訴えてまで受信料を取ろうとするNHKは、その存在意義を国民に示す必要があります。「何人からの圧力や働きかけにも左右されることなく、放送の自主自立を貫く」という今回発表されたNHKの姿勢が、実際の番組にどう反映されていくのか、興味深いところです。
偏向のない番組
そんな中、昨日の「クローズアップ現代」で、「歴史教科書はこうして採択された」という、扶桑社の歴史教科書を採択した東京杉並区の教科書採択の現場を取材した番組を放送しました。番組の内容を簡単にまとめるとこうなります(記憶に頼っているので所々あいまいです)・・・。
反対派、賛成派入り乱れて大きな注目を浴びた杉並区の教科書採択。教科書採択協議の傍聴には多くの人が詰めかけた。他の教科書は大きな問題もなく採択が決定されていったが、歴史教科書の段になると、採択を決める5人の教育委員の意見が割れ、採択は持ち越された。
実は以前の教科書採択は、各学校の教師たちが各教科書を採点し、教育委員は事実上その採点に従って採択を決めていた。しかし現在は、教師たちは各教科書の報告書を作成するだけで、教育委員はそれを参考にしつつ、あくまで独自の判断で採択を決めることになっている。石原東京都知事は、教育委員が独自の判断を発揮するよう強く求めていた。
杉並区の場合、数学や国語の教科書は教師たちの評価が高い教科書が採択されたが、歴史の教科書は、評価が最下位だった扶桑社のものが採択された。こうした状況に、「現場の教師の意見が反映されない」と批判する声もある。
2回目の採択協議では、前回同様意見が割れた。しかし、前回判断を保留した教育長が「私は戦争はなくならないと思う。そういう厳しい現実の中でどう平和を築いていくのかを考えさせるのは扶桑社の教科書だ」と扶桑社の教科書を推して、多数決で採択は決定した・・・。
番組の中では、扶桑社の教科書を支持する教育委員と反対する教育委員の意見はもちろん、教科書採択の方法の是非を巡っても左右両論が紹介されていました。偏向のないいい番組でした・・・と言いたいところですが、この番組には大きな問題があります。
ぼかされた対立軸
扶桑社の教科書採択を巡る左右の対立ではなく、あくまで教科書採択の問題に焦点を絞ったこの番組の核になるのは、扶桑社の教科書を選ぶにあたり、「現場の教師の意見と教育委員の意見が正反対になった」という部分です。教育委員に独自の判断を求める現行の教科書採択制度の問題は、この出来事に集約されます。
しかし、なぜ意見が正反対になったのか、その理由についてこの番組は掘り下げようとはしません。番組の終盤、今後の採択制度はどうあるべきかについて識者が語る部分で、「日教組と文部省が対立しあう不幸な歴史があったので、現状はベストではないがベターだ」というような意見が紹介されるのですが、意見対立の理由を臭わせるのは唯一そこだけです。そしてそれすら直接この問題に対してなされた答えではなく、しかも4人の意見のうちの一つに過ぎません。
この問題に詳しい人なら、抜けている情報を頭の中で補完しながら見るので、それほど違和感は感じません。しかし、教科書採択問題にあまり詳しくない人が見れば、なぜ教師たちの意見と正反対の結果になったのか、さっぱりわかりません。
「どこからともなくちょっとおかしな扶桑社の教科書がわいてきて、それを応援するちょっと危ない人たちがいて、時々こういうおかしなことになってしまう。かといって教師たちの判断だけにまかせるのも問題があるようだ。まあ扶桑社の採択率はとても低くて、例外的なことみたいだし、これも仕方ないのかな」という程度の感想しか持てません。
いくら「扶桑社歴史教科書問題」の全体ではなく、教科書採択制度の問題だけに焦点を絞るのだとしても、「なぜ意見は正反対になったのか」というその理由を掘り下げないのは極めて不十分です。それは例えば、ある厳重に警備された街を取材する時、過剰警備により生じる不便な生活ばかりを紹介して、その街がテロリストの攻撃予告を受けていることを伝えないようなものです。
現行の教科書採択制度が採用されたのも、そしてそもそも扶桑社の歴史教科書が生まれたのも、それ以前の教育界に問題があったからです。「自虐史観」に支配された既存の教科書に対して、別の見方を提示しようというのが扶桑社の歴史教科書の態度で、そこを見なければ、この問題の核心は全く見えてきません。
しかしこの番組では、扶桑社の教科書が現れざる得なかった肝心要の背景を、分厚いオブラートにくるんでいます。区役所に詰めかけた左翼活動家たちの様子も、彼らのかける強烈なプレッシャーも、その異常性を見せずに穏健に描かれています。ぼくはこの番組を通じて、教育委員にプレッシャーをかけていたのはむしろ扶桑社応援側だという印象を受けました。
この番組は、偏向しているかしていないかと言えば確かにそれほど偏向した作りではありません。しかしそれと同時に、そこを描けば必ずどちらかから糾弾されることになる問題の核心を、きれいにスルーしています。
公正中立という虚妄
とにかくこの番組は、左右の人たちを刺激しないように、非常に気を遣っていることを随所に感じさせました。左右から穏健な主張を選んで紹介し、担当した社会部の記者が読み上げるコメントは、痛々しいほどに公正中立を意識したものでした。
しかし、公正中立というものが、問題の核心をぼかすことによってしかもたらされないのであれば、それに何の意味があるのでしょうか。これでは、人間と人間が互いに正義を信じて対立する問題について、何一つ有益な報道をすることができません。
NHKの報道は、民放のようにワイドショー的でなく、偏向度も小さいので悪くないと評価する人がいます。しかしぼくはそう思いません。ワイドショー報道は問題ですが、それとは全く別の次元で、核心をぼかして「公正中立」を装う報道など、存在価値はありません。
マスメディアで仕事をしていると、取材をした当人がよく「あれさあ、本当はこうなんだよ」と、放送できなかった問題の裏側を酒の席などで語ることがあります。当然ながらそういう話しはとても面白く、そうしたエピソードひとつで、放送された番組の何倍もの真実をかいま見ることが出来ます。
公正中立であることに拘り過ぎれば、そうしたオモテに出せない事実はどんどん増え、真実を人々に伝えるという報道の本義から離れていくことになります。
受信料支払い拒否の嵐の中で、NHKはこれからそうした傾向を強めていくことでしょう。そしてそれは、ワイドショー報道の弊害よりもよほど深刻な、ジャーナリズムの死をもたらします。
毒にも薬にもならない番組
突き詰めて言えば、公正中立な報道などあり得ません。公正中立に見える報道は、うまく公正中立を装っているだけに過ぎません。
今回の「クローズアップ現代」のように問題の核心をぼかせば、公正中立を装うのは簡単になります。その反対に、ある問題に深く切り込もうとすればするほど、作り手の偏向が入ってくることは避けられません。
極論であることを承知で言いますが、ぼくは報道の未来は、作り手の旗色を明らかにした上で、問題に深く切り込む方向にしかないと思います。
カメラを通して見た視点だけでなく、「問題を見つめるカメラと取材者」とという視点を視聴者に提示できれば、そこから視聴者は自分なりの解釈を組み立てることができます。
もちろんそのためには、視聴者のメディアリテラシーが前提になりますし、ぼくの両親のように、テレビや新聞の言うことを無条件に信じてしまう人たちが多くいる限り、とても危険なことです。
しかし長い目で見れば、やがては国民の大多数がメディアリテラシーを身につけた世の中になることは明らかで、公正中立を装う似非ジャーナリズムに未来はないと思います。
NHKの進む方向が昨夜の「クローズアップ現代」であるなら、そんな毒にも薬にもならない番組を作るために国民の金を吸い上げるシステムは、日本の報道文化の発展のためにも、早々に退場すべきだと思います。
予備知識がないとまったくなんのことか判らないでしょうね。
クローズアップ現代より----------------------
梶田叡一(兵庫教育大学学長)
「学校の先生方に決めさせたらいいって考え方があります。これも一見ね、理屈から言えば良いのかも知れませんけど、
戦後60年間、どういったことが今まであったかということをね、思い出されたらいかがかと思うんです。
これは日教組対文部省というね、不幸な、不毛なね、対立が長くあった。あるいは今でもですね、運動団体がですね、
色々と細かいところまで口を出して、特に組織的にですね、教育を牛耳ろうというそういうことがあるわけですね、現実的に。(後略)
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日教組と文部省の対立のことなど知らない人の方が多いでしょうから、これでは普通、スルーされるでしょうね。
この番組を見ながら「一応、中立なのかな?」と思いながら納得できない気持ちでしたが、oribeさんの意見を読んで、自分の気持ちが腑に落ちました。
公正中立なんてものは、エッシャーのだまし絵のようなもので、結局、メディアリテラシーをつけるしかないのだと思いました。
本来なら扶桑社の教科書の内容まで吟味していく
事になるはず。そして何故こんなに反対されるの
かという分析と出版された経緯まで踏み込むべき。
そこには中韓外交問題も絡んでいくはずだ。
ところが、
扶桑社教科書を軸にした振り子の揺れではなくて、
教科書選定のやり方を問うという方向に終わった。
つまり‘入口と出口’が変わっていた。
これがボカシの正体である。
クローズアップ現代で唖然としていたら、あの高飛車な態度…
ずっと真面目に払っていましたが、先日、昼の一時間しかつけない職場(自営業です)に受信料払えと封書がくるわ、一人暮らしのゲーム専用と化した弟の部屋に押しかけ、分捕るわ、で、よその国の人は無料で視聴しているとか?
それでも、民放より価値があると思えばこそ、払ってきました。
どうして、わかってくれないのか理解に苦しみます。
私が見たかったのは、まさに抜き取られたピースの部分だったからです。
最初からピースが足りないテレビとは逆に、多すぎて余っているのがネットだと思います。
過剰な情報の中から、どれが正しいピースなのかを判断する能力が”メディアリテラシー”なのでしょうね。
委員会の決定と教師の見解の乖離を強調するが、教師と一般人の意見に食い違いがあるかは全く論じられない(日教組うんぬんで触ったつもりか?)。
「痛々しいまでに中立」というより、いかに中立に見せかけて、自分の主張を潜ませるかに必死と見えました。
http://blog.livedoor.jp/mumur/
「杉並親の会」「中核派」などで検索すると、読み応えあるやり取りが紹介されています。
NHKの報道スタイルが、朝日新聞が特に得意とする捏造・飛ばし記事のスタイルから毎日新聞のミスリード・検閲削除のスタイルに変わっただけです。相変わらず真っ赤っかです。
マスコミは、法律上の公正中立というマスコミにとっての義務を自分たちマスコミの行動を保証する権利として用いているので公正中立など有り得ないのです。
つまり、「公正中立を目指さず自分が立った位置が公正中立と決定しているのです」
そのことは中核派のHPにも乗っていますし、当日、逮捕者が出たことも報道されていました。
http://www.zenshin.org/
番組ではそのことが一切明かされませんでした。
また、安本教育委員は前回4年前に、扶桑社の教科書を除外した理由について、「真偽が明らかでない拉致問題を取り上げている」という意味のことを言っていました。
こうした情報が有るのと無いのでは教科書反対派の印象が随分変わると思います。
NHKは意図的に情報を都合のいいように取捨選択し、結論を誘導したと言われても仕方ないのではないでしょうか。
ただ事前情報によると、番組の冒頭で左翼15団体のインタビューが放映される予定だったとか。
それを察知した保守系の人々が個々に電凸したようです。
こうした良い意味での圧力により、番組が当初の予定よりも改変≠ウれた可能性もありそうです。
中国や韓国がなぜ反対するのか。親の会などの反対派の主張やもろもろ。扶桑社や賛成派の主張。
教育界の意図など表面を繕った程度の内容では訳がわかりません。
それは言えます。長期にわたる取材をしたと思われる社会部の担当記者は、かなり膨大な映像素材を持っているでしょうから、それをうまく使えば、今の時代をえぐる、面白いドキュメンタリーが作れるような気がします。
何を取材したか具体的にはわかりませんが、刺激的な番組の構成まで浮かびます。NHKの制作体勢では120%無理だと思いますが。
あと、採択委員の意見の背景に「扶桑社は歴史教科書じゃない!!」と叫ぶ人の声や、教師の報告書の「適切ではない」の上に「一揆」「市民革命」という香ばしい文字が書かれてあったんですが?
編集してコレですから。
編集前の生VTR、ぜひぜひ見てみたいです。
結局はシステムの長所も扱う人間次第なんだというコトですね。
米国や欧州の新聞やTV局は大抵自分の旗幟をはっきりしている(他は知らん)。
後は記者クラブが気に入らない。
ここでも規制緩和、構造改革をして欲しいが無理だろうな・・・。
そのために、今流行の民営化だけは避けたいですね。民営化されれば、スポンサーや株主の影響をもろに受けますし、商業主義に走ります。
政治家がチェックする形が機能すれば一番いいと思いますね。政治家は国民の代表なのですから...
それにしても、NHKの受信料徴収に関する姿勢には納得が行きません。自分の気に入らない、見たくも無い番組の制作費などまで負担させられるなんて、理不尽な話です。
民放ならば、見たくなければ見なけりゃいいし、気に入らなけりゃスポンサーの不買運動だってなんだって出来ます。
つまり、NHKのやろうとしていることは自らの番組に対して不平や不満を表す手段や権利を奪おうと云う企みに他なりません。
そもそも、NHKに受信料を払わなければ民放もみてはいけないなんて法があるでしょうか?こんな不公平がありますか?
フォローする訳では有りませんが、NHKにだって良い番組はたくさん有ります。総じて、民放よりずっと多いと思います。お金を払っても良いと思える番組も少なからず有るのです。
だからNHKはいっそPPVを導入すれば良いと思うんですけどね?デジタル放送に移行すれば地上波や衛星でも出来るでしょう?どうせコピワンとか何とか掛け捲るんだろうし。
でもNHK側からそんな話は絶対でてこないでしょうね、PPVになったら確実に収入は減るでしょうから。
一度手にした利権は中々手放せないものです。道路公団、郵政と来て、さて次は・・・・。
が、NHKって受信料だけではなく、莫大な税金も投入されてる
日本の準公営放送局だったよね! であるなら、日本の国益を重視した
放送局でなければならないんじゃないか?公平中立=中・韓への配慮?
ではないだろう! あの教科書採択に関する番組はまだマシな方。
いつぞやの討論番組では、韓国人が「日本は教科書を韓国人の指導の下で
作るべきだ!」と叫ぶ様子をそのまま放送し、その後いきなりブツ切り
次の場面に移る、なんていうシーンもある、極めて偏向的な内容だった。
これでは、素直に受信料なんて払いたくならないだろう!
海外の優れたドラマなどを放送するのは良いが、欧米の優れたサスペンス
などは全てBSに回し、地上では韓国ドラマばっかり! これのどこが
公平だというのか? くだらねぇ。 やってらんね。
災害情報なんかは政府の紐つきでも別に構わないわけだし。
教育や娯楽番組は公共放送でやる理由はないでしょう。
視聴率はとれないが質の高い番組を作る為ってのは通るわけがない。
> しかし、報道は公正中立でなければいけないなんて寝言、日本だけだと思うんだが・・・。
アメリカでも全く同じですね。時代精神というかoribeさんが日頃口にされる「サヨクエリート」の偏向に対する保守からの圧力というのは特にブッシュ政権以降激しさを増しています。これを保守の視点で言うと左に偏向しているから真ん中に戻す,ということになります。
アメリカではNHKと似たものといえばPBS(Public Broadcasting Service)といことに当たると思うのですが(一応国からの資金援助はありますが財源は度々行われるpledge weekと呼ばれる視聴者からの募金に依存している事が多い-これが占める割合については詳しく調べていません)、PBSは元々LBJの民主党政権下で設立されたらしく民放からのスポンサーからの圧力が無いためにかなり突っ込んだ報道がされていました。前にも書いたFRONTLINEなんかはテロの問題、大統領選挙からポルノ産業の実体まで鋭い切り込みを見せていました。その取材姿勢故、物議をかもす事も多く民主、共和政権を問わず目の敵にされている、と言っても過言ではないでしょう。
ただoribeさんが問題にされるようなNHKのスキだらけの報道番組とは違って非常に緻密な取材のため20年あまり続いて来た長寿番組の一つです。ですからそれ程偏った、という印象はありませんでした。別にこの番組に限らず日本と違って体を張って報道する「いわゆる」ジャーナリズムがバックボーンにありますから批判的な精神は様々な番組に生きていると思います。
しかし政府との綱渡り的ながらも続いて来た蜜月もブッシュ政権でピリオドが打たれました。まず保守のプロパガンダ雑誌であるリーダースダイジェスト元編集長ケン・トムリンソンがトップとして任命されCNNの保守のコメンテーター、タッカー・カールソンが担当する番組が始まり、同性愛を扱った子供番組がキャンセルされ(キリスト教原理派による圧力といわれています)「中立性」という名の下にかなりの変更が加えられ始めました。
この「中立性」は保守、リベラルの視点から全く別の見方が出来ます。ただ一つ確かな事は政府からの圧力が多いか,少ないかの違いだけでしょう。そしてブッシュ政権は今までの如何なる政権と比較してもその圧力に力を入れている様です。
> 米国や欧州の新聞やTV局は大抵自分の旗幟をはっきりしている(他は知らん)。
これもブッシュ政権以降はっきりして来ました。これは単にブッシュさんの自称ユナイターというスタンスとは180度逆の実際の姿として現れたデバイダーとしての象徴であり、以前は「サヨクメディア」の中では存在し得なかったFOXTVの明確な右の態度表明です。これはリチャード・マードックという右寄りの経営者個人の意志がはっきり反映されたものだと思いますが彼の妻が若い中国人である事を考えるとマードック氏没後どのような経営体制が敷かれるのか、かなり興味深い。
跡継ぎと言われていた息子との間の確執、この中国人妻、あるいはこの妻の間に生まれた子供がどのような役割を果たすのか、を考えるとこの一見ワンマンとも言えるメディアコングロマリットの行方はNHKの影響力に比べると比較にならない程大きいと思います。
そもそも日本にジャーナリズムというものが存在したのかも不明ななのに「ジャーナリズムの死」を嘆くのも意味のないことだと思うのですが。やはり現実にTVメディアに携わるものとただの視聴者の問題意識の違いでしょうか?NHKの民営化の話も話題に上っていますがモトGPの放映もG+に移ってしまったしNHKがどうなろうとあんまり関係ないなあ(笑)。
おいらはアメリカのテレビがどうなろうと
知ったことじゃないんだよな
あんたがNHKがどうなろうと知ったことではないのと
同様にだ
それ以上にあんたの意見もどうでもいいや
博識でアメリカやドイツに事情にも詳しい
th氏はご自分でブログでもやったらいかがですか
ココとはトラックバックいやあんたなら知ってるか
まあ誰もあんたのブログなんか観やしないけどね
さて本題
この杉並区の委員会には家が近くなんで見ていました
テレビもいくつか来ていた様に思うのですが他はどうしたのでしょうか
自民党が大勝して以来左翼メディアをはじめマスゴミ関係の方には気に入らない事象が続いているようです
NHKのあの番組も後でシナリオを書き換えたような感じがするのですが結果どちら側にも納得のいかないまさに玉虫色な番組になってましたね
やっぱり選挙にはいくもんですね
あの女王の教室について面白い考察があります是非
http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/
だけど、thさんもおっしゃってますが、「政府」からの公正中立という視点もあるんじゃないかな。
政府からの公正中立を保とうとすれば、左寄りになるのは、ある意味必然のような気もします。
あと、サヨク的な発想というのは、思考停止を招きやすいものが多いです。
「反戦、平和」「差別をなくす」「反核」。
少し考えれば、その欺瞞と論理の破綻に気付くことができるんですが、受け手は「深く考えない」作り手は「確信犯的に流す」。
こういうサヨク的発想の困ったところは、へたに反論すると、反論した側が悪者にされてしまうこと。
やはりネットでの啓蒙に期待するしかないのかなあ。
ところで、作り手が問題の核心をぼかしているということは、逆に言うと、問題の核心がわかっているということですよね。
だったら「核心をぼかさないようにすればいいのに」って思うのは、安易すぎるのかな。
それと、oribeさんが「メディアリテラシー」の問題に触れておられますが、これは作り手が公正中立を装うから、視聴者のメディアリテラシーが育ちにくいという側面もあるように思います。
メディアリテラシーについて調べていて面白かったのが「メディアは現実を反映しているのではなく、再構成し、提示する」と、はっきり書いてあったことです。
私も含め多くの「深く考えない、無批判な」受け手は、報道(テレビの中の出来事)=現実だって、勘違いしているように思います。
あ、マスコミとしては、視聴者にメディアリテラシーを身につけてもらっては困るから、わざと身につけさせないようにしている、というのは考えすぎかな。
メディア・リテラシーの18の基本原則 http://www.mlpj.org/masterman.html
目を覚ました視聴者が徐々にTVと距離を置くようになり
更には作り手もいなくなると
TV危機 制作会社が人材難
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050919/mng_____tokuho__000.shtml
無くなることはないと思いますが、このまま行けば
ますますTVの存在が薄くなっていきそうですね
政府に対して身構えすぎです。
政府とは、国民の代表による組織。
本来、敵ではありません。
批判精神を忘れてはいけませんが、敵という強迫観念に駆られて、後押ししないのも問題ありです。
「政府からの公正中立を保とうとすれば、左寄りになる」
この説は
「国民からの公正中立を保とうとすれば、左寄りになる」
というのと同じほどに説得力に欠けます。
その必然は、アナタにとっての必然かと。
自分は以前NHKの制作をちょびっとしてましたが、局員の人は他の会社(他のマスゴミにも沢山知り合いがいる)に比べて、人間的にもできてるし優秀な印象なのです。恐らく、上部にいる人(特に東京AK)が入れ替わって、意識が少し左偏向してるのではないでしょうか。
なんて自分も、ニュース7で韓国の新車のニュースを流してたのを見て以来、NHKを見限りました。誰だよ、ニュース原稿や取材をする時に、一部の会社・個人の利益になるようなものはうちでは放送できない、断ってね、といってたのは!(笑)
そんなに簡単な話じゃないんでしょうか?
th氏がエントリーするたびに現れてくる。
生活ほっと
自分らしく生きる・在日コリアンは今▽三世の自分探し▽一世の苦悩▽日本へのメッセージ▽姜尚中
NHKが特に変になったのは、冬ソナ以降という気がします。今年はその他にも韓国・在日の言い分を一方的に流す番組が多数。
つい最近もNHKラジオで「国際交流」をテーマにした番組なのに「特に日韓関係についてのご意見を」と募集したため、嫌韓の投書が殺到、パーソナリティーが困っていたという事がありました。
あちらの政治家や大学教授が「日本の中枢に食い込んで、日本を変えよう」みたいな事を言ってますし、NHK内の日韓交流で同様の事が行われていても不思議はありません。
ほんの数年前までは「民放は中立でないし扇情的な感じが嫌だ、ニュースはやっぱりNHK」という意見が多かったんですが。
あとは日本の右傾化に危機感を抱いた左翼の人達(日本人・外国人問わず)が活動を活発にしているのもあると思う。大橋巨泉が一瞬議員になった時、
「民主党はセンターレフトを目指すべきだ」と言って「今時、右翼左翼という考え方が古いよ」と笑われていた頃がウソのようです。
スクランブルかけたとしたら、もっと払わない人が出てくると思いますよ。今はTVがあれば払わなくてはいけないということで、実際にはほとんど見ていないのに無用なトラブルを避けるために払っている人も多いと思います。(実際、今回のNHKの対応では訴えられるかもしれないわけで)
それがスクランブルをかけたら大手をふって支払い拒否ができるわけで、NHKはスクランブルを翔るべしという流れをもっとも恐れているのではないでしょうか?
政府からの公正中立というのは
政府から干渉を受けないという意味で
政府の意図と逆を行くという事ではない。
したがって左寄りは必然というのは
いのなさんと同じく誤りに感じます。
例えば右よりの政府が出て、それを中和させる
ための左よりのメディアということではなく、
あくまでも干渉を排して独立性を保ち
ジャーナリズムの立場から何を選択していくか
の決定権を保持することが政府からの公正中立だと思う。
妄想を膨らませた風刺は、複眼的とは言わんよ。
要点をまとめる能力に欠けるから、ひたすら長文。
相手の意見を取り込む気が無いから、批判をスルー。
これじゃ評価される方がヘンだって。
>政府からの公正中立というのは、政府から干渉を受けないという意味で、政府の意図と逆を行くという事ではない。
言われてみれば、たしかにその通りですね。
ご指摘ありがとうございます。
上の文章を書くときに、朝日新聞を念頭に置いていたので、政府から距離をおく(なんでもかんでも反対する)ことが公正中立なんだと勘違いしてました。
アサヒのようにサヨク的なのは論外ですが、なんでもかんでも政府万歳な北の国営放送みたいなのも、勘弁して欲しいなあって思ったので、ああいう書き方になったんだと思います。
それでも、たとえ99%、政府の政策に賛成でも、重箱の隅をつついてでも批判的な意見も書くのがマスメディアの役割じゃないかって思いが、私の中に残っているのも事実です。
これについては、政府に賛成するときもあるし、反対することもあるというあり方のほうが、健全なのかなあ。
「つくる会」の教科書
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2005/08/post_214d.html
反対派の論点
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2005/08/post_ef1f.html
複眼的な視点
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2005/08/post_6a7b.html
複眼的な視点A
http://sports.cocolog-nifty.com/ototake/2005/09/post_fcee.html
日本人が書いた教科書どうしで「どちらの国からも見てみよう」となってしまう現状が可笑しくもあり、少し哀しくもあります。日本の右翼と左翼の見解の相違に過ぎないはずなのに。
「マンガ嫌韓流」が発売されて間もない頃、NAVERのマンガのカテゴリーに韓国の高校生だという人物からこんな書き込みがありました。
「私の学校の先生は、韓国・中国・日本の文献を読み比べて、何が事実であったかを教えてくれます。嫌韓流に描いてある事は事実ですが、もう一方の別の面が描かれていない。どうして韓国の人は日本人を叱るばかりで、山野車輪さん(嫌韓流の作者)のように資料を揃えて堂々と主張しないのだろう?在日の人たちも車輪さんと話し合う事が出来たら、よかったのに。とても珍しいようです、我が校(の授業のやり方は)。」
翻訳を通してですが、およそこのような内容でした。その後の会話から、この子は情報処理科に籍を置いていて、文系の科目の教師は比較的自由に授業が出来るらしいのです。
日本でもこのような教え方をしている学校は稀なのでは?(書き込みを信じるとして)国策とは関係なく、事実を探求して生徒に伝える教師が韓国にいるらしい事にちょっと感動しました。
> 政府からの公正中立を保とうとすれば、左寄りになるのは、ある意味必然のような気もします。
ここちょっと分かりにくいんですがここで使われている「左寄り」というのはアンチ既成、もっと厳密に言うと反政府与党(政権党)と解釈していいんでしょうか?
それとも日本のように万年与党の自民党(右)に対する「公正中立」ということで「左」と言う事ですか?
結局、メディアは右寄り、左より、って言う議論は左、右勢力、れぞれの立場から言うと「中立」のコンセプトってその立場の数ほどあるわけだから(それはプロ/アンチ、ブッシュ、小泉の立場から彼らに対する評価と全く同じです)その不毛な議論にしがみついていると評価の基準というのは永久に持ち得ない。真のジャーナリズムの価値は現政権に対する距離の大きさで測られるというのが持論です。
だからもしアメリカの場合共和党政権に対しては「左」、民主党政権に対しては「右」の立場を必然的に取らざるを得ない、もし真のジャーナリズムを標榜するなら。つまり政府の暴走を予防,監視する為のメカニズムの一つとしての役目だと思います。
ただ過去の例を見ても民主党はメディア規制に対してかなりルーズだったような気がします。あまり細かな検証はしていないので過去何十年に広げる事はしませんが少なくともクリントン、ブッシュ政権を比較するとブッシュ政権の方が遥かに規制は激しい、つまりメディア叩きは多い。
勿論、戦時と言うのもありますがこのメディア叩きって政権がうまく行っているかいないかの大切なバロメターであると思っています。つまり叩き始めたらこれはもうこの政権はうまく行ってないな,って言うサインです。民主党政権もベトナム戦がうまく行っていなかった時はけっこうきつく当たってたんでは?
余談ですがラミーのアルジャジーラ嫌いは徹底してますね。アメリカ軍に都合の悪い映像流されるもんだから目の敵にしてる。「あれーっ、間違って当たちゃったよーっ!」って言ってアルジャジーラ記者殺しても確信犯じゃないのーって思わせる程徹底的に憎んでいる。
もう一つ、今書いてて思い出したんだけど、アメリカには真のジャーナリズムがあるって、持ち上げといてモニカの舌使い報道の事考えるとアメリカのジャーナリズムもやはりマスメディアの呪縛から逃れきれないという気もします。そのアメリカのタブロイドフィーバーを嘲り笑いながらその影でラデンさんは着々と準備をして911が起こした訳だし。
> あと、サヨク的な発想というのは、思考停止を招きやすいものが多いです。
「反戦、平和」「差別をなくす」「反核」。
少し考えれば、その欺瞞と論理の破綻に気付くことができるんですが、受け手は「深く考えない」作り手は「確信犯的に流す」。
これもちょっとよく分からないのですが日本だけの事を限定的に述べてらっしるのでしょうか?
例えば日本では「反戦」運動と言っても戦時中は皆無です。戦後も多分大きな戦争で日本の自衛隊員が戦死したと言うのは聞いた事がありませんし、日本における「反戦」と言っても他人事だから傍観者としての「反戦」です。アメリカの反戦運動を「サヨク的な発想」ということでくくられてはちょっと...と言う気がします。
あと「差別をなくす」にしてもアメリカの60年代の黒人差別も含めた市民権運動と日本の部落解放運動(bachさんがこの事述べてないのかもしれませんが、あくまで例として)なんかと一緒くたに評価されるとやはりやりきれないです、個人的には。
今現在NHKの受信料不払いが続発している中で敢えて“公正中立”ということを意識して作られた番組、という印象派受けましたが。
インターネットを初めとして多種多様ななメディアが発達した今、単にマスメディアに煽られるのではなく自分自身で情報を収集し自らの思考によって自らの立場を明らかにする必要がある時代にあると思います。
今回の番組にしてもその自らの思考・立場を築く上での1つの手段としてテレビという巨大マスメディアを利用する・させた、というだけではないでしょうか。
そういう意味で公共放送としてのNHKの役割は終わっているのかもしれません。
>ここちょっと分かりにくいんですがここで使われている「左寄り」というのはアンチ既成、もっと厳密に言うと反政府与党(政権党)と解釈していいんでしょうか?
いちおう、私としては反政府与党というつもりで書きました。
ただ、日本を念頭に置いて書いたので、左寄りの政権与党というのは想定していませんでした。
2つ目のご質問についても、日本のことだけに限定して述べたものです。
少し視野を広げて、アメリカとかドイツとかにまで考えを広げられれば良かったのですが、我ながら視野が狭いなあって思います。
それと、部落解放運動はともかく、アメリカの60年代の黒人差別も含めた市民権運動については、どのようなものであるかということさえ、おおまかにしか知りませんでした。
要するに、私の勉強不足ですね。
あと、自分の視野の狭さに、自分がまったく気付いていなかったこと。
このような自分の未熟さに気付くきっかけを作っていただいた、いのなさんやFさん、thさんには、本当に感謝しています。
ありがとうございました。
ところで、「真のジャーナリズムの価値は現政権に対する距離の大きさで測られる」というのは、すごく面白い考え方だと思います。
私もこの考え方に賛成です。
ところで、この考え方を日本に適用すると、どうなるのでしょうか?
意外にも現状では、アサヒこそが真のジャーナリズムを体現しているってことになるのかなあ。
むしろ、過ちを徹底的に叩かれ自浄努力(見た目だけでも)から逃れられない政府の方が、批判しっぱなし・ニュースを捏造してすら謝罪さえ任意のマスコミより、よほどマシかも知れん。
確かにマスコミは、政府と 「けん制」 しあう能力・実力がある。
(民意の代表じゃ無いけど)
しかし、バランスを取る(判断を下す・考える)のは、自分自身でないと。
それぞれが、ただ己の仕事に専念すれば良いんです。
政府は政治を。
マスコミは事実(と判断した取材結果)の報道を。
国民は多様なメディアを介して、情報収集と、その判断を。
「何でも賛成」 という大政翼賛志向、現北朝鮮メディアなどは忌むべき存在。
同じように 「何でも反対」 とにかく政府と距離を置く事に終始するメディアも、忌むべき存在でこそあれ、真のジャーナリズムとは言えないと思う。
まったく知りませんでした。
その意味では、ぼくはあのような取り扱いが難しいテーマで番組を作ったことだけでもNHKを評価します。
実際新聞のテレビ欄みて、見たくなる番組はNHKが一番多い私は、NHK支持します。
余計なノイズを断つためにも、強制徴収みたいなことしないで、早くスクランブルかけて欲しい。
一面的な見方としてはそれもあるでしょう
しかし現政権、そして諸外国に対しても等しく批判しているのが
朝日のようなメディアでないことも間違いないでしょう
ひたすら発行部数の減少に喘いでいる朝日を捕まえて
まだ、過去の威光にすがりつくのもどうかと思います
どうか、現実を冷静に見据えてください
現政権批判はともかく、アジアや世界の声としての特亜からの偏重報道
北が核保有宣言をした次の日、各社社説にて警鐘を鳴らしているのに
朝日だけはだんまりでした
中国の官製デモに関しても原因を日本にするのに必死な姿勢
政府から離れるのは結構ですが、外圧を利用した政府批判は単なる売国行為でしかない
彼らが靖国を批判するのは当然でしょう
外圧に屈している、或いは相互協力しあっている彼らであるから、それに抗う総理が目障りなのだろう
朝日の言論テロともいうべき、安倍&中川狙い打ちの捏造報道において
すべての発端である本田記者をいまだに保護しかくまっている
私にはこのoribeさんのblogはまさにマスコミへのアンチテーゼだと思うのですが
夢を見てる人は自覚なく覚めることがないのでしょうね
私もあなたの意見に賛成で、ここのブログはマスコミ的な手法によってマスコミへのアンチテーゼをなしているから斬新なんだと思ってます。
ただ、最後の皮肉に関しては、私宛てだかthさん宛てだかは知りませんが、いちおうはまじめに書いている人間に対して失礼でしょう?
あなたがそう思われないのだったら、それはそれでかまいませんが。
いい言葉ですが「マスコミは政府のアンチテーゼ」という意味では無いでしょう。
結局この言葉も2点の意味ではないだろうか?
・政府からの干渉を受けない事。
・政府を俯瞰(ふかん)で見られる事。
(大衆・思想に単純に迎合しない)
であって、
>例えば右よりの政府が出て、それを中和させる
>ための左よりのメディアということではない。
朝日は特亜の代弁者に見えるとも言えるし、
でなくても特段の配慮をしているのは間違いない。
政府を批判するに俯瞰で検証することが出来ているのか?
一連の朝日を考えると何かの思想に組していて恣意的に報道している様に思える。
>
いのなさんの「政府は国民の代表」というのは
お人が良すぎますとしか思えないんですけど。
古今東西を見ても国民を苦しめているのは
政府だったりしますから。
thさんの持論の言葉を借りてますが
自分の考えによって
マスコミのあり方を別解釈しています。
>今回の「クローズアップ現代」のように問題の核心をぼかせば、公正中立を装うのは簡単になります。その反対に、ある問題に深く切り込もうとすればするほど、作り手の偏向が入ってくることは避けられません。
Oribeさんは「公正中立な報道などあり得ません」と断言されているが、その前に「公正中立な報道」とは何かを定義しなければ、単に、ためにする主張になると思います。「公正中立な報道」なるものを定義なしに用いているから、「ある問題に深く切り込もうとすればするほど、作り手の偏向が入ってくることは避けられません」といったおかしな結論が出てくるのだろうと思います。「ある問題を深く込り込もうとすれば、するほど」、それが、何故に「作り手の偏向が入ってくることは避けられません」に結びつくのでしょうか?「問題の掘り下げ」を「作り手の偏向」に直結するOribeさんの主張には納得できません。報道の原点は「事実のあくなき追及のもとに、明からされた問題点を真摯に提示する」ものであるなら、「事実の追及の度合い」が必然的に「作り手の偏向」を誘発するなどという主張にはならないはずです。もし、「ある問題の掘り下げ」が「作り手の偏向」を招くとすれば、それは事実の追及を如何に進めようと、それ以前に提示する問題点があらかじめ想定されている場合でしょう。例えば、朝日新聞は「でっち上げによる捏造報道」を得意にしています。先般のNHK番組改編報道でも、安倍・中川の両氏がNHKの関係者を呼びつけて、番組を改編させたと報道し、「両氏の呼びつけ」は事実かと追及されると、それが事実かどうかはさほどの問題ではなく、「NHKと政治家との距離」が問題なのだと詭弁を弄するわけです。つまり、「ある問題の掘り下げ、切り込み」が「作り手の偏向」に結びつくのではなく、事実の追及の如何にかかわらず、主張すべき事があらかじめ想定されている場合に記事の捏造なり、報道の偏向になるのだと思います。今回のNHKの番組が公正中立かどうかの云々と、問題の切り込みが足らない話とは別問題だと思うのです。Oribeさんは「問題の核心をぼかせば、公正中立を装うのは簡単」と主張されているが、それは「NHKの担当者が公正中立を装うために、問題の核心をぼかしている」ことを意味するわけで、必然的に「NHKの担当者は、もっと問題点を把握していたはずだ」を前提にします。それなら、それなりにその問題点を突けばよろしいわけです。それを、このような公正中立を装う番組が増えるなら、そのような報道機関は不要であるなどといった結論に結びつけるのは、如何かと思うのです。それに扶養社版歴史教科書の問題を扱ったひとつ番組でNHK全体を云々するのは、Oribeさんには珍しいほどに狭小な論調だと感じたのですが、如何でしょうか?NHKは実に広範な番組を手がけているのに、たったひとつの番組の出来、不出来で受信料不払を云々されるのでは番組制作意欲が萎縮するのではと残念に思います。なぜ、もっとおおらかに「今度はこういう問題点を掘り下げて番組を作ったらどうか・・」と、何故言えないのか不思議な思いがします。教科書採択の問題は、杉並区だけのことではありませんし、今年限りのことでもないのです。今回のエントリーは「NHKが番組に取り上げなかったら何も問題が無かった」と同じような論調だと思いますよ。長文失礼しました。
私が甘ちゃんですか。気をつけますが、反論を。
1.政府が国民により選ばれた議会によって成り立つこと。
2.その政府が権力を持つこと。
3.それを見張る(政治に関心を持つ)必要があること。
これらの1と3はリンクすれど 「別の事」 だし、2は、政府が政府である以上避けられない、いわば仕事。
誰も批判精神を忘れろなんて言ってないんだけど、「まず政府を懐疑する立場ありき」 は 「欠かしてはならず」、1を述べたら、3も必ず述べなきゃダメですかね? それは誰の誰に対する甘さですか?
この日本で、「政府は国民の代表」 という表現が 「甘すぎて不適切」 なら、どう表現すればご満足頂けましたか?
古今東西ですから日本も含まれるという認識なのでしょう。
一部の市民は日本でも凶悪きわまりない警察権力により苦しんできたでしょう、自分たち特朱市民とって正当な行動を阻害されてきましたから。
怒りを買ってしまって反省してます。
私の方で誤解してました。謝ります。
政府とマスコミが距離をおくことは俯瞰で見られる事と
干渉を受けない事であって、右には左・左には右を正当化する
今のマスコミの形にどうもおかしいなという考えがあった上で
かと言って政府に付和雷同するマスコミばかりでは
どうなっていくのかなと考えていて。
例えば社会保険庁や道路公団の無駄使いも私はマスコミで知ったが、
もしTVが取り上げていなかったら今も藪の中だったかもしれない
と思うと何か役割を果たしているのかなと。
そんなことをつらつらと考えている中で早急に飛びついてしまった。
卓見に敬意を表します。
いつも読もう、読もうとしているのですが、あまりに長文で字が詰まっており、断念しています。でも、お好きにやられるのがいいと思いますが。
あぁ、いや、謝らなくとも。
どーゆー表現なら適切なのか、興味あったのも事実ですし。
実際、社保庁や公団の件は、仰る通りです。
ただ、それらの告発は 「政府に何でも反対」 という、とにかく距離を置く見地からしか繰り出せないものでしょうか。
知り合いに現役政治家が居ます。
めちゃくちゃ頑張ってるヤツですが、まぁ仕事で頑張るのは当たり前だから流すとして、酒の席で、こんな事を愚痴ってます。
「問題があったとして、全員が納得・満足する理想解10があったとしよう。俺らが9まで達成したとしても、マスコミは残った1を面白おかしく騒ぎ立てる。悲しいかな世論も1に食いつく。何より一番厄介なのは、全員が納得する理想解10など、理想にしかすぎない事だ」
おおむね、こんな事です。
私は、人間を対立に追い込んできた一番の要因は、政府でなく宗教だと思ってます。
そして、人を最も苦しめてきた存在は、同じ 「人」 だと思ってます。
政治は、もっと評価されて然るべきだと思ってます。
・・・現実的(妥協的)すぎますかね。たぶんそうでしょうね。自分でもそう思いますから (w
この出だし部分は、新聞やTVであれば、間違いなく「印象・情報操作による捏造記事」の類でしょう。NHKが発表した新生プランでは「訴訟も辞さない」などは言っていませんが・・個人が主催するブログにも社会的な責任は伴うと思いますが、Oribeさん、如何でしょうか?
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/plan/plan-004.html
>受信料未払いの方や未契約の方を対象に、受信料制度の意義やNHKの改革について、訪問や文書などを通じて丁寧に説明し支払いをお願いしていきます。
こうした努力を重ねた上でもなお、お支払いいただけない場合は、民事手続きによる受信料の支払督促の活用などについて検討し、受信料を公平に負担していただけるよう全力で取り組みます。
>>古今東西を見ても国民を苦しめているのは
政府だったりしますから。
税金で埋めればいいという安易な考えで
何のリスクも考えずにコスト意識なしで
無駄使いを続けたばかりに日本の借金が
増えたと考えられますでしょう。
国民を苦しめていると言えるはずだと思います。
負担は国民に回ってきているのですから。
民主主義において、「国民が政治に一方的に苛められる」 などという構図は存在せんよ。
その 「民草は常に弱者で被害者」 みたいなレトロな思考、いい加減に卒業したら?
族議員ともろに名指しされていても尚
当選を続ける議院がいるのも事実だしね
族議員ともろに名指しされていても尚
当選を続ける議院がいるのも事実だしね
>「民草は常に弱者で被害者」
そこまでの構図を言いたかったわけじゃない
んだけども。
そういう側面もあるでしょうと。
財務省が財投で特殊法人に流してさ。
貸し手責任を問われない今の流れにあれ?と
思うわけ。知らん顔して役職にいるんじゃない?
これだけ明らかになってるのに。
国民自身に責を問う前にもっと何かないの?なんて。
>愚民の上に苛性あり
基本その考えが正しいと思ってる。
国民が政治に無関心だからと。
全ては国民に帰ってくることだろう。
でも今はどうだろうか
随分と責任が見えてきてないだろうか。
例えば猪瀬&大宅コンビと道路公団のやり取りの
報道見てると公団と許してた官僚や政治家に
イラッとくるのは私だけ?そんなのがごまんとあるんでしょう?
主に財務省利財局?あたりに
借り手の財務状況を調べなかった事に
お前らが先に責任とれよなーと思ってしまう。
民営化ってそういう守られてて緩い事を是正する事なんでしょうね。
とは思っているんだけど。
みなさんは悟ったような感じですけど
私が見えてないだけかもしれないなあ。
>そういう側面もあるでしょうと。
無いよ。 一切無い。 主権者が誰か忘れたの?
そもそも腐敗は人のサガ。
犯罪や戦争と同じく不可避のシロモノ。
腐敗(マイナス)を継ぐのがイヤなら、繁栄(プラス)も引き継ぐな。
平たく言うなら、国籍変更。
政治の監視もロクにせず、腐ったら 「任せておいたじゃないか!」 なんて、ルール作るトコを放置したヤツが吐いていい言葉じゃないね。
監視してこなかった国民(我々)が、アホなんです。
(ここいら辺、腐りきった果実を 「ほーら、オマエのだよ」 とジジー連中に渡される次世代は、たまったもんじゃないけど)
それは、そうですが、やはり腐敗を起こりにくい場所と起こりやすい場所があると思います。
やはり、民は腐敗が起こりにくく公は腐敗が起こりやすい気がします。
民は、腐敗すれば、そのダメージは直接降りかかるのに対し、政治家、公務員は腐敗しても自分が直接損をするわけではない。
人間、自分が痛い思いをしないと真面目にやらない。
無能な働き者は見方の害であると言う言い方があるらしいですが、腐敗(-)ばかり産んで、繁栄(+)を殆ど作れないのが日本の政治、官僚ならやはり、官、政治家やるべき事意外は、なるべく民間に任せた方が良いと思います。
○:腐敗の糾弾で満足するな
×:腐敗など大した事じゃない
○:腐敗は不可避、だからこそ政治は 「大切」 だし関心を持て、関与していけ、遠くから眺めるだけで満足するな、誰かがいつか綺麗にしてくれるとか甘い幻想を抱くな、叩くだけで満足するな
って言いたかったんだけどな。
要するに 「躾」。
あと、「民間に任せるな」 なんて言ってないし。