これは要するに、「韓国に機密事項を伝えるとリークされちゃうから信用できない」と非公式の場で忠告したら、案の定リークされちゃったということです。なぜか逆ギレまでされて。
もうすぐ日韓首脳会談もあるし、事を荒立てたくないということで、日本政府は一応謝ったようですが、甘やかしすぎです。韓国政府がこれに味をしめて、他の国に対して同じように振る舞ったらどうするんでしょうか?代わって日本が謝ってあげるんでしょうか?
かの国には普遍的な論理は通用しないようです。もしこれがアジアの価値観だというのなら、そんな価値観に何の価値があるのでしょう?朝鮮半島といい、ドタキャン中国といい、そんな価値観を共有しなければならない「アジア共同体」なんて真っ平です。
輔車唇歯(ほしゃしんし)とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。
例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然も殘忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮没するものに異ならず。其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と云ふ可し。
左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。
突然語り口を古風にしたわけではありません。120年前に書かれた福沢諭吉の「脱亜論」です。[全文] 表現は古いですが、その言葉がすべてが、今もそのまま通用することに愕然とします。
「朝鮮、支那に対して西洋人と同じ態度で接しろ」という傲慢な態度が、朝鮮の植民地化と中国侵略につながったという人もいます。しかし厳密に言えば、その後の日本は諭吉の言葉に従ったとは言えません。
西洋人とは違い、征服地の住民を文明化しようとして、頼まれもしないのに教師のように振る舞ったことは傲慢でしたし、大東亜共栄圏など構想し、西洋人の同志をアジアから排除しようとしたのは分を越えていました。
いつか来た道に迷い込まないように、今後は諭吉の言葉に忠実に従い、謙虚に他の西洋諸国と肩を並べて、心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するべきなのかもしれません。
脱亜論、初めて読みました。
こんな昔からここまで中韓の本性を見抜き、
国際的な視点を持てた人がいたなんて。
現代の我々は家にいながらにしてこれだけ情報を仕入れながら、
まったく本質が見えていなかったことを
恥ずかしいと思わなくてはいけませんね。
相も変わらず火病爆裂ですね。
なんかの資料に、”コリアンは日本人に侮蔑されると異常なまでの不安感を覚える‘と。
ほんとうだったんですね。
論評で、「両国同盟は両国の国益にとって依然として死活的事案であり、米国は韓国防御と地域安保および安定、同盟強化に確固たる意志を持っている」と述べた。
また、ローレス次官補の発言内容に関しては、「国防高官の間であった秘密会議の内容には触れないのが慣例」とし、対話内容が流出したことに対し間接的に遺憾の意を表明した。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/10/20050610000045.html
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危惧が現実のものになったようです…
もう、やれやれとしか言いようがない…
しかし、これを日本がやらねば、未だに植民地全盛だったと思うよ。また、ハル・ノートを呑み続け、戦わずして米国に従っていたら、日本は丁度今のフィリピンの様なだらしなくて無気力な(失礼!)国になっていただろう。
戦って負けた者は立ち直れるが、戦わずして負けた者は永遠の敗者になる。僕は不遜ながら日本は太平洋戦争でガタガタになるまで戦ってよかったと思っている。
>西洋人の同志をアジアから排除しようとしたのは分を越えていました。
何を持って当事の西洋人を同士と言っているのか分かりませんが、日本からの見地が欠落しております。
日本も好きで好んで他国の面倒を見たわけではありません。大東亜共栄圏など建前です。本気だったら、ハワイ王国が同盟を求めてきた時点で、アメリカと一発かましてますし、植民地解放を謳うなら、中東やアフリカにも出兵していたでしょう。シーレーンや防衛線に関係があったから、必要に迫られて嫌々ながらもやっただけです。
「欧州情勢複雑怪奇なり」の言葉のとおり、国が干上がりかけてた当事の日本が、共産主義に染まってた他国を信用できたでしょうか。
ご存じないかもしれませんが、当時はアメリカですら共産主義の危険性を全く理解しておらず、反共産を掲げていたのは独日くらいです。
大東亜戦争を植民地開放と言う気はさらさらありませんが、自衛戦争であった事は言い切れます。
無抵抗のまま、ハル・ノートでも何でも受け入れるのが正かったと主張するようなら、白人の意見を代弁するだけで、日本の見地からの思考が欠落しているとしか思えません。或いは日本からの見解を必要としていないのならば、私は日本からの見解を述べるだけです。皮肉ですが、今日本が日本としてあるのは、あの時抵抗していたからです。これは否定できません・・・。
分を超えていたかどうか判断するのは日本でも西洋人の「同志」とやらでもない。
舞台となったアジアの人たちだ。そして半島と中国を除けばほとんどの国が日本の行ったことに対しに対し中立、又は友好的な意見が大部分を占める。