ぼくはここ数年仕事で壁らしきものに突き当たり、どうにも晴れない鬱な気持に悩まされ続けてきました。3年ほど前にブログを書き始めてみたのも、その壁を乗り越えようという模索のひとつでした。しかし苦労してその壁を乗り越えてみると、そこではもはやテレビに相応しい場所はゴミ捨て場しかないのでした。
考えてみれば、ぼくが壁を意識し始めたのは、ぼくが視聴者としてテレビを見なくなり始めた頃に当たります。気がついたらほとんどテレビを見なくなっていて、時々テレビをつけてもまるで興味を引かれません。自分が下らないと感じるものを作る仕事をしていれば、鬱にもなるというものです。
それでもぼくは、最初は業界を去ろうなどとは発想もしませんでした。15年もの間、持てる限りのエネルギーを注いできた仕事です。面白くないのなら、面白いものを作ればいい。そう考えました。でもなぜか、ぼく自身の興味をかき立てるような番組を作ろうとすると否定され(誰よりもぼく自身により否定される!)、結局は代わり映えのしない番組を作るよう追い込まれてしまうのです。
下らない番組だろうと、それでカネさえ稼げればいい。そう自分に言い聞かせようとしたこともあります。しかしそれは、職人としての自分のプライドを捨てることです。またテレビの社会的影響力を考えれば、それは悪魔に魂を売ることと同義です。
結局ぼくは、今のぼくは視聴者としてテレビをまるで見ない、必要としていないという事実に帰り着きました。そしてその理由は、個々のテレビ番組の質ではなく、テレビそのものにあるという確信を持つに至りました。
今のテレビというのは、ぼくだけではなく恐らく社会全体に不必要な、にもかかわらず退場することを拒否して社会の進歩を阻害する障害物です。ぼくはそのような勢力に荷担することはできません。
というわけで、今後しばらくこのブログは、テレビを始めとしたマスメディアについての考察を主要テーマにお送りしていきます。なおそこでは、スポーツに関することも多く取り上げていくことになると思います。ぼくがもともとスポーツドキュメンタリー系番組を多く担当していたということに加えて、テレビとスポーツの間には、不可分に密接な関係があるからです。
テレビを頂点としたマスメディア王国の衰退が避けられない今、若くて有望なスポーツ選手をやたらと王子に推戴したり、まさにこの時期に北京で五輪を迎えたというのは、ただの偶然ではないのです。
まだ人生は半分。
残りの半分を鬱で過ごす訳にもいかんでしょう。
10年も15年もテレビを見ていないと、かえって新鮮ですよ。
作り物臭さを取り繕って厚顔な所とか。
>社会の進歩を阻害する障害物
双方向コミニケーションが簡単に出来るようになった今日は、まったくそうですね。
長い間待ってました。これから楽しみです。
でもその結論、とても共感します。
私が最近のテレビについて考えて最初に頭をよぎるもの、それはパチンコCMです。。
今ではゴールデンタイム、報道番組にまでパチンコCMがバンバン流れます。ここ数年のテレビ業界の変化は異常です。
ギャンブルとしてとても、換金法などグレーゾーンの多い業界のCMが報道番組にまでスポンサーになり全国に流される。
そのうちパチンコ店のCMが全国放送で流れ始める勢いです。
テレビでの経験を生かして、いい仕事ができるといいですね。
毎日テレビを見ながら絶望している身としては、あなたのような人がもっと増えて新しい流れを作っていただきたいと切に願います。
私も私のフィールドで出来ることは微力ながらもやっていくつもりです。そういったいろんな流れが複雑につながって何か面白いものが出来るといいなと思いながら。
お互いがんばりましょう。
行間から「テレビを捨てる」という選択への苦悩をお察しいたします。
(業界関係者ならなおさらですよね)
ですが、これから広がる新しい世界に目を向けることも忘れないでください。
これから広がる新しい世界に幸多かれとお祈り申し上げます。
ではでは。
ブログの継続を聞き、とても嬉しく思っています。
たまにTVを覗くとあまりにひどくて見ていられません。やはりTV側の低レベルさも原因だと思います。こんなひどい番組を日本で流しつづけているのは、いったい誰なのだ!と思います。
もっと悪いことに、これだけ大きい影響力を持っているものはTVより他になく、質の悪いものに牛耳られている社会への悪影響は計り知れないと心配になります。
日本の問題はまずマスコミ・メディアだと思います。
北京五輪は、「ちょっとオシャレな北朝鮮 by御家人さん」の暗黒統治っぷりをオリンピック報道にかこつけて世界に明らかにしちゃえ!という意図もあったのかなあと。
そもそも何故あれほど麻生内閣誕生寸前だったのが媚中国福田にされてしまったのかご存知でしょうか?
クーデター説を垂れ流したマスコミが、その後デマだったことにたいして何も真相究明報道しない理由が知りたいのに何処にも答えがナイです。
無責任かもしれませんが「おめでとうございます」とOribeさんに伝えたいです。
私の狭い個人的な体験からも、TV業界は人間の屑の溜り場と思っていましたので。。。
(ざっくばらんにごめんなさい)
今後の新しい環境でのご活躍を祈念いたします。
しかしあなたの感じていることは、恐らくはネットの世界で真実の情報に触れる事の出来る人間にとっては共通の見解なのでしょう(何よりもこの自分にとってはそうです。同じ事を言う友人はたくさん居ます)。
自分は、この日本社会からの退場を強いられつつあるTVや新聞など旧時代のマスコミが、悪あがきをして日本を破壊することを強く懸念しています。
彼らは今までの行動からも分かるとおり、私利私欲のために国も地球も売りかねない連中です。
この危険な集団、もっと注視していきたく思っています。
どんどんブログを書いてみてください。自分も能う限り書き込んでいきたく思います。
幸運を祈っています。それではまた。
ある意味、つらい決断だったのかも
しれませんが、お疲れ様でした。
感じました。
日本のテレビ全く見ません。だいたいBBCを見てますね、世界の事知りたいから、
いつも応援してます。ゆるりと、生きて下さいね、私人生のターン時に停滞?やたら昔がわいてきたことが有り、人生の下りに向かうのかなと思った事有で、人、がよく見えるようになったきがします。
日本のこと頼みますよ、、、
新しい生活 頑張ってください!
遅きに失したかもですし、要らぬお節介ではありますが、テレビ業界を去るのは御慎重になさって下さい。
他にスキルが活かせる業種に転職されるのであればアリかとは思いますが、そうでないとしたら勿体無いです。ある業界に失望した人は大概辞める訳ですから、失望を堪えマスメディアの在り方に悩みつつ継続するのもアリだと思います。まして oribe さんが業界の中からする告発は貴重です。
最近、スキルというのは個人の持ち物じゃないという気がするのです。どんな形であれ身につけられた経験や技術を生かしてください(このブログは正にその一環な訳ですが)。しがらみを断って本を書かれるというならば賛成です。
技術系ですが、私も殆ど同じ理由で某巨大放送局を依願退職しました。
今ではテレビを点けるのは3ヶ月に1回くらいでしょうか。
さて、報道というのは、結局その時代の最新のメディアを必要としているんだと思います。印刷しか無かった時代は新聞、それからラジオ、映画、それからテレビ。映画の方はテレビに取って代わられましたが、新聞は保存性、視認性、視聴時間を制限されないなどの理由で存在意義が有り、ラジオは携帯性で有利なため、それぞれテレビと共存しています。さて、ネットですが、本来報道など情報が必要とする速報性、同時性、などの速報能力、それから新聞をスクラップような保存性、もうひとつ検索性。これら3つの要素を兼ね備えているのがネットであり、過去のメディアはどこか欠けています。これからはネットが報道のメインステージとなり、ラジオ、新聞、テレビはそれを補い補助ツールとして役割を果たすように思えます。
その点で新聞社を源流とする民放は情報を発信する事が目的ですからネット社会になったとしてもネットという新たなチャンネルに切り替えて生き残るでしょう。(もっともテレビ事業は廃業するかもしれませんが)
しかし、NHKの場合は、「放送」を行うのが目的の特殊法人ですから、本来の放送法の目的からすればネットへの移行は認められず、放送の衰退とともに消えてゆくべき存在のように感じます。