2012年10月18日

有吉は涙の準備をしておくべきか?

テレビのゲームショーで卑怯ともとれる態度をして賞金をせしめた芸人が、ツイッターで激しくバッシングされ、その芸人はツイッターを閉鎖したとのこと。この一件から、タレントの有吉弘行が「現在のテレビ視聴者像」を分析したそうです。記事によれば、彼は当該の芸人を叩いた視聴者を「頭が悪い」とし、次のように締めたということです。

しかし、有吉は「逆に言えば」と続けた。こういったバラエティ番組でも、スポーツのように真剣に視聴している人が多いことが証明できたという。例えば、バラエティ番組内で感情を露わにし、涙でも流せば真剣に「いい人だ」と思ってくれる。有吉は「今から涙の準備でもしておこう」と皮肉交じりに語った。

こういうやりとりを見ていると、まるで時間が15年ほど巻き戻ったかのような目眩を感じます。リアリティTVの走りである電波少年を見て、猿岩石がヒッチハイクする様子をすべて現実と思い込んで2人を崇め奉り、猿岩石が途中飛行機で移動していたというスッパ抜きに多くの視聴者が本気で怒り、幻滅したあの頃にです。

当時、その力の絶頂を迎えていたテレビや新聞のマスメディアは、「テレビに映ることが真実」「新聞が伝えることが真実」という、100年におよぶマスメディア時代により培われた社会幻想を権力の基盤として悠々としていました。電波少年はそれを一歩進めて、意識的に「社会の方をテレビを映す鏡」にしてしまおうとした、テレビ絶頂期を象徴する番組でした。

そんなマスメディアにとり、1990年代の末から普及し始めたインターネットは、テレビや新聞による情報の独占を侵し、「マスメディアが伝えることは真実」という幻想空間を壊しかねない存在でした。だからマスメディアはネットを敵視し、ネットもまたマスメディアを敵視したのでした。

そういう経緯から、ネットには常に「マスメディアは真実を伝えない」という通低音がありました。1990年代末から2010年頃にかけて、ネット空間においては、テレビによる感動の押し売りに対して違和感を唱えることはあっても、より大きな感動を求めて騒ぐケースは、ほとんど見られませんでした。

そしてそんなネットの拡大は、少しづつではあるけれど着実にマスメディアの力を削ぎ、集団としての日本人の感性も、20世紀のマスメディア型から21世紀のインターネット型へと変化してきたのです。

ところが2010年以降、そのトレンドに変化が見られます。冒頭にあげた一件のように、テレビに映ることを真実として受け取り、テレビによる作られた感動物語に素直に感動し、それにチャチャを入れる人を責めたりするような、そんなナイーブかつ前時代的な傾向が目立つような気がするのです。

例えば先日、女性タレントにマッターホルンを登頂させたリアリティTV系バラエティ番組が、ネットで議論を呼んでいました。一昔前のネットなら、批判の対象はテレビ番組に集中するところです。「たかがバラエティの企画にそこまで目くじら立てなくても…」と言いたくなるほどにマスコミ不信を露わにするのがネットの常でした。しかし今回批判の槍玉に挙げられていたのは、感動に水を差すツイートをした登山家に対してでした。

またこれはマスメディアとは直接関係ありませんが、今年の年初に「黒人を差別する白人女性客を、見事な対応でギャフンと言わせたスチュワーデス」の古くからある有名なコピペが、感動的な実話としてフェイスブックを中心に拡散されました。この手のチープな話を無批判に事実と受け取り感動するのは、かつてのネットには見られなかった現象です。こうした態度がマスメディアを盲信する心性と同根であることは言うまでもありません。

8月に銀座で行われたオリンピックの凱旋パレードに、50万人ともいわれる記録的な大群衆が押しかけたのも同じ臭いがします。20世紀のスポーツ産業というのは、マスメディアとともに生まれた、マスメディアと一卵性双生児の感動生産機ですが、テレビ画面を通じて拡散された感動がここまで大勢の人々を動かす様子は、20年どころか50年前にタイムスリップしたかのような錯覚を抱かせます。

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マスメディアの凋落傾向に変化は見られないのですから、時代に本質的な巻き戻しが起きているとは考えられません。しかし、ネット空間とそれを取り巻く世界で、巻き戻しが生じているかのように見える出来事が多発しているのです。なぜなのでしょうか?

おそらくその理由は単純です。犯人はツイッターとフェイスブックとスマホの普及です。スマホを使い、ツイッターやフェイスブックを通じてネット上に自分の声を送り込む人たちが、ここ2年ほどで劇的に増えたのです。

ネットにハマったばかりの「にわかインターネッター」は、ネットの世界に20世紀的感性をそのまま持ち込んできます。誰でも最初はそうで、時に危ないことや掟破りをして痛い目にあいながら、時間とともに新しい情報システムになじんでいくものです。今ネットとそれを取り巻く社会で起きている退行現象は、一斉に誕生して大きな塊を形成する、そんなニューカマーたちにより引き起こされていると推測できます。

彼らは20世紀のマスメディア的感性をそのままネットに持ち込み、粗製された感動をありがたがり、その幻想を壊すものを叩きます。20世紀的感性に道具としてのネットを接ぎ木し、ヴァイラル(クチコミ)で感動を拡散し、街頭に群衆を動員するのです。

では、彼ら「ネット空間の団塊世代」が作り出したこの新しいトレンドは、これからのネットのあり方を変えるのでしょうか?あるいは彼らこそが、進化の末辿り着いたインターネッターの最終型なのでしょうか?

もしそうならば、有吉弘行は涙の準備をしておかなくてはなりません。そしてこれまで退却戦を強いられていたマスメディアは、一発逆転どころかネットの持つクチコミの力を味方につけて、20世紀以上の引力で大衆を操作、動員することができるようになるはずです。

しかしそれは考えにくいことです。にわかインターネッターは、時間とともに普通のインターネッターになるからです。ネットを体の一部とすることは、あなたを優れた人間にすることはないでしょうが、情報のあり方に対する認識を大きく変えるのは必然です。マスメディアというシステムは、集団における情報伝達方法の一形態にすぎないのですから、マスメディアに都合よく作り出された括弧つきの感動につきあう必要はどこにもなく、やがては脱ぎ捨てられていく運命なのです。

そう考えると、表面的にはマスメディア時代への揺り戻しに見える現在の状況は、実はマスメディアにとってゾッとする事態の前兆であることに気づきます。一斉にネットにはまったにわかインターネッターたちは、一斉ににわかを卒業するからです。

それが半年後か1年後なのかはわかりませんが、その時マスメディアの吸引力は、これまでのように徐々にではなく、誰の眼にも明白にガクンと落ちるはずです。そしてようやく日本の情報産業は、解体、再編の緒につくのです。

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この記事へのコメント
つまり「twitterはバカ発見器」ということですね。
でもこれまでのネットに比べてより見たいものだけを見れるようになっているこれらのソーシャルメディアで、これまでと同じような「社会化」が進むかどうか、多少の不安もありますが。
Posted by HG at 2012年10月18日 07:22
特に一年半以上経っても同じ事をつぶやき続けている放射脳な面々を見てるとその感が強いですね。
Posted by HG at 2012年10月18日 07:35
Twitterは特に嘘を嘘と見抜けない人が目立ちますよね。ソースも不確かなデマ情報を鬼の首を獲ったかのようにあちこちに拡散したりするしそういうときは手を付けられないです。
Posted by   at 2012年10月18日 07:58
2chで出所不明で突っ込みどころ満載の感動系のコピペが作られて
あちこちの板やスレに貼られTwtterにも貼られ何百人何千人がリツイート・お気に入りにする。
その粗製されたコピペに突っ込みや批判を入れると猛叩きにあう。

感動系じゃなくてネットの主流に沿った恐怖や嫌悪を煽ったりするコピペも昔から同様ですが。
Posted by   at 2012年10月18日 13:59
日本のツイッタは電通租界だから。
彼らも馬鹿ではない。ネットの征服を明確に意識してるでしょ。
Posted by at 2012年11月03日 01:02
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