2013年01月10日

英語警察

猪瀬都知事が英語でツイートして、それが拙くて恥ずかしいと一部で批判にさらされていました。

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実際に猪瀬知事の英語ツイートを読んでみると、確かに典型的な翻訳調英語ではありますが、とんでもない誤解を受けるような内容ではないし、それどころかもともと英語のえの字も知らないはずの猪瀬氏にしては上達したなと感心しました。まあ、TOEIC750点くらいの部下に代筆させたものだとは思いますけれど。

それはともかく、下手な英語をこき下ろす風潮にはげんなりします。以前、首相時代の麻生氏がオバマ大統領との会見で英語を喋ったら、それが下手だとマスコミで叩かれ、みのもんたが「恥ずかしい!」と叫んでいたときも感じましたが、下手な英語を取り締まる「英語警察」は、日本人の英語オンチの最大の要因だと思います。

自分はまわりがアメリカ人やオージーばかりのときは英語を喋るのに何ら苦痛を感じず、そのうち英語で会話していることさえ忘れてしまうのですが、多少とも英語がわかる日本人がいるとそれだけで緊張します。そして案の定ネイティブたちが場を離れると、「oribeちゃん、英語あんまりうまくないね?」なんて耳打ちしてきます。会話の内容さえろくに理解できないようなレベルの人がです。

思うに日本人は、英語というものを高度な特殊技能扱いしすぎており、それが社会的な利害関係の中で確立してしまっています。英語で食べている英語の達人からすれば、英語というものが奥義であればあるほど自分の地位は安泰です。逆に英語ができない人からすれば、英語が難しいものであればあるほど、英語ができない自分を正当化してくれます。だから彼らは、中途半端なポジションにいる英語話者ーーそしてそれは日本の英語話者のほとんどに当てはまるのですがーーを叩くのです。

ではネイティブの人たちは、日本人の下手な英語をどう見ているのでしょうか?聞いていてイライラして、通訳を使ってくれたほうがありがたいと思うのでしょうか?ビジネスの契約をする場合などはそうかもしれません。しかしほとんどの場合はそうではありません。いくら拙い英語でも、直接会話したほうが、通訳を挟むよりも人と人は100倍つながるのです。

そもそも自分の経験からすれば、英語のネイティブというのは英語の許容範囲がとても広く、多少拙くても意に介しません。仕事の相談をしていて、「そういえば明日のA氏の都合はどうだったっけ?事務所に電話して確認してみてよ」などと何気なく要求してくるのはザラです。日本人の英語警察からすれば失格なレベルでも早々に合格証を与えて、そうなるともうネイティブと同じ扱いをして気にもとめません。

先日どこかの掲示板で、「ノン・ネイティブのやつらはなんで書き込みの最後に『下手な英語でごめんなさい』と謝るんだろう?」という話題で盛り上がっているのを見ましたが、「ネイティブよりきれいな英語なのに謝るのおかしいよな」とか「バカなアメリカ人がバイリンガルを妬むから謝るんだろ」とか書かれていました。その程度の認識なのです。

また、英語は世界言語であり、さまざまな国の人々が使うため、「英語は英語人のもの」という意識も薄いように感じます。アジア系アメリカ人の中には、「非論理的だから」という理由で意図的に名詞の複数形を使わない人がいたり、ロシア系アメリカ人の中には、これまたわざと冠詞(aとthe)を使わない人がいたりするのですが、そういう正しくない英語を、「一理あるな」とすんなり受け入れたりします。

というように、当のネイティブの人たちがおおらかなのに、日本人の英語警察は反則切符をちらつかせて、英語を使おうとする人たちを萎縮させます。インターネットで生の英語に触れる機会が多い現代、自らの心の中にいる英語警察を殺しさえすれば、ほとんどの日本人は日常生活に困らない程度の英語はすぐに使えるようになると思うのですが…。

最後に、普通の人はブロークンな英語を使えばいいが、猪瀬氏や麻生氏のような地位のある人がそれではマズい、と考える人もいると思います。しかしそれは違います。ツイッターやテレビカメラを前にしての会見は誰に向けられて、何の目的で行われるかといえば、それは英語ネイティブの普通の市民たちに向けて、彼らに親近感を抱いてもらうためにするのですから、下手な英語で何ら問題はありません。

英語ネイティブの普通の市民たちには、外国人の下手な英語を卑下する習慣はありませんし、それどころか、例えばオージーたちの前で妙にきれいなアメリカンイングリッシュを喋ったりすると気持ち悪がられたりするものです。心を通わせるのが目的なのに、通訳を挟んだのがミエミエの癖のない教科書英語を使って何になるというのでしょうか?それならば、「All your base are belong to us」の方がよほど効果があるというものです。まあ、都知事のツイートは英語以前に内容が凡庸すぎて、問題はそっちだと思うのですが。

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2009年07月14日

英語オンチは日本の勲章

マレーシアの小中学校では理科と数学の授業が英語で行われていたんですね。知りませんでした。2003年から導入されていましたが、結局学力低下を引き起こしただけで終わり、やめることにしたそうです。

英語での授業を始めた理由は、「国際的に活躍できる人材を育成するため」といういかにもの理由の他に、もうひとつ切実な理由がありました。それは、

「科学や数学はマレーシアが起源ではない。専門用語はマレー語になく、英語から移植するしかない。それなら最初から英語で学ぶほうがよい」

マレーシア、英語での理数科授業廃止へ 理解できず学力低下


ということです。

これは日本人には理解しにくいことなのですが、ほとんどの発展途上国は同じ状況で、要するに英語(或いはフランス語など)を駆使できないと、科学を学べないのです。

今年の春にカンボジアとベトナムを訪れ、プノンペンからホーチミン・シティまでバスで移動したとき、隣に座るカンボジア人起業家とあれこれ世間話をして暇を潰しました。

3台の携帯ガジェットを持ち歩き、移動中も頻繁にチャットしていた彼は、とにかくテクノロジー好きで、「なんで日本の電機メーカーの携帯は見ないの?」などと日本人には耳の痛い質問をしてきます。

彼はケーブルテレビでBBCとかCNNを日頃から見ているそうで、小渕首相以降の日本の首相を全部言えるほどに日本の事情にも通じているのですが、「日本の首相が英語喋ってるの見たことないんだけど、日本の首相は英語できないの?」というところから英語の話になりました。

そこで彼が心底不思議そうに聞いてきたのが、「日本人は英語を使えないのにどうやって科学を学んでるの?」でした。

クメール語には科学の基礎的語彙がなく、旧宗主国のフランス語か英語を使えないと科学を学ぶことは不可能で、そういう彼からすると、英語ベタなのに先進技術に長けた日本は謎なのです。

それを可能にしたのは、言うまでもなく150年前の先人たちのおかげです。ありとあらゆる西欧産概念を漢字に置き換え、日本語で科学を語れる環境を作ったのです。

もし彼らの努力がなければ、長く西欧に支配された多くの国々同様、日本は一部のインテリと学のない大衆とに知的分断され、後の発展はあり得なかったはずです。

その弊害で、日本人は外国語オンチになりました。エリートでも外国語オンチ、外国語オンチでもエリートになれるという国は、世界を見回してもごく少数です。しかしそれで得られた利益と比べれば、すばらしいトレードオフです。

外国語オンチは、優れた独自の文化を持つことの勲章なのです。

そんな先人たちの努力により培われた英語オンチを解消しようと、2年後から小学校で英語が必修化されます。しかしそのせいで英語学習にリソースを割かれる学校システムのことを考えると、こちらの方はあまりうまいトレードオフではないと思います。

マレーシアのようにドラスティックな教育改革ではないので、あらゆる科目で目に見えて学力が落ちるということはないでしょうが、例えわずかでも英語にリソースを割いた分、その他の部分での学力低下は不可避です。

一方言語というのは、必要性と真の積極性があれば誰にでも習得できるものであり、逆に言えば、必要性と積極性を欠いては、何百時間費やそうと時間の無駄です。

ほとんどの日本人は、マレーシアやカンボジアのような元植民地の人たちと比べてもケタ外れに英語を必要としないのですから、結局英語はほとんどうまくならず、その分ますますバカになるだけのような気がします。

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2006年09月29日

小学校で英語は必修化すべきか?

小学校の英語「必修化の必要ない」伊吹文科相

新学習指導要領の焦点の一つになっている小学校での英語必修化について、伊吹文部科学相は27日、「私は必修化する必要は全くないと思う。美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」と話し、否定的な見解を示した。

小学校英語をめぐっては、文科相の諮問機関である中央教育審議会の専門部会が今年3月、5年生から週1時間程度の必修化を提言、中教審で議論が進められている。

伊吹文科相は小学校での教育について、「最低限の日本語の能力が身についていない現状がある」と指摘。必修化については、中教審の最終答申までに、この現状が改められることが条件になるとの認識を示した。

前任の小坂大臣は「柔軟な児童が、英語教育に取り組むのは否定すべきことではない」と、必修化に前向きな姿勢を示していた。文科省は来年度の概算要求で、主に「総合的な学習の時間」で行っている英語活動を充実させるため、統一的な補助教材の作成や小学校英語に特化した教員の研修などを盛り込んでいる。


小学校の英語必修化は、ずっと気になっていたニュースでした。結論から言えば、ぼくはこう思っていました。

「そんな中途半端なことをしても時間と金の無駄で何の効果もないからやめてしまえ」

だから新文科相の方針には大賛成です。

現在の日本の英語教育は、成人してから英語を運用するための足かせにしかなっていないとぼくは思っています。「使える英語」をものにしたい人がまず第一にすべきことは、学校で習った英語をすべて忘れること。学校で習った英語は英語ではないと頭の中で割り切ることだと確信しています。そんな英語教育をへたに小学校から始めたりすれば、役に立たない学校英語をより長い間浴びて、学校英語がより頭の中に固着するだけです。

もちろんみんなそんなことは百も承知で、文法ではなく会話中心の教育をするつもりなのでしょうが、週に1時間程度で教師は即席、さらに外国人補助教員の数も中途半端というのでは、会話中心の使える英語など教えられるわけがありません。

英語というのはある種「筋トレ」みたいなもので、週1時間程度やるだけでは、いくら「柔軟な児童」だとしても、頭痛の種になるだけです。最低でも2日に1時間、週に3回くらいはやらないと頭の中に根が張っていきません。そして外国人教師を使うにしても、安い給料で低い地位しか与えないのであれば、現実としてレベルの低い教師しか集められません。

本気で小学生から英語教育をするなら、授業時間は週に3時間、各学校に最低でも一人は正教員として外国人教師を雇うくらいしないとダメです。でもそうすると新たに数千億円の予算が必要になります。それが出せないなら、何十億かけようと、何百億かけようと、税金の無駄遣いどころか逆効果です。

「美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」というのは、聞きようによってはナショナリスティックで誤解を招きやすい表現ですが、「最低限の日本語の能力が身についていない現状がある」というのはゆゆしき問題で、英語の授業に力を入れることで日本語の授業時間を減らさざるを得ないのであれば、絶対にやめるべきです。

ただもちろんこれは、英語を身につけようという意志を持たない子供について言えることで、外国語なんて覚えようという意志があれば簡単なんです。学問ですらありません。学校で習った英語を英語と思わないこと。学校で習った英語を土台にして勉強しないこと。これだけで、あとは3、4ヶ月集中的に勉強すれば、お金なんかかけなくても、仕事でばりばり使えるレベルになります。

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2006年09月22日

語学はメンタル

昔英会話学校の講師として授業の進め方の講習を受けていたときのことです。

教育係は、「バイリンガルキャリアウーマン」を絵に描いたような女性で、完璧なアメリカンイングリッシュを操り、体中から自信を発散していて、長い脚で大股に歩いて、外見も態度も日本人離れした、すてきなお姉様でした。

でも、彼女は日本人でした。彼女は具体的な授業の進め方以外にも、いろいろなことを教えてくれました。

「英会話学校で授業を受け持つのは平凡な講師で、企業に出張して講義するようになって一人前。そうなればお金も稼げるし、君にもそれを目指して欲しい」と彼女は言いました。彼女自身、普段は企業で出張講師をする、そうした一流の講師の一人でした。

で、出張講習をするとき、彼女は面白い「仕掛け」をしていました。日本人であることを生徒に隠して、「中国系アメリカ人」ということで講義をしていたのです。

授業では日本語を使いますし、授業を進める上で日本人であることを隠す理由は別にありません。でも、ガイジンの振りをしていたのです。

先生について英語を学ぼうという日本人に対しては、ガイジンでいた方がありがたがられるし、その方がやりやすいし、現実として効果も上がるからです。

語学というのは、メンタルが大事だということです。学ぶ方法はもちろん大事ですが、メンタルがだめならいくら優れた方法で学んでも多分ダメです。逆にメンタルさえできていれば、とても簡単なことなのです。

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2006年09月04日

NHKの語学講座

NHKとBBCを比較した記事に寄せられたみなさんのコメントを読んでいると、真剣さが良く伝わってきます。NHKをどうするかは、切実な「自分の問題」ですからね。

さて、NHKの魅力というと、そのひとつに語学講座があげられます。最近は聴いていないのでわかりませんが、ラジオの英会話講座などはかなりクオリティが高いです。NHKの英会話番組に半年くらい真剣に取り組めば、よほど頭が固い人はともかく、テレビの英語ニュースを直に理解できて、外国人とメールのやり取りができるくらいにはなるはずです。昔(本当にちょっとだけ)英会話学校の先生をしたことがあるぼくが言うんだから間違いありません。

うちのカミさんも何年か前まではほとんど英語がダメだったんですが、3ヶ月くらいNHKラジオの英会話講座を集中してやらせたら格段に上達しました。今じゃ英語のサイトでホテルの予約を取って、世界のどこへでも一人で出かけていきます。先日アメリカで、何かの手違いでホテルの予約が取れておらず、しかもどのホテルも満室というトラブルに遭遇したそうですが、あちこち電話をかけまくって相手に予約システムの不備を認めさせ、結局最初よりいいホテルに泊まれたとか何とか言っていました。

というように、NHKの語学講座はとても実用的なわけですが、今の時代にそぐわない重大な欠陥もあります。それは、ウェブをまるで活用していないことです。

NHKのお手本であるイギリスBBCも、公共サービスとして語学講座に力を入れているわけですが、BBCの語学講座のページと、NHKの語学講座のページを比べてみてください。比較にもなりません。NHKのページは本当に番組紹介だけですが、BBCのウェブを使えば、英語を軸にしてフランス語とかドイツ語の基礎を、多分下手な大学に行くよりもしっかり学ぶことができます。

これは外国人向けの母国語講座にも言えて、BBCの英語コースは非常に充実しています。NHKも一応やってはいるのですが、BBCの努力の100分の1くらいで、しかも「ベーシック・ジャパニーズ」の音声を聴いてみようと思ったら、たまたまかもしれませんがつながらない始末・・・。日本語を学びたい外国人はたくさんいるのに、残念なことです。

NHKがウェブに力を入れていないのには理由があります。NHKだって、できればウェブに力を入れたいのですが、「民業圧迫」になるからできないのです。BBCのようにホームページを充実しようとすれば、民放から文句が出ます。役に立つ語学講座をウェブ上でただで公開すれば、英会話学校からも苦情が出るでしょう。

BBCも民業圧迫という批判はされてはいます。でもここまでやれるというのは、前回の記事でも少し触れたように、イギリスにおけるBBCのプレゼンスと、日本におけるNHKのプレゼンスが全然違うということがあると思います。

イギリスという国では、テレビ放送の民間開放が日本よりずっと遅れていたこともあり、BBCとその他の民間放送の勢力割合は、多分5対5くらいです。だから今でも、テレビメディアはBBCが引っ張り、民間はそれに続くという構図が残っています。BBCがネットに力を入れれば、民間放送は確かに圧迫されるのですが、そのおこぼれに預かる面も残されており、損する一方ではないわけです。

ところが日本の場合、NHKと民放の勢力割合は、地方に行けばNHKの力は増すものの、全体として見れば、せいぜい3対7くらいだと思います。だからNHKがネットに力を入れれば、民業圧迫は深刻な問題になります。

というわけで、やりたくてもやれない、できるのにやらないわけです。受信料支払いを義務化したところでこの構図は変わりません。時代に即した本当に役に立つサービスは、時代が進めば進むほど期待できなくなっていくのです。バカな話しだと思いませんか?

ところで語学講座の話しに戻りますが、NHKの語学講座は本当に効果があります。しかもテレビではなく、デイリーで放送しているラジオ講座です。英語が出来るようになったからと言って、誰もがうちのカミさんのように猛者になれるわけではありませんが、英会話学校に金を出すよりも確実でずっと安いので、是非お奨めします。

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