でも、逆に言えばこんなことは、情報産業に少しでも携わっていればわかる、いやわかっていなければいけない、当たり前のことなんですよね。
J-CASTニュースの取材に対して、TBSの広報は、「(自殺報道についての)内規はあるが、公表できない。各番組で、ケースバイケースで(その内規に)応じていると思う」と述べたそうですが、どうなんでしょう?
ぼくは最近報道系の仕事はしていないので断言はできませんが、自殺報道に関する注意は一度も受けたことがありません。差別用語の使用と報道被害、あと、ナショナリズムを刺激しかねない題材については、慎重にならなければいけないという雰囲気がみなぎっているのですが、自殺については、仮に内規があったとしても形だけのはずです。
何しろ今回の自殺報道は、「写真や遺書を公表しない」「自殺手段の詳細を報道しない」「自殺の理由を単純化しない」「自殺の美化やセンセーショナルな報道は避ける」という、筑紫さんがあげているWHOの勧告のほとんどすべてを完璧に無視しているわけですから、各局共にまったく考慮していなかったのは、疑いのないことです。
WHOの勧告は2000年に出されていますし、それ以前にも各国で自殺報道に関する研究はなされているのに、よりによってG7中で断トツの高自殺率を誇る日本のメディアが、自殺の増加を格差社会のせいにしたりして、何の対策も立てていなかったわけです。このことにより、一体これまで何万人の命が失われたことか・・・。
もし同じ事を国か企業がやれば、大変なスキャンダルになるのは間違いありません。やはりこれは、犯罪的な職務怠慢と言えると思います。それとも、責任はメディアにではなく、WHOの勧告を徹底するようにと各報道機関に命令しなかった政府にあるのですかね?
いや、もう犯人捜しはやめましょう。前回のエントリーでは、メディアは社会的制裁を受けるべきだと訴えましたが、そこには、短絡的な犯人捜しを常とするメディアの報道スタイルへの皮肉というつもりもありました。コメント欄でも指摘されている方がいらっしゃいましたが、安易な犯人捜しと糾弾は、社会に悪影響しかもたらさないとぼくも思っています。自殺に限らず、大抵の事件や社会現象は、そんなに単純ではありません。
今回の事件により、例えば今日管理者が逮捕された埼玉のプール事故のように、職務怠慢で各メディアの責任者が処罰されるようなことは、現実には起こりません。今回のことで、きっとメディアは反省するでしょう。そしてこれからは、こと自殺報道に関しては気をつけすぎるほど気をつけるようになるでしょう。でも、自殺以外の報道については、メディアはこれからも毒電波をまき散らし続けるのです。
だからぼくたちは、子供にもしっかりメディア・リテラシーを教え、メディアに身構える姿勢をより養って行かなくてはなりません。何しろこの国のメディアは、一番ましなニュースキャスターが筑紫さんという体たらくなのですから・・・。いやいや、今回ばかりは皮肉抜きで、素直に筑紫さんに拍手いたします。ぼくはどこぞの反対政党とは違いますから。
イジメの話題とか、結婚やセックスの話題とか。
結婚やセックスの話題というのは、みんな大好きなのでコメントが集まるのもわかるんですが、このイジメの話題にも、それらと何か共通するものがあるのでしょうか?
私はなんとなく何らかの共通点があるように感じるんですが、それが何なのかは思いつきませんでした。
それとも、単に「身近でわかりやすいものだから」なのかなあ。
人を引きつけるスパイスとして利用しやすいですからね。
テレビのバラエティー番組も報道も同じ臭いがする。
このように考えられる人が、どうして毒電波を発信し続けているのでしょう?
イジメられる側は
とてつもなく弱いか、むしろ、イジメる方を馬鹿にする能力が高い変わった人が多いのではと思います。
コメントを読むのが僕は好きなのですが、ネットで書き込む人は、変わった人が多いのでと言うか
なるほどと感心する事が多いので、過去イジメに遭った経験はあるのではと推測します。
誰だって一度ぐらいはイジメにあっているでしょうから、考えすぎかもしれませんが。
そこまでして事実をほじくり返して誰にメリットがあるのか、デメリットは明らかで、特に幼い親族の生活に一生影を落とすような知らせ方をするなんて犯罪だと思ってきました。そんな報道を聞いたって他人だって心を痛めるだけです。何のためにと憤っていましたが、結局視聴率、つまりお金のために視聴者に何のメリットが無くてもそういうことをやるってことですよね。
でも、普通の感覚ではそんなことでそんなに視聴率が上がるとも思えないし、マスコミの中にはそういう話が大好きで喜んで話をしている病的な人が多いんじゃないかと思ってしまいます。
で、いろいろ考えてみたんですが、思いついたのは結局、私も含めて「実はみんなイジメが大好き」なんじゃないかなあってことです。
だから、マスコミに煽られると簡単にのせられてしまうんじゃないかと。
もちろん、真剣にイジメによる自殺を何とかしようとして議論している方もいらっしゃるのは承知してますし、それは素晴らしいことだと思います。
言を左右にして逃げ回る政治家もどきな部分がなければ、あれほど大きな報道にはならなかったと思えます。
いくらなんでも遠すぎますって・・・
9条に問題があるのは分かりますが、さすがにそこまで飛躍させられるとついてこれる人はかなり限られると思いますよ。
私なんかは、日教組とマスコミの倫理の底が抜けてるからだ、くらい単純に言うほうが効果的だと思いますね。
詳細な自殺報道を行ったのも、マスコミがWHOの勧告を無視してただ視聴率目当てにやったんだ、とあくまでシンプルに。
そうしてマスコミに対する嫌疑の目が広がればリテラシーもつくのではないのでしょうか。
その割には反米ナショナリズムを安易に煽ってますね・・・。
自殺を簡単にする連中が増えた事が、世の中の何かの所為だというのなら、命の重さに対する感覚、死のつらさが希薄に成っている所為だと思うワケです、生命の危機や死に至る痛みを経験していれば、つまり、死ぬ恐さの経験があれば、簡単に「死のう」なんて結論と「ぶっ殺してやる」となる件数が変わらなく多く無ければオカシイと思う。
何が言いたいのかと言えば、言葉や、物理的な迫害相手に、公的に物理的な攻撃・反撃を試みると、直ぐ「トニカク暴力はイケナイ」暴力=悪と決め付けている風潮がある、正当な反撃さえ「暴力はイケナイ」とされたら、世の中が総て敵に回った様に感じるに違いない、それが厭世の基になっていないと言えるだろうか。
止めに入る上級生の言う事を虐め側が聞くのも、上級生側に圧倒的な力の差がある場合で、決して、イジメが良くないと諭した上級生に感動したからではないのは明かです。
暴力は悪と固定して、総ての事象を括ってしまうのは、9条の空想的平和主義に何等変わるところが無い、「誰もが平等を正しく認識し、非暴力の話し合いで総てが解決すると言う」常識が、如何に現実的でないかは火を見るより明らかなことです。
反対に無制限に暴力を肯定しては、是亦イケナイでしょう、子供達はそこにこそ、法治を学ぶ機会があるワケです、平和主義の対極には、生存権も存在するのです。
TBSの世界バレーについてはどう思われますか?
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/headlines/volley/20061116-00000042-kyodo_sp-spo.html
自ら自分たちの力を知ってるだろうに。
でもそれが犯罪として立件されたりしないわけで。
野放しと言ったら言い過ぎかもしれませんが、その人たちの良心や反省を期待しないとならないなんて。。
反省してもらいたいようなことを平気で毎日垂れ流すような人たちに何を期待できるのだろう。
最も強力な権力の一つであるメディアを裁けないことが、私たちの社会の限界の一つの側面を示してるのかなと思います。
今回の件、マスコミの影響力だけではない。
いじめ人の実名や関係者の名前は暴露され
ネットに半永久的に流れることになった。
つまり、自殺したとしてもマスコミの影響力を遙かに上回る社会的な制裁が行われる環境が整いつつある。
その影響を無視して、マスコミのみを叩くのは詭弁だと思う。
まるで、自分たちのエゴのために適当な対象を作って叩いているという印象しか持てない。
自殺の連中、(10代に関しては)別に増えてませんよ。
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Jisatu.htm
の「各年齢層10万人あたりの自殺率」(二つ目のグラフ)を見てください。ここの10代の折れ線を見ると分かるのですが、横ばいです。
マスコミに惑わされない方がいいかも。
しかし、人気ブログランキングでマイネザッヘ、
もしくはマイネザッヘで検索しても
こちらのサイトが出てきません。
何かの事故でしょうか。
一度、ちゃんと登録が機能しているか
お調べになったほうがいいかもしれません。
私のサイトでもこちらのブログをリンクして、
宣伝させていただきました。
貴重なデータ有り難う御座いました。
ホンマですね、こうなると、自殺報道に関する倫理規程を遵守しないマスゴミの印象操作は、どういう意図で為されているのか疑わしくなりますね、後方攪乱とか、擾乱誘致とか、ナニカ犯罪的ですらありますね。
所で、S30年が異様に高いのはナンででしょうね、ちょうど自分の生まれた時代ナンで、興味が湧きました。
現在我々一般人(やネットの多くの住人)は、残念ながらニュースという点ではいまだマスコミの下位構造に位置します。
つまり「メディアが報道しなければその事実は下まで降りてきません」
以前の酔っ払い運転騒動の時もそうですが、アレは急に増えたわけではありません。今までマスコミが報道しなかったから「我々の共有できる事実」としては存在しなかっただけです。
今回のいじめ報道に関してもマスコミが必要以上に大きく取り上げなければネット上での反響も小さく、あれだけの暴露騒ぎにはならなかったでしょう。
それらをいっさい無視し、(現在では)マスコミの情報下位構造であるネットだけ問題視するのは、マスコミが恣意的に情報を選択し、垂れ流せる恐るべき情報機関であるという事実に目をつぶっているように思えます。
小さい頃から、体格の大きかった友人は、とにかく目立っていたようで、しかもその体格や顔つきのせいで、ふてぶてしいと思われたようです。
筑紫さんの息子さんは、いじめグループの主犯格だったそうで、とにかく執拗で、彼が卒業までの一年が苦痛だったと友人は語っていました。
筑紫さん、息子のいじめでいじめに関しては他人事じゃないのかもしれませんね。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20061117/20061117-00000030-ann-soci.html
煽ってるマスゴミも馬鹿じゃない。わかっててやってるんでしょ。大衆がそれを望んでるから。
私が言いたかったことは、世の中が20年前と今ではやはり変質してきているということです。折しも、格差社会などと騒がれていますが、それ以前から、多分日本以外の国ではもっとずっと前から人が生きづらくなってきているのではないでしょうか?地球環境的観点からみても、温暖化による危機は確実に進んでいますし。私の周りの人々を見てみても(東京)、人と人の係わりが希薄で比較や競争のみにすり減らされているように感じます。子供を育てるお母さん達のつらそうな表情と子供を叱るきつい声にはっとする折が増えています。
憲法9条を引き合いに出したのは、例えば、この国では子供を拉致されても正義が行われず、同様に社会でも殺人などの害を及ぼす可能性がある場合でも正当防衛的手段が認められず(棍棒で拳銃に立ち向かう警察官を見てください)学校でも皆がいじめを黙視するしかない状況を生み出していることをいいたかったからです。
またまた分かりにくくしてしまったかもしれませんね。
だまされてはいけない。
筑紫のメディア批判は他人事であり、自己を対象外としている。
「TBSは死んだ」発言の後に、TBSや筑紫が何か変わっただろうか?
子供達の生きづらさ、と言ったら、昭和の始め〜終戦直後までは今の環境問題とは比較にならないくらい劣悪だったのですよ。
当時小児科医をしていた人が新聞で書いていたのですが、乳幼児の死亡診断書を書かない月はなかったそうです。
今の若いお母さん達が数十年前の濃密な人間関係に戻ったら幸せなのか、と言ったらそれはそれで他人の干渉が辛いと言うでしょう。
母親業がしんどいのは、競争云々の前に独身時代は時間もお金も自分のために使い放題だったのに、母になった途端、365日24時間コンビニ状態で誰かの世話をしなければならない、これは親になるまで赤ちゃんを抱っこした事もない人間にとっては大変な事なのです。
自分の行為を正当化しようなんて思ってませんが
、いじめられる側に強いものにすりよる。妙に卑屈だったり、、イラツク、うざいという感じがありました。だから苛めていいという話ではありませんが、そういうタイプの子がいじめ側に回ると、限度を越えたイジメをしたりします。
私は自分のやってる事に嫌気がさして、イジメを
やめましたが、おかげさまで苛められる側に。
シカトされるのは平気でしたし、机をゴミだらけ
にされた時は、首謀者の子の頭から、そのゴミをぶちまけてやりましたけどね。
結局、卒業まで小さなイヤガラセはありましたが、仕返しをおそれたのか、ひどく虐められる
事はなかった。虐める方だって相手を見てるん
ですよ。反撃しないとなめられてるから虐めは
エスカレートする。イジメで自殺を考えるより、強くなりなさいと言いたいけど、強くないから
自殺までいっちゃんだろうね。
あと、親が死ぬまで気がつかないってのも、どうか思う。親に虐められてると言うのは辛いけど、
ウチの場合は「まぁ、頑張んなさい。たえられなくなったら学校なんか行かなくてもいいからね」
と言ってくれたのが大きい。元々は自業自得から
始まった事だから、自分でなんとかしなきゃと思っていたしね。しかし、先生ってのは本当に役に
たたない。私へのイジメなんか遊び程度で、
ひどく虐められてた子がいて、先生もそれを知っているのに見て見ぬふり。たぶん、先生もその子
を嫌いだったんだと思う。その子を笑いものに
してたもの。私は笑えなくて黙っていたら「オマエ、なんで笑わない?」と逆切れされた。
フンと鼻で笑ったらもっと怒り出して、手がぶるぶる震えてた。その時以来、私はその先生から徹底的に無視されたけど、あんなバカに迎合しなくて良かったと思ってる。
都内の偏差値低い地域の中学の思い出です。
>仕返しをおそれたのか、ひどく虐められる
事はなかった。虐める方だって相手を見てるん
ですよ。
>「まぁ、頑張んなさい。たえられなくなったら学校なんか行かなくてもいいからね」
と言ってくれたのが大きい。
いじめ問題にどう対処して良いかよくわかりませんが、この二つの事が解決の糸口になるかも知れませんね。
個人にしろ、組織、国家にしろ、弱いものいじめというものは精神的、物理的な周囲の支援や本人の反撃力がないと際限なくエスカレートすると言うのは人間の業なのかな。
いじめについて、両方の立場にいましたが、
正直言って、いじめを無くす方法は無いと思っ
ています。こういう事を言ってはいけないで
しょうが、いじめられる方にだって問題はあり
ます。私は虐める方から虐められる立場になり
ましたが、その理由は自分なりに考えてですが、
協調性のなさでしょう。虐めてる時は、その
協調性のなさが(強引、傲慢)自分より弱い
人間をひきつけるというプラス(?)でしたが、
イジメ仲間と離れたら「裏切り者」と見なされ
たわけです。誰かを虐めることで仲間意識が
保たれるって、すごい卑怯な仲間意識でしょう?
強引、傲慢な私が仲間を外れたら、そりゃもう
いじめられる。特に一番親しかった友人がすご
かった。「本当はアイツを大嫌いだった」
なんて陰口を言うなら、その時に言えばいいのに。「なに。アンタ、その時は嫌いな私にしっぽ
ふってたわけ?」神経を逆なでするような事を言ったし。その後に机ゴミ置き場になって、そして
仕返し。バカ返しをしたわけだけど、今の私なら
どうしたかなぁ。。やっぱり同じ事をした気が。
シカトが辛くなかったと言えばウソになります。
回り全部が敵みたいな状態で(先生も)学校に行くのは、毎朝、「今日も頑張るぞ」と自分に言い聞かせなければ動く気もしない。それでも頑張れたのは、やはり親が逃げ道を作ってくれたから。
そこに逃げ込むかどうかは人それぞれですが、
私の協調性の無さが、よく考えてみたら。。。
嫌いなヤツや先生に良い子ぶりっこしなくていい。高校入学は推薦なんか無理だから、塾に通って先生が関わることが無いようにしよう。
私は楽天主義なんです。(ノーテンキと言われる)イジメを無くす教育よりも逃げ道をたくさん作れと言いたい。それでも死ぬ子はいるだろうけど。無いよりいいよね。
私は強い子(笑)でしたが、そうじゃない子は
ひたすら耐えるだけ。見てて情けなく、自分で
どうにかする気はないのかとイラだった。
みんながみな私と同じではない。それだけの事を
わかるのに何年もかかった。だから思う。
人は一人じゃ生きていけない。だから助け合うけど負の側面として序列化して人を踏みにじるのも
一人じゃ生きていけない人間の業でしょう。