道のある社会,子供が寄りかかれる社会が必要なのだろう.
自殺は一つの悲劇であるが,自殺者はマスコミが悲劇のヒロインとして祭り上げるものではない.間違っても,権力を持つものが敵討ちをしてはならない.敵討ちは親がやればよいと思うし,親にはその資格があると思う.
自殺者は,自分が死ぬことで,自らが幸福を得ることも,肉親が幸せに生きることもできなくなることを知っておかなくてならない.
最後に,自殺問題を政争の具にする政治家は今すぐ辞めろ!審議拒否の口実にするなら,自殺防止法でも提出しろ!
キチンとしたコメントを発表されたことを、心から尊敬いたします(Not Found の場合は、Google のキャッシュなどを参照してください):
http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline3424256.html
……oribe さん達、心ある報道者達の声が社会に届くことを願って止みません。
またもやイデオロギーの為に多くの人が犠牲になってる。
まぁ、リベラルから見れば愚民が幾ら死のうが関係ない事なんだろうけど。
oribe さんに同意の人が多いけど、大丈夫ですか?
oribe さんも裏の意味は込めてないですよね・・・
マスコミの報道がクソなのは判るが、マスコミが自殺したガキ共の責任を表明すべきとは全然思わない。そもそも誰に対しての責任だろうか。自殺した子供? 親? 少子化に拍車の掛かる日本社会?
そう。マスコミによって「救い無き未来」を見せられて、絶望して自殺したのなら、ちびっとはマスコミに責任があるのかも知れない。でも、土下座する教師や、同情し騒ぐ世間を見て「溜飲を下げようと」自殺したのであれば、そりゃ『ご勝手に(大損したね)』と言ってやるしかあるまい。
どんな情報を受けようと、どんなに幼かろうと、自ら死を選んだのなら自己責任。
この原則を崩すと大変な事になる。
今は「同情買い」と「注目浴び」や「学校報復」が奴等の餌になっているが『もっと大きな組織の責任が問えるぜっ』となったら、子供達やアダルトチルドレン(線引きは難しい)は勇躍して自殺に走ると思うね。
曰く 『御社の報道に傷ついたので死にます、御社の所為です』
曰く 『自民党に絶望したので死にます、民主党に代わるべきです』
曰く 『日本の過去が悪いので死にます、隣国に謝罪と賠償を・・・』
今度はこういう輩がきっと出て来る。大量に出て来る。大体、そんな胸糞の悪いガキ共に付き合ってはおれん。費やす時間も精神エネルギーも勿体無い。みんな自分のことで忙しいのだ。
そもそも、生きることに意味など無い。
この世界は、物好きにも好き好んで生きている者から成る有志の倶楽部なのだ。
退部したい奴は、勝手に退部するがよろしい。
親は可哀想だが『絆が弱かった』と諦めるしかない。
昔、海で溺れかけて『やばいんじゃね?』と思ったことがあったが、自分が死ぬことよりも、走馬灯の中で親が嘆く様が想像できてしまい、『駄目だ。俺には勝手に諦めて死ぬ権利がねえ!』とウンザリする思いで、死ぬほどもがいて生還出来たことがあった。親子の絆は、本来その程度には強いものである筈なのだ。そういう「絆」が構築できなかったのは他人の所為ではない。
マスコミの報道の仕方に問題があり、自殺の最大の原因かも知れん事は同意です。ただ「責任を取れ」という類のもんじゃないなあと。仮に、マスコミが大々的に責任を表明し、他社の責任を追及して叩き合いを始めたら「ヒャッホウ」とばかりに、また馬鹿なガキが自殺しますぜ。
ま、俺は脆弱なガキは死んだ方が良いと思いますけど。
そのロジックからすれば、このところの虐め自殺報道も自殺を助長するとして自粛すべきです。
昔から自殺と愉快犯による犯罪は報道の量に比例して連鎖しているのですから。
困って困ってどうしようもなく 崖っぷちへ避難して ふるえている子に テレビ放送屋が 最悪の方法を 詳しく詳しく教えているのです。
こんな国が他にあるのでしょうか。
野放し状態の報道?の自由が堂々と自殺教唆をつづけています。
マスコミが飽きたら、いつかのエントリーでoribe様が言っていたように何事も無かったかのように別の話題に飛びついている事でしょう。
そういう意味で、日本のマスコミは屑だと思うのですが。
以前、外資の投資機関のことを「ハゲタカ」とマスコミは言っていましたが、外資の人たちも「マスコミには言われたくない」と思っていたことでしょう。
だいたい、日本人のやるいじめは似通っています。
いじめ被害者で、「いい遺書が書けたら死のう」と思っている人がいるとします。
(ていうか、絶対います)
その人がいじめ自殺者の遺書をマスコミ媒体を通じて遺書を見た・・・・
「ああ、この人は自分と同じようないじめを受けている境遇だ。」
「この遺書は自分のことを書いているようだ。よし、これと同じ遺書を書けばみんなに自分の境遇がわかってもらえるはずだ。」
「だから、これと同じような遺書を書いて、自殺しよう」
・・・と、考えることは充分に考えられます。マスコミは遺書の書式をいじめ被害者に提供しているのです。
某SNSの自分の日記にも書きましたが・・・・ブログ主様のマスコミの罪を問う意見に異論がありませんが、それに加えて私の意見として、遺書について私の意見を述べさせていただきました。
助長するとメディアで批判するなら、自殺を
助長する自殺報道を行うメディア自身も規制され
なければならないね。自殺にかかわらず報道
の影響で同様な事件が続発するのは昔から言われ
ていることなのに。
有名なマスコミ批判のページです。
今のマスコミには、間違いなく問題があります。それは、自浄能力を失った巨大組織が陥る普遍的な腐敗なんですよね。
上記の作者は嘆いていますが、組織が事なかれ主義に陥るのは当たり前なんです。それを何とかするために、人類はいろいろな方法を編み出したわけで。
具体的に言えば、マスコミには監査組織が必要なんです。他のさまざまな会社組織にあるようなものが。それをネットが担えるかというと、ちと疑問がありますね。
だって、そんなことをしても、利益が出ませんからね。儲けがないと、人は真剣には動かないものです。
普通、こういった監査組織は政府がつくるものなんですけど、報道の自由がかかわってくるので難しいんですよね。三権分立みたいに、三つの組織で相互監視とかいうことができればいいのですけど。
今回のことがこのまま下火になって、10年後辺りにまた再燃するのかと思うとやるせない気分になります。
せめて、次回の自殺ブームに備えて、自殺報道に対するリテラシー(マスコミ、視聴者ともに)を向上させるような戦訓を残す形で終わって欲しいのです。
加害者被害者マスコミ学校その他官庁も、すべてがこれ。学ぶということは、他人の経験を自分のものにすることだが、どうやら彼らは自分の経験すら頭の中から揮発しているらしい。もしくは記憶というものを正しく整理できないのかも。
前例主義者は批判されがちだが、前例を省みないバカばかりを作ってしまったのかもしれない。せっかくの文字や言語も宝の持ち腐れだ。
今回のエントリーや議論とは、ずれてるかもしれないが、もう一度なぜ人が今、人であるかを自問すべきかもね。まあアホの子は何処にでもいる、と投げ出すのは簡単だけれども。
自殺予告の手紙は前にもあったと思いますが、実行日まで明示したものはどれぐらいあったでしょうか。今回、その日に、多くのコメンテーターをそろえて6時間もの教育番組が流されました。私は、放送中に自殺実行のニュースが流れたら、どういうことなるんだろうかという怖いもの見たさみたいな興味にも引きずられつつ見てしまいました。つまり、自殺予告が、結果としてこの番組の視聴率向上に寄与したということです。この手紙が本物でなかっとしても、… 。
今回、つられて自殺予告の手紙を書いた人も多かったようです。実行した人がいなかったのは幸いです。もし、偽物につられていたとしたら、… 。微妙な問題ですが、マスコミは「愉快犯」の可能性も報じるべきだったのではないでしょうか、裏にいる人の「陰謀」かもしれないという可能性は示唆することもあり得ないとしても。
「単位偽装」の問題もそうですが、きっかけは、「昨年9月の自殺者が、いじめられたとの遺書を残していてことが、○○日わかった(必修科目を履修していないことが、○○日わかった。」です。この、わかった日にちをどこかで、誰かがコントロールしているとしたら … 。
11月13日記事「元連合国の皆様、心から反省致します。」へのコメント(Posted by sigmund at 2006年11月14日 03:40)で祖父の戦犯体験を書いた者です。既に御使用のHNであることを存じ上げず、不用意に同名HNを名乗ってしまいました。心よりお詫び申し上げます。
* * * *
さて、今回のテーマですが
数年前の「低年齢化する殺人・傷害事件」報道も同根ですね。他の方々も指摘しておられるように、メディアに影響されやすいのは子供だけでなく大人=親も同様です。
ここ数年来、事件・事故・災害などの報道で「子供たちの“心の傷”が心配される云々」というフレーズを頻繁に耳にします。被害に遭った当事者(その肉親または現場の目撃者)ならともかく、同じ学校に通っているだけの同窓生が「心の傷」を負うでしょうか?
以前、私の住んでいる地域で集中豪雨による広域水害があり、ある小学校が床上浸水して子供たちが帰宅できず、校舎の二階に一晩泊まることになったのですが、翌日、ボートで救助されるシーンを地元NHK局が夕方ローカルニュースで流しました。(以下、大雑把な記憶ですが)
映像は…校舎二階の窓から手を振る子供たち、その下の水没した校庭の水面をこちらに近づいて来る救助ボート、乗っている数人の子供たちも笑顔で手を振っている。(カメラ切り返すと)土手の上で心配そうに口に手を当て涙ぐむお母さんたちの近接ショット。ボートから降りてお母さんに抱きしめられる女の子。レポーターが女の子にインタビュー「どうだった?」「雨がすごかった」「お家に帰れなかったよね、さびしくなかった?」「ううん、みんなと一緒で修学旅行みたいで楽しかった、(停電で)先生がランプ点けてくれたし――」画面に見える子供たちは皆楽しそうです。
で、7時の全国ニュースになりました。もちろん豪雨災害はトップ項目です。
「校舎に閉じこめられて帰宅できずにいた小学校児童○○○人が、一夜明けた今朝ようやく救助されました」映像…(カット頭少し削ってる)校舎二階の窓から手を振る子供たち、その下の水没した校庭の水面をこちらに近づいて来る救助ボート(カット尻も削ってる)。土手の上で心配そうに口に手を当て涙ぐむお母さんたちの近接ショット。ボートから降りてお母さんに抱きしめられる女の子。レポーターが女の子にインタビュー「どうだった?」「雨がすごかった」映像にカブってアナウンサー「保護者や教育関係者・専門家からは、今後、子供たちに及ぼす“心の傷”の影響を懸念する声も上がっています」…。
私も小学校1年のころ大地震を経験しました。不謹慎に聞こえるでしょうが、混乱の渦中でも正直「ワクワク」しました。友だちも同様でした。子供なんてそんなものだと思います。親や周囲の大人たちは大変だったのでしょうが、やはり多少は躁状態で愚痴や冗談を飛ばしながらも、壊れた家の片付けや食料調達、避難先の生活確保と逞しく飛び回っていたことを覚えています。自分の親もそうでしたが、当時の社会の中核をなす大人世代が戦中派だったせいか、非常時でも動じずドッシリ構えていてくれたおかげで、ガキの私たちも気楽でいられたのかもしれません。また当時のメディアは(TVなどENG以前の時代なので)速報能力もなく、現在のように取材クルーがずけずけと現場を荒らし回ることもありませんでした。報道内容はメディアが本質として持つ「センセーショナリズム」は変わらぬものの、今ほどの「偽善」「おためごかし」はなかったと思います。
最近、公共広告機構(AC)のCMが気持ち悪くてしょうがありません。生徒と父兄が逆転した教室の後方で子供たちが授業参観し、ある父親が「息子」をテーマとした作文を読む、というアレです。
我が子の趣味(「好きなもの」でしたっけ?)を答えられない父親に、後ろの子供たちや机を並べる他の親たちが非難の視線を向けてざわつき、当の息子も父の「ふがいなさ」に「傷ついた」ような表情を浮かべる――。
子供って、そうでしたっけ? それも反抗期もとうに過ぎて思春期真っ盛りに見える男子が?? 人生で最も「自分の世界に親が介入することを嫌悪する」時期のはずなのに??? このCMの作り手はもとより、このCMに対して違和感を覚えない親世代の大人がいるとしたら、彼らは人も羨むくらいの閑人で子供の領分に興味津々なのか、それとも愛する我が子が「心の傷」を負うことを本気で心配しているのか…。きっと「何でも話せる友だちのような親」「優しい大人」と思われたいのでしょう。本当の理由は、冷えた夫婦間を繋ぎ止める家庭の「かすがい」が外れることを恐れ、自らが年老いた将来、我が子に嫌われ棄てられるのが怖いのかもしれません。このタイプの大人、リベラル系メディア企業に勤める人々に多いような気がします(私の旧友・知人にも何人かいて、その内数人は家庭に問題を抱えています)。
子供の本質は「生きようとするエネルギーの塊」であり、多少「心の傷」を負ったところで若い肉体同様に復元力があります。それが理解不能な(自分の子供時代を忘れてしまった?)親、そんな(実は未成熟な)大人たちが粗製濫造する「いじめ・自殺」報道や倒錯したメッセージが、本来の生命力を偽善の真綿で締め上げ窒息させるのでしょう。
駄文、長々と失礼いたしました。m(_ _)m
子供が頻繁に早退していることを「義母から聞いて」心配した母親が、子供のパソコンを勝手に覗いたあげく、そのことで担任に相談しているのですが、その際、子供にしてみれば絶対に他人には知られたくないことを、担任に伝えているんですよね。母親が。
そしてそれをまた担任の先生が軽々しく他の生徒へばらしている。
私自身、小学生のころ母親が日記を勝手に読んでいたことを知ってひどく衝撃を受けたことがあるのですが、上記の子供は、それよりもはるかに絶望的な衝撃を受けたのではないかと思いました。
むろんこれは一例であり、他の自殺した子供達はそれぞれにそれぞれの悩みを抱え、あるいはいじめによって自殺に追い込まれたのであろうと思います。
それにしても、一連のメディア報道には不快感をおぼえます。学校や教師へのまるでテンプレートのような批判報道にもげんなりしますが、なによりもいじめた人間に対する厳しさがほとんどないことにも変な感じがします。
またテレビ番組内で「起きてはならないことが」とか「あってはならないことだ」とか簡単に言うのにもあきれます。
人間が集団生活をする限りいじめはなくならないことは誰にだってわかっているはずで、大切なのはいじめが起こったときの対処法です。
「いじめをなくそう」など非現実的なことをヒステリックに言い立てるのではなく、
「いじめが起こったらどうすればいいのか」
「そのためにはどんなシステムが必要であるのか」
ということが大事なのだと思います。
あるタレントが「いじめた子供達も負けないで、これを機会にがんばって生きて欲しい」などと発言していたことには呆れ果てました。
アメリカもイラクもダメ。松坂60億円もダメ。”うの”も”のりか”もダメ。もしかしたらキムジョンイービルあたりが救ってくれるかもね・・・orz
飲酒運転騒動と自殺騒動の順番が逆だったら良かったかもしれないんですけどね
もう少し詳しく書いておいた方がよかったですね。
この文だけだと、ややその主張の論拠が見えにくくなってしまっています。
情報の伝達は元の事件の衝撃を二次生産していきます。
事実だけを報道したとしてもそうなのですから、過剰な演出と
絨毯爆撃のような報道量で撒き散らしたらどうなるのか、
考えて仕事をしてる業界人がどれほどいるのか疑問ですね。
まあ、分かった上で煽ることが商売だと思ってるのかもしれませんが。
「女王の教室」というドラマが話題になりましたが、まさかあれを見て影響されて逆にいじめ対象になった子供は居ないでしょうね?
心の底から言いたいです。子供はTVを見るな。出来るだけそれも沢山の本を読め。じゃないとお前の親みたいになるぞ!!!
確かに私の言葉が足りなかったですね。誤解を招くようで申し訳ありませんでした。
内容はstrassewandeler様が述べているように、ゲーテの小説が原因でヨーロッパ中に主人公と同じスタイルで自殺をする事が流行し、心理学でもウェルテル効果と名付けられました。
そこで興味深いのは、その自殺に走った若者が主人公ウェルテルと同じ方法・ファッションで行ったという事で、自殺がファッション(流行という意味で)したという事ですね。
しかしながら19世紀からこのような現象が起こるという事がわかっているのに、何も対策をせず面白がって映像を垂れ流す21世紀の日本のマスコミというのは本当に自浄が期待できないんでしょうか?
どうも、マスコミ規制には問題が多いとの発言が多いみたいです。
特に、政府によるマスコミ規制には問題が多いとの意見ですが。
マスコミは国民の誰に選ばれたわけでもないですよね?
一方、日本の政府は民主主義の手続きによって選ばれています。
やはり、巨大な権限と資金を動かすマスコミには、政府の手による規制が必要だと思います。
しかし、政府の規制が一人歩きすると、報道の自由を完全に封殺してしまうことになります。
自分は、政府の内部にマスコミを規制するための専門的独立機関を置いて、その責任の所在を明確にし規制濫用に対する処罰なども明示した上でマスコミの規制に当てさせるべきかと思うのです。
出来れば、一年に一回くらいの国民選挙でその組織の行動の是非を問うような形で国民の信を問い続ける形が良いのではないかと思うのです。
しかし、そのためには、今の巨大権力となったマスコミを解体し既得権益を剥ぎ取る必要がありますね。
織田信長みたいな人間が『根断ち』でもしないと駄目なのかもしれない……。
>退部したい奴は、勝手に退部するがよろしい。
一般論としては同意しますが、ガキ共の脆弱さに責めを負わせるのは酷です。
ごく平均的な思春期の子供の内面世界なんて、精神医学的見地からは殆ど病気と紙一重のカオスなんですよ。
(事実、統合失調などを発症しやすい時期だったりします)
本来なら助かるはずの子供に「死ぬなら今だ!」と煽る、報道の名を借りたセンセーショナリズムは掣肘を受けてしかるべきです。
しかし、その「いじめを助長する」とされるのが具体的に誰のどのような芸なのか、どのゲームのどんなシチュエーションなのかまで深く突っ込んだ報道は寡聞にして知りません。
(個人的には、だからといって具体的な吊るし上げなんぞ気持ち悪いだけで望んじゃいませんし、ンなこたぁできっこないのはもうお見通しですが)
一事が万事、この調子ですよね。
なんとなく「真相を探る」「真犯人を割り出す」気になって、煽っているだけですな。
ちょうど「ドリフターズ」から「ひょうきん族」に時代が移り変わろうとしていた時期です。
私はドリフターズ派でした。
ひょうきん族の笑いには付いて行けなかった記憶があります。
同じ「お笑い番組」ではありますが、両者全く質の異なる番組でしたね。
強くて威張り散らしている奴を、皆で何とかとっちめてやろうという<笑い>から、
弱そうな奴を皆でこずきまわして楽しむという<笑い>への転換点であったかと
個人的には思います。
多分、あの頃から日本は変わっていったのではないでしょうか。
> 一般論としては同意しますが、ガキ共の脆弱さに責めを負わせるのは酷です。
下らん情報に振回される意志の薄弱さも含めて「脆弱さ」を持つ奴が淘汰されて、どんな境遇でもしぶとく頑固に生き抜く野郎が残るってのは、自然の掟に適っていると思うのですが。正直、新生児の殆ど全てが成人になる現代というのは、非常に不健全なのではないか、人類の質を大きく損ないつつあるんじゃないかと思います。だから、これが篩(ふるい)になり、生きる意志と「ちから」の「試し」になるのなら、それでいいんじゃないかと思ってしまいます。邪悪ですかね。
ま、屁理屈かな(笑)下らん情報に振回され、すぐ思いつめる面倒ッチイ愚か者が嫌いなだけです。
苛められたら「クソ勉して成人後の社会的地位で報復」とか陰険な事を考えない奴は駄目です。
> ごく平均的な思春期の子供の内面世界なんて、
> 精神医学的見地からは殆ど病気と紙一重のカオスなんですよ。
ちなみに、僕の思春期の頃は、内面世界はエロスな妄想で9割方占められ、
外面世界にはティッシュの山を築いてましたねえ(笑)。
確かに増えてるようにはマスコミを見て体感はしてるがw
私が見たのはナイナイがやっている番組のいちコーナーで、1人を大勢が竹刀で袋叩きにするというものでした。
この番組は視聴していなかったので、前後の繋がりが分からないのですが、その場面だけ見てもゾッとする映像でした。
深夜枠でお笑い芸人にやらせるバツゲームにも気分が悪くなるものが多々あります。
「お店が潰れるまで倉庫から万引きした」という発言を放送して、番組終了に追い込まれたカミングダウトとかもありました。こういう分かりやすい「犯罪」は糾弾しやすいけど・・・モラルに関する事は難しいですね。
「全員集合」も当時は親達から批判されてましたし。
しばし反応に困ったんですが(笑)、お答えありがとうございます。
ここぞとばかりに自殺に走る子供の、物欲しげな心性を一蹴するのは簡単ですが、メディア含め大人としては10代の子供のイタさや無思慮を当然想定してことに当たるべきです。
共感や説諭ではなく、目に見える形でペナルティーを科し、アメとムチをちらつかせて冷静に損得勘定をさせるとか、oribeさんの仰るようなリテラシー教育とか、幾分なりともできること、すべきことはあるように思います。
>生きる意志と「ちから」の「試し」になるのなら
小野まささんは逆説的に言及されているのかもしれませんが、いじめを成長途上での必要悪や通過儀礼として固定化するのは、ともすれば旧軍や一昔前の運動部のしごきに通じる、悪しき精神主義ではないでしょうか。
一括りにいじめといっても、恐喝や傷害など刑法に触れている行為も少なくないですし、山形マット死事件のような殺人に至ってからでは遅いのです。
単に今までは報道されていなかっただけであって、昔から子供の自殺も、日本全体という規模で見れば今と同じようにあったと思います。
確かにメディアで報道され、社会問題視されるようになって自殺に踏み切ってしまう子供もいると思います。しかし、実際に自殺をする、自殺を考えるまでに追い込まれたら社会情勢なんて関係なく、自分の判断だけに頼ると思います。真剣に自殺を考えるようになると、周りのことにはあまり関心はなく、自分の事を考えるだけで精一杯になってしまいます。
しかしメディアの報道も自殺に踏み切る要因であるのは確かです。早く報道がなくなる日がくることを望みます。
以上、長々と失礼致しました。
なぜなら、過去数年来、TV番組は視聴率を重視するあまり、子供に与える影響を無視していると感じるからです。
「いじめ」の原因は、最終的には、当事者の判断や、親、教師の教育といえるかもしれません。
しかし、某テレビ局は、視聴率を得るために、刺激の強いバラエティやドラマのなかで「いじめ」を容認する悪い大人の模範ばかりを放送し続けており、子供の模範になるような「いじめ」に立ち向かう内容の放送を放棄しています。
テレビに出ている今の芸能人は、たとえ番組の中で、「いじめ」につながるような「お笑いシーン」があっても、誰も文句を言わず「うすら笑い」を浮かべるだけになっています。
子供がテレビを見ていると、悪いと知りながらも、まず「いじめ」の仕方を先に覚えてしまうのです。
もう、潜在的に人心を蝕み視聴率に固執する悪質なテレビ局を信じるのはやめにしましょう。
そして、仮にメディアが「最後の一押」をしたのなら、その責任をとるべきでしょう。
「当初のマスコミの報道と違い、校長は真摯にいじめ問題に取り組んでいた事が分かった」とナレーションを付けていたのには驚きました。
なぜ自殺してから突然そんな事が分かったのでしょうか?
「我々は誤った報道もする、でもその結果人が死んでも知らない」と居直っているようで、ほとほと呆れました。
高2のとりすけといいます。
僕もまったく同じ意見でして、学校のレポートで小論文を書くのですが、
そのテーマに自殺とメディアの不思議な関係についてかきたいと思っていました。
しかしどうも良い資料が集まらなくて・・・
すごく図々しいと自分で思ってるんですが、
何かうまい手はありませんでしょうか?