唸らせる内容の上質記事もたくさんありますが、中にはトンデモもあります。そんなトンデモのひとつ、とうか妙にそれらしく書かれているので油断していると頷いしまいそうになるという点で有害とさえ言える記事がこれです。
PSY「GANGNAM STYLE」はいかに世界を変えたか:「文化テクノロジー」としてKーPOP
文化のグローバリゼーションに合わせて文化生産システムを築いたKーPOPの前途は洋々であるという内容で、そうした視点を持たない日本の大衆文化はガラパゴスであると含みをもたせています。
「文化テクノロジー」などと言われると、ついほぉ〜と感心してしまいますが、では「文化テクノロジー」とは何ぞや?と問われると、何のことだかわかりません。この記事は、「文化テクノロジー」というキャッチコピーを軸に、ひたすらKーPOPに砂糖を振りかけて本質をぼかす、分析に見せかけたイメージ売り込み記事だからです。
この記事でたびたび援用されている「ニューヨーカー」誌の元記事にあたると、「文化テクノロジー」の正体は記事のタイトルですぐにわかります。
Factory Girls
「ファクトリー・ガールズ」、すなわちK-POPとは、緻密にマニュアル化された工程に従って作られる、アイドルという名の大量生産商品なのだというわけです。そしてもちろんこの記事は、そんなKーPOPというシステムを肯定してはいません。
「『文化テクノロジー』としてのKーPOP」においては、サイの成功は「文化テクノロジー」戦略の延長として位置づけられています。しかし「ニューヨーカー」の記事では、サイの成功は「文化テクノロジー」への反証として取り上げられています。
皮肉なことに、芸能事務所のアイドル生産への多額な投資にもかかわらず、アメリカで初めてブレークした韓国人ポップ・スター、サイの成功は、大量生産システムの外で起きた。サイはY.G.エージェンシーに所属しているが、アイドルの素材ではない。彼のファーストアルバム「PSY from the PSYcho World!」は「不適当な内容」との理由で糾弾されたし、セカンドアルバムの「Ssa 2」は19歳以下に販売禁止とされた。2001年には大麻吸引で逮捕され、兵役中には職務怠慢により再度兵役を課せられている。彼は韓国のポップ・スターではあるがK-POPではなく、KーPOP的世界観を皮肉る内容の「江南スタイル」により、欧米におけるKーPOPの前途を貶めたとさえ言えるだろう。少なくても、小太り男によるおバカダンスが、緻密な計算により作られたアイドルグループに成し得なかった成功を収めたという事実は、文化テクノロジーの限界を示している。
「江南スタイルはK-POPを殺す」という視点に、自分は全面的に同意します。世界最大のK-POP市場である日本で、江南スタイルが伏せられた最大の理由は、そこに見出されるべきなのです。
「『文化テクノロジー』としてのKーPOP」の筆者は、未来のミュージック・シーンについて次のように書きます。
K-POPの可能性を正面から論じた欧米メディアの報道に従えば、PSY人気を契機として、グローバルヒットを生み出すための「テクノロジー」は、より高品質のプロダクトを目指して、今後世界中でよりいっそうの開発が進むこととなる。そしてその予測が正しければ、未来のヒットチャートは、世界各国の多種多様なアーティストが入り乱れる多言語空間になっていくはずなのだ。
なるほど、ネットの普及による情報のグローバリゼーションが、国境や言語という水平軸の差異を無効化していくことに異論はありません。しかし筆者は、もうひとつの軸、垂直軸の差異の無効化を無視しています。
かつてのミュージック・シーンは、メジャーレーベルを頂点としたヒエラルキーの中で展開されていました。しかしネットは、メジャーレーベルとインディーズの差はもちろん、究極的には音楽の生産者と消費者の差さえ解消してしまいます。未来のヒットチャートは、多言語空間であるとともに、多生産者空間になるに違いないのです。
であるならば、旧態然とした垂直軸を基礎として成り立つKーPOPやAKBのような「アイドル工場」システムは、早晩瓦解するはずです。いや、すでに「アイドル工場」により作られたヒットチャートがミュージック・シーンから完全に乖離し、何やら別のものに変質している現状を見れば、こんなものに未来を見ようとする態度は、どうかしていると言わざるをえません。
「文化テクノロジー」などという軽薄なキャッチコピーに踊らされるビジネスマンや役人が少ないことを祈ります。
いつも含蓄に富んだ素晴らしい記事をありがとうございます
良いお年を