2012年12月27日

アジアコンプレックス

20世紀、日本には2度グローバルパワーになるチャンスがありました。そして2度とも、同じような態度をしてそのチャンスを逸しました。

ひとつは、1990年の湾岸戦争です。

共産ブロックが崩壊し、アメリカも財政赤字を抱えて意気消沈していた当時、日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でした。すでに株式市場は急落していましたが、株価回復への期待は大きく、まだまだイケイケムードでした。

そんな中イラクがクウェートに侵攻。世界秩序を維持するためにアメリカが介入し、日本にも軍事的協力を要請しましたが、日本はきっぱりお断りしました。

主要国のほとんどが参戦したこの戦争に人員を派遣しなかった日本は、国際社会において大いに面目を潰し、さらにバブル崩壊が明白になると、アメリカから袖にされ、中韓から嫌がらせされ、坂を転がり落ちるように没落したのでした。

もしあのとき日本が参戦していたらどうなっていたのか?もちろんそれは、当時の国内政治の状況からして考えにくいことですが、もし参戦していたならば、世界の勢力図は大きく変化していたはずです。

なにしろ当時は冷戦構造が崩れ、新秩序の構築が模索されているときでした。圧倒的な経済力を誇示していた日本が、アメリカに乞われて軍事的にその一翼を担う意志を示したなら、政経軍三拍子揃ったグローバルパワーへと昇格する可能性は十分にありました。政治力に担保された経済も持ち直したに違いありません。

しかし当時の日本は政治家もマスコミも国民も内向きで、世界の変化をドメスティックな物差しでしか測れませんでした。世界は日本にグローバルパワーの席を用意していたのに、日本人にはそれが見えなかったのです。

グローバルパワーとなるもうひとつのチャンスは、1914年の第一次世界大戦です。

20世紀初頭の世界は、大英帝国が秩序を維持していました。しかし、世界の4分の1に及んだ広大な領土のあちこちで軋みが生じ、大英帝国時代の終わりを予感させていました。そんなとき、新進のドイツ帝国と全面衝突したのです。

日英同盟を結んでいた日本は、イギリスから陸上戦力の欧州派遣を乞われました。しかし日本は、「欧州に派兵したらアジアの秩序が守れない」「イギリスの犬になるのは嫌だ」などと派遣を拒否しました。そしてドイツのアジア植民地をちょちょいと占領して、欧州には小艦隊を派遣するくらいで、あとは大戦景気による金儲けに邁進しました。

戦後、日本は戦勝国として世界の五大国に数えられるようになりました。しかし、火事場泥棒的に最小限の出血で利益だけ手にした日本は、自分の利益のためにしか動かないずるい国という烙印を押され、戦後の新秩序構築において限定した発言権しか与えられず、日英同盟の解消と国際的孤立への種を巻いたのでした。

もし日本が陸軍を派遣していたらどうなっていたのか?

日本同様イギリスに派兵を乞われ、結局派兵したアメリカは、「自己中心の金儲け主義者」というそれまでのイメージから、大義を重んじる政治大国と見られるようになり、「民族自決」による戦後の新秩序構築を先導したものでした。

日本が派兵していれば、アメリカと並ぶ「大英帝国の掃除屋」として、世界新秩序の中で主役級の地位を得ていた可能性は大いに考えられます。当時のイギリス人は、自らの帝国を「人道的帝国」「寛容な帝国」と認識して誇りにしており、実際に第二次大戦後、帝国は人道と寛容の精神に押しつぶされて自壊しました。「人種的平等」を訴える有色人種の血により得られた勝利は、大英帝国の解消を20年早め、日本は有色人種の精神的支柱として、アメリカをも凌ぐ地位を得ていたかもしれないのです。

しかしそうした可能性は、日本人自身の内向きな態度により泡と消えました。

いや、1990年も1914年も、日本人に内向きという自覚はなく、グローバルな眼で国益を睨んでいると考えていました。1990年の日本人は、「海外派兵はアジアの人たちの反感を買う」と言い、1914年の日本人は、「欧州に派兵するとアジアの秩序を守れない」と言いました。日本人は日本人なりに国際的視野で身の振り方を判断し、ただ日本人の頭の中では、世界=アジアだったのです。

アジアの旗を掲げてグローバルパワーとなるチャンスを逃し、アジアの旗を掲げて無謀な戦争をし、今もアジアの特定国の顔色を伺って国の指針を決める日本。自分がその一員であるアジアに親愛の情を抱くのと、アジアコンプレックスであるのは違います。日本人はアジアコンプレックスであり、それを自覚し、克服することこそが日本の未来のためであり、またアジア全体のためなのです。

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この記事へのコメント
日英同盟時の協力については、その後敵対したために当時より遥かに過小評価されていますが、海での貢献は決して小さいものではありません。
陸軍こそ派遣しませんでしたが、
第一〜第三特務艦隊は英国の輸送の要の海路を世界規模で守りきっています。その後、ドイツの公刊戦史においても、日本の海路防衛がいかに邪魔だったかが英国の公刊戦史においてのそれより評価されています。

英国が定着させたい「日本のせいでダメになった日英同盟、という歴史観」を鵜呑みにしすぎていらっしゃるのではないでしょうか。

とはいえ、軍事的な世界への貢献の理解が少ない、というのは戦後、焚書や地政学の教授の禁止など世界規模の戦略と無縁の状況におかれた現状の日本が抱えるアキレス腱であるという意見には賛同します。
Posted by 名無し at 2012年12月28日 02:36
田嶋陽子女史が血相変えて全面反論しそうな意見ですね。
Posted by JFK at 2012年12月28日 18:18
グローバル・パワーにならなくて良かったと思いますよ。なった結果が、今の欧州の移民問題ですから。

私はルーズベルトをあまり恨む気になれません。
嵌められたとは言え、日本を大陸・半島と切り離してくれました。

あのままダラダラと大陸・半島に関わっていたら、今頃日本は大変なことになっていたでしょう。
Posted by 昭和青年 at 2012年12月29日 13:08
日露戦争の時には、英国は協力はしたけど派兵はしなかったでしょう。日本が第一次対戦で欧州にまで出兵する義務はなかったと思う。それに日英同盟が終わったのは、アメリカの横槍が大きかった。アメリカには独立戦争以来の根強い反英感情があったことと、日本を人種差別的な要因で敵視していたからでしょう。それと、英連邦に属するオーストラリアもアジアで台頭する日本を快く思っていなかった(もちろん、人種的要因も含む)ことも影響している。
Posted by おたか at 2012年12月31日 00:58
アメリカ以前に大英帝国内ではオーストラリアやニュージーランドは日英同盟維持に賛成したが、アメリカの隣国のカナダが猛烈に反対
Posted by   at 2013年01月17日 18:23
一回目は五大国とはいえ欧州へ補給無理でしょう?明らかに無理です。出来るできないとか言うより不可能です。英国がフォローするとはいえ第二次大戦の英国のシンガポールの落ちたことを思えばアメリカがアジアにおいてイギリスの邪魔しまくって欧州では仲間ヅラしてますし。
二回目はマスコミ元気でしたし今みたいに大アジア主義=大東亜共栄圏とか大西洋憲章とか国民が理解できていませんもの。
Posted by 緑 at 2013年01月19日 11:50
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