自衛隊も持ち出して緊張状態が続く尖閣問題を意識させれば、日米同盟強化もオスプレイ配備も納得してもらえるという算段だろうが、あまりにも作戦の想定が安直で非現実的ではないか。
国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなどを考えると、中国が尖閣諸島を「奪う」メリットがあるとは思えない。従って「奪還」のためのオスプレイが役立つこともないだろう。
オスプレイ宣撫 離島防衛に絡める安直さ
沖縄新報の主張を真面目に受け止める人は今や少数だと思いますが、中国が武力行使するメリットはないとする論理には説得力があるように思えます。中共嫌いの人も、尖閣防衛の強化を訴える人も、心の底では中国が開戦に踏み切るはずはないと感じており、対中警戒はあくまで中国の横暴を牽制するためのポーズ程度に考えている人は多いはずです。
中国のメリットのなさで最大のものは、経済的な理由です。グローバル経済と密接に結びついている中国は、もし武力行使すれば、敵に与える以上の経済的打撃を受けかねない、いや確実に受けます。そんな非合理な自滅行動をとるとは、常識的に考えられません。国家間の経済的相互依存関係が高いグローバリゼーションの時代に、主要国間の戦争はありえないように思えます。
しかしそれは誤謬です。経済のグローバリゼーション化は現代の専売特許ではありませんし、むしろ史上最大の戦争は、グローバリゼーションの時代に起きました。それは第一次世界大戦です。
第一次大戦前の世界、19世紀末から20世紀初頭における、特に先進国間の経済は緊密な相互依存関係にありました。1913年の日本のGDPにおける輸出の割合(輸出依存度)は12.5%で今日よりも高く、日米欧を合わせた輸出依存度は11.7%でした。資本も国境を飛び越えました。当時の外国投資の3分の1は直接投資で、1913年の世界の総生産の9%は対外直接投資によるものと推測されています。
当然関税は低く、世界経済をリードしていたイギリスは関税ゼロで、関税自主権のない日本は1900年代までやはりゼロでした。当時世界に冠たる保護貿易国のアメリカを除けば、世界の主要国は軒並み10%程度の低関税で、輸送手段と冷凍技術の進歩により、世界の食料品価格は年々平準化していました。
100年前の世界は、データ的にはほとんどあらゆる面において1990年代の世界に比すグローバリゼーションを成し遂げていたのです。
しかも、こうした国境のない世界ぶりはビジネス界に限りませんでした。日本の農民はハワイや南北アメリカに盛んに移民し、腕に覚えのある者は中国大陸で運試ししました。ヨーロッパ人も同様で、ある者はアメリカに、またある者は世界の果ての植民地に新天地を求めて移住しました。
また隣国と国境を接するヨーロッパ諸国の場合、地域の経済は国境に縛られていませんでした。たとえばドイツ帝国の場合、東部地域はその他のドイツ地域よりもロシアと、西部地域はフランスと、南部地域はオーストリアとより経済的に結びついていました。
このように第一次大戦前の世界は、人、物、資本が国境などお構いなしに移動するグローバリゼーション時代であり、主要国間での戦争に勝者がいないのは誰の目にも明らかでした。しかし当時の人々は、オーストリアのセルビア懲罰という些細な紛争を契機にして何のメリットもない戦争に突入し、案の定ヨーロッパは没落したのです。
歴史を見る限り、グローバリゼーションによる経済の緊密化は戦争を抑止しません。戦争は「国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなど」おかまいなしに起きるのです。
「自由恋愛がロミオとジュリエットの悲劇を生んだのだ」というのと同じ意味で。
当たり前ですが、戦争や悲劇を起こしたのは、その自由貿易や自由恋愛を、既得権を守るために邪魔しようとした連中です。
ただ、当時と現在とで決定的に違うのはメディアによる情報のグローバリゼーションではあると思うけど。いくら情報統制されてる中国人でも当時の日本人よりは海外の情報に精通しているだろうし。
それに、航空機輸送の発達で今の方がはるかに海外に行きやすく、いろんな人が実際に行っていることも見逃せないと思います(実際に東南アジアに行く人が増えたことが、極度の日本人自虐論が廃れていった遠因だと、個人的には思います)。
しかし全てのメリット・デメリットを考えないというのは違います。
戦争は人口圧力のメリット・デメリットによって起こされるものです。単純に言えば全人口のうち兵隊に行ける若者人口が多ければ戦争にメリットがあり、少なければデメリットがあるので戦争をしないということです。
過去の二度の大戦も若者人口が急激に増えている国がそのメリットゆえに起こしたものです。
中国は1980年代に一人っ子政策を開始して以降、若年者人口が急激に低下。最新の調査では出生率が1.1と日本以上に少子化が進んでいます。このような状態で戦争を行えば、少子化進行中にアフガン戦争を行ったソ連と同じ運命をたどるでしょう。
特に第1次ベビーブーマーの時はベトナム戦争、第2次ベビーブーマーの時は湾岸戦争という大きな戦争をやっています。
しかし近年はアメリカの出生率も下がり続けており、オバマの軍縮路線はその状況に従ったものと言えます。
それが、ケインズ主義者にとって、もっとも理想的な公共事業だからです。
http://www.youtube.com/watch?v=-65T-ZqINwI
>史上最大の戦争は、グローバリゼーションの時代に起きました。
これは大嘘です。
史上最大の戦争は、グローバリゼーションを政府が邪魔した時代に起きました。
これが真実ですよ。
平和の敵は政府
http://d.hatena.ne.jp/KnightLiberty/20120930/p1
それだけではなく、グローバリゼーションは世界的大戦の危機を増大させるというのが歴史の教訓です。
第一次大戦が現在と同等以上のグローバル化の時代に起こったことも、第二次大戦がそのグローバルの結果による世界大恐慌(グローバル化はむしろ市場を不安定にするから)を直接の原因としているのも、決して偶然ではないということを思い出すべきでしょう。
集団同士の話し合いは当然ながら、強者弱者の論理で行われるのですが、何とか妥協が形成できる場合とそうではない場合の判別は、弱者側の生存権の問題に懸って居ると云うのが、2つの世界大戦を経た人類の結論です。
弱者側の生存権の度合いに拠って、戦争に成る度合いも決まる、「座して死を俟つ位なら、乾坤一擲、決死の戦いに及べば回天起生の機会有り」として、実際に数倍の大軍を相手に勝った話は幾らでもあるから、弱い側を追い詰めれば、戦争になる可能性がどんどん高くなる。
グローバリゼーションと云う鈴は、大きな猫の首に懸っている、鼠が猫を説得して、自分達の生存を保障できるルールを造れるのなら良いが、強者が何のメリットも無いのに、故なき譲歩等するわけが無い。
斯うして、グローバリゼーションは戦いを産むに至る。
ふーん。
まあ確かに、ある意味、正しいか。
今「グローバル化で戦争になるぞ」などと言っているのは、未だにマスメディアにそんな力があると思い込んでいる、化石人間の最後の絶叫として笑われるべきものでしょう。
ただその後のグローバリゼーションについては疑問点があります。
19世紀経済はケインズ主義など無い自由主義時代でした。それは今のように先進国の停滞などなく当事国の社会全体が発展していたからであり、各国の人口規模も今の半分もありません。
つまりいくらでも自国や植民地の市場が成長していたので貿易制限などしなくても問題なかったと思うんです。
なので今のように停滞した先進国と発展してきた途上国との平準化とは意味合いがだいぶ違う話だと思いますよ
あと蛇足感がありますが
>オーストリアのセルビア懲罰という些細な紛争
当時王政のオーストリアで皇太子が暗殺されるんですから全然些細な問題ではありません。結果論としてWW1の犠牲と比べるのは簡単ですが、当時の政府の立場からすれば非難は出来ないと思います
必ずしもそうではないかもしれませんよ。
当時もパックス・ブリタニカが斜陽に向かい始め、ドイツや日本、そして次代の覇者となるアメリカが台頭してきた次代でしたから。
参加している国々は異なるものの、状況は意外と似ているかもしれません。
さらに、当時より深刻かもしれないのが、次代の覇者となる国家がなく、世界は多極化に向かわざるを得ない点でしょうか。
グローバリズム幻想は、アメリカの一極支配が継続することが前提です(そうでなければ、最終的に世界秩序を維持する責任を負うものがいなくなる)。
世界が多極化に向かう以上、グローバリズムは終焉せざるを得ないでしょうね。
理性的な行動を取れるようになるのは簡単です。
1沿岸部に偏った繁栄を内陸部にまで広げる。
2極端に偏った貧富の差をもっと平準化する。
3深刻化する一方の環境汚染を改善する。
4一億人以上いる闇子に国籍を与え認知する。
役人の汚職とか高齢化問題とか、細かいことを言い出せばキリがないですが、上記の四つ(1と2はかなり重なるんで実質は三つ?)さえ改善すれば中国の未来は安泰です。
簡単でしょ?
覇権国家の変遷は何時の時代もあるんですけど、技術向上と交通革命で当時はどこも凄まじいい成長ぶりだったんです。
例えば、ライブツィヒ〜ドレスデン間に鉄道が開通した→数年後に地域の所得が2倍になる と言ったような話しや、今まで気にしていなかった公衆衛生に、政府が少しの予算を投入しただけで死亡率が格段に下がる(寿命が延びた分長く働けるようになった)。ガス灯や電球で夜も安全に商売できるようになるとかですね。
これは覇権国家だった英国でも同じ話です。
(長くなるのでやめときますが、英国は没落したというよりはコアの人口規模のせいで周りの国の成長について行けなかったという印象です。)
果たして現代、発展途上国にも先進国並みとは言えないかもしれませんが、鉄道は出来て技術的にも先進国と同じものを使い始めてる状況で、19世紀の様な経済成長があるでしょうか。そういう意味で今とは違うと思うんです。
近江聖人のお話が出ましたのでhttp://iiyama16.blog.fc2.com/?no=4029
私も鵤の聖人聖徳太子の心を1500年後のいま現代に伝えてくださった匠のお話をご紹介したく思いました。
タイトルの本は1987年「BE-PAL」誌上に連載されたエッセイ形式を1988年3月小学館ライブラリーとして刊行されたものです。
最後の棟梁鵤之郷大工西岡常一氏の「あとがき」を全文転載します。(誤字校正済)
田舎大工の口から出放題の戯言を、「BE-PAL」誌上に区切りよく連載して下さった白井康介さん、今また、その連載を一冊の本にお纏め下さった石塚郁雄さん、其の他のスタッフの皆々様に深く御礼申し上げます。
学者への不用意な放言も、歯に衣を着せて上手にお纏め下さったことに感心いたします。私は、学問を軽んずるような心は毛頭もっておりませんが、よく考えてみて下さい。科学知識は日進月歩で、今日の正論は明日の正論では有り得ないのではないでしょうか。今日をもって千年後の建築の命を証明出来ないのではないかと思います。千年どころか、明日をも律し得ないのが科学知識の天気予報やありませんか。
それはなんでかと言うたら、科学はまだまだ未完成やからだっしゃろ。未完成の今日を科学で総てを律しようと考えがちなのが、学者さん方やおまへんやろか。科学知識のない我々工人の言い分にも耳を傾けるような学者さんこそ、ほんとうの学者やと思いまんな。
私どもの、仕事に対する考え方や思い入れは、神代以来の体験の上に体験を重ねた伝統というものをしっかり踏まえて、仕事に打ち込んでますのやがな。例えば、法隆寺伝統の大工には口伝というものがありますのやが、その中の一つに「堂組の木組は寸法で組まずに、木の癖を組め」と言うのがありますけど、どんな建築の本を読んでも、こんな言葉にはお目にかかりまへんな。寸法や形式・様式には詳しいことですが、建物を造営する木の癖に触れた本には、いまだお目にかかっていまへん。それは私の本を読む範囲がせまいのかも知れまへん。浅学のせいでっしゃろな。もっともっと勉強せなあかんとゆうことかいな。
何れにしても、堂塔伽藍を造営するのには、様式や形式に先だって、造営の意義と言うものがありまんがな。例えば、法隆寺の場合には、英邁限りない聖徳太子が仏法の慈悲をもって国を治めようとなさったんやと思いますが、多くの仏法者を養成するための道場としての伽藍ですがな。薬師寺もまた、天武・持統の両帝が、仏法興隆治国平天下の大願をもってなされた大伽藍でっせ。仏法の慈悲ゆうたら、母が子を思う心だっせ。火事や地震やと火急の場合、自分の一身にかえても子を救おうとする、それが慈悲でんがな。
世のお母さん方、自分の心の内をようよう振り返ってみて下され。ようわかるはずだすが。わからなんだら、法隆寺や薬師寺のような心構えで造営された、魂のこもる寺に、観光でなく心から参拝して祈ってみて下され。仏法こそが、世界を最後に救う法やと感得しますし、慈悲心で国を治めようとなさった太子や天武・持統の魂が、皆様方の心にも宿りまっせ。
大工の喋ることやないことを喋りましたな。笑ってお許し下さい。
一九八七年十二月
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この本の他にも、NHKブックス318「法隆寺を支えた木」(西岡常一、小原二郎)と言う本で、西岡常一師の口伝を読むことが出来ます。