ナイジェリアの手紙は昔からあるあまりにバカげた手口なので、もはやネタ化してしまい、意図的に犯人の誘いに乗って逆に犯人を引っ掛け、バカな写真を撮らせて楽しむ人もいるほどです。
しかし、ナイジェリアの手紙はなくなりません。犯人たちは相変わらず「ナイジェリアの王子」を名乗り、いかがわしさ満点のブロークン・イングリッシュで、ひと目で詐欺と分かる代わり映えのしないバカげた投資話を発信し続けています。
なぜ彼らは、あたかも「これは詐欺メールです」と自己紹介するかのような低レベルなスパムを送り続けるのか?マイクロソフトリサーチのコーマック・ハーリー氏は、この現象をとても興味深い観点から分析しています。
Why do Nigerian Scammers Say They are from Nigeria?
論文によれば、見え透いた内容のメールを送ることは、詐欺をするうえで極めて重要な役割を持っています。それは、騙されやすい「カモ」のフィルタリングです。
へたに巧妙すぎる詐欺話をばらまくと、食いつく人は増えるでしょうが、それへの対応に手間がかかります。しかもいくら熱心に対応したところで、実際にカネを振り込むところまで行く人は少数です。こうなると、いくら騙しても経費ばかりかかり、商売になりません。
だからこの手の詐欺では、ターゲットのフィルタリングが重要になります。騙されやすいカモだけに聞こえる笛を吹いて、カモだけを集められれば、そこにリソースを重点的に投入して、効率的に利益をあげられるのです。ひと目でそれと分かる詐欺メールは、カモを判別するフィルタリング装置というわけです。
実際、世の中にはとんでもなく騙されやすい人は相当数存在して、極端な話し、老人性痴呆の人などは、彼らをピンポイントで見つけられさえすれば、高確率で仕留められるはずです。オランダのセキュリティ会社の試算によれば、ナイジェリアの手紙のような投資詐欺の被害額は2009年で93億ドルにのぼり、その額は年々上昇しているといいます。
正直ナイジェリアの手紙の送り主に、そこまでの深慮があるとも思えません。しかしこの説は、ナイジェリアの手紙のようなプリミティブな詐欺手法が、より洗練された詐欺メールに駆逐されることなく生存し続けている理由として説得力があります。
考えてみれば、メール詐欺に限らず、あらゆる詐欺という犯罪の肝は、詐欺の手法そのものにあるのではなく、いかにカモを効率的に見つけられるかにあるのかもしれません。