2005年04月19日

テレビ局の正体2

テレビ局の正体2

ライブドアとフジテレビの対立は、フジテレビが「身代金」を払うことで片が付いたようです。テレビ局の牙城はこれまで通り守られ、報道は収束に向かうでしょう。今回の買収騒動は、冷静に考えれば最初から単なるマネーゲームであり、マネーゲームとして決着したのです。しかし、普段から普通に行われている商行為が、なぜテレビ局に対して行われたときだけ問題なのか?なぜあれほどの大報道になったのかは、テレビ局の本質を見誤らないためにも問い続けていくべきテーマです。

さて前回は、自分の身に火の粉が降りかかるととっさに態度を変えるテレビ局の欺瞞について述べましたが、今回は買収事件のキーワードのひとつである「公共性」ということに踏み込んでいきます。


公共放送宣言

フジテレビ側、というよりこの件を報じるテレビ局は総じて、テレビ局が簡単に買収されてはいけない大きな理由に「テレビ局は公共のものだから」と主張していました。テレビ局は自分の利益を追求するだけの私企業ではない。限られた資源である尊い電波帯の使用を、住民みんなのために司る公共サービスとしての性格を持った組織なのだ。だから他の企業のように売買されるべきではない、ということです。

確かにその通りです。テレビ局は普通の企業のように弱肉強食の競争を勝ち抜いて現在の地位を築いたのではなく、限りある電波の使用を国から認可され、まさにそのことによって収益をあげているからです。国から与えられた特殊権益の上に成り立つ、その意味では一種の専売公社、まさに特殊法人なのです。

堀江社長の買収工作を一斉に非難した民放各局は、その行為によって、自らの自己認識を高らかに宣言したのです。「我々は公共放送である!」と。


都合次第で民間放送

公共放送といえばNHKです。民放のように企業のコマーシャルを流すことによってではなく、視聴料徴収という国から与えられた特権によって運営されているのですから、完全無欠の公共放送です。

そして民放はNHKを良く叩きます。痴漢などの社員の不祥事から制作費横領等の犯罪行為、番組制作における偏向まで、徹底的に非難します。それは民放にとって、得意の「オカミ叩き」の一環といえます。

政府や官庁と並んでNHKは「官」の部類に入る存在であり、だから普通の企業であれば株式保有者に対して持たなくてはいけない不祥事の責任を、国民に対して直接負わなければならない、だから不正を見つけたら徹底的に叩くのだ、ということです。

しかしこの時、明らかに民放は自分たちを「民」に置き、その立場から非難しています。かつてテレビのニュースショーでこんな会話を聞きました。

NHKの不祥事を告発している最中に、あるコメンテーターが、「こういうことは民放でも起こりえることなので、人ごとではなく自分たちも気をつけていかなくてはいけませんよね」というような発言をしたのです。すると司会者は「でもNHKは国民の視聴料で成り立ってるんですから、全然違うことですよ」という風に返したのです。

これは何も特殊な事例ではなく、NHKの不祥事を伝える民放の態度というのは、基本的にこうだと思います。「官」のNHK対「民」の民放という図式です。

しかし、国から与えられた電波の使用権という特殊な権益の上に成り立つ民放というのは、NHKほどではないにしても、明らかに「官」の領域にアゴまでつかっています。仮に地上波のチャンネルが突然100チャンネルに増え、お金さえあれば誰でもテレビ業界に参入できるようになれば、今あるテレビ局は壊滅的な打撃を受けます。 経営の基盤である専売特許が専売でなくなってしまえば、テレビ局がいくら営業に力を入れようと、いかに番組作りのノウハウが優れていようと、現在の規模、現在の地位を確保することは不可能です。


公に値しない制作現場

今回の買収劇を通して、フジテレビだけでなく、民放各局は「我々は公共の利益に奉仕する特別な企業なのだ!」という本心を明らかにしました。それは、この一件を伝える報道量からしても明らかです。

しかし、「公」であるということは、その特権的地位と引き替えに、大きな倫理的責任を負うことを要求されます。それこそまさに、民放各局が普段から「オカミ」追求の根拠にするものであり、「オカミのすることには常に目を光らせろ!」というのは、私たち国民が民放をはじめとするマスコミから学んだことです。

ではそうした点から民放各局の態度を見るとどうでしょう?とても清廉潔白とは言えません。表沙汰になった不祥事だけでも、ゆうにNHKを凌駕します。しかしさらに問題なのは、NHKにしろ他の官庁にしろ、長年にわたり不祥事を追求されてきた経験から、まかりなりにも「不祥事は道義的に許されないことだ」という認識が浸透し、本来の業務以外の所でムダとも思える大量の金とエネルギーを費やしてアカウンタビリティに務めようと努力しようとしているのに対して、民放はあくまで自らを「民」側に置く態度から、自己浄化力において、「官」レベルに遙かに及ばないということです。というわけで、水面下では非常識な「不正」が横行しています。

現在巷を騒がせているNHKプロデューサーは、長年にわたり水増しした制作費を制作会社に支払い、1億数千万あまりのキックバックを受けていたということですが、そんなことは民放では当たり前です。不祥事にすらなりません。何しろテレビの番組制作というものにはしっかりとした値段表はありません。どこからどこまで制作費に含まれるのかもはっきりしません。本を買う、映画を観る、ゲームを買うのはもちろん、時には恋人とデートすることでさえ正当な理由として制作行為に含まれ得ますし、構成台本1本の値段などプロデューサーのさじ加減ひとつで高くも安くもなります。そして制作会社からのキックバックは、法外な接待を含めて、まさに敏腕プロデューサーの権利と言えます。ディレクター、ADレベルでも、経費を貯めて車を買ったり、毎日タクシー通勤したり等の話しは掃いて捨てるほどあるのです。


商品に責任を持て


ある意味こうしたことはテレビ番組制作をはじめとする「クリエイティブ」な仕事の宿命であり、必要悪とも言えます。しかし、こうした行為を、自らを「公共性のある特別な責任を持つ仕事」と位置づける態度に照らすとどう見えるでしょうか?

「公」ならば受けなければならない倫理的責任を回避し、その一方で「公」ならではの特権は享受するというのは、あまりに虫の良すぎる醜悪な態度です。そしてより深刻なのは、こうした厚顔無恥で傲慢な態度が、他でもない言論機関によってとられているということです。

言論機関たるテレビ局の商品は、自分の発する言説です。だからこそ、自らの身の振り方、主張には他のどんな企業よりも高度な倫理が問われなければなりません。先に出したNHKと民放の図式で言えば、「NHKは受信料で経営されているから我々とは違う」という言葉は確かに一理ありますが、言論で食べている人の言うべき言葉ではありません。自らを公器と位置づけるのであれば、「受信料収入ということにおいては確かにNHKは我々より公共性は高いが、我々もNHK同様の倫理を問われることに変わりはない」と言わなければならないのです。そしてそういう認識を持ってはじめて、民放はNHKをはじめとする「オカミ」を声高に非難できるのです。

「民」側に身を置き、他の企業同様厳しい生存競争に身を任せるか。
「公」としての特権を主張し、自らに厳しい倫理を課すか。

どちらも痛みを伴うことではありますが、どちらに進もうと、今の怪しい状態を続けて、欺瞞に満ちた空虚な主張をまき散らすよりは、ずっと公共の利益になるはずです。

言論機関の商品は言論です。自分の商品に責任を持たない企業は普通はすぐにつぶれていくものですが、テレビ局が一向につぶれないのは、これも特殊権益がある故でしょうか?
(おわり)



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