国連人権理事会:死刑執行停止を日本に求める
【ジュネーブ澤田克己】国連人権理事会は9日、国連欧州本部で日本の人権状況を審査した。英仏など欧州諸国は日本が死刑制度を存続させていることを批判。10カ国以上が、昨年12月に国連総会で採択された死刑執行停止決議を受け入れるよう日本に求めた。また韓国と北朝鮮、オランダ、フランスの4カ国は、従軍慰安婦問題で日本政府が前向きな対応を取るよう求めた。
審査は国連加盟国すべてを対象に人権状況を調べる「普遍的審査」で、日本が対象になるのは初めて。
死刑制度への批判に対し日本は「死刑制度は日本では世論の支持を受けている」などと反論した。従軍慰安婦問題では、政府としても謝罪をしているという従来の立場を強調した。
毎日新聞 2008年5月10日
日本では、国連と聞くと思考停止してしまうような風潮がいまだにありますが、それは一刻も早く解消すべき悪癖です。
国連人権理事会は、退廃する国連の象徴といわれた国連人権委員会を引き継ぐ形で2年前に発足しました。人権委員会が「独裁者クラブ」と揶揄されるほどに人権抑圧国家に牛耳られ、完全な機能不全に陥っていたからです。
しかし結局制度改革はほとんどなされず、看板をかけかえただけの人権理事会は、以前と変わらず人権という言葉をおとしめ続けています。
たとえば理事会は、宗教を誹謗する行為を禁止する法律の制定を各国政府に求める決議を採択しました。理事会を牛耳るイスラム諸国の意向によるものですが、これがどんなに前時代的で、本来の人権と相反する姿勢であるかは語るまでもありません。
そんな人権理事会で、ほとんど唯一意味のある改革といわれていたのが、実は上に紹介した記事にある、4年に一度すべての国連加盟国に対して行われる、「普遍的審査」の導入でした。
しかし、先月はじめて行われた普遍的審査を観察した人権NGO、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、言論弾圧や拷問など深刻な人権抑圧をしている国々に甘く、その反面イギリスのような西側先進国の人権状況を厳しく追及するなど、極端なダブルスタンダードが見られると報告しています。
国連:新審査方式は微妙な結果
理事会はアルジェリアとチュニジアの問題に口をつぐむ
Human Rights News 08年4月18日(英語)
というわけで、あることないこと針小棒大に糾弾される国は日本だけではありません。国連人権理事会というところは、今実際に苦しんでいる人たちを救うために本当の人権問題を議論する場ではなく、人権を政治的武器としか考えられない無神経な国に限って猛々しいような倒錯した場なのです。
こうした茶番に対するアメリカの態度は明確で、理事国に立候補しなかっただけでなく、国連分担金の中から人権理事会の運営にかかる分の支払いを拒否しています。
そして注目すべきは、人権理事会をはじめとする国連に疑いの目を向けるアメリカでも最強硬派の一人が、実は共和党大統領候補のマケイン氏だということです。
去年の秋以来マケインさんは繰り返し、「League of Democracies (民主主義連盟)」の結成を訴えています。それは北朝鮮の核問題やスーダンの問題など、国連の手に負えない国際問題を解決するための国家クラブのことで、保守派の論客クラウトハマー氏によれば―
「一見するとジョン・ケリーあたりが口にしそうな、同盟国同士が意見交換する場を作ろうという案にも聞こえるが、実は隠れた意図がある。マケインに言えないことを代わって言ってあげると、それは実質的に国連を葬るということなのだ」
LA Times 08年4月21日(英語)
引用したLAタイムズは左派の新聞なので、マケイン氏の考えに批判的な論調ですが、マケイン氏が、3月に訪欧した際に欧州各国の首脳にプランを披露して好感触を得たとコメントしていることを伝えています。
前回の投稿で書いたように、欧州の保守は加速度的に力を伸ばしています。彼らは、過去10年間でヨーロッパを滅茶苦茶にした元学生運動家たちを軽蔑し、サヨク主義者たちの巣窟と化している国連も信用していません。
もしマケイン政権が誕生し、ヨーロッパ人のプライドを逆なでさえしなければ、国連は風前の灯です。
「民主主義連盟」の成立によって不利益をこうむる大国は、そのときあるいは常任理事国入りを支持する姿勢を見せたりして日本に揺さぶりをかけてくるでしょうが、そこでの日本の態度は、21世紀前半の歴史を左右するものとなるはずです。
人権は人が生まれながらにしてすべからく平等に与えられたものだと言われる。西欧キリスト教の価値観では、これを人自らが獲得したものであるとはしないし、人が与えたものであるともしない。彼らは、唯一の創造主である神がこれを人に与えたのだ、という観点に立つ。敬虔な信仰があるか否かは問わず、一宗教の価値観が、現代において支配的な人権の概念を規定するのに不可欠であった事実は否定出来ない。彼らが言うところの人権が絶対不動の普遍的なものとされるには、彼らが信じる唯一の宗教とそれに基づく価値観が世界を席巻しなければならず、これは現代世界の潮流となりつつある多様性の認知とは矛盾する。西欧キリスト教的価値観に基づく人権の大前提は唯一の創造主である神であるのに対し、現実世界では様々な神々が混在してその正統性を主張して止まないのであるから、死刑制度の存廃一つをとって見ても見解が一致しないのは当然の帰結に過ぎない。
国連は疑似的ローマ帝国であり、これにとって代わろうとするのが米国と欧州の連合である。ローマが世界帝国の建設とその維持になくてはならないものとしてキリスト教を公認・国教化していく中で、その本質が歪曲され統治に都合よく変容させられていった様に、米国・欧州連合が同様の手口を以て世界を我がものにしようとする動きには十分に注意が必要である。
まあ実際、全部胡散臭いのだろうが。
こういう情報が無いから、ニュースを見ててもワケが分からないんですよ。
oribeさん、いつも貴重な情報をありがとう。
ちなみに朝鮮「民主主義」人民共和国も参加資格あるんですかね。何か中国とかロシアとかが入り込んで、それを歓迎するリベラルも居て、グタグタになりそうな。もし実現するなら排他的でメンバーの審査は厳しく願いたい処ですな。馬鹿な国が入る様なら日本は参加しなくて結構。
私の本音を言えば、世界は、民主主義の先進国連合が支配すれば良いと思っている。何を先進国とするかは難しいが、まずは安心して刑務所に入れる国かな。それらが保守志向なら尚良し。まぁ、これも伏し拝んでまで入れて貰わなくて良いが。
先の大戦前の植民地主義は、現地人を人間と見做さなかった点で誤りであるが、現地人に参政権(選挙権&被選挙権)を与えなかった点は正しい。参政権というのは両刃の剣であって、民度の低い社会の住民が持っても不幸になるだけである。
アフリカとアジアを見れば判る。内乱が続き、或は、自分達が立てた政権によって虐げられている(ていた)のが現実である。1997年までの香港はどうだろう。参政権は無かったかも知れないが、1997年以降よりも気楽だったのではないか。仏領インドシナ(ベトナム・カンボジア他)なんかは、おフレンチの為にパン焼いてた方が幸せだったと思う。
理想論では、先進国の奴隷じゃなくて徒弟をやりながら民度を涵養し、民主統治を学んだ上で独立というのがベストだ(日本人はインドネシアでそれをやろうとした)。勿論、そんなに物分りの良い宗主国も植民地も殆ど無いので、日本人の「大暴れ」は意味があったと思う。ただ世界はその後の処理をミスったなという感じである。
特にアフリカにおける独立のバーゲンセールは余計だったな。
League of Democracies(民主主義連盟)は大賛成。だた、新たな組織をつくるよりNATOの役割拡大と、日本、オーストラリア、ニュージーランドなどへの加盟国拡大のほうがいいのでは?
死刑の有無は、それこそ「イスラム教は悪魔の教え。キリスト教に改宗すべき」(逆も然り)みたいに、断言するべきものでも、強制すべきものでもないし、デリケートな問題だよ。
「普遍的審査」なんて言ってるが、死刑の中身や死刑の基準の問題が問題で、有無なんて問題にした時代ある?(有無を問題にした人らはいるけどさっ)それのどこが「普遍的」なわけ?
何も今に始まった事ではなく、昔からヨーロッパの国々の多くはアメリカ的市場主義に対して何らかの違和感もしくは反感を持っているのが実のところです。そもそもヨーロッパには伝統が希薄でプラグマティックな合衆国を蔑視する風潮はおよそどの地域へ行っても存在するので、そんなアメリカのシステムに乗っからざるを得ない近代以降の構造を快く思っていないはずです。
ましてやEUが存在し幅を利かせている今、欧州としては国連やアメリカからの余計な口出しや催促は煩わしさ以外の何物でもありません。
もちろんEUと言ってもその枠内でみんな仲良くやっているなんて事は全くありませんが、それでも少なからずEUという枠組みは欧州の保守化に幾分拍車をかけていると思います。
EU(特に仏)の腹の底には世界経済の奪われた主権を取り戻そうという気概を感じます。私としてはスーパーパワーに対する利口な挑戦として評価し、欧州の更なる飛躍を期待しています。
本論とずれてしまってすみませんが、「欧州の保守化」というワードに対する私の見解でした。
仮になったとしても日本がその中に含まれるかは微妙です。
(日本語版)http://www.youtube.com/watch?v=SBX5tdC61e0&NR=1
(英語版)http://www.youtube.com/watch?v=g9RmRdfaRZ4
今は混沌とした足踏み期間へ突入したという所なんでしょうか。
仮に立ち上がったとして、加入するかどうかも分からない。加入できても「さいなら!」となりそうだと悲観的。