2008年03月29日

情報ソースとしてのマスコミ

何だかんだ言ってもネット空間の情報ソースはほぼすべてマスコミだ、と先日コメント欄で発言なされていた方がいました。だからやっぱりマスコミにはがんばってもらわねばならぬ、と。このような印象を持っている人は多いと思うので、今回はそれについて少し書きます。

まず最初に言っておくと、情報ソースとしての役割はマスメディアというシステムの核心ではありません。

例えばテレビの夕方のニュースで送り手側のトップにいるのは、呼び方はいろいろありますが、いわゆる編集長です。きょうはこの未成年による殺人事件のニュースをトップにすえよう。同じ未成年の暴走ということで2番目のニュースはこれ。社会が壊れているのに遊んでる国会の様子が3番目。中国のこのニュースはボツだな・・・と<ニュース献立>を決める役職です。

マスメディアの核心はここにあります。どの情報をトップニュースにしてふくらませ、どの情報を落とすか、いわば情報に値段をつけることこそマスメディアの力の源泉であり、それに比べれば取材する能力などオマケにすぎません。取材力を一切持たないマスメディアは存在しますが、編集長のいないマスメディアは存在しないし、ありえないのです。

それに対してネットの特徴は、まさにこの編集長を必要としないところにあります。例えばグーグルニュースは編集長の役割をコンピュータに任せますし、ソーシャルブックマークなどは個々のユーザーが編集長になることに他なりません。ネットの発展は、マスコミが独占していた編集長の役割を解体していく過程といっていいかもしれません。

ぼくがマスメディアは退場すべきだと訴えるとき、頭にあるのはこの編集長としてのマスメディアです。再販制で守られた大新聞や電波を占有するテレビ局は、不特定多数の人々に情報を配信する手段がそれしかないという技術的理由で、社会における編集長の地位を独占してきました。しかし今やそれは唯一の選択肢ではなく、もともと危険で有害なシステムなので、この機会におとなしく去るべきだ、と確信するに至ったから、ぼくはテレビを捨てたのです。

ネットの世界が情報ソースを既存のマスメディアに頼っていることは、何ら負い目を感じることではありません。テレビだって、かつては独自のコンテンツ制作能力をほとんど持たず、ニュースなら新聞、エンターテイメントなら映画界に頼り切っていました。だからテレビ業界は、もちろん独自の取材力と制作能力を高めることに力を注いではきましたが、結局テレビをマスメディアの王様の地位に押し上げたのは、取材力や制作能力で新聞や映画界を追い越したからではなくて、圧倒的な露出力により、テレビに映るものに価値を与える権威をえたからです。

テレビニュースの取材者は、今も情報ソースを雑誌や新聞、そしてネットにも頼っています。そして「これはテレビ向きだ」と思うネタに取材をかけて放送します。するとその情報に価値があると見なされるようになるのです。大新聞にしても同様です。新聞の紙面でインパクトを持ちやすい情報は価値を与えられ、新聞で紹介しにくい情報は価値を持ちません。情報とはそういうものです。

ですからマスコミがいまだ巨大な権力を持っている現在、価値があるとされる情報がマスコミ起源になるのは仕方ありません。なにしろほとんどの情報は、そもそもマスコミに伝えられることによって価値を持つわけですからね。マスコミが退場すれば、どの情報に価値があるのかは、不特定多数の<ネット編集長>次第になります。そうなれば自然と情報をマスコミに頼る必要はなくなるはずです。

今マスコミにがんばってもらう必要は、一切ありません。



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この記事へのコメント
取材力のあるマスメディアの一つが通信社ですがバイアスは当然あります。新聞もテレビもメディアによっては依存度が高いと思うのですが、その信頼性はどの程度なのか。機会があれば書いていただけるとありがたいです。
Posted by パスカル at 2008年03月30日 02:11
そう言えば、あたごの事故の際に二転三転する(とメディアが言う)報道の責任を全て防衛省の問題としました。

あれが正当な主張ならば、我々と防衛省の間に現状のメディアが存在する必要性が無かったと思っています。
だって、防衛省の記者会見が何らかの方法で得られるなら、記者の存在は不必要だったのですから。
Posted by 月下獨酌 at 2008年03月30日 09:46
本当に今じゃ既存マスコミの優れた点は
「社会的信用と資本があるので取材活動が出来る」
ただ1点になっちゃいましたよね・・・

今に「ネット記者」が取材活動出来る時代が
来るのでしょうか?
Posted by VSN at 2008年03月30日 17:17
マスゴミは自分達の都合の悪い事は少しだけ報道、もしくはネット上で隅に短い持間だけ報道。
で、報道しただろ!変更報道などない!と言う。
マスゴミは馬鹿ですね。
まぁそれすらも報道しなくなったらそれこそ、日本は支那朝鮮の属国ですよ。
Posted by at 2008年03月30日 23:32
なるほど、マスコミの中の人は、情報ソースとしての役割ではなく編集権の方が核心だと考えているんですね。そして編集権を行使して情報の流れをコントロールすることで、視聴者を自在に操ることがマスコミの存在価値であると。
私を含め多くの視聴者は情報ソースとしての役割だけに注目し、日々垂れ流される情報を無為に受け止めるだけなので、そこらへんで中の人との意識の乖離が生じているように思います。

たしかにマスコミの編集権は危険で有害なシステムかもしれません。そして目覚めることが望ましいこともわかります。だけど、肝心の視聴者の方は目覚めることを望んでいるのでしょうか。
たとえ編集権を悪用することで官僚や政治家やマスコミの一部が私腹を肥やしているとしても、ある程度統制された情報をエサみたいに与えてもらった方が、結果的に片寄りのすくない情報を効率的に得られるように思います。(さすがに中共みたいなのは論外ですが)
少なくとも情報の自由化は日本の伝統的な共同体の解体をさらに促進する方向に作用する気がしますね。
Posted by bach at 2008年03月31日 13:15
「好きになってはいけない国」という本に出てきた日本に滞在していた韓国人記者の話を思い出しました。
親日的なスタンスで記事を書くとすべてデスクに握りつぶされてしまう事に苛立っていて、それでも諦めずに記事を書いていく、と話していたそうですが、しばらくして病気で急に亡くなられたそうです。
こうした事は多かれ少なかれどこの国にもあって、情報を発信する側にも受け取る側にもそれなりの不満は鬱積しているのでしょう。

ネットで海外在住の方のブログや現地マスコミの記事を読み比べる事が出来るようになってからは、特に海外ニュースというものが信用できなくなりました。逆に外国にいるからこそ、報道できるような出来事もあり、この地球上で一体何が起きているのか?を知る事がいかに難しいかという事も実感しています。
でもそれもいいのかな。世界は混沌としていて、簡単に理解出来るようなものじゃないんだと悟る事が出来ただけでも収穫だと思ってます。

そしてマスコミが大々的に取り上げる事と、一般の人がおおごとだと思う事の乖離も気になっています。
時折「視聴者の方から「騒ぎすぎだ」というご指摘がありますが、この件を取り上げると視聴率が上がるんです」とTVで言い訳してる事がありますが、そんな事を放送する頃にはその話題はすっかり賞味期限切れだったりするんですよね。
Posted by ピーチ at 2008年03月31日 14:02
税金の無駄使いというと、官舎の家賃が安いとか、マッサージチェアを買ったとか、本筋で無い事に話を持っていきます。
 テレビの陰謀かと言うと、妻は、一般人には何兆円は分からない、何万円しか分からないのと言っています。
Posted by 八目山人 at 2008年03月31日 21:12
映画マトリックス・シリーズのラストシーンで二つのプログラムがこんな会話をします。
「他の(マトリックスに)繋がれている人々はどうなるの?」
「出ることを望む者は邪魔をしない」

それまで人類はマトリックスという巨大な支配システムの中で選択権を奪われている事すら知らずに生きていた。そこから出たい人はもう出て行けるし、システムの中のほうが「現実だ」と思う人は留まる事もできる。
そしてまた同じような物語が繰り返される事を示唆しながら映画は終わります。

oribeさんが業界を去る決意をされた事、私も視聴者の立場からも薄々感じていました。
TVを見ていても昔のように製作者の「熱」が感じられない。「番組を作った人たちはこれが本当に面白いと思ってるのかな」と感じる番組に遭遇する事が多くなっていました。

地デジも居間にノートパソコンがあれば、別にTVから情報を得なくてもいい代物ですし。TVという家電の価値はどこへ向かっていくのでしょうね。ただひたすら高画質な映像を見られる機器とか?
Posted by ピーチ at 2008年04月01日 10:56
戦前にもこれほどの卓見が存在しておりました。
よろしければご一読を。
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2492_10275.html
著者は地球物理学者で、夏目漱石の門下生でもあります。

>現在のジャーナリズムに不満をいだく人はかなりに多いようであるが結局みんなあきらめるよりほかはないようである。雨や風や地
>震でさえ自由に制御することのできない人間の力では、この人文的自然現象をどうすることもできないのである。この狂風が自分で自
>分の勢力を消し尽くした後に自然になぎ和らいで、人世を住みよくする駘蕩(たいとう)の春風に変わる日の来るのを待つよりほかはないであろ
>う。
Posted by 引用ですが at 2008年04月01日 23:11
マスコミの編集力(解釈力)がネットによって無力化されるとすれば、ネットによって代替不可能な取材力こそが、マスコミの力の源泉として残ると考えるのですが、どっかおかしいでしょうか?
「市民記者」が機能しない事は証明済みですしね
Posted by KAZ at 2008年04月08日 09:20
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マスコミの力の源泉は取材力や情報発信量ではない
Excerpt: テレビ業界に身をおく中で、テレビは社会全体に不必要かつ社会の進歩を阻害する障害物であるという結論に至り、テレビ業界を去った方が、マスメディアというシステムの核心について述べられていましたので、全文引用..
Weblog: 西村秀彦
Tracked: 2008-04-06 01:55
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