鯨を殺すのは時代遅れです。それは、奴隷を保持していた我々の祖先を思わせます。奴隷制は、150年前は普通のことでしたが、今はとんでもないことです。
アメリカの海洋生物学者、ダグ・トンプソンさんの言葉です。鯨と人間を一緒にするとは、なんともナイーブな方です。
しかし欧米にはこういうナイーブな方がたくさんいるようで、「日本の調査捕鯨船への軍事行動も辞すべきではない」というオーストラリアの政治家の発言も、鯨と人間を一緒くたにすればこそのものでしょう。
ところで、鯨と人間を一緒にするというとんでもない誤謬は置いておくとして、トンプソンさんの発言はとても合点がいきます。というのも、ぼくは常々、捕鯨撲滅に情熱を注ぐ現代の欧米人の姿は、奴隷制撲滅に情熱をかけた19世紀の欧米人の姿と同じだと思っていたからです。
欧米の主要国が捕鯨をやめたのは、鯨への愛のためではありません。採算に合わなくなったからです。鯨肉を口にしない欧米では、主に油を搾り取るために世界中の海で鯨を乱獲していました。しかし安価な石油の普及により、鯨は用済みとなってしまったのです。グリーンピースが反捕鯨運動に乗り出した70年代には、欧米諸国における捕鯨は、すでに過去の遺物になりつつありました。
19世紀の奴隷制撲滅運動も同じです。18世紀までは、新大陸の経営に奴隷は不可欠なものでした。だからヨーロッパ諸国は、空前の規模でアフリカ人奴隷を新大陸に運びました。しかし19世紀に入ると、産業構造の変化で奴隷は採算に合わなくなってしまったのです。南北戦争前のアメリカ南部では、命に関わる危険な仕事は貧しい移民にまかされ、奴隷は安全な仕事に従事させられたといいます。奴隷を維持するよりも、移民労働者を雇う方が安上がりだったからです。
そして真っ先に奴隷を必要としなくなったイギリスは、一転して強硬な反奴隷制に転じました。奴隷制を続ける国や文化を徹底的に批判して圧力をかけ、英海軍は莫大な予算をかけて世界の海で奴隷商人の船を拿捕したのです・・・世界一の奴隷制推進者が、奴隷を必要としなくなった途端に過激な反奴隷制に転じてまわりを叩くところは、捕鯨問題と同じ構図です。
ものすごく都合が良い偽善臭がしますが、ぼくはこう思います。奴隷を必要としない立場だからこそできたこととはいえ、奴隷制の撲滅に情熱を燃やしたイギリス、そしてやがては欧米人の信念は、賞賛に値すると。捕鯨問題にしてもそうです。鯨を守りたい、鯨と共存したいと願い、世界に対してそう訴えるのは、何ら責められるべきところのない、美しい心がけです。
ただ問題なのは、何事もそうですが、美しい信念は、必ずしも美しい結果を生まないということです。
英海軍に発見された奴隷輸送船は、証拠を隠滅して罰を逃れるためにたびたび大勢の奴隷を殺して海に捨てました。海路での奴隷輸送が困難になると、サハラ砂漠を徒歩で横断する陸上輸送が活発になり、多くの黒人が命を落としました。
もし当時の欧米人が、自分たちが奴隷制を捨てた理由は美しい心などではなく、経済的に必要としなくなったからだということに気づけば、そしてその事実に基づいて、真に奴隷制をなくすための建設的な道を模索していれば、そうした犠牲はなくてすんだかもしれません。
原理主義的な反捕鯨運動も同じで、闇雲に日本人の野蛮をがなり立てる今のやり方は、決して鯨を救う方向に進んでいないと思います。
今、鯨肉は日本人の生活に必要不可欠なものではありません。商業捕鯨が再開されたとしても、宇宙船地球号のエコが幅をきかせるこのご時世で、鯨肉はせいぜい珍味に毛が生えた程度しか普及しないでしょう。
そんな中、西欧人の原理主義的反捕鯨運動は、日本人のナショナリズムを刺激し、例えば、食糧安保のために鯨肉を広く普及させるべきなどという主張に、妙な真実味を与えてしまっています。そして、捕鯨により利権を得るほんの一握りの勢力のために、役人が無駄に税金をつぎ込むのを後押しすることにつながっています。
いわば過激な反捕鯨活動は、放っておけば勝手に無害なレベルまで縮小するだろう日本の鯨肉産業に、歪んだ形で生き残るための燃料を投下しているように思えてなりません。これは、鯨にも、西洋人にも、日本人にもマイナスです。そしてもし原理主義的反捕鯨運動が力で日本を全面屈服させるようなことにでもなれば・・・。
奴隷撲滅運動で暗澹とさせられるのは、それと時を同じくして起きた現象です。西欧諸国は、イスラムの奴隷商人をアフリカから駆逐しようとしてアフリカ全土を植民地化しました。依然として奴隷制が機能していた後進国を野蛮として見下し、急速に植民地化を進めました。奴隷制は許せないという美しい意図が、植民地主義を後押ししてしまったのです。
美しい信念は美しい。しかし、美しい信念を実行しようとして、その結果事態を悪化させるのであれば、それは醜悪な信念と呼ぶべきです。そして、美しい信念は必ずしも美しい結果に結びつかないという当たり前のことに気づかない人は、美しい信念を追求する果てに往々にして独善に陥り、より大きな罪を犯すことになるのです。
「美しい信念」でも美しい動機から生まれたわけではない。
自分の利益に適い、しかも正義面をすることができるという一挙両得なやり口ですね。
利益の主張であれば納得できるのに、価値観の押し付けのためにかえって反発を招いているということに気づいてほしいです。
自分を正直で純粋な真人間だと思ってる人たちだと常々思ってます。
・自らがつい最近まで行っていた活動を、
・それが不要になった時点で「野蛮」と規定し、
・他者にも許さず、実力行使してまで妨げる。また、
・その「野蛮」な活動を積極的に妨げること自体に重点があり、
・その「野蛮」な活動の犠牲者を守ることには関心が薄い。
僕は、捕鯨禁止の件は「アンチ日本」行為、小面憎い日本人を叩きたいが為の正当化だと思ってたのですが・・・奴隷解放を考え合わせると、必ずしもそうではないという事ですか。これは面白い。『捕鯨に反対しやがって』という感情は「心の棚」に置いといて、何故、彼等がそんなことをするのか、野生動物の行動分析的に興味があります。
何となく、キリスト教とその「告解(懺悔)」に関連がある様な気がしますが如何でしょうか。プロテスタントには無いそうですが、儀式として無いだけで、精神としてはあるのではないかと思います。
日本では「罪の意識」というのは、被害者から直接「許し」を得なければ薄まりませんし、基本的には無くならず墓まで背負ってくモノです。しかし、キリスト者は告解などによって完全に「許し」を受けることが出来る。「許し」を受ければ「罪の意識」も当然消滅。しかも「許し」は神様が与えるものであって、被害者の意思なんか関係ない。
こう考えると「自らが最近までやっていた」という事実は何の負い目にもならない事になります。だって神様に許されたんだもの。さらに今度は、他者のその行為を妨げることが義務になります。だって神様に「やらない、やらせない」って誓ったんだもの。その結果、犠牲者が増えてもあまり気になりません。だって大切なのは「やらせない」って神様との約束を守ることだもの(犠牲者なんか知らないよ)。
意地悪な見方をすると、欧米人の中には「神様に自分だけ誉められたい」本能があるのではないでしょうか。それ故に、常に「告発出来る他者の罪」を探し、自らがそれ無しで生活出来る様になるや否や、それっとばかりに「罪の許し」を得て、神の権威を笠に着て、他者の罪を告発して悦に入る。うわぁ醜い。
告解に至った出発点も「犠牲者に感じた憐憫の情」ではなくて、単にキリスト教で「鯨は人間の糧と規定されてない」とかだったりして。一方、有色人種は白人の為の「使役種族」としてしっかり規定されてるそうですが(笑)まぁ一応人間であり、隣人愛に関する記述と矛盾するから奴隷解放に至ったのかも知れません。
欧米人に率直に確認してみたい処であります。
ちなみに自分はキリスト教は詳しくないんで見当違いで無礼な事云ってたらスンマセン。
あるいは他の文化の善悪を決めるのは独善ではないのか?
というある意味、倫理学的な問題なのかもしれません。そうやって人類は少しずつ進歩していくのでしょう。永遠に訪れないであろう完璧な社会をめざして。
う〜ん、ネタとして、笑うべきなのでしょうか?oribeさんが仰る事が、逆説的に説明しているのでしたら、私の理解が足らず、申し訳ないです。
それでも、一言書かせていただきました。
>イギリスは、一転して強硬な反奴隷制に転じました。
え、これは、白人同士での話ということでしょうか?
歴史に疎い私でも、イギリスは先の大戦後も、インドを支配し、植民地化し、奴隷のように扱っていたのですが。それが、反奴隷制なのでしょうか??
また、今回の騒動で、他のブログ等でもありましたが、捕鯨に反対する欧米に対し、ヒンドゥーやイスラムが牛や豚を食するのに反対したら、というものもありました。が、これは意味が無いでしょう。
何故ならば、インドを植民地にしていたイギリス人は、ヒンドゥーのインド人に対し、これ見よがしに、インド人の目の前で、牛肉を食していたのですが。
アメリカ人のイヌイットとのダブスタといい、反捕鯨国の主張が「美しい信念」と理解する事すら、愚昧な私には、理解不能なのですが。
それは鯨に魂があるからです。
伝統的なキリスト教的解釈では、人間以外の動物は魂を持ちません。
近年、これが変わってきました。
キリスト教徒が「人に近い」動物と言った場合、「人のように」魂を持った動物だと言ってるわけです。
で、魂を持つものは殺してはいけない。
魂を持つものを殺すことは極めて人殺しに近いからです。
「一寸の虫にも五分の魂」と思う日本人にとっては馬鹿見たいな話ですが、キリスト教徒にはこう考える人が多いんです。
価値観の根本には合理的思考では理解できない非合理がある。
そう思ったほうが後付けの理屈に惑わされることが少なくなると思います。
日本人にとって捕鯨は、捕って食べるっていう単純な行為のみを意味するものではない、そういう想いを抱く人もいますよね。この記事にはそういう人への皮肉も込められているのでしょうか? 僕にはこの記事そのものが偽善に見えますが。。。
対等と認める者同士では、お互いにダブスタやってる矛盾は、自分の利害に深刻に関わってくるまで見て見ぬふりをするのが礼儀。
で、利害が対立したら戦争、と。
なので、たとえ科学的根拠に基づいて反論しても、当事者以外の国にしたら、それがどうした、としか思わないような気がします。
私はそんな日本的な感性が好きですが、せめて外交の場では主張することは主張しないと、とは思いますね。
ヒダリの人たちの姿とダブります。
ブログ主さんは制度としての奴隷制のことを言っておられるんだと思います。
植民地で広義の奴隷制があったか無いかは別にして(笑)英国がいち早く「奴隷制」に反対したのは事実です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93
日本の立場は
>食糧安保のために鯨肉を広く普及させるべき
なんて物じゃないんだけど
http://cruel.org/economist/economistshelly.html
が、今回のエントリーについてはとりあえず、日本が捕鯨を主張している理由について、あまりにも不勉強なようにお見受けします。
日本人は魚を食べるのをやめろと言い出しそう。
お金をかけても何とか水産庁には頑張ってもらいです。
捕食対象の被っているマグロはすごい勢いで減ってますし
餌を求めて浅瀬に近づきすぎて座礁する鯨も珍しくありません
鯨が食物連鎖の上の方にいるが故に、行き過ぎた
保護は海洋環境の破壊そのものであることに
気が付いて欲しいものです
鯨が将来海を荒らす生き物、都会でいう野良猫になりますね。町に野良猫がいたら捕まえる。オーストラリア人は野良猫を見て楽しめという。
どちらも変な言い分ですね。
・大戦直後は、魚も鯨も両方増えたと聞いたことがあります。人が魚を採りすぎる。ということでしょうか?
・牛や豚を殺すところを見たことがありますが、それは可哀想なものです。鯨も同じでしょう。
動物の為に一番いいのは、人間を減らすことでしょう。
・食べ物は、全人類が同じものを食べれば、食料不足で争いがおきるでしょうから、日本人だけ鯨を食べればかえっていいと考えました。後で食べたいと言ってもダメと言ってやりましょう。
以上まとまりませんが、考えました。
IWCでは最早科学的検証は意味をなさず、ただただカルトの集会レベルになっています。日本がやるのはノルウェーやアイスランドと共に管理捕鯨組合を作ることです。
野生カンガルーの分布密度が高くなりすぎて、かえって種の存続に危険だからとカンガルーを処分してる豪州人には言われ無くないですよね。
理想主義者の末路は、地球にコロニーを落とそうとしたシャアを思い出します。
自分を省みずに外部に変革を要求するから・・
このまま鯨が保護され、増え続けていけば、マグロなどの大型魚も姿を消すことになりかねず、そうなるとマグロ漁まで禁止とか言われかねません。そうやって次から次から絶滅危惧種が増えていって、最終的には我々は魚を食べられなくなるのではないか。
捕鯨の問題については、あまり意図が伝わってないように思えるなぁ・・・
案外、機械的に利害だけを追求する方が穏当で慈悲深い結果をもらたすんじゃね?」という一般論であると思うのですが、流れに乗って「捕鯨問題」自体を考えてみました。
捕鯨を維持するのは「漁業資源の保護のため」という意見が多いですが同感です。
鯨数のマイナス制御を止めてしまえば、漁獲量の確保も出来なくなり、即ち、漁業資源の枯渇に直面する危険性が高くなります。これは当然ですね。
但し、その理由だと「日本が捕鯨をする」説得力はありません。
第三国に「調査と鯨の頭数制御を兼ねた捕鯨」を委託しても良いのですから。
勿論、全ての捕鯨船には公的な立場の調査官が乗り込んで厳しく監視。捕った鯨は日本等が買取り(予約制?)。主張のポイントは『将来に渡り継続的に鯨数の制御を「誰か」が行い、漁業資源の保護に努めること』これだけです。「誰か」に日本が入るか否かは拘泥しない。
この様な提案を行った場合は諸外国も別の反応を示すでしょう。
狂信反日的な捕鯨反対派は困るのではないかな。
故に、日本が自国による捕鯨を主張する理由は「漁業資源の保護」がメインでは有得ません。
やはり、自国の鯨産業の保護(規模は滅茶苦茶小さいと思う)+農水産省の利権維持+国としての意地でしょう。鯨食文化的には輸入すれば良いので問題ないです。しかもお得意さんの立場であり、所詮は贅沢品ですから輸入出来なくてもダメージはありません。捕鯨産業を完全に畳んでしまえば、日本全体の産業的な収支は黒字でしょう。
勿論、僕もIWCには腹が立ちますし、国の意地は大切だと思うので、日本の捕鯨産業を畳みたくはないですが、感情を排除して考えるとこうなっちまいます。何処か間違ってたら御指摘願います。
後、おまけ。
宇宙人に「人類を喰っても良いアルカ(何故か中国弁)?」と問われた際のことを考えると、鯨に限らず自我のある生物は止めとくのが無難です。何まで喰ってよいかの線引きは難しいけど。
クソ理想論で言えば『ある生物を殺すことが自らの生存に不可避でない限り、全ての生物は殺してはいけない』の理屈に従うことになります。植物と無精卵は喰っていいのかな。流石に米の代わりをする生物はないし。青物も欠かせない。ああ、しかし、鶏は生きながらにして虐待していると言えなくもない。
結論、何喰っても一緒。寧ろ、飼うよりは捕まえる方が人道的に思える。
皆人類、原罪には向き合わんといかん。
私は商業捕鯨推進派ですが、理由は鯨の刺身や煮付が好きだからです。
意図がよく分かりません。
人類が自我のある生物を食べないようにしていれば、
人類を食べようとする宇宙人に(倫理的に?)対抗できるのですか?
自分が生き残る方法をロジックで探るのが知的生命体です。
遭難事故の被害者が、死者の(もしかしたら生者の)
人肉を食べて生き延びたことも現にありましたし、
私はそれを倫理的に否定できません。
もし飢えた宇宙人が本気で人類を食べようとしたら、
倫理ではなく武力で対抗せざるを得ないのが実際でしょう。
無理に倫理で対抗しようとして、
鯨肉を始めとして多くの動物食を普段からタブーにすることは、
人類の生存可能性を引き下げるだけで何も益がありません。
ただ唯一否定するべきは、嗜好的な人肉食です。
これは人類種の生存にとって明確に不利だからです。
多分に功利主義的な考え方ですが、私はこう考えます。
その部分を突っ込まれるとは・・・ orz
回答しましょう(笑)。宇宙人相手では、武力的に勝負にならん可能性が高いですので、
相手が攻撃的な場合は何時滅びるかだけの問題です。逆に勝負になる場合は頑張ってみるだけです。
従って『武力的には勝負にならんが、無闇に攻撃的でもないので一安心、しかし外交的に難題を吹っかけてきかねない』場合のみ悩む価値が出てきます。如何に難題を回避し、付け込まれる隙を無くすか。
特に、こちらが文明種族として「やや劣る」と見られた場合『彼等が劣る種族にしていることは、こちらもしても良いのだ』と考える可能性は倫理じゃなく論理的にありそうです:
【我≧人類】∧【人類≧鯨類】∧【食可:人類→鯨類】⇒【食可:我→人類】成立.てな感じで(w
故に「鯨とか喰わない方が無難」と書きました。
また、嗜好を無視すれば、獣肉を食わなくても健康には問題ないかと。
ディヴィット・ブリンというSF作家が「知性化シリーズ」という同じ世界を扱った一連の作品を書いているのですが、この世界観が念頭にあって、そんなことを書いたのかも知れません。
その世界で人類は宇宙人といいますか「汎銀河系的な国際社会」とでもいうものに出会います。傲慢で強大な種族が大量に居りまして、人類をも隷属させようとするのですが、既に人類がイルカを知性化して仲間として扱っていたため(文明種族の条件)彼等の国際慣例からは公然と手が出せず、色々陰険な策謀を仕掛けてくるが、人類は機転と勇気で・・・というものです。米国人の作者は意識してないと思いますが、銀河列強と人類の関係は、キッパリ、明治初期の欧米列強と日本の姿と重なります。
そこそこ面白いので、よろしければお読みください。
早川文庫から「スタータイド・ライジング」他2作位出ている筈です。
現在のIWCの最大の問題は、小野まさ様や、他の方が仰るように、論理的に物事を判断するのではなく、宗教的、人種差別的な判断で、物事を判断している点でしょう。それ故に、私は、小野まさ様や、他の方が仰るような論理的判断ができない相手だからこそ、この問題を深刻に感じています。
失礼な言い方になりますが、小野まさ様の意見に対し、
>だから?
>そうなの?
>どうでもいいじゃん。
と、言われれば、どう反論されるのでしょうか?
それに対し、明確な反論ができる者など、そうはいないと思いますが。
比較的、論理的と思われる欧米でさえ、このような有様ですので、世界は、、、。
世界の腹黒さを知る面で、私を含めた日本人が、痛みを知ればよいのですが。
(もし仮に、牛や豚、鶏等の地上の家畜が死滅したとしても、反捕鯨国家は、その節を曲げないのでしょうか??
魂を持ち、地上最大の人間を死に追いやる、キ○スト狂や、イ○ラム狂の正義とは、如何なものでしょうか?)
どういう状況を指しているか明確に読取れないのですが、
IWCで以下の主張をした場合に「どうでもいいじゃん」という反応が、
オーストラリア等の捕鯨反対国から挙がった場合でしょうか?
・日本は世界のための漁業資源の保護を最大の目的としている。
・故に、鯨の頭数の調査とコントロールを兼ねた捕鯨が第三国によって代行されるなら、
日本自体は捕鯨から手を引いても良い(調査官・研究者などは派遣する)。
・調査調整の捕鯨の収穫は良い値で引き取らせて頂く。
・以上が駄目なら、漁業資源の保護が出来ないので、日本は脱退し自己判断で調査捕鯨を続ける。
まず、無関係な国に「日本が非常に思い切った譲歩をしているのに、捕鯨反対国が真面目に取り合ってない」印象を与えるだけと思います。また、これに対する回答がNOであるならば、状況は現在と変わりませんが、駄々っ子の印象を捕鯨反対国に押付けられる分だけ得をします。日本がIWCを脱退する場合も「漁業資源の保護」という大義名分が付くので格好が付きます。
これに対する回答がYESであるならば日本の捕鯨産業は滅びますが、逆に言えば、将来性の乏しい産業から官民のリソース(人・物・金)を解放できます。日本から捕鯨の分け前を得た捕鯨国は日本に輸出して儲け、反捕鯨国は立場上参加出来ず指を咥えることになるでしょう。正直、日本が自前で捕るより安上がりでしょう。規模の小さな贅沢産業というのは、他国に任せて上客になるのが得策です。
そして、NO/YESに関わらず「鯨の頭数を調整して漁業資源を保護する手段を残す」という第一目標は達成出来るというか希望は残せます(NOなら脱退して自前でやる)。これが大切です。
中韓人はともかく、欧米人は論理的だと思いますが、論理に振り廻されたり、計画の建て方が中期的で安易に修正する傾向があるのでダブスタになりがちですね。憎んでも嘆いても仕方ありません。奴等が頼りにならないなら、わしら日本人が地球を救うんじゃ位の気持ちで行きましょう。
丁寧な返信ありがとうございます。
自分でも少しヘンな所に返信してしまったなと思っていました(汗
SFにはあまり詳しくないですが、そのシリーズはなかなか面白そうですね。
本屋に行くとき覚えていたら探してみます。
私は宇宙人というと、人間とかけ離れたミームの持ち主を想像してしまいがちです。
例えば分裂増殖する宇宙人は「個人」「人権」の概念がないでしょうし、
直接神経をつないで意思疎通する宇宙人がいたら、
テレパシーの精神文化しか持たない彼らが言語を習得するのは至難の技でしょう。
そういった異星生物たちが次々に加わる宇宙社会で、
共通の慣例を維持するのは難しいのではないかと思っています。
そんなわけで、人類の思想や哲学を宇宙人が問題にするという可能性も、
相手が宇宙人として成熟していればいるほどゼロに近くなるだろうと考えた次第です。
「外交」という視点はそこで落としてしまったというところでしょうか。
鯨食話のはずが、随分脱線させてしまいました。
経済的なリスクヘッジや、魚を食べるライバルを減らすという意味で、
鯨食は人類の生存可能性を高めるかな〜と思ったのです。
私個人の捕鯨支持動機は、大部分が嗜好から始まっているのですけれどね(笑
大変参考になりました。重ねて返信に感謝します。
鯨食文化とはただ鯨を食べるだけの文化ではなくて、鯨の採り方や解体などの技術も含まれています。輸入すれば良いと言うのは、文化が滅んでも良いと言うのと同義じゃないでしょうか。
文化のこともそうですが、日本の捕鯨は食糧危機対策の一環でもあるので、その面でも考える必要があると思います。
じゃ、それでどうするかというと、IWC脱退で捕鯨国と新団体立ち上げなどの根本からの解決には至らなそうなものしか思い浮かびませんが…。
確かに、鯨の解剖は解剖チームを技官として派遣すべきでしょう。日本人には要るけど他所だと捨てる部位もあるでしょうから。捕獲の方もニコルさんの本を読むと日本の砲手の腕は良いそうです・・・が、どちらにせよ「技術」であり「文化」ではありません。「技術」は進歩し変わっていくべきもの。伝統文化の様に保存するものではないと思いますよ。江戸以前の英雄的な捕鯨技術を守っているなら別ですが。
また、食糧危機対策ですが、漁業資源を守るために予防的に鯨を減らすというのはアリですが、切羽詰った状況で、鯨肉自体を当てにするのではまるで追いつかないと思いますよ。
やはり「日本が捕鯨する」ことに拘るのは、役人や業者にとっては利権や愛着でしょうし、市民にとっては感情だと思います。僕自身は「感情だから止めろ」とは思わない。国際的な場で感情を爆発させることは、日本ほどの国力を持った国としては、年に何回かは大いに爆発させて周辺国にストレスを与えておくべきだとさえ思います。
ただ、自分にとって何が譲れることで、何が本当に譲れないことなのかを把握した上でやるべきです。
「抵抗勢力」という言葉と同じようなレッテル貼りにしか見えないですね。
捕鯨が技術にすぎないという小野まささんの主張にはどうも違和感を覚えますね。
私は、日本の捕鯨というのはアニミズムに基づいた立派な伝統文化だと考えています。
それがIWC等の迫害により変質し、単なる技術に堕してしまったという論法ならまだ納得できますが、もともと技術の集積にすぎないと断定するのはどうかと思います。
それは例えば、能や歌舞伎や日本舞踊は丹田を重視する身体の使い方に特徴があり、その個々の身体技法は理論化できるからそれは技術にすぎないと言っているのと同じような気がします。
そもそも政府がこれだけ捕鯨にこだわっているのも、別に資源や環境やメンツのためではなく、政府が伝統的な捕鯨を文化だと位置づけているからじゃないでしょうか。
なので外国がやってもOKなら手を引くというのは、それこそ文化を技術に貶めることであり、日本人として本当に譲れないことを譲ることなんだと思います。
捕鯨反対派の走狗と見られている様な・・・まぁいいやあ(笑)。
即ち「仕事」という利権ですよ。「権限」とか「管轄」と表現した方が判り良かったですね。
役人というものは自分等が管理する縄張りを維持し、許認可するモノを増やし、手続きを複雑にして、要員や予算を増やしたいという本能があります。正直、民間企業に勤める僕からは、何が嬉しいのか想像し難いですので、何が彼等を駆り立てるのかは判りませんが。
理論化できるからどうとかではありません。
キャッチャーボートを駆って、電気銛を撃つことが「文化」だとは僕には全く思えないのです。
「電気銛射撃」には職人芸的な側面もあると思いますが、将来も捕鯨を続けて順調に進歩した場合、現行の方式は自動的に新しい方式に変るでしょう。電算機制御の完全自動照準「室内でボタン押すだけ」となった時「電気銛射撃」は文化だろうが何だろうが確実に消滅します。
また「室内でボタン押すだけ」も文化と云えるのでしょうか?
日本舞踊はメカに踊らせて「それでよし」という時代は来ないでしょう(確信無いけどねえ)。
ニコルさんの「勇魚」の冒頭に出てくる様な「伝統的捕鯨」は文化ですが、現在の捕鯨は文化ではないし、文化と技術はどちらが上に来るというものでもありません。
上でhiwaさんも指摘しておられますが「鯨を食べること」と「鯨の獲り方」は、まったく別の問題です。
たしかに小野まささんのおっしゃるように「鯨の獲り方」としての捕鯨文化は消失し、鯨食文化だけが残ったという見方もできます。
ですが、それでも私には「鯨の獲り方」こそが文化としての本体だと思えてならないのです。
結局は文化の担い手である鯨漁師さんの意識の問題になりますが、どんなに機械化が進んでもどこかにアニミズム的な要素を残したり、闘牛のようなショー的要素を取り入れることで、文化としての存続は可能だと思います。
私はたとえ「室内でボタン押すだけ」であっても、そこに鯨への感謝の気持ちが残るのならば、それは文化であると言っても差し支えないと考えます。
個人的には、鯨食文化保存のためだけ捕鯨するくらいならば、とっととIDCの勧告に従っちゃえばいいのにと思いますね。
例えば、規制や指導が必要な場合、役人の仕事が増えるわけです。勿論必要な仕事が大部分でしょう。ただ、いらなくなった仕事をいつまでも自分からやめようとはしません。僕の知っている範囲の話ですが。勿論役人は必要な人々ですよ。
小野まさ さん 鋭いコメントをいつも楽しみにしています。
ところで、鯨を殺したり、解体したり、食べたり利用するとき、それ自体は技術でも、例えば、鯨の苦しむさまを見て弔いの歌が生まれるとか、直接働く人の思いなどで、文化が生まれるのではないかと思ったりはします。
自分でやらないと、文化は生まれないのではないでしょうか?
諸外国に外注することに反対するものではありませんが。
あと、これから来る食糧難、他の国が漁しないものを、確保するのは必要と思いますね。
昆虫食なんかもいいと思います。
> 結局は文化の担い手である鯨漁師さんの意識の問題になりますが、
> どんなに機械化が進んでもどこかにアニミズム的な要素を残したり、
> 闘牛のようなショー的要素を取り入れることで、文化としての存続は
> 可能だと思います。
> 鯨を殺したり、解体したり、食べたり利用するとき、それ自体は技術でも、
> 例えば、鯨の苦しむさまを見て弔いの歌が生まれるとか、
> 直接働く人の思いなどで、文化が生まれるのではないかと思ったりはします。
> 自分でやらないと、文化は生まれないのではないでしょうか?
うむむむ、それは非常にわざとらしく病的に感じます。
無理して虚礼の様な文化を残す必要はなく、そのために生物を余計に苦しめる必要は無いと思うのですが如何でしょうか。立派な葬式をやるために殺す様な本末転倒を感じます。文化がどうなろうが出来るだけ苦しませずにアッサリ殺し、各人が喰う時に感謝の気持ちを持つだけで良いと考えます。それが犠牲になる生物への礼儀では。
大体、牛豚にはそんなことやっておらず、今まで気にしてなかった訳ですから不自然です。
僕は文化よりは犠牲になる生物への礼儀を優先したい。
人形焼きさん
虫食はご勘弁を(笑)いや個人的・生理的にどうしても駄目ですわ。菜食主義で良いんじゃないかな。豆類の効率的栽培と、肉に化けさせる技術があれば何とかなりそうな。後、近海を魚が獲れん状態にまで追い込んでいたとしたら、食料危機以前にヤバイと思います。
ありがとうございました。
この度、日本ブログ新聞というサイトをオープンいたしました。
ブログランキング&ブログパーツ&SNS&YouTubeなどの付加サービスを備えております。
よろしければ、ご参加下さい。
なお、このご案内が重複しておりました場合は、ご容赦下さい。
失礼いたします。
http://japanblog.jp/
根拠に乏しい捕鯨禁止はやはり異常に感じるのですが・・・
鯨漁に関係した文化といえば、やはり独特の慰霊の習慣や鯨料理でしょう。
いくら技術が進歩しようと、これらは文化として残っていく物だと思います。
特に一体一体に戒名を付けての慰霊は、
明治に牛や豚を食べる習慣が入ってくる以前に日本人が独自の感覚で編み出したもので、
家畜の機械的な屠殺が行われる現代へのアンチテーゼとして保持しておくべきミームではないでしょうか。
欧米人の感覚ではどうしても、魂があれば殺さない、無ければ殺してもいい、の二択になってしまうようですからね。
失礼な質問に対し、ご丁寧なご回答、ありがとうございました。
また、言葉足らずで申し訳ないですが、「どうでもいいじゃん」とは、科学的に統計を取ったデータに対し、具体的な反論もせず、結論ありきで反対する、反捕鯨国家の態度のことを指しています。
そもそも、IWCとは、捕鯨を止めさせる機関・組織でもないのに、自国の経済やエゴ、人種差別(日本を叩くためであれば、根拠も証拠もいらない)等で捕鯨を止めさせる事自体、あってはならないと思います。
日本人が出したデータに対し、同じように科学的根拠で捕鯨に反対するのであれば、納得する日本人は少なくないと思いますが、実態は真逆ですね。
確かに、中韓国人に比べ、欧米人は論理的だとは思いますが、その論理の基準は正義でも公正でも人道的でもなければ、エゴやダブスタ、人種差別等ですね。
ま、そんな「世界の常識」を肌身で感じただけでも、日本人にとって、プラスだとは思いますが。
(さしたる根拠や証拠も示さず、中韓国人と同様に、いわゆる「従軍慰安婦」問題を非難する、ナチスがすべて悪で、それを検証する事も許さない欧米人の論理性には、私のような愚昧な人間には理解不能ですね。
ま、欧米人以上にエゴな私としては、彼らが捕鯨を止めた事に対する損失に気づいたとき、どの面を下げてくるのかを見てみたいものですが。
日本人も欧米人に倣い、厚顔さも身につけていくべきなのでしょうか?)
鯨を取らないとアジやイワシがいなくなってしまうのが問題なのでは
動物を直接殺す仕事をしている方は、獣魂碑とか弔いの儀式や殺すときになるべく苦しまないようされます。
たまたま、知る機会がありました。
ご意見はわかりますので、その点だけ付け加えさしてください。
自分の経験では、欧米人に話を聞かせるコツは「利害の立場の共有」です。
即ち『これだと俺もアンタも困るよ?』等と問題を提起するなり利得で釣るなりし、そこから論理とデータを用いて進ませたい方向に誘導する筋道が作れれば何とかなります。これが基本かつ奥義かなと。
しかしながら、政府は『鯨食は日本古来の文化で・・・』と先方が関心を持ちようの無いネタを振り、データを使うにしても『増えてるんだから捕ってもいいじゃない!』と理解を求めている様に思います(日本捕鯨協会のサイト見た印象)。これは論理というより情緒に訴えてる様な気がする。
飽くまでIWCで頑張るなら、成功は覚束ないけど、ここは「漁業資源の保護」という利害共有できる見込みのあるネタ一本槍で主張すべきかと思います。
ちなみに中韓は論理も倫理も無意味。彼等に言うことを聞かせるには「殴る」以外には「飯を喰えないようにする」以外なく、抗議とか非難とか条約とかでお茶を濁して「イイ仕事した」顔してる政治家やら外交官には「ちゃんと陥穽のひとつも掘っとけよ」とイライラします。
日本人は厚顔にならない方がいいですね。国別で過去三百年位の平均シアワセ度を計ったら、多分日本がダントツでしょう。厚顔で狡猾な外国との間で、ちまちま損はするかも知れませんが、補って余りあるものがあるんじゃないでしょうか。
人形焼さん
了解しました。但し『韓国の食用犬業者は除いて』ですよね(笑)。
モンゴル遊牧民の羊の屠殺も早業で羊は鳴き声を上げないそうです。また、血の一滴も無駄にしないとか。ただ、日本人以外の大部分の民族は、犠牲になった生物そのものではなく、それをもたらした「神」なり「天」なりに感謝を捧げる様ですね。自分としてはやはり日本式の方が納得行きます。
最近復刻された「縄文物語」という漫画を読みましたが、狩った鹿を祭って『お前はよく戦った』と称えるシーンがあり、ちょっと感動しました。
他の方のコメントを見ると『鯨肉が好き』という意見が多いですが、鯨肉の味を美化し過ぎている様な気がするのです。本当に喰った意見だろうか、或いは、料理屋で喰った「尾の身の刺身」とか美味い部位の味でのみ語っていないだろうかと邪推しております。
自分の家では普通の安い部位(多分)をステーキにしてましたが、脂気がなく密度が高くて堅い「顎の疲れる肉」という印象しかないです。健康には良さそうですね。子供の味覚ではありますが、一方、ビフテキなんかは「美味い」という印象が明確に残っています。別に裕福な家ではありませんが、さる理由で牛肉は鯨肉以上に頻繁に喰ってましたので、別に鯨肉に飽きていた訳でもないと思います。
もし本格的に鯨肉が流通する様になったら、その多分一番大量に取れるであろう堅い部位も、現代の贅沢な日本人が余さず消費するか密かに心配しております。それもあって捕鯨再開に対して比較的冷淡なスタンスなのかも知れません。
鯨肉のユッケはおいしいです。
ショウガを効かせて食べましょう。
おばけ(?)も缶詰もおいしかったです。
出回れば、新しい料理も出てくるんでしょうね。
出回るまでに牛肉のような熟成過程を経ている部位なのかは分かりませんが、
そうでなければステーキはキツいかもしれません。
私もやったことはありませんが、家庭で焼くなら相当工夫が必要だと思います。
かたい部分はお醤油etcで甘く煮ると、噛めば噛むほど味が出るようでご飯がすすみますよ。
それでもやはり、筋っぽくて苦手な人は苦手かもしれませんね。
ひき肉にしたらどうでしょうか?
他の肉の脂っこさが嫌いだったし、鯨肉の噛み応えも好きでした。
竜田揚げとか、生姜醤油につけた刺身とか喜んで食べてたような記憶があります。
今ならどうなんでしょう?嫌いかも・・・
とりあえず食べさせて〜、それから判断しますから。
鯨を食べるのは残酷だとか言っている人達は、アメリカ国籍のイヌイット(エスキモー)が鯨を取るのはかまわないのかな?
彼らが捕るぶんには残酷ではない?
あとアメリカ人に聞きたいのは、自分たちでは禁止している防腐剤OPPを日本向けのオレンジに使わせている事をどう思ってるのかな?と・・・
でもやめるかやめないかは日本が決めることです。
「鯨を殺す犯罪者」呼ばわりされないためにやめるのではありません。
彼らにとって捕鯨が不必要になったから、反捕鯨になっているというのを事実と捉えていいのかどうか私にはわからないのですが、不必要になったからといって反捕鯨になるという、その理由がありません。
日本に対して「やめろ」と言うからには、それだけの合理的理由がなければいけませんが、その理由が「捕鯨に反対するのが美しいから」では理由になってません。
捕鯨を行っているのは、日本以外にもノルウェーなどがありますが、日本のように叩かれてはいません。
ターゲットは日本なのです。
捕鯨問題というのは、日本人差別問題ですよ。
必要ないからやめてもいいなんて考えではダメですよ。
コメント欄で「鯨食は必要不可欠ではない」という意見を拝見いたしましたが、
そもそも食に「必要不可欠」というものが想像できません。
他地域で、ごく限られた環境下にある場合はさておき(詳しくは存じませんが、多く見られるものでしょう)、
日本の現状では、主食も含め、生産面で転換が利くものばかりだと思われるのですが。
別に米やら牛肉やらを「必要不可欠だから」食べている訳でもなし。
あえて鯨食が「必要不可欠である」理由が見当たりません。
私は鯨を食った記憶の無い類の人間ですが、
食の選択肢として鯨を否定する理由がありません。
(バイト先で見た刺身は旨そうでした。食いたかったー)
不味いという話はよく聞きますが、
それは自由な市場になれば、自ずと判明する事でしょう。
自然消滅するならそれまで。あえて禁ずる必要もないですしね。
本旨とズレたレスで申し訳ないですが、
そんな訳で、私は捕鯨に中立寄りの賛成派です。
商業捕鯨はブログ主さんもおっしゃっているように現代の日本で採算があうかとなれば疑問ですね。
西洋人と日本人の違いですが。
キリスト教など、一神教では、神の下に人がその下に動物となっています。上のものが下のものをおさめるわけです。守るのも殺すのも。
日本は多神教ですから、生き物すべて仲間と言う感じがあります。いたるところに神様がいますし、(殺して食べる事とは別です。)
輪廻と言う考えもあります。つまり、昔前世は自分は鯨だったかもしれないわけです。
なかなか、お互いには分かり合えない原因はその辺りにあるかもしれません。と愚考しました。
商業捕鯨はブログ主さんもおっしゃっているように現代の日本で採算があうかとなれば疑問ですね。
西洋人と日本人の違いですが。
キリスト教など、一神教では、神の下に人がその下に動物となっています。上のものが下のものをおさめるわけです。守るのも殺すのも。
日本は多神教ですから、生き物すべて仲間と言う感じがあります。いたるところに神様がいますし、(殺して食べる事とは別です。)
輪廻と言う考えもあります。つまり、前世は自分は鯨だったかもしれないわけです。
なかなか、お互いには分かり合えない原因はその辺りにあるかもしれません。と愚考しました。
商業捕鯨はブログ主さんもおっしゃっているように現代の日本で採算があうかとなれば疑問ですね。
西洋人と日本人の違いですが。
キリスト教など、一神教では、神の下に人がその下に動物となっています。上のものが下のものをおさめるわけです。守るのも殺すのも。
日本は多神教ですから、生き物すべて仲間と言う感じがあります。いたるところに神様がいますし、(殺して食べる事とは別です。)
輪廻と言う考えもあります。つまり、前世は自分は鯨だったかもしれないわけです。
なかなか、お互いには分かり合えない原因はその辺りにあるかもしれません。と愚考しました。
既に日本人が魚を食べるのをやめればいいと言っていますよ。
「鯨」は有り得ない非道ぶりだよなあ。欧米人の言ってる事がよく解る
本当に…
欧米は戦略物資として蓄積してますからねぇ。
また、鯨・イルカを殺してしまう対潜水艦ソナーを配備してたり
本音と建前を非難する彼らも同じ事をしているのが納得いかないわけです
彼らが言うには「幼稚な文明」だからいいんだそうですよ(すごい差別的な…)
日本はもう立派な大人(つまり西洋文明)と認めてやったんだから、そんな子供じみた時代遅れの事はやめろと言っているんですよ
http://www.ichigo-blog.com/d/iidakaori/
http://ameblo.jp/iikao707
http://www.ichigo-blog.com/d/hosinoaki/
http://www.ichigo-blog.com/d/yasudamisako/
http://ameblo.jp/tatinori711/
笑顔で『いや〜ん、そこはダメ〜!』と男とじゃれあってますw
http://imaeri712.cocolog-nifty.com/blog/
http://www.youtube.com/watch?v=UXIZwrhnI7o
正義のためならここまでするのでしょうか?これこそ野蛮だと思います。日本人を野蛮人扱いすることがキリスト教社会の一大事業と化しています。
ダブルスタンダード
http://www.youtube.com/watch?v=BGhZuhNYby0
http://www.youtube.com/watch?v=B6WsBUYSzwg
結局は利権と差別意識を剥き出しにしたエゴでしかないものを、自文明の価値観を基にして正当化する構造をこそ改善していかねばならないものなのですが。しかしそれを真っ直ぐに指摘しても相手は意固地になるだけでしょう。
何せ、今の西洋文明には力(軍事力)がある。
その身勝手なエゴを押し通されれば、為す術が無くなってしまいます。
どうすればいいのか。希望はあるのか?
「犬」は有り得ない非道ぶりだよなあ。欧米人の言ってる事がよく解る
本当に…
朝鮮は存在自体が、本当に恥ずかしい。
奴隷制度のことについて書かれてありましたので一言述べさせてください。最近知って実にショックを受けたことは日本人がかつて奴隷としてキリスト教の宣教師によって売買されていた事です。黒人奴隷と言えば実に悲惨な状況であったのは誰でも知っていることですが、当時日本人奴隷が黒人奴隷よりも安い値段で取引されていたという話には愕然としました。秀吉がそれを知り激怒、鎖国に至る大きな原因となったわけです。
<日本人奴隷>で検索すればヒットしますがいくつかサイトを紹介させてくださいね。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/dorei-2.htm
http://moscar.hp.infoseek.co.jp/fjapon.htm
http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html
西欧人の独善にはホント腹立ちますね。
日本は、近代に至っても奴隷制をやっていたような野蛮人どもとは違うわ!
東欧のロシアは農奴といって自国民すら奴隷状態でした。西欧でも奴隷制度を大々的に行っていたのはアングロサクソンの米英や、オランダ等の一部ですよ。
アジアだって、朝鮮は白丁という奴隷階級を扱き使ってました。
まぁ日本には奴隷制度は有りませんでしたけどね。
エタ・ひにんも奴隷とは違います。
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ベルギーとかフランスは、いいの?
おまえのゆう一部って何だ?
変な奴もいるもんだ
タイゾーの無記名投票をアップで放送した
日テレとか、
TV業界は大活躍ですね。
もう当分TVみたくないです。
日本人よりも朝鮮人や中国人の利益が何よりも大切です。
在日朝鮮人には朗報ですね。
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ム琺 .
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この民族は本当にどうしようもない。
コリアンだって捕鯨するんだろうが!
お陰で私も今は立派な反コリアです。
次回の更新を楽しみにしております。
心配ですね
力を抜いたエントリーで構いませんので
また戻ってきてくださることを楽しみにしております。
だから、クジラ供養をして感謝もしているのでしょう。
日本各地の鯨神社で、寄り鯨というものがあるようですね。
(昔は貴重な村の食料となっていた。海の神のからの恵み)
「我が肉をとりて喰らえ」神様の肉を感謝していただくのは
洋の東西を問わないと思います。
オキアミを発展途上国の人間は食べることになるでしょうと、
在日アメリカ人がTVで発言していましたが、オキアミだけでなく
クジラも好き嫌い言わずに食べないと、バランスがとれない。
イルカも魚もバランスよく食べる必要がありますね。
http://suisantaikoku.cocolog-nifty.com/genyounissi/2010/01/janjan-no-3f7e.html?cid=41301870#comment-41301870
kkneko氏の「鯨肉は環境負荷最悪の食材」などという吹聴は完全に根拠の無い妄言だという事が科学的ソースによって証明された事を示しましたところ、氏は一切の反論を諦められたようです。
YAHOO掲示板等、公共のBBSで反論する事もしない、と
捕鯨船団の空調・冷凍設備に関するLCAについてもナニやらゴネておられたようですが、それらは基本畜産飼料海運船舶に於いても同様であります。
飼料運搬船舶に於けるそれを畜肉生産LCAに加えようとはなさいませんのに、捕鯨船団のそれのみに「鯨研は数字を出せ!!」と息巻いておられます様子を見た時点で気付かなければいけない事ではありますが・・・w
この度、kkneko氏が私toripanを告訴されるんだそうで↓
http://kkneko.sblo.jp/article/35211430.html
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1834578&tid=a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa&sid=1834578&mid=41937
私がkkneko氏関連でやった事といえば、
・カメクジラネコ氏が嘘・出鱈目で事実を歪め、誤魔化して捕鯨・鯨肉の悪宣伝をしている、という事を「客観的証拠に基いて否定した」・「一般のネットユーザー・第三者に向けた氏の嘘を覆し、事実を伝えた」
というネットユーザー・市民として極アタリマエの行為だけ、ですので告訴事由が全く不明なんですけれど・・・w
とりあえず反訴の為の準備としてkkneko氏が如何に嘘出鱈目と誤魔化しで捕鯨の悪宣伝をしてるのか、という証拠固めを済ませましたのでココにまとめて御知らせしておきます♪
先ずはkkneko氏自身から事実無根の信用毀損/業務妨害罪に抵触する発言があった事↓
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1834578&tid=a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa&sid=1834578&mid=41754
そしてこれは単なる一例に過ぎませんが、氏が一ブロガーの書いた短い記事に癇癪を起こし、攻撃的な口調で非常に悪辣なコメントを残した事↓
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1834578&tid=a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa&sid=1834578&mid=41169
実はココからが本題なんですが、kkneko氏が鯨肉生産の環境負荷だけを不当に高く見積もり、逆に比較対照である牛肉LCAを小さく見せかけるような嘘と誤魔化しをネット中に撒き散らしておりましたので、氏のまやかしdでもブログ記事・嘘で固めた捕鯨悪宣伝を各論逐一全て覆してあります↓。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552019607&tid=ja7dfa4ha5afa58a5ijdd8n&sid=552019607&mid=62970
↑の投稿から全18投稿分で氏の「鯨肉はエコじゃない」を事細かに潰しましてみました♪
↓はその概略です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834578&tid=a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa&sid=1834578&mid=41948
(↑とその次の投稿まで)
私側からの反訴の材料として、
・カメクジラネコ氏が嘘・出鱈目で事実を歪め、誤魔化して捕鯨・鯨肉の悪宣伝をしている、という事を「客観的証拠に基いて否定した」・「一般のネットユーザー・第三者に向けた氏の嘘を覆し、事実を伝えた」
という事を証明する証拠はこれで一通り揃ったかと思いますが、嘘を告発し、正しい事実を第三者に伝えようとした私を、嘘を撒き散らした張本人、kkneko氏が告訴する、というのは非常に面白い構図かと思います・・・w
捕鯨問題に関しては愛護反捕鯨さん達による嘘出鱈目が罷り通ってる現状がありますので、今回の裁判沙汰の背景にあるその様な『膿』の存在を広く知らしめ、健全な方向へ導く一助にしたいと思っております。
この「告発の行方」に御期待下さいw
卓越したご意見です。
古い記事へのコメントでたいへん恐縮ですが、このたび沖縄辺野古への米軍基地移設と南極海での調査捕鯨について、日米両政府に中止を求めるインターネット署名を始めました。
−「いっせいのせ」でやめよう!! 辺野古移設と調査捕鯨!!
http://www.shomei.tv/project-1460.html
−"Stop Henoko Relocation & Research Whaling"
http://www.thepetitionsite.com/1/protect-dugongs-and-whales
(拙HPの案内・賛同者一覧)
http://chikyu-to-umi.com/kkneko/dandw.htm
「原理主義対原理主義」ではなく、お互いに譲り合いを求める内容です。
賛同人には、米国から作家兼文学者ロバート・シーゲル氏、日本からは著名な動物学者の女子栄養大学名誉教授・小原秀雄氏に手を挙げていただきました。
よろしければご協力をいただければ幸いです。
南極の鯨は持続利用可能な食料資源です。
それをまるで環境問題の如く喧伝して「畜肉は今まで通り食って良し」と仰るkkneko氏はクジラさんへの偏愛↓故にネット上に嘘を撒き散らしておられます。
『 ミンククジラのクレアは15歳、“豊饒の海”南氷洋で双子を育てるのに一生懸命なお母さん。〜)
http://chikyu-to-umi.com/kkneko/nvl/novel.htm
kkneko氏が如何に疑似科学を振りかざし、自分が守りたいだけのクジラの為に大嘘を書いているかは↓で事細かに解説しております。
http://blogs.yahoo.co.jp/toripan1111/8888372.html 〜から
http://blogs.yahoo.co.jp/toripan1111/8913473.html
までの10記事分でkkneko氏の戯言「鯨肉は環境負荷最悪の食品」を完全に粉砕しております。
私に一切反論出来なくなったkkneko氏は「名誉毀損でtoripanを訴える!!」と息巻いておられましたが、未だに訴状が届きません・・・どうなってるんでしょうか?w
http://blogs.yahoo.co.jp/toripan1111/archive/2010/3/10
ついでにkkneko氏の出鱈目の一例を御紹介しましょう♪
> FAO報告の指摘するように、畜産による環境問題の解決が遅々として進まない原因は、コストその他のオルタナティブ畜産の側の問題ではなく、「政治」です。
〜政治の話ですから、日本の公海調査捕鯨をさっさとお開きにして市民運動のリソースをそちらに振り向けることこそが、畜産環境問題への取り組みを飛躍的に進める最も合理的な解決策のひとつであることはいうまでもありません。
ハイ、恐らく反捕鯨ちゃんの言い草の中でも最も醜い、アタマの悪い言い逃れがコレ↑ですね♪
FAO報告書が「環境への最大の脅威」と銘打ってまで警告してる、畜産の問題の解決が政治的な理由で遅々として進まないのであれば、何をさて置きその事を大々的にとりあげなければならないのは 『 ア タ リ マ エ の 事 』 ですよ?
ところが何故か貴方達反捕鯨さん達は、そこで貴方が言ってるように
・「日本の調査捕鯨を終わらせてからじゃないと畜産の問題が解決出来ない」
・「それからじゃないと畜産の問題ににリソースを回せない」
と仰います・・・w
南氷洋に数十万等は生息するクロミンクから、年に高々1000頭程度も捕獲しない調査捕鯨を、たった今すぐ解決しなければならない重篤な環境問題の如く大騒ぎして、本当に深刻な畜産の問題は隠そう隠そうとなさいます・・・w
「捕鯨問題を解決した後からじゃないと畜産の問題解決にリソースが回せない、だから解決出来ない」というのは喩えて言うなら
「一重瞼が気になって仕方ないから、肺癌の手術は後回しにしてまずは美容整形にお金を使う、だから肺癌の手術は出来ない」
とのたまうかの如き図抜けた「 寝 言 」ですね♪
http://blogs.yahoo.co.jp/toripan1111/8908412.html
見事な喝破だと思います。
骨の髄までキリスト教のしみこんだ欧米人たちには、外罰的な防衛機制によって罪の意識から逃れようとする傾向があるように思います。「我らは既に罪を告白して改めた」「だから私たちの罪は許された」「しかし世界にはまだ罪を犯している者がいる」「彼らをいさめてやらねば」という論理ですね。こう考えることによってかつて自分たちが犯していた罪に目をつぶり、その罪を他人になすりつけ、攻撃することによって、自分たちを「罪人の立場」から「断罪者の立場」にすりかえる。こうして罪人としてのセルフイメージを他者に投影し、自己否定しなくて済むように心のつじつまを合わせているのでしょう。そんな彼ら自身の姿を投影された別な民族はいい迷惑ですが、彼らが自らの無意識に気づくことはないでしょう。もし気づいたら発狂してしまうほどに、彼らは「罪」が恐ろしいのだと思います。