実際に猪瀬知事の英語ツイートを読んでみると、確かに典型的な翻訳調英語ではありますが、とんでもない誤解を受けるような内容ではないし、それどころかもともと英語のえの字も知らないはずの猪瀬氏にしては上達したなと感心しました。まあ、TOEIC750点くらいの部下に代筆させたものだとは思いますけれど。
それはともかく、下手な英語をこき下ろす風潮にはげんなりします。以前、首相時代の麻生氏がオバマ大統領との会見で英語を喋ったら、それが下手だとマスコミで叩かれ、みのもんたが「恥ずかしい!」と叫んでいたときも感じましたが、下手な英語を取り締まる「英語警察」は、日本人の英語オンチの最大の要因だと思います。
自分はまわりがアメリカ人やオージーばかりのときは英語を喋るのに何ら苦痛を感じず、そのうち英語で会話していることさえ忘れてしまうのですが、多少とも英語がわかる日本人がいるとそれだけで緊張します。そして案の定ネイティブたちが場を離れると、「oribeちゃん、英語あんまりうまくないね?」なんて耳打ちしてきます。会話の内容さえろくに理解できないようなレベルの人がです。
思うに日本人は、英語というものを高度な特殊技能扱いしすぎており、それが社会的な利害関係の中で確立してしまっています。英語で食べている英語の達人からすれば、英語というものが奥義であればあるほど自分の地位は安泰です。逆に英語ができない人からすれば、英語が難しいものであればあるほど、英語ができない自分を正当化してくれます。だから彼らは、中途半端なポジションにいる英語話者ーーそしてそれは日本の英語話者のほとんどに当てはまるのですがーーを叩くのです。
ではネイティブの人たちは、日本人の下手な英語をどう見ているのでしょうか?聞いていてイライラして、通訳を使ってくれたほうがありがたいと思うのでしょうか?ビジネスの契約をする場合などはそうかもしれません。しかしほとんどの場合はそうではありません。いくら拙い英語でも、直接会話したほうが、通訳を挟むよりも人と人は100倍つながるのです。
そもそも自分の経験からすれば、英語のネイティブというのは英語の許容範囲がとても広く、多少拙くても意に介しません。仕事の相談をしていて、「そういえば明日のA氏の都合はどうだったっけ?事務所に電話して確認してみてよ」などと何気なく要求してくるのはザラです。日本人の英語警察からすれば失格なレベルでも早々に合格証を与えて、そうなるともうネイティブと同じ扱いをして気にもとめません。
先日どこかの掲示板で、「ノン・ネイティブのやつらはなんで書き込みの最後に『下手な英語でごめんなさい』と謝るんだろう?」という話題で盛り上がっているのを見ましたが、「ネイティブよりきれいな英語なのに謝るのおかしいよな」とか「バカなアメリカ人がバイリンガルを妬むから謝るんだろ」とか書かれていました。その程度の認識なのです。
また、英語は世界言語であり、さまざまな国の人々が使うため、「英語は英語人のもの」という意識も薄いように感じます。アジア系アメリカ人の中には、「非論理的だから」という理由で意図的に名詞の複数形を使わない人がいたり、ロシア系アメリカ人の中には、これまたわざと冠詞(aとthe)を使わない人がいたりするのですが、そういう正しくない英語を、「一理あるな」とすんなり受け入れたりします。
というように、当のネイティブの人たちがおおらかなのに、日本人の英語警察は反則切符をちらつかせて、英語を使おうとする人たちを萎縮させます。インターネットで生の英語に触れる機会が多い現代、自らの心の中にいる英語警察を殺しさえすれば、ほとんどの日本人は日常生活に困らない程度の英語はすぐに使えるようになると思うのですが…。
最後に、普通の人はブロークンな英語を使えばいいが、猪瀬氏や麻生氏のような地位のある人がそれではマズい、と考える人もいると思います。しかしそれは違います。ツイッターやテレビカメラを前にしての会見は誰に向けられて、何の目的で行われるかといえば、それは英語ネイティブの普通の市民たちに向けて、彼らに親近感を抱いてもらうためにするのですから、下手な英語で何ら問題はありません。
英語ネイティブの普通の市民たちには、外国人の下手な英語を卑下する習慣はありませんし、それどころか、例えばオージーたちの前で妙にきれいなアメリカンイングリッシュを喋ったりすると気持ち悪がられたりするものです。心を通わせるのが目的なのに、通訳を挟んだのがミエミエの癖のない教科書英語を使って何になるというのでしょうか?それならば、「All your base are belong to us」の方がよほど効果があるというものです。まあ、都知事のツイートは英語以前に内容が凡庸すぎて、問題はそっちだと思うのですが。