地球を考える会首相に温暖化対策提言
イザ 08年5月21日
このはなしを聞いてなぜか思い浮かんだのは、31年前の日航機ハイジャック事件です。獄中の仲間の釈放と、身代金の支払いを要求した過激派グループに、福田首相の父である当時の福田赳夫首相は、「人ひとりの命は地球よりも重い」と述べて屈服したのでした。
当時小学生だったぼくは、その後ことあるごとに学校の先生に、「一人の命は地球よりも重い」という言葉のすばらしさを説かれました。子供ながらに(誰か大人にそう吹き込まれただけかもしれませんが)、「そんなわけない。そんなのキレイごとだ」と思った記憶があります。
しかしながら今、「一人の命は地球よりも重い」などと言えば、それは人間の傲慢だと考える人はいても、「キレイごと」と受け取る人は少ないのではないかと思います。
今も当時も人命の尊さはあまり変わりませんが、尊さを現すために、他の動物とか地球と比べて上だというのは、今では良識に反する認識のように聞こえます。環境意識の高まりで、それこそ「地球愛」というような言葉が「キレイごと」の地位に昇格したために、「一人の命は地球よりも重い」という言葉は「キレイごと」になりえなくなったわけです。
福田父が首相のとき口にした「キレイごと」は、息子が首相になる30年後の「キレイごと」に否定されてしまったということです。
「キレイごと」というのはどの時代にもあり、何が「キレイごと」であるかは時代とともに移り変わります。しかし、例えそれが相反する内容であっても、「キレイごと」を口にする人たちは同じです。
名前すら知らない人がほとんど。一体何をやってる人なんでしょうか?。
そうですか・・・・まあ、有識者と言えば、そう言える方々なんでしょうね・・・
「地球を考える会」
/◎有馬朗人/元東京大学総長/
/安西祐一郎/慶応義塾塾長/
/尾池和夫/京都大学総長/
/岡村正/日本商工会議所会頭/
/片山恒雄/東京電機大学教授/
/茅陽一/地球環境産業技術研究機構研究所長/
/古賀尚文/共同通信社常務理事/
/児島眞平/前福井大学学長/
/小宮山宏/東京大学総長/
/柴田昌治/日本ガイシ会長/
/白井克彦/早稲田大学総長/
/滝鼻卓雄/読売新聞東京本社会長/
/張富士夫/トヨタ自動車会長/
/中西友子/東京大学大学院教授/
/長谷川彰/前新潟大学学長/
/日枝久/フジテレビジョン会長/
/森嶌昭夫/NPO法人日本気候政策センター理事長/
/吉川弘之/産業技術総合研究所理事長/
/米沢富美子/慶応義塾大学名誉教授/
いけないとは書いてありませんが、そういうふうに聞こえます。提言の内容自体は陳腐というか常識的ではありますが。
原子力発電の推進は日本だけでなく世界規模で必要ですし、米国や中国はすでに走り出しています。EUはどうするのか知りません。
温暖化というよりエネルギー安保という視点の方がより切実ですが、日本は出遅れていますよね。
私は出身が農業大学だったのですが、学歌の歌詞に「科学の力に自然を服し」という部分があって「それは人間の傲慢さだ、時代に合わない」なんて言う人もいたそうです。
でも農業って、今も昔もいかに自然からしっぺ返しを受けぬよう、恩恵だけは最大限受けられるよう、自然と戦いつつ克服する作業の連続なんですよね。
>「キレイごと」はいけませんか?
まず、「キレイごと」って一体何なのか?を踏まえた上で意見を述べなければ、それこそ「キレイごと」のコメントで終わってしまうと思います。Oribeさんがおっしゃる意味と同じか、どうかは分かりませんが、このエントリーで言う「キレイごと」とは「体裁だけで実質のないこと」だと理解しています。31年前の日航機ハイジャック事件で当時の福田赳夫首相が「人ひとりの命は地球よりも重い」と述べたのは、テロと如何に向き合うべきかの核心的な意見表明を忌避し、当たり障りのない言葉でその場を濁したに過ぎない・・・・・。それは「人ひとりの命・・・」云々の言葉にテロとの戦いに関してどのような教訓を読み取るか?と言えば、ただむなしさだけが残るというか、テロへの屈服を取り繕う肩透かしの意見表明で、テロリストとの対峙をまさに「キレイごと」で済ませてしまった典型的な事例だと思えるからです。・・・で、今回の「地球を考える会」なる同好会の提言が「キレイごと」かどうかは、その内容に実質的な提言がいかほど含まれているか、どうかでしょう・・・じっくり読むほどの内容かどうかですよね・・・・・はい。
…うまいですね。本当に山椒が効いています。
僕は人間は地球の上でようやく生かしてもらっている。そんな感じがしますけど。
「地球に愛される人間になろう。」でどうでしょう。
中学生でも云いそうな陳腐な内容を、糞忙しいはずの首相に提言して、首相はそれを評価・・・ってのが、予定調和の出来の悪い猿芝居を見せられている様でゲンナリするね。
提言書なんぞ宅配で送れば良いだろ。或いは、官邸に乗り込んで激論を戦わすなら良し。提言なんて大雑把なもんは、受け手を愕然とさせたり、激怒させたりして考えを変える様なもんでなくては意味がない。予想範囲内で「評価」される様なもんは駄目だろ。
要は「僕ら地球のこと考えてるんだもんね!」って、エライさん達と福ちゃんが国民にアピールしたいだけなのだ。老醜どものオネイニー大会なんざ見たくねえぜ。
地球を守る訳じゃない。
こういう言い換えは、正直むかつく。
「一頭の鯨の命は、日本人よりも重い」などと言えば、それは白人の傲慢だと考える人はいても、「キレイごと」と受け取る人は多くないのではないかと思います。
皮肉にも色々ありすが、人間の存在自体、矛盾のかたまりの、皮肉そのものではないでしょうか?