アームストロング氏の7連覇タイトルはく奪と追放処分 国際自転車競技団体
1999年から2005年にかけてツール・ド・フランスで7連覇した偉業はもちろん、重度の癌を乗り越えて頂点に立ったという感動ドラマにより、彼は世界中で尊敬を集める偉人になりました。自分もかつてテレビの仕事をしていた頃、彼を讃える原稿を書いた覚えがあります。
そんなスーパーヒーローの公開処刑を機に、これまでのドーピング論議では異端とされてきた意見を堂々と口にする識者が増えています。これまではドーピングといえば悪で決まりでした。しかし今、現在の厳しいアンチ・ドーピングの動きを行き過ぎと批判する、ドーピング容認論が台頭しているのです。
たとえば彼らは次のように主張します。「スポーツのルールとは、競技の魅力を高めるためにあるものだ。しかし現在のドーピングルールはその本義を外れた原理主義の暴走であり、スポーツそのものを貶めているのではないだろうか?」
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そう言われて考えてみれば、そもそも「ドーピングのない健全なスポーツ」などというものは、スポーツの歴史上どこにも存在しない空想でしかないことに気づきます。「気付け薬」を飲んで身体能力を高めたという古代ギリシャ以来、ドーピングは常にスポーツとともにありました。
近代スポーツの黎明期である1904年セントルイス五輪のマラソン競技、優勝した選手が途中自動車で移動していたことが発覚して失格となったのは、有名な五輪のこぼれ話です。しかし繰り上げ優勝した選手もまた、現代の観点からするとそれに比する重大なチートを犯していたことはあまり知られていません。
2番めにゴールしたその選手は、競技中に何度かリタイアしそうになり、そのたびにトレーナーから興奮剤のストリキニーネを注射されていたのです。ただし当時それはルール違反ではなく、ドーピング行為はトレーナー自身の口から得意げに明かされたのでした。
当時、ストリキニーネのような毒性の強い興奮剤を使用することは、マラソンに限らず過酷なスポーツ競技では当然のこととして公然と行われていました。過酷な競技の筆頭である自転車競技では、興奮剤の副作用で奇行に走る選手もザラでした。そして世間の方でもそれを特別問題視していませんでした。
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初めてテレビ中継された五輪として知られる1960年のローマ五輪で起きた、競技中に自転車競技の選手が死亡するという事件により、ドーピングは選手の肉体を蝕む絶対悪であるという認識は確定しました。以来ドーピング禁止はただの掛け声ではなく、薬物検査を伴う今日の形へと強化されましたが、年々厳しくなるドーピング検査にもかかわらず、その成果は疑問視されています。
1988年のソウル五輪、カール・ルイスとベン・ジョンソンの100メートル対決は空前絶後の注目を集め、優勝したジョンソンがドーピングで失格となるというまさかの結末は世界に衝撃を与えました。ジョンソンは犯罪者の烙印を押され、繰り上げ優勝したルイスは白騎士としてもてはやされ、今日のウサイン・ボルトを遥かに凌駕する名声を手にしました。
しかし、実はルイスもまたドーピングに手を染めており、五輪予選の薬物検査では何度も陽性判定されており、ルールを厳格に適用するなら五輪出場の資格すらなかったことが、現在では明らかになっています。
ルイスとジョンソンの明暗を分けたのは、ルイスが清廉潔白なのではなくて、ルイスのほうがより政治力があり、より注意深くて狡猾だっただけのことなのです。
トップアスリートはみなドーピングしており、いかに厳しく検査しようと抜け穴はいくらでもあることを誰よりもよく知るルイスは、近年さかんにボルトのドーピング疑惑を指摘しています。
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このように、ドーピングは常にスポーツとともにあり、ドーピングのないスポーツは過去にも現在にも存在しません。その意味でドーピングを根絶しようという運動の先にあるのは、これまでのスポーツとは違う、新しいスポーツの創造なのだとも言えます。
しかしおそらくそれは実現不可能な理想の追求であり、共産主義という美しい理想の追求が最悪の現実を生んだように、本気で追求すればするほど矛盾は大きくなり、理想と裏腹により一層カネと政治力がモノを言う醜悪な見世物へと堕していく危険をはらんでいます。
ではなぜスポーツ界は、そんな絶望的な戦いに踏み出したのでしょうか?
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1904年に”ドーパー”が堂々と金メダルを得ていた頃、五輪を見る眼もまた、今とはまるで違っていました。当時の五輪は万博のおまけにすぎず、スポーツ競技は刺激に満ちた見世物以上のものではありませんでした。
五輪をはじめとするスポーツ全般の地位が急激に上昇したのは1920年代で、国際陸連が国際スポーツ機関としては史上初のドーピング禁止規定を制定したのは1928年です。ドーピング=悪という視点は、スポーツの地位上昇とともに生まれ、強化されてきたのです。
ではスポーツの地位を急激に押し上げた要因は何かというと、ずばり1920年代に普及したラジオです。スポーツは、ラジオとその後に続くテレビに寄生し、そのキラーコンテンツとなることで大化けしたのでした。
その過程でスポーツフィールドは神殿とされ、アスリートは神々しいオーラをまとわされました。そこには、人間の弱さの現れであるドーピングが入り込む余地はありません。こうしてスポーツは、マスメディアにより作られた神々しい幻想の姿に合わせるために、ドーピングと距離をとり始めたのです。
とは言うものの、この段階では、スポーツはドーピングを本当に撲滅する必要はありませんでした。ただ、マスメディアにより作り出される幻想を壊さないように、ドーピングに反対する姿勢を示し、時折ベン・ジョンソンのようなスケープゴートを供すれば事足りたのです。
しかし、マスメディアの力が低下し始めた2000年代中期以降、そうは行かなくなりました。もはやマスメディアは大衆を分厚い幻想で包んではくれません。この期に及んでスポーツがその神々しいイメージを維持するためには、本当にドーピングを撲滅し、現実と幻想を一致させるしかないのです。
アンチ・アンチドーピングの人たちが訴えるように、おそらくそれは不可能です。しかし不可能を可能にできなければ、スポーツは1920年代以前の見世物へと逆戻りしてしまいます。進むも地獄、退くも地獄。ランス・アームストロングはスケープゴートではありません。究極の模範的スポーツヒーローの公開処刑は、スポーツ産業がおかれたとてつもないジレンマを象徴する出来事なのです。
が、長い目で見たら「スポーツ」が次の段階に移行するための、産みの苦しみなのではないかと思います。
この状況を超えた時、今までのより速くより高くといったレベルではない、
人間の内側を練り鍛えるような真の「スポーツ」が誕生するのではないでしょうか。
ルールの下に公平平等に競われなければならないというのが大前提。
ルールブックに薬物使用OKと書けるスポーツなら何の問題もない。
禁止を謳っている以上、取締りをしないとルールの下の平等が担保されない。
要はね、ドーピングがどうたら歴史がどうたらじゃないのよ。
現代の倫理感だと、ルールの下でどうあるべきかが重要なのであって、ルールで認めない以上はあやふやには出来ないんだよ。
ずいぶん前の書き込みだけれど、真に迫ってるコメントだな、と感心しました。
しかし、過去の実績に対して遡及的な処罰がされるのはフェアじゃないよ。
あの時代は皆が怪しい状態であったのだから、ある意味で公平な状態でランスは成し遂げたはずなのに。
現在のために過去が否定されるってのは不健全。これはまさしくスケープゴートだ。
その時代においては「フェア」としていたはずなのに、急に手のひらを返して批判しやがる。
その卑怯さが何より許せない。
ランスの人格まで擁護する気はないけどね。