[フジテレビ]「めざまし調査隊」でやらせ演出
報道を読む限り、担当の外部ディレクターは確かにやり過ぎだと思います。ここまで大胆なケースはそうはありません。ただそれは程度の問題で、どこまでは許されて、どこから「過剰演出」なのかはとても難しい問題です。同業者のぼくとしては、厳しく処断された「外部ディレクター」の運命は、他人事ではありません。
ぼくがテレビ業界に入った10何年か前は、すでに「業界人」は傲慢だとあちこちから叩かれていました。ぼく自身、そういう社会のムードを共有しつつテレビ業界に入ったので、特に駆け出しの頃は、何よりもまず視聴者に誠実であろう、そうすれば視聴者はこちらを向いてくれるという、視聴者信仰に近いものを抱いていました。
ところがこれがうまく行かないのです。特に問題なのが、その頃急激に増え始めた視聴者参加型の番組を作るときです。最初の頃は、視聴者を信頼しさえすれば良い物はできるとナイーブに考えていたのですが、当然ながら一般の人たちはこちらの意図する通りに動いてくれません。かといって彼らのイニシアチブに任せれば、退屈なだけで感動のかの字もありません。
そうやって何度も視聴者に裏切られてわかったことは、本当に視聴者に誠実であろうとするなら、視聴者参加の番組など作ってはいけないということです。面白い物ができたとしてもそれはたまたまに過ぎず、どんなに入念に仕込みをしても失敗と隣り合わせで計算など立ちません。徹底して演出する覚悟がなければ、面白い視聴者参加モノを定期的に作り続けることなどできないのです。
だから、今回問題になったコーナーのように、視聴者参加で毎週おもしろいエピソードを作ろうと企画した時点で、すでにやらせへの種を蒔きまくっているのです。もしこれが大問題であるのなら、本来ならクビにされた外部ディレクターと一緒に、その上司もクビにされなければいけません。いや、上司たちの方がずっと罪が重いのです。
もし視聴者参加で毎週面白いエピソードを作れという上司の注文にこたえ、なおかつ演出を抑えて徹底して視聴者に誠実であろうとするなら、担当ディレクターは確実に過労で倒れます。寝ないで取材をしても、1週間に1本どころか、1ヶ月に1本でも確実に作れるとは限りません。無能の烙印を押されてクビになるか、無理をして倒れるか、これは、無言のうちにヤラセをしろと命令しているも同然です。
ここ数年アメリカでは、リアリティTVと呼ばれる、筋書きのないドキュメントバラエティが大人気です。「サバイバー」や「アメリカンアイドル」など、日本でいえば「あいのり」のような番組のことです。ところがこのリアリティTVに、作家組合がかみついています。
アメリカのエンターテイメント業界では、フリーで働く業界人たちの権利が組合によって守られているのですが、その作家組合が、リアリティTVの現場で働く脚本家たちに正当なギャラと労働環境の改善を要求して、組合発足以来の大キャンペーンを展開しているのです。
「筋書きのないドラマ」が脚本家を雇っているというのはおかしな話しですが、これは現実に行われていることです。各番組とも3人から7人の作家を別の肩書きで雇い(リアリティTVに脚本家はいてはいけないのです!)、組合が定める賃金より安く、過酷な労働条件で働かせているといいます。作家組合のサイトには、実際にリアリティTVで働いている作家たちの証言が載せられています。
しかし彼らの証言を読むと、妙なことに気がつきます。しっかりとした台本を作って撮影するという、バリバリのやらせを告発する証言もあるのですが、ほとんどの作家はそういうことを告発しているわけではありません。
たいして面白くないエピソードを、別の映像とインタビューの音声を無理矢理継ぎ足して面白く仕上げただとか、仕込みをする段階で作家としてのスキルを使っているだとか、密着ドキュメンタリーなどでごく普通に行われていること(外部ディレクターの立場からいえば、やらさられていること)を取り上げて、それは作家の仕事だと訴えているのです。これはもう、テレビのドキュメンタリーはすべて作り物だと言っているに等しいことです。
ドラマとリアリティTVの違いは、「登場人物」を演じるのが役者ではないということだけだ。(役者志願のものがたくさんいるが、それはまた別の話だ。)ー 脚本家デビッド・ルーペルさん
今回クビにされた外部ディレクターのような大それたやらせをする図太さは、良くも悪しくもぼくにはありません。しかし、アメリカの作家たちの告発を読んでいてわかったことは、ぼくはディレクターというよりも、作家だったということです。

今回は、外部ディレクターです。ケースは違いますが、例えばフジテレビの菊間千乃アナや里谷多英嬢への軽微な処分を思い浮かべてしまいます。全く対照的ですね。どのテレビ局もやっているのでしょうが、フジテレビがまた嫌いになりました。
> 失恋した女性が「1年ぶりに彼に電話する
> 閉め切った部屋でダイエットに励む女性
> 妻からもらったお守りを身につけてヒットを打つ
・・・・・・うーん、聞くからにつまらない(笑)。
やらせでコレかって感じです。番組をみたら面白いのかも知れないけど。
ただ、この手の番組を真実と信じ込んでみる人も少数派ですから、
正直「別にいいんじゃないの」って感じですけどね。
> かといって彼らのイニシアチブに任せれば、退屈なだけで
> 感動のかの字もありません。そうやって何度も視聴者に裏切られて
> わかったことは、本当に視聴者に誠実であろうとするなら、
> 視聴者参加の番組など作ってはいけないということです。
そうかもしれないですが、寧ろこの御意見の方に少し抵抗を感じたりして。
自分は、普通の生活者の普段の日々を淡々と捉える番組があったら見たいです。
特に、自分とは全く別の業種や地域に住む、あるおじさんの仕事の様子とか。
日中実時間 × 一週間くらい追跡し、極力編集せずに(トイレ等は仕方無い)
電波に垂れ流してくれると嬉しい。特に、その業種の人なら誰でも知ってるが
外部の人にはサッパリ判らない、何かの道具とか仕草とか言葉とか。
そういうものに凄く惹かれるんです。まぁ、覗き趣味の一種とは思うけど(笑)。
配管工の方とか、お店屋さんなんか面白そうです。我が事ながら
SEやプログラマも中々ですよ。イメージと全然違うと思う。
まぁ、何時間も会議や事務をしているだけの業種も多いとは思うんですが、
それはそれで、視線や言の葉に垣間見られるソコハカトナイ人間関係とか、
なかなか興味深いのではないかと。実際、責任のないオブザーバ的立場で、
他社の会議とかにに参加すると結構味わい深いものですし。
どっか CATV とかで実験的にやらないかな。
ま、それが面白くても「偶々」で成功率は低いのかも知れませんが、
こういう志向の人間も居るということで・・・・・
ある元アナウンサーが書いたエッセイより
新人アナが、oribeさんの書かれたような“内容にちょいと手を加えて
面白くする”手法にギモンを唱えたところ、担当ディレクターが答えて曰く
「視聴者が望んでいるか?なんてカンケイないんだよ。
放送ってのはな『送りっ放し』って書くんだよ!」
なるほど、め・い・言 って思ったものでした。
実は劇団員だったというのを聞いたことがあります。
視聴者に正しい情報を伝えるべきニュース番組で、です。
こういったものの方が、ある意味悪質だと思います。
境界が難しい問題ですし、バラエティ番組などはある程度仕方ないとしても、
せめてニュースや情報番組では厳しくあるべきだと思います。
それは、現実的ではないと思いますよ。
(解っているとは思いますが)
完全に素でいられるか難しいと思いますが、
仕事をしている時間なんかは(会社とかの協力が得られれば)、
小型のカメラ&マイクを肩口とかに装着して公開しても
それ程強い抵抗は無いんではないかと思います。要は見世物じゃなくて、
真面目な試みとして、お互いの世界を教えあう様な感じでしょうか。
世の中は様々で、普段の生活こそが興味深いと思うんですが・・・
完全に素でいられるか難しいと思いますが、
仕事をしている時間なんかは(会社とかの協力が得られれば)、
小型のカメラ&マイクを肩口とかに装着して公開しても
それ程強い抵抗は無いんではないかと思います。要は見世物じゃなくて、
真面目な試みとして、お互いの世界を教えあう様な感じでしょうか。
世の中は様々で、普段の生活こそが興味深いと思うんですが・・・
例えば先日のNHKの終戦記念討論番組。慌てふためいて無難にまとめようとする司会者と、明らかに準備万端で言いたいことをまとめてきた一般(?)参加者。
解決の難しいテーマは現代社会に山ほどあると思います。両極端の意見を正面からぶつけ合う。予定調和なんて考えない。こんなのをもっと見たいと思うのは私だけでしょうか?
信憑性は定かではありませんが、さもありなんという感じです。
毎週毎週そんなに大事件が起こるわけありませんから。
俺なんかの場合は、普段は仕事中でもNetでMeineに繋いだりしているわけですが、社命で仕事をメディアに公開する場合はきっと仕事に専念してしまうでしょう。ケータイメルにキャバ嬢からお誘いが来ても一切無視。そーゆー風に自分を作ってしまいますね。
TVのドキュメンタリーなんてものは、@出演者の見せたいもの A視聴者の求めるもの B間に立つメディアの意向 ブレンド具合は異なれど、結局これらの摺り合わせであることは仕方がないと思うのですよ。
Netのように誰もが発信者となれる場合は、@〜Aの差は縮まって、視聴者の数は減るのでしょうが、それでも結局ゼロにはなりません。
釈迦に説法を承知で書きますが、結局信用するかどうかは(後略)
ただ、6時台のニュース番組を何とかしてほしいです。各局、芸能・グルメばっかりで、あの程度でニュース番組だと言ってほしくないです。
ああいった番組の方が主婦受けするのでしょうか?
どこか骨太のニュース番組を作らないのでしょうか。絶対に需要はあると思うんですけど。
怒鳴りまくるラーメン屋のオヤジ、血液型で性格がわかる、特定の教科書に反対する市民(実は中核派)、部屋を片付けられない女性、予定調和で恋愛が成就する、etc。
新聞の写真だってそうじゃないですか。何度も画を作っては取り直し、ほのぼの写真だろうが、抗議する市民団体だろうが、やらせが多いです。
慣れない一般人が目イッパイ緊張していたり、妙に受けを狙ったりするのを見ると、興醒めしたり何だか居た堪れないような気持ちになったりします。やっぱり演出があるから、すんなり入ってくるのかもしれませんね。
前者はドキュメントの一部とバラエティの大半で見受けられ、後者はワイドショー含めた報道番組で良く見られます。
視聴者の立場から言わせて貰うならば、前者の場合は「やや仕方なし」と思う部分もありますし、勿論ある程度の「演出」や「台本」も想定しながら見ている時もあります。
しかし後者の場合は難しい。
政治家のインタビューなど、どこも丸々放送してくれるところが無いから、どの発言を「意図的に抜き取ったか」判断がつかない事の方が多いからです。
時間的な制約という物理的困難な状況があると思うのですが、グルメ、エンタメ、その辺の情報を捨て去ってしまえば、もっともっと多くの言葉やニュースを流せると思うのです。なんせ1時間半〜2時間も時間はあるのですからね。
スポンサーも「利益の還元」と言う名目で、報道番組には「宣伝効果を期待せず」にCM枠を買って欲しいところですね。そうすれば変にスポンサーに遠慮せずに報道できる事もあるのに。
多分、oribeさんがおっしゃってることは、そういうことではないと思うのですが、一読して、視聴者の責任でもあるの? と思ってしまいました。
特に「当然ながら一般の人たちはこちらの意図する通りに動いてくれません。」という一文は、まるで一般の人を、言葉の通じない動物か幼児のように言うなあ、とひっかかりを覚えました。
テレビの向こう側にいる人と、こちらの間に横たわる溝をあらためて確認させられた記事でした。
昨日からずっとテレビってなんだろうと、ぐるぐる考えています。
(本来ならこちらにコメントを投稿など恐れ多い無教養な人間ですが、テレビの前にいる一視聴者の意見として読み流して頂ければ幸いです)
ドキュメンタリーとはそういうものであると誰も言わなかったので「真実をありのままに映す」ものであると認識しているのが現状なのではないと思います。
そもそも「中立報道」という概念自体がもともとはその場のがれの急場凌ぎで考えられた概念ですから。すべての報道は主観に過ぎないのはちょっと冷静になれば解る事です。
ちょっと散漫な書き方になってしまいました。
言葉や意思のの通じない相手を撮るなら見てる側もまだ、納得できますが対人間だと困難ですね。