2013年02月18日

メリットの有無と戦争

伝統芸能レベルの左翼クリシェを書き散らす沖縄新報が、中国脅威論を批判していました。

自衛隊も持ち出して緊張状態が続く尖閣問題を意識させれば、日米同盟強化もオスプレイ配備も納得してもらえるという算段だろうが、あまりにも作戦の想定が安直で非現実的ではないか。

国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなどを考えると、中国が尖閣諸島を「奪う」メリットがあるとは思えない。従って「奪還」のためのオスプレイが役立つこともないだろう。

オスプレイ宣撫 離島防衛に絡める安直さ

沖縄新報の主張を真面目に受け止める人は今や少数だと思いますが、中国が武力行使するメリットはないとする論理には説得力があるように思えます。中共嫌いの人も、尖閣防衛の強化を訴える人も、心の底では中国が開戦に踏み切るはずはないと感じており、対中警戒はあくまで中国の横暴を牽制するためのポーズ程度に考えている人は多いはずです。

中国のメリットのなさで最大のものは、経済的な理由です。グローバル経済と密接に結びついている中国は、もし武力行使すれば、敵に与える以上の経済的打撃を受けかねない、いや確実に受けます。そんな非合理な自滅行動をとるとは、常識的に考えられません。国家間の経済的相互依存関係が高いグローバリゼーションの時代に、主要国間の戦争はありえないように思えます。

しかしそれは誤謬です。経済のグローバリゼーション化は現代の専売特許ではありませんし、むしろ史上最大の戦争は、グローバリゼーションの時代に起きました。それは第一次世界大戦です。

第一次大戦前の世界、19世紀末から20世紀初頭における、特に先進国間の経済は緊密な相互依存関係にありました。1913年の日本のGDPにおける輸出の割合(輸出依存度)は12.5%で今日よりも高く、日米欧を合わせた輸出依存度は11.7%でした。資本も国境を飛び越えました。当時の外国投資の3分の1は直接投資で、1913年の世界の総生産の9%は対外直接投資によるものと推測されています。

当然関税は低く、世界経済をリードしていたイギリスは関税ゼロで、関税自主権のない日本は1900年代までやはりゼロでした。当時世界に冠たる保護貿易国のアメリカを除けば、世界の主要国は軒並み10%程度の低関税で、輸送手段と冷凍技術の進歩により、世界の食料品価格は年々平準化していました。

100年前の世界は、データ的にはほとんどあらゆる面において1990年代の世界に比すグローバリゼーションを成し遂げていたのです。

しかも、こうした国境のない世界ぶりはビジネス界に限りませんでした。日本の農民はハワイや南北アメリカに盛んに移民し、腕に覚えのある者は中国大陸で運試ししました。ヨーロッパ人も同様で、ある者はアメリカに、またある者は世界の果ての植民地に新天地を求めて移住しました。

また隣国と国境を接するヨーロッパ諸国の場合、地域の経済は国境に縛られていませんでした。たとえばドイツ帝国の場合、東部地域はその他のドイツ地域よりもロシアと、西部地域はフランスと、南部地域はオーストリアとより経済的に結びついていました。

このように第一次大戦前の世界は、人、物、資本が国境などお構いなしに移動するグローバリゼーション時代であり、主要国間での戦争に勝者がいないのは誰の目にも明らかでした。しかし当時の人々は、オーストリアのセルビア懲罰という些細な紛争を契機にして何のメリットもない戦争に突入し、案の定ヨーロッパは没落したのです。

歴史を見る限り、グローバリゼーションによる経済の緊密化は戦争を抑止しません。戦争は「国際社会への影響の大きさやその後の維持管理コストなど」おかまいなしに起きるのです。

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2013年01月12日

トクヴィルに学ぶ中国

尖閣諸島に領空侵犯するなど、中国は年明け早々気合十分です。

中国外務省の洪磊報道官は11日の定例記者会見で、安倍晋三首相が沖縄県・尖閣諸島の国有化を受けた反日デモで日系企業が襲撃された昨年の事件を踏まえ中国を批判したことに対し「中日間の困難な局面は日本が招いた。日本は現実を直視して適切に問題解決を図るべきだ」と反論した。

安倍首相の批判に反論 中国外務省「現実直視を」

そんな中国で、今密かにブームを呼んでいる本があるそうです。それは、19世紀フランスの歴史家、アレクシ・ド・トクヴィルの「旧体制と大革命 」です。

Tocqueville classic becomes Chinese bestseller

トクヴィルといえば、日本では「アメリカのデモクラシー 」が有名で、福沢諭吉に紹介されて以来、日本人のアメリカ観、民主主義観の形成に大きな影響を与えてきました。「民主主義国は国民にふさわしい政府を持つ」「民主主義は多数派による専制である」なんていう格言もトクヴィル発です。

そんなトクヴィルが今中国で流行している理由は、改めてアメリカを研究しようとしているのでも、民主主義を学習しようとしているのでも、ましてや共産主義国として革命の元祖であるフランス革命に思いを馳せようとしているからでもありません。

国務院副総理の王岐山氏が推薦したことに端を発し、とくに指導層の間で熱心に読まれているという理由は、フランス革命分析におけるトクヴィルの次のような考察にあります。

悪い政府にとって最も危険な時期は、改革を始めたときである。

(大変動の到来は)誰の眼にも明らかであり、しかし同時に誰にも予測できなかった。

トクヴィルは、フランス革命は民衆の貧困ではなく、総体的な豊かさと絶望的な社会格差により起きたとします。そして汚職まみれのフランス政府は革命のはるか以前から民衆の支持を失っており、ただ経済発展することで気持ちをつなぎとめ、景気の停滞とともに思いもよらぬ形で暴発したと分析します。

中国の状況とあまりに似ています。だから指導層はトクヴィルを読み、そこから教訓を得ようとしているのです。

ではトクヴィルの処方箋は何か?残念ながらトクヴィルは、旧体制の問題点を指摘するばかりで、その解決策は提示していません。それどころか、改革に乗り出したときに危機は到来するとします。改革は不可避、しかし改革すると危険。ではどうすれば?…海外に資産を移す高級党員たちの気持ちもわかります。

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2012年09月26日

「過去と真摯に向き合うドイツ」の実体

韓国で、日本とドイツの過去対応を比較したウェブマンガが人気なのだそうです。ドイツは反省しているのに日本は…というやつです。最近は中国もことあるごとに似たようなことを口に出しており、どうやら中韓で仲良く流行しているようです。

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しかしこれは事実とは違います。現に今ギリシャでドイツに戦時賠償を求める動きが加速していますが、この出来事は、ドイツの戦後処理の実体を如実に示しています。

ギリシャ人を過去問題に走らせたトリガーは、言うまでもなく国家破産危機です。スローライフでズボラなために借金まみれになり、返済を迫るドイツに「払うのはお前のほうだナチス野郎!」とやり返しているわけです。恥知らずな態度です。

しかし、そうした背景を別にして見れば、実のところギリシャ人の主張にも一理あります。

というのも、ギリシャは第二次大戦で最も被害を受けた国のひとつです。イタリアの独裁者ムッソリーニは、同盟国ドイツのギリシャ占領政策を評して「ドイツ人は靴紐まで持ち去る」とあきれたそうですが、ドイツの苛烈な収奪により人口のおよそ1割が餓死しました。またドイツは「占領融資」として、ギリシャの中央銀行に無利子での融資を強制し、35億ドルのゴールドを持ちだしました。

こうした被害に対し、戦後ギリシャは100億ドルの賠償を請求しました。しかし、巨額な賠償請求によりドイツ人をナチスに走らせた第一次大戦の戦後処理への反省に立ち、なるべく賠償金はとらないというアメリカの方針で、ギリシャの取り分はわずか2500万ドルに抑えられてしまったのです。

慰安婦問題などで、よく「ドイツは個人補償をしているのに日本は…」と日本政府の対応を責める人がいますが、その理由はここにあります。各国と交渉して国家賠償で決着をつけた日本とは違い、ドイツの場合は、そもそも対象となるドイツという国家(ドイチェス・ライヒ)が1945年に滅亡したこともあり(現在あるドイツ連邦共和国は1949年に新たに建国された国なのです)、戦勝国の配慮で事実上国家賠償を免除され、その見返りとして強制労働の被害者などに個人補償しただけなのです。

しかしギリシャ人からすれば、ドイツの戦後復興と欧州の安定のために、個人補償とは比べものにもならない莫大な賠償金を諦めたという気持ちは残ります。ましてや、金庫から持ち去られた35億ドルくらいは、賠償とは別に返して欲しいと訴える気持ちは痛いほどわかります。

ではドイツは、そんなギリシャ人の訴えにどんな対応をしているのでしょうか?「日本とは違い過去を真摯に反省しているドイツ」のことですから、血も涙もない「倭猿」のお手本となるような、慈愛に満ちた対応をしているのでしょうか?

とんでもありません。黙殺です。肩をひそめてため息をつき、軽蔑と哀れみのこもった眼でギリシャを見下して、「国際法上すでに解決済みだから」でおしまいです。

イギリスのラジオに出演したギリシャの閣僚は、「ギリシャ人が求めるのはカネではないんです。ドイツの戦後復興のために賠償をあきらめたギリシャに、一言感謝して欲しいだけなんです」と述べました。しかしそれすらドイツはせず、政治家からマスコミから一般民衆まで、ひたすらギリシャを問題児扱いするばかりです。

被害を受けた各国にきちんと賠償金を払い、毎年のように繰り返される謝罪の回数はドイツをはるかに凌駕し、証拠がなくても責められればとにかく頭を垂れる日本の姿をギリシャに周知すれば、ギリシャ人たちはうんうんと頷いて、「ドイツは日本を見習うべき」と言うに違いありません。ぜんぜん嬉しくありませんが。

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2012年09月18日

憂鬱な21世紀の幕開け

久しぶりの更新になります。8月に更新しようとしていたのですが、ロンドンオリンピックを見ていたら、何事もなく「昨日の世界」が続いているような感覚に囚われて、なにやら脳が麻痺してしまい、なにひとつ書けなくなってしまいました。

19世紀的価値観を瞬時にして葬った第一次大戦が勃発した1914年の夏は、欧州では数年に一度のすばらしい夏で、人々はすっかり呆け、19世紀的社会が永遠に続くかのような錯覚に囚われていたといいますが、時代が転換するときというのは、その直前に奇妙な凪が生じるものなのかもしれません。

オリンピックは20世紀を象徴するイベントです。そこには20世紀のすべてがあります。100年後に20世紀を知ろうとする人は、オリンピックを研究すれば、そのすべてをつかむことができるはずです。

そんなオリンピックは、今回とても普通に行われました。

ジャッジミスや進行の不手際は随所に見られたものの、そうしたことはスポーツイベントにはつきもので、むしろ大会の普通さを示すほのぼのとしたできごとであり、前回の北京大会のように、政治やカネの匂いは意外なほどかぎとれませんでした。歴代のオリンピックは、多かれ少なかれ、良くも悪しくも時代を映してきましたが、今回はまるで会場ごと1990年代にタイムスリップしたような、時代からふわりと浮いているような、不思議な大会でした。

ところが時代は突如として顔を出しました。サッカー3位決定戦における「ドクトは我が領土」プラカード事件です。安穏とした20世紀の風景を演出したオリンピックの裏では、オリンピックを場違いとしてしまうような時代の変化が進行しており、そのズレがスッと顔を出したのです。

以来、日本の周辺を中心として、世界はタガが外れたように揺れています。奇妙なほど普通なオリンピック、「美しい20世紀の風景」を最後に、いよいよ20世紀は「昨日の世界」になったのかもしれません。

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さて、中国の反日暴動です。

日本人の多くは、中国人暴徒の様子をポカンとして見ているようです。口の悪いネットでも怒りの声は少なく、むしろ愚かな中国人たちの自滅ぶりを楽しんでいる風でもあります。

確かに今回の一件は、中華人民共和国の内部矛盾が相当なレベルまで来ていることの証です。中華人民共和国が倒れるとするなら、それは外国人ではなく、人民の手により暴力的に葬られることはおそらく間違いなく、そうなる期待を抱かせる状況ではあります。ですから自分も、日本のネットで見られるセンチメントに大いに共感します。

しかし、もしそういう方向に事態が推移しなかったら?体制が崩壊するにしても、それは今ではなくしばらく先のことだったら?と考えると、日本人として絶望的にならざるをえません。

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今回の暴動は、「ライヒスクリスタルナハト」を思わせる明白な人種差別暴動です。

日本語で水晶の夜と呼ばれるこの事件は、1938年の11月にドイツで起きたユダヤ人店舗、シナゴーグの襲撃事件です。路上に散乱したショーウインドーの破片が水晶のようにキラキラと輝いて見えたので、水晶の夜と呼ばれます。

この事件は、ドイツ外交官がユダヤ人青年に射殺されたのを機に、当時公私にミス続きで功を焦るゲッベルス宣伝相が「党はデモを行わないが、自発的に起きるデモは妨害しない」と宣言し、過激分子による暴力デモにゴーサインを出したことで起きました。

中国の「デモ」も同じ構図です。

ドイツは、この事件により世界的な非難を浴び、ゴロツキとしての地位を確定的なものにしました。「21世紀のクリスタルナハト」に対する世界での報道と、それへの反応を見ると、中国も悪の帝国としての印象をいよいよ強くすることは間違いないはずです。

それは日本としては救いではあります。しかし、なぐさめ程度の救いでしかありません。

クリスタルナハトを目撃した世界は何をしたか?以前よりもユダヤ人の声に耳を貸すようにはなりました。でもそれだけです。口でドイツを非難するばかりで何もせず、ドイツの反ユダヤ主義者はますます牙を研ぎ、迫害を強めるばかりでした。

ようやく諸外国が拳を振り上げたのはクリスタルナハトの10ヶ月後。ドイツのポーランド侵攻に対して宣戦したわけですが、そのときですら英仏軍は国境線から動かず、もしドイツからフランス侵攻作戦を仕掛けなければ、しばらく睨み合った後に和平していたかもしれません。

いくら世界の賛同を集め、相手の非道ぶりを明らかにしたところで、弱ければやられるしかなく、誰も何もしてくれないのです。

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今日の中国は、ドイツ第三帝国に酷似したファシズム国家ですが、大きな違いもあります。

ドイツは戦争のできる国家建設にいそしみ、経済的に自給自足を目指していましたが、中国は世界経済に深くコミットすることで、攻められにくい国家建設にいそしんでいます。もし中国が先進国と戦争すれば、中国経済は大打撃を被るでしょうが、相手国もまた大打撃を被るので、戦争になりにくいのです。

そして中国は膨大な人口を擁する大金脈であり、なおかつ一党独裁です。民主国である他の先進国と軋轢が生じれば、経済人たちのロビー活動により、必ず民主国が折れる仕組みなのです。

中国の経済はおそらくすでにバブル崩壊しており、金鉱としての価値は半減していると自分は見ていますが、経済人たちは目に見える目先の利益を追い求めるので、そんな話は耳に入りません。今回の場合、日本はもちろん、アメリカ、ヨーロッパの経済人たちは、戦争を食い止めるために、各政府に猛烈にプレッシャーをかけているはずです。

それでどうなるのか?

アメリカ政府は中国に強面で自重するようにもちかけ、一方で日本に譲歩を迫るはずです。尖閣をめぐり、一見して譲歩には見えないけれど、その実中国を利する譲歩と、中国政府バージョンの南京大虐殺を認めるような公式声明のセット、というところでしょう。

そうして平和は守られます。ミュンヘン会談再びです。

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ミュンヘン会談で国家防衛の要衝であるズデーテンラントを割譲させられたチェコは、もはや独立国として生存できず、やがて全土をドイツに併合されてしまいました。今回日本が飲まされるだろう譲歩は、それほど大きなものではありません。

しかし、世界は結局弱肉強食であるという現実を見せつけられた日本は、力への信奉を強めることになるはずです。

核武装して憲法9条を改正する?それもひとつの手です。ただし、それは必ずしも力とイコールではありません。

でかくて強くて経済的恩恵ももたらしてくれる(ように見える)中華帝国に擦り寄り、その庇護下に入るという手も、もはや大国とは言えない日本が力を手にし、弱肉強食の時代に生き残る術のひとつなのです。

21世紀の大動乱はアジアが発火点となる可能性が高いですが、中朝連合軍に国土を蹂躙される恐怖に比べれば、中国様のポチとして生きるほうが、何倍もましというものです。

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2012年03月01日

日本はドイツに学ぶべき

過去との取り組みについて、日本がドイツと比較されるのは古典的な手法です。

日本は被害国を感動させよ=ドイツにならって跪くべき

記事の中では次のように述べられています。

戦後、日本とドイツは正反対の道を歩んできた。1970年12月、ポーランドのワルシャワを訪問したドイツのブラント首相はユダヤ人ゲットー記念碑前で跪き、その反省の心が東欧各国との和解に結びついた。第二次世界大戦終戦40周年の1985年にはヴァイツゼッカー大統領が「5月8日はナチスの暴力支配からの解放の日」と語った。日本政府からは、中国など被害国を心から感動させる言動はなく、日本はドイツに学ぶべきだとの思いを禁じ得ない。

ブラントもヴァイツゼッカーも、ナチスのホロコーストについて謝罪しただけで、民族としてのドイツ人やドイツ国防軍の「犯罪」について謝罪したわけではありません。

だから戦時中ドイツから最大の被害を受けたポーランドでは、今でもときおり「ポーランド人に謝罪せよ」との声があがります。しかし「ブラントの跪き」のような謝罪がドイツからなされることはありませんし、むしろあきれられています。

Polish PM Prickled by "Spud" Slander

また、1985年にホロコーストを反省する有名な演説をしたヴァイツゼッカー大統領は、ナチス時代にリッベントロップ外相の次官を務め、ニュルンベルク裁判で有罪とされた父親の罪を冤罪として断固として認めていません。そして、東部戦線で一兵士として戦闘に参加した自らの経験をもとに、2009年のインタビューで次のように述べています。

Q:東部戦線で戦争犯罪を目撃しましたか?

A:個人的には見ていません。

Q:あなたの師団の6月下旬の報告書に「残虐に切り刻まれた兵士」との記述があります。記憶にありますか?

A:当時報告書は見ていません。しかし切り刻まれたドイツ兵の死体は見ました。ソ連に捕らわれたらこうなると、ゾッとしました。

Q:報告書は、第9連隊からの報告として、次のようにも記しています。「捕虜はとらずに始末した。残虐に切り刻まれた戦友の死体を見た連隊は、とてもそんな気になれなかったからである」。

A:それはひどい言いがかりです。わたしはそんな報告書など聞いたこともありませんし、そんな雰囲気はまるでありませんでした。わたしたちの連隊の中でも、そんな行動をした者がいたなど聞いたことがありません。ですからわたしたちの戦域ではそんな事実はなかったと断言します。

Q:質問にムッとされたようですね。

A:ムッとする?違います。切ないんですよ。こんなあたりまえのこともわかってもらえないのかとね。戦争が乱暴にしかけられ、乱暴に行われたことに疑いはありません。しかし、ドイツ軍は何百万人もの捕虜をとり、そしてすべての捕虜が虐待され惨殺されたわけではないんです。いいですか、わたしたちの歩兵連隊は長い伝統を持ち、高い軍紀を誇りにしていました。戦時中においてもです。もちろん歴史研究の成果は尊重します。当時のわれわれに知りえなかったことはたくさんあるでしょう。大事なのは、歴史的、倫理的に世代間の理解を深めることです。そしてその作業はお互いを尊重しつつやれるはずですし、そうすべきなんです。

Former German President Details WWII Experiences

というわけで、ヴァイツゼッカー氏は何でもかんでもドイツが悪いなどと考えているわけではありません。ホロコーストの悪を糾弾し反省する一方で、当時を生きたドイツ人たちの存在を汚すつもりなどまったくないのです。

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2012年02月27日

『歴史カード」は日本の弱みとは限らない

名古屋の河村市長の「南京虐殺はなかった」発言が波紋をよんでいます。南京事件論争については、あきれるほどたくさんの本が出版されているので、今さらブログで書くことなどありませんが、今回は発言のタイミングがなかなかおもしろく、今後の展開が気になります。

日本の愛国者たちを憤らせる「南京大虐殺」とは、1937年の暮れに起きた事件のことではありません。

たとえば終戦直前1945年8月6日のオーストラリアの新聞は、南京事件について記していますが、憎き敵の暴虐を描いているわりには、今とはだいぶ趣が違います。

南京の恐怖の復讐戦

ブーゲンビル8月6日ーーおよそ10年前におきた恐ろしいレイプ・オブ・ナンキンの復讐は、オーストラリア第3師団による、南部ブーゲンビルに陣どる日本第6師団の殲滅で果たされようとしている。

第6師団こそ、世界に衝撃を与えた暴虐を実行した部隊である。南京を占領した日本軍は数千人の男性を殺害し、多くの女性を陵辱した。この犯罪は長い中国人の苦しみの中でも最悪の出来事であり続けるだろう。だからこそ第3師団は、これはオーストラリアのみならず中国のための戦いだとしばしば口にする。レイプと残虐を働いた悪名高い日本の部隊は、さぞかしブーゲンビルの住民を苦しめたと思われるかもしれない。しかし襲われた現地女性はほんのわずかしかいない。

協力をえるため?

3年前に日本がブーゲンビル島を占領したときに逃げ遅れた中国人女性たちでさえ、陵辱されてはいないと証言している。その理由としては、切れ者の神田中将により厳しい軍規を課された第6師団は、南京の暴虐の償いをしているのではとの推測もなされている。だがより論理的な説明は、神田たちは人道的な理由ではなく、協力をえるために5万人の島民を懐柔しているというものだ。そのために神田は現地女性を尊重するように指導し、違反した者は軍法会議にかけて厳しく罰しているとされている。

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戦後に衝撃的な新事実が発覚したわけでもないのに、現代の南京事件はこうした当時の見方からあまりに大きくかけ離れています。

中国人民の頭にある「南京大虐殺」は、1985年に日本社会党の寄付で建てられた南京大虐殺記念館で語られる誇張と偏見に満ちた物語を拠り所としています。「南京が幻なら原爆も幻だな!」などと揶揄すアメリカ人に、ならば南京に関する情報をどこで仕入れたのかと聞けば、その出所はやはり誇張と偏見に満ちたアイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」だと胸を張ります。

現代の「南京大虐殺」とは、1937年から綿々と検証されてきた歴史的出来事ではなく、1980年代以降に生じた政治トレンドの結晶なのです。

中国人民は、共産主義凋落のあとに国民統合の柱として南京虐殺を必要とし、アメリカ人は、世界を席巻した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」時代の日本への反感から、日本叩きのネタとして南京虐殺にとびつきました。彼らは信じたいから信じたのであり、客観的な事実だから信じたのではありません。

そういう人たちに、客観的な検証を呼びかけても無駄なことです。ならば日本人は汚名を着せられたまま永遠に我慢しなければならないのかといえば、そうではありません。信じたくて信じている人たちは、信じることによるカタルシスを得られなくなれば信じなくなります。

その日のために粛々と客観的事実を検証し、中国人民や海外の自称正義漢による「南京大虐殺」糾弾に対しては、道徳的問題として引き受けるのではなく、ゲームとして割り切り、冷徹に対処していけばいいのです。

その点河村市長の行動はナイーブ過ぎるように思います。しかし冒頭に述べたように、こと今回に限れば、発言のタイミングからして必ずしも日本の損にはならないような気がします。

かつてアメリカ人がアイリス・チャンにとびついたのは、日本を叩きたい空気が充満していたからでした。しかし今のアメリカにそんな空気はありません。アメリカ人が叩きたいのは、アメリカ人の仕事を奪い、太平洋の覇権に色目を見せる中国の方です。

さらに今は、いつ転ぶかわからないユーロに、核開発のイラン、内戦のシリアと、世界中で問題が山積みです。そんなときに、日本の一地方都市の市長の歴史発言などというのんきな問題に、あれこれ口を出す物好きなどいません(人民系住民は除く)。

従ってもし中国が本気で絡んでくるなら、日本とサシの勝負になる可能性が大です。そしてそうなると、必ずしも中国が有利とはいえません。へたに人民が反日で燃え上がると、ふとしたはずみで反政府運動に転化する危険があるからです。

中国は経済面で圧力をかけてくるに違いありませんが、日本と中国の経済関係が冷え込めば、両者ともに傷を負うことになります。そして景気が失速中の中国には、一昔前のようにその痛手を無視できる余裕はありません。

野次馬がおらず、失速中の中国に対しては、「歴史カード」は必ずしも日本に不利なばかりのカードではなく、攻めのカードになりえるのです。

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2012年01月14日

中国の求愛と日本の求愛

前回は、映画「フラワーズ・オブ・ウォー」について書きましたが、そこで見られた中国流の愛の表現について書き留めておきたいと思います。

前回も書きましたが、あの映画は、中国のアメリカに対する求愛のポーズだとぼくは解釈します。そしてそのポーズは、「ありのままの私を受け入れてください。そうすれば、あなたも幸せになります」というものでした。

これは日本人の目から見て、どこか変だと言わざるをえません。日本的な感覚に従えば、求愛というものは、まず自分の気持を表すものです。「わたしはあなたを愛しています。だからあなたもわたしを愛してください」というものです。

あの映画に見られる中国流の求愛表現は、決して特殊なものではありません。そして日本的な感覚と中国的な感覚の齟齬は、過去の日中関係にたびたび表出しています。

1920年代の日本は、中国と比較的良好な関係を結んでいました。当時の中国は内乱状態にありましたが、日本は国民党政府に肩入れし、国民党を信用していない列強各国とのパイプ役を務めていました。

その頂点は、1927年の第一次南京事件でした。南京の外国人を襲撃した国民党軍に対し、英米は武力による懲罰を訴えました。しかし日本は列強に忍耐を説いて説得しました。「わたしはあなたを愛しています。だからあなたもわたしを愛してください」です。

しかし、この中国に対する日本の求愛行為以降、なぜか中国人は日本人を襲撃するようになりました。漢口事件、済南事件と日本人居留民は甚大な被害を受け、裏切られたと感じた日本は、一転して「暴支膺懲」へと進んでいくことになります。

日本は、愛情を示すことで中国の歩み寄りを期待しましたが、中国の辞書には、そんな愛情の形はありません。中国を愛しているのなら、ありのままの中国を受け入れよというわけで、どんどんわがままの度を強くしたのです。

中国人からすれば、中国愛を口にしながら、ありのままの中国を受け入れてくれない日本は不実としか映らず、「愛してるなんて嘘じゃないか!人の心を惑わして、オレたちを奴隷にするつもりだな!」と抗日の思いを新たにしたに違いありません

なお、1920年代の対中宥和政策で日本が失ったのは、中国人の信用だけではありませんでした。中国の安定のために、共同戦線の構築を求めていた列強は、日本の中国ラブぶりに愛想を尽かし、日本は国際社会でも孤立の度合いを深めたのです。

同じような構図は、1990年代にも再現されました。天安門事件で国際的に孤立していた中国に対し、日本は天皇を訪中させ、中国の国際社会復帰を助けました。

「ありのままの私を受け入れてください」という中国のラブコールに、日本は「あなたも私を愛してください」というつもりで応えたのです。その後どうなったかは言わずもがなで、中国は歴史カードを軸に国内外で日本バッシングにいそしみ、日本の国際的地位を著しく損ねたのでした。

中国を愛するということは、愛の見返りを求めてはならず、中国のすべてを認め、すべてを抱きしめるということなのです。そして、愛を表明しておきながら中国のわがままを認めないことは、逆に恨みを買うことになるのです。

日本人から見れば、中国の愛情感覚はわがままでひとりよがりに見えます。しかし、一歩引いて見てみれば、「わたしはあなたを愛しています。だからあなたもわたしを愛して下さい」という日本的な求愛のポーズも、一歩間違えばストーカーで、ずいぶんとひとりよがりです。

国際的な見地に立てば、日本的な求愛表現は異質です。求愛の基本は、「私はあなたに愛して欲しい。だからあなた好みになります」です。愛は与えるもので、見返りを求めるものではないのです。

だから日本は、国際関係においておうおうにして、ラブコールをすることで却って疑念を招いたりします。愛していると口に出しながら、ぜんぜん「あなた好み」になろうとしないからです。

戦前の日米関係などはその好例です。大正期の日本は、ありとあらゆるアメリカ文化を受け入れ、アメリカにラブコールを送り続けていました。しかしアメリカからすれば、ただ好き好きと言うばかりで一向にアメリカ好みになろうとしない日本は、口先だけのずる賢いヤツとしか見えませんでした。

だから日本のラブコールをスルーして、日本人移民を規制したりしたのですが、これに対して日本は、「こんなに愛してるのに!ムキーッ!」と逆切れてしまいました。

中国の求愛は変ですが、日本の求愛も変で、まあ、すべてを捧げるつもりもなしに、情では動くなということです。

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2009年08月03日

中国のユニークなアフリカ投資法

アメリカのNPR(公共ラジオ放送)で、中国のアフリカ投資について本を出した著者にインタビューしていました。

Exploring China's Unique Presence In Africa(音声)


ちなみにその本というのはこれです。

China Safari: On the Trail of Beijing's Expansion in Africa

China Safari: On the Trail of Beijing's Expansion in Africa

  • 作者: Serge Michel
  • 出版社/メーカー: Nation Books
  • 発売日: 2009/06/29
  • メディア: ハードカバー




中国のアフリカ投資というのは、今さら言うまでもなく、アフリカの資源を確保するために行われているのですが、その内実についての話をとても興味深く聴きました。

欧米諸国の場合、アフリカにカネを出すときは現金なので、腐敗した権力者たちの懐に消えて、民衆は利益を享受できませんでした。一方中国はインフラ建設に特化し、しかもプロジェクトごとに1万人レベルで労働者まで自国から派遣して、すべて自前でやるといいます。

現地社会から隔絶した「中国人町」を作り、衣食住すべて本国からの持ち出しです。これだと現地にカネは落ちません。しかし下手に現地にカネを落とそうとしたところで、どうせ大半は汚職で失われてしまうだけです。だからアフリカの市井の人たちは、確実にインフラを残してくれる中国に好感を抱いているそうです。

また、人権とか民主主義にこだわる欧米に比べ、実利を追求する中国はイデオロギーに拘らないので、アフリカの独裁者たちから歓迎されているとは良く言われますが、そんな中国の姿勢を歓迎するのは、必ずしも独裁者に限らないようです。

欧米の場合、アフリカとの付き合いは「支援」の側面が強く、だからこそ人権にも拘るのですが、これだとアフリカ諸国は恵んでもらう立場で、欧米と対等ではありません。しかし中国はあくまで自分の利益のために「投資」しているのであって、支援ではありません。そこではアフリカ諸国と中国は対等なビジネスパートナーで、当然ながらアフリカ人は、そういう対等な関係を気分良く感じているのだそうです。

中国は危ない国です。警戒して警戒しすぎることはないと思います。しかし、このように欧米流の教条化したポリティカル・コレクトネスを易々と壊していく様を見ると、時にある種の頼もしささえ感じることがあります。

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2009年07月12日

出口のない民族摩擦

ウルムチの騒乱は、「民族差別的強権政府VS少数民族」という古くさいステレオタイプではなく、ユニバーサルな民族軋轢の現れであり、だとするなら中国は面倒なことになるということを少し前に書きました。

あれから日がたち、それを裏付けするたくさんの記事が現れ始めています。

ウイグル族の文化と宗教を抑圧する政策を立案したのは、王楽泉(新疆ウイグル自治区共産党委員会書記、共産党中央政治局委員)だ。小学校での使用言葉をウイグル語から北京語へと置き換え、ヒゲを生やすこととスカーフを頭に被ること、公務員にはラマダンでの断食や祈りを禁止した。

しかし王の政策には別の一面もあり、漢族は不満を募らせている。漢族は1人しか子どもを作れないのに、ウイグル族は2人、3人と生めること。また、犯罪を犯してもウイグル族は重い罰を受けないことに、漢族は不平を抱いている。

Security chiefs failed to spot signs calling for Uighur revolt


さまざまな中国人の声を集めたBBCの記事(Xinjiang violence: Views from China)でも、次のような部分が出てきます。

かつて漢族は新疆を力で治めたかもしれませんが、我々は成長しました。

少数民族の境遇はすでに改善し始め、ある面では優遇されています。例えば私は大学に入るため猛勉強しなければなりませんでしたが、ウイグル族は簡単に入れます。成績と関係なく、少数民族割り当てがあるからです。

・・・ウルムチは豊かでモダンな都市です。20年前には想像もできませんでした。そしてその富のすべては、ウイグル族の教育と社会保障に使われているのです。
 ー 西安の貿易商

私は、ウイグル族もフイ族も政府からサポートされていると感じています。我々は大学に入りやすいですし、より多くの機会に恵まれているのです。

・・・私はフイ族という理由で差別されているとは感じません。しかしウイグル族は漢族に蔑視されています。ウイグル族には盗みなど悪いことをする人もいるので、評判が悪いんです。
 ― ウルムチ出身北京在住のエンジニア

ウイグル族の怒りの原因は、政府の民族政策の失敗にあると思います。中国はさまざまな少数民族を優遇しています。例えばウイグル族が罪を犯しても、漢族ほどには厳しく罰せられません。

しかしそうした優遇政策は、ウイグル族の真の利益にはなっていないのです。経済の発展にともない、中国の他の地域と同じように、ウイグル族の中の貧しい者と富める者の格差は広がりました。

一部のウイグル族が疎外感を感じるのはそのせいです。今回の騒乱の根本原因はそこだと思います。
 ー 重慶の学生


こういうわけですから、「中国政府は民族弾圧をやめろ!」などと叫んだところで、彼らには通じないどころか反感を買うだけです。

はっきりいえば、中国政府は中国政府なりに、「多民族国家としての中国」をよりよい国にするために努力しているのです。多分。

しかし、多民族国家ということは、「漢人の国ではない」ということで、実は漢人にとっていいことばかりではありません。裕福な漢人はそれでいいかもしれませんが、持たざる漢人はいいわけありません。

ウイグル人やチベット人などの少数民族は、権威主義国家における少数民族として“正統な被害者意識”を抱き、漢人は漢人で、「なんであんな無法者たちを優遇するんだ?」と、これまたある意味正統な被害者意識を抱く。先進国の移民問題でよく見られるこの対立構図を解消する方法は、まだありません。

かつての中共の民族対策といえば、少数民族の方だけ向いて、少数民族の被害者意識をなだめてさえいれば何とかなったのに、圧倒的多数の漢人まで被害者意識を抱き始めたとなると手に負えません。政府はどちらの側に与しても民族軋轢を先鋭化させてしまうからです。

やがてどこかで、「漢民族による、漢民族のための国」を求める勢力が現れても不思議ではなく、もし中華人民共和国が崩壊するとするならば、それは少数民族の反乱により起きるのではなく、そういう勢力により起こされるに違いないのです。

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2009年07月07日

ウルムチ騒乱に見る中国の変化

ウルムチで150人を超える死者を出す民族衝突が起きるなど、中国政府当局も、ウイグル人たちも予想していなかったに違いありません。

ウルムチという、東トルキスタン(新疆)最大の都市は、中共の手に落ちた1949年にはウイグル人の街で、漢人の住民は1割もいませんでした。しかし今は漢人が7割を超え、ウイグル人はマイノリティにすぎず、ウイグル人の土地に浮かぶ漢人の拠点のような存在です。当局は、民族問題を噴出させないために治安維持と公共投資に特別な力を注ぎ、ウルムチは安全な街として知られていました。

そこで起きた、天安門事件以来という大騒乱。中国当局は、海外に拠点をおくウイグル人組織の手引きによるものとしていますが、街の人口比で1割程度にすぎない少数派のウイグル人が計画的に暴力デモを起こすなど自殺行為でしかないのですから、中国当局の主張は白々しく聞こえます。

中国における民族軋轢といえば、これまでは、「弾圧する中国当局と、異民族の反抗」という図式にあてはまるものでした。去年のチベット騒乱はそうでした。しかし今回の事件は、違う気がします。でなければ、中国の異民族支配のモデル都市ともいえるウルムチで、こんなことは起きなかったように思います。

今回の事件は、6月下旬におきた、広東省における漢人とウイグル人の衝突を契機にしておきました。

この衝突は、おもちゃ工場で働く漢人女性を、ウイグル人の上司がレイプし、にもかかわらずウイグル人の容疑者が当局から無罪放免されたというデマにより起きました。義憤に駆られた漢人グループがウイグル人グループを襲い、一説には10数名のウイグル人が命を落としたといわれます。

この事件で特徴的なのは、ウイグル人を襲撃した漢人たちの犠牲者意識です。

去年のチベット騒乱のとき、愛国心に燃える中国人たちは、「中国は多民族国家だ。チベット人はめぐまれている」とさかんに訴えたものですが、たしかに中国当局は、マイノリティを懐柔するために、さまざまな少数民族優遇措置を実行しています。広東省の事件は、そうした措置を逆差別としておもしろく思わない、「ウイグル人は優遇されている」という疑念を持つ漢人たちにより起こされたのです。

これは、「多数派民族による冷酷な中央権力VS少数民族」という古くさい図式ではなく、日本やアメリカやヨーロッパでみられるのと基本的に同じ、ねじれた民族軋轢です。

これまで治安が守られていたウルムチでも、同じ力学が働いているはずです。当局からすればアメとムチでコントロールできていたはずのウイグル人は、当局の意図しないところで自律的に生まれた漢人たちの犠牲者意識と排斥行動により、当局の予想を超える鬱憤をため込んでいたに違いありません。

だとすれば、これは中国当局にとってただならぬ新展開です。なぜならそれは、中国という国が先進国病にかかり始めた兆候であり、民族問題が中央政府の手綱を離れてしまったということであり、そしてその解決策は、まだどの国も見つけていないからです。

今日になりウルムチからは、バットやスコップで武装した漢人たちのデモが起こり、ウイグル人の店を破壊しながらモスクに向かっているという情報が入ってきました。武装警官は、かつてのように少数民族の方を向けばいいのではなく、少数民族と漢人に挟み撃ちにされているのです。

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2009年07月04日

レアルポリティークの王様

マスコミから揚げ足取りの猛バッシングを浴び、右往左往しているうちに支持者からも見放されつつある感のある麻生首相。最後の希望は得意分野の外交で、近づくサミットに闘志を燃やしていることと思います。

さて、麻生さんの外交哲学といえば、安倍政権の外相時代に披露した「自由と繁栄の弧」です。先月30日には、これを膨らませた、「ユーラシア・クロスロード」構想を発表しています。

権威主義的な中国とロシアを取り囲むようにして、民主主義の価値観を共有する友好国を作ることを基軸としたこの構想、日本らしくなくアジアの枠を飛び出したスケールの大きな戦略で、頼もしいことこの上ありません。ただ問題は、弧に包囲される側の国、特に中国は、黙って弧の完成を見守るお人好しではないということです。

ジャーナリストのロバート・カプランさんが、5月に終結したスリランカ内戦について、現地取材の感想をこう述べています。

終結したスリランカ内戦で最も重大な事実は、中国が勝利したということです。中国の勝利は、数年前にアメリカと西側諸国が、スリランカ政府の人権違反を理由に軍事援助を打ち切ったためにもたらされました。政府軍に勝利が見え始めたときに、我々は援助を打ち切ったのです。中国はその隙間を埋め、政府軍に武器、弾薬、レーダーなど、あらゆる装備を提供しました。コロンボ市内の検問所で兵士が持つライフルは、AK47の中国版である、56式です。AK47に似ていますが、そうではありません。

その見返りとして中国が得たものは何か?中国はスリランカ南部のハムバントータに軍艦と商船のための港湾施設を建設し、他にも島中にさまざまな施設を建設しています。

ではなぜ中国はスリランカに接近したのか?スリランカは戦略的な要衝だからです。ベンガル湾とアラビア海、南シナ海とインド洋をつなぐ位置にあるからです。自国の所有ではないけれど、軍艦の停泊に使える港を、インド洋に数珠つなぎに建設するという、中国の計画の一環です。

政府軍は、26年間続いた反政府活動を、ほぼ完ぺきに制圧しました。・・・(反政府組織の)タミール・タイガーは、アルカイーダの数十人、数百人規模の人間の盾など問題にならない、数万人規模の人間の盾を作りました。彼らは政府軍と自分たちの間に民間人を配置し、「民間人を殺さないと俺たちを倒せないぞ」と迫ったのです。そして政府軍はそれを実行しました。数千人の民間人を殺したのです。

・・・

我々がイラクとアフガニスタンに取り憑かれている間に、中国は明確な世界戦略を組み立て、複数の国々のことを同時に考えているのです。

A Conversation with Robert D. Kaplan

インド洋を抑え、ユーラシア大陸の外縁をバルト諸国までなぞる「繁栄の弧」のさらに外側から逆包囲する中国。しかも、着々と結果を生んでいるのですからたいしたものです。先進諸国にはマネのできない、非情なレアルポリティークを実行する中国と、ぼんぼんの日本では、勝負にすらならないのではないかと心配になります。

20世紀初頭の大英帝国のように、なるべく有利な形で世界の警察の地位を返上しようとしているアメリカには、大国化する中国と敵対する意思はさらさらありません。そんなアメリカ頼みの日本など、インド洋のシーレーンを抑えられたら、熟したリンゴのように中国の手のひらに落ちていくしかありません。

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2009年06月26日

誘拐犯は・・・

今月22日、雲南省で、子どもを誘拐して売り飛ばしていたとして指名手配されていた宴朝相容疑者が自首しました。下は、容疑者の写真とともに事件を伝える人民網のキャプチャー画像です。
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2009年06月15日

中国は環境派

先週発表された政府のCO2削減の中期目標は、真ん中取りの数字あわせで、あらゆる方面から批判をあびました。

温暖化懐疑派からすれば悪いジョークですし、グリーンな人たちからすればバカにした話ですし、現場の人たちからすれば実現不可能。やれやれです。

そんな折、中国は中期目標の設定を拒否しました。理由はこうです。

中国外務省のスポークスマン、キン・ガンは、中国はまだ途上国なので、経済を発展させ、貧困を減らし、生活水準をあげることの方が大事であり、「従って中国の排出量が増えるのは当然のことであり、拘束性のある目標設定を受け入れることは不可能だ」と述べた。

Climate pact in jeopardy as China refuses to cut carbon emissions


中国の排出量は今やアメリカを抜いて世界1位ですが、確かに国民の大部分はまだまだ貧乏で、中国の立場に立てば当然の主張です。しかし気をつけなくてはならないのは、中国は決して温暖化懐疑派ではないということです。むしろ温暖化と排出規制に大いに乗り気な、環境派なのです。

ですから、日本の中期目標に対してははっきりと首を横に振りました。

日本、中国、韓国3カ国の環境相会合に出席するため北京を訪れた斉藤環境相は14日午後、中国政府で地球温暖化対策を担当する解振華・国家発展改革委員会副主任と会談した。麻生首相が10日表明した、20年までに温室効果ガス排出量を「05年比で15%減」とする日本の中期目標を説明した斉藤氏に対し、解氏は「より高い目標を求めたい」と述べ、日本の取り組みが不十分との認識を示した。

温室ガス削減、日本の中期目標「不十分」 中国政府幹部

なにこのダブルスタンダード?と思われるかもしれませんが、実は中国の態度は一貫しています。中国の主張は、「中国は地球温暖化を大いに憂えている。過去200年間地球を汚してきた先進諸国はその責任をとるべきで、発展の途上にある貧しい国々の負担を減らすためにも、より厳しい排出削減にとりくむべきだ」というものだからです。

だから中国を含む途上国は、2020年までに、1990年比で19%の排出削減を日本に求めています。先日発表された日本政府の中期目標は1990年比で8%の削減で、それでも国民の負担は大変なものになるという試算でした。19%削減するということは、要するに現実的には、経済活動を縮小しろということです。縮小して、そのぶん中国を含む途上国の発展に尽くせということなのです。

自己中の詭弁に聞こえますが、「1800年を基準年にしてみれば、中国の排出量はたかだか1000%しか増えていないが、先進国の排出量は5000%もアップしてる。何とかしろよお前ら!」というようなことであり、十分“あり”な論理であり主張です。

その一方にあるのは、常々言われている「中国、インドなどを巻き込まない先進国のみの排出削減では意味はない」という主張で、これまた正論です。

というわけで、CO2をいわば基軸通貨化して温暖化ビジネスで世界を制したい欧州は、「中国を動かすためにも大幅削減しろ!」と日本に迫り、気がつくと日本は、世界に糾弾される「地球の敵」となるわけです。なんとか逃げ道を探さないと、日本という物語は、自分の手で自分の富を壊すという喜劇的な最終章を迎えることになりかねません。

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2008年06月06日

一人デモ

「日本はもうすぐ韓国に抜かれるよ」

1980年代の初頭、親戚のおばさんにそう言われたのを覚えています。ソウル五輪の開催が決まった頃から、日本のマスメディアはさかんに韓国を礼賛してきました。しかしいまだに韓国という国は、抜いた抜かれたという表現はともかくとしても、少なくても多くの日本人にとって、羨望のまなざしで見るような存在ではないと思います。

そんな韓国にあって、イ・ミョンバク政権の誕生は、少なくてもぼくにとっては、20年以上前に聞いた叔母の言葉に対して、正直初めて「あるいは」と、思わせるような出来事でした。

日本のマスメディアと政治が後ろを向いて、未来に対しては軽薄なメッキ仕立てのメッセージしか発せられない今、ドライなビジネスマインドを持つ人物を政治指導者に選んだ韓国は、あるいは数年後には、日本人から見て羨むような立場に立てるかもしれないと、思ったものでした。

しかしぼくは、韓国をなめていたようです。

反発拡大、再び数万人抗議 韓国の米国産牛肉輸入問題
共同 08年6月6日


テレビ発のデマに扇動されて、連夜の反政府ロウソク集会。はたから見ていて痛々しいほどです。アメリカではあまり大きく取り上げられていいませんが、掲示板などを見ると、「ヒュンダイ車の事故で死者が出たら、韓国車の輸入禁止デモでもしようか」とかいう調子で、生暖かくスルーされている感じで哀れです。

チベット騒乱における中国もそうですが、ほんとに日本は、反面教師に事欠きません。

韓国の境界例的反応は、そのうちまた日本に矛先を向けるはずです。しかし、そのときこうした人たちの行動を真に受け、納得もしていないのに譲歩したりするのは、お互いのためにならないどころか、韓国の真の愛国者たちの足を引っ張る行為です。

漢陽大新聞放送学科のイ・セジンさん(25)は4日午後、キャンドル集会が開かれているソウル広場から500メートルほど離れたソウル・ファイナンスビルの前で、「われわれは今、自分たちで狂牛病(牛海綿状脳症、BSE)を作っています」「ろうそくは暗闇を照らすために使うものです。自分の家を燃やすために使ってはいけません」といった文言が書かれたプラカードを掲げ、一人だけのデモを繰り広げた。

これに対し、キャンドル集会の参加者30‐50人がイさんの周りに集まり、「頭がおかしいんじゃないのか」などと罵声を浴びせたり、脅したりした。だが、イさんは「正直、一人だけで立つのはとても怖いけど、支持してくれる人も多い」と語った。高齢の男性数人が「頑張れ」と言って4万‐5万ウォン(約 4100‐5200円)の小遣いを渡したり、弁当やジュース、アイスクリームなどを買い与える市民もいるという。

米国産牛肉:抗議集会に反対する大学生の「一人デモ」
ネット上で支持広がる
朝鮮日報 08年6月5日


ヒステリックな独善に酔う社会の中で、冷静さを保ち、一人モブに立ち向かうとはなんという勇気!韓国との友好とは、こういう人に握手を求めることだと思います。

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2008年05月30日

「地震外交」の愚

四川大地震で中国が日本に軍の派遣を要請しました。

このニュースは海外でもそこそこ大きく報じられていて、欧米のメディアは一様に好意的に伝えています。しかしながら、欧米メディアの報道には、ある種案の定ともいえる嫌な傾向が垣間見えます。

この出来事がニュースバリューを持つ理由は、日中関係がギクシャクしているからに他なりませんが、それについて欧米の主要メディアは、ほぼ例外なくこんな風に述べます。

日中関係は、2001年から2006年にかけての小泉政権時代に、戦中の日本の暴虐について、被害者の気持ちをさかなでる象徴と批判されている靖国神社を参拝をしたことで冷却化した。

Japan military to provide China quake aid
Reuters 08年5月28日(英語)


これは必ずしも間違いとはいえませんが、大きな文脈を無視しており、その結果事実をねじ曲げてしまっています。

小泉首相の靖国参拝は、日中関係を悪化させた原因ではなく、関係悪化の現れ、結果のひとつに過ぎません。日中関係は、それ以前から極度に冷え込んでおり、それを引き起こした最大の要因をあげるとするならば、江沢民政権の極端な反日姿勢に行き当たります。

そのことを無視して、あたかも小泉首相の靖国参拝さえなければ、日中関係は安泰だったかのような視点に立てば、その後に続く論調は自然とこうなります。

靖国参拝をしないという、小泉氏の2人の後継者の賢明な判断と、中国のより実利的なムードにより、小泉首相の退陣以降、両国関係は急速に好転した。しかし今もタブーは残る。戦中の暴虐(特に南京虐殺)を認めようとしない日本の態度。自衛隊のより積極的な活動に対するアジア諸国の警戒感。第二次大戦に関して、双方に見られる自己の見解に固執しようとする態度。そうしたことが、両国の本当の政治的な協力を難しくしている。中国と日本は、お互いに猜疑心を抱いている。

しかしながら自然災害は、硬直した政治的対立を一蹴する力を持つ。ギリシア人とトルコ人の長年にわたる対立は、それぞれの国で起きた2つの地震により解消され、大きな共感の中で互いの見方を改めるに至った。中国の災害も、日本との関係を変える契機になるかもしれない。今こそアジアのヒューマニティを発揮するときだ。胡氏は勇気ある決断をした。今度は日本がお返しするべきだ。

China and Japan: earthquake diplomacy
China's invitation to Japanese troops will change relations in Asia
TIMESONLINE 08年5月29日(英語)


お金と時間をかけて、場合によっては隊員の生命を危険にさらしてまで援助し、さらに「お返し」までしなくてはならないのだそうです。

最新のニュースによると、結局胡氏は勇気ある決断を撤回したようなので、お返しできなくて残念です。

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2008年05月10日

中国で消された聖火

Asia Sentinel(英語)が伝えるところによれば、8日、中国のシンセンで行われた五輪トーチリレーで、中国人と見られる2人による妨害行動で、“聖火”が消されたということです。
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2008年05月08日

パンダとピンポン

日本には国交正常化直後の 72 年 10 月に蘭蘭(ランラン)と康康(カンカン)が来日以来、北朝鮮(5 頭)に次ぐ(!)累計 4 頭のパンダを中国から受け入れているが、贈呈を受けた 70-80 年代に比べて最近の日中関係はスムーズではない。パンダに代わって、最近の日中友好大使は、すっかり卓球の福原愛ちゃんとなった感もあるが、できれば複雑な両岸・および日中関係はパンダや愛ちゃんは巻き込まずに改善していきたいものだ。


引用したのは、三井住友銀行「SMBC China Monthly」2005年9月号の一節です。それから2年半、筆者の思いもむなしく、日中関係はパンダや愛ちゃんを思い切り巻き込みました。

それにしても、今の時代にパンダ外交やピンポン外交だなんて、日本もなめられたものです。もしこれがアメリカやヨーロッパなら、少なくても各マスコミはここぞとばかりに皮肉の腕を競うことでしょう。

70年代の米中ピンポン外交の主役となった2人の卓球選手は、1人はその後政治に翻弄されて社会的地位を失い、1人は精神を病んで亡くなりました。政治は機を見てあらゆるものを利用しようとしますが、利用された側を待つのは、悲惨な末路ばかりです。

パンダやピンポンがこれみよがしに持ち出される状況を喜ばしいことのように受けとるのは、21世紀に生きる正常なセンスの持ち主がとるべき態度ではありません。ここは、悲しんだり、噴出したりするところです。

+++++++++


ところでぼくは幼い頃に、上野動物園にランランとカンカンを見にいった記憶があります。ブームの絶頂で、寒い時期でしたから、72年から73年にかけての冬のことだと思います。パンダ舎の前で立ち止まることは許されず、通り過ぎる30秒ほどの間に、父に持ち上げられてなんとかこの目でパンダを見ようとしましたが、結局透明な仕切り板と、人々の頭しか見えませんでした。以来30年以上上野動物園に行ったことはありません。

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2008年05月04日

中国という符号

5月4日といえば、中国では1919年に起きた五・四運動の記念日。3年前の春に吹き荒れた反日運動では、この日に大変なことが起きるのではと危惧されたものです。

3年前は、NYTのオーニシさんのように、ここぞとばかり日本を糾弾する工作員もいれば、中国の悪乗りを非難する声もあれば、お決まりの喧嘩両成敗的な論調もありと、欧米の識者の意見は定まりませんでした。ただいずれにしても中国の反日活動は大きく報道され、「中国人と日本人はものすごく仲が悪い」という印象を市井の人たちに残したことは確かです。

去年の秋、東南アジアを旅行したときに、イングランド人のカップルと1日過ごす機会がありました。フットボール好きで、涼しい顔して超早食いで、ブリティッシュという単語は絶対に使わずにイングランド人であることを強調し、日本というと変な日本人モドキが出てくるバラエティ番組のことがまず浮かぶという、ごく平均的なイングリッシュ・カップルです。

日本について聞きたいことがあるという男性の方が、「失礼な質問やめなさいよ」という彼女の制止を振り切り最初にした質問は、「日本人てほんとにテレビで見るみたいなおじぎするの?」

そんな普通のイングリッシュマンが2番目にした質問が、「何で日本人と中国人は仲が悪いの?」でした。それほどまでに、あの事件の印象は強かったということです。

ところでぼくは、そう質問されて答えに困ってしまいました。シリアスに議論するというのだったらいくらでも説明できますが、彼はもっと軽い好奇心から聞いているにすぎません。

くどくどと長い説明をしても怪訝に思われるだけで、たぶん彼を納得した気にさせることはできません。論理ではなく、感覚で理解しあえる共通の「符号」が見つからないのです。

仕方がないので、「お隣同士というのはどこもいろいろあるんじゃないかな」とお茶を濁すと、「そうか、イングランドとフランスみたいなものなのかな」と、大いにずれてはいますが、とりあえず彼の持つ符号のレパートリーのひとつをクリックして、話題はフットボールに移りました。

今、中国国内のみならず、世界中の都市で紅い旗を振り回す中国人の異様な愛国活動を、3年前の反日活動に比べる論調をあちこちで見かけます。

もし今彼に「何で日本人と中国人は仲が悪いの?」と聞かれたら、答えは簡単です。

というより、たぶんそんな質問をする人はもういません。

どこの国の政治家や企業が中国人の抗議活動に屈しようと、中国人は今回の一連の愛国行動で、世界中に共通の符号をばらまいたのです。それは10年や20年では消えません。

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2008年04月30日

北朝鮮変動の兆候

先日福田首相が訪露したおりに、プーチンさんが妙にはっきりと北朝鮮を非難する態度をあらわしました。

ロシアのプーチン大統領が26日の福田康夫首相との首脳会談で、北朝鮮による日本人拉致事件について「許せない行為だ」と述べ、かつてない強い口調で北朝鮮を批判し、拉致問題解決に向けての協力を惜しまない考えを示していたことが明らかになった。北朝鮮に隠然たる影響力をもつロシアの首脳の「怒り」が、北朝鮮を動かす圧力になる可能性がある。

プーチン大統領「北朝鮮許せない」 拉致問題に“激怒” 日露首脳会談
MSN産経ニュース 08年4月29日



もっともこの記事によれば、

日露関係筋は「拉致問題でロシアが真剣に北朝鮮の尻をたたくとは思えない。北方領土問題で日本側を懐柔するために、日本を後押しするポーズをみせているのではないか」と指摘している。


ということですが、北を餌にして日本を釣るのだったら、正直今ではなく、拉致問題の解決を最優先課題とする一方で、「自由と繁栄の弧」政策でロシアを牽制していた安倍政権時の方が篭絡しやすく、効果も大きかったように思います。

福田さんは、確かに以前からなぜかロシアに対してだけは強硬派なのですが、何しろレイムダック状態ですし、それに正直拉致問題に力を入れていません。たとえポーズだとしても、北朝鮮カードを切る相手として最適とは思えません。

プーチンともあろう策士が、なぜそんなタイミングで北朝鮮を安売りしようとするのか?そう考えると、あるいはプーチン大統領は、北朝鮮株が暴落するというインサイダー情報でもつかんでいるのではないかと勘ぐりたくなります。

その兆候は他にもあります。

北朝鮮をめぐる状況は、米ブッシュ政権の弱体化で、もう長らく北にとって好ましい方向に推移していました。北朝鮮に埋蔵するレアメタルの存在が脚光を浴び始めるなど、北への妥協により得られる利益も強調され始めていました。そして先月、アメリカの融和的姿勢は頂点に達しました。

北朝鮮のプルトニウム申告でテロ支援指定を解除か、米国
CNN 08年4月12日


米政府、核計画の検証完了前に対北朝鮮制裁緩和も
ロイター 08年4月18日


対北最強硬派の一人であるボルトン前国連大使は、検証手段なしの合意に踏み切ろうとするブッシュ政権の態度を、北への降伏だと非難しました。

Bush's North Korea Capitulation
WSJ 08年4月15日(英語)


ブッシュ政権のやり方を、クリントンやカーター政権と同列視するボルトン氏の主張は、ブッシュ大統領にとって最大限の侮辱です。

しかしここで、ブッシュ政権は唐突にUターンします。



去年9月にイスラエルが空爆したシリアの核施設への北朝鮮の関与は前々から疑われてきたことです。なぜその発表が今このタイミングでなくてはならないのか、また発表内容の信憑性そのものについても、強硬派の中ですら首をかしげる人がいます。

とにかくアメリカは、対北融和による合意という選択肢を、この発表で、それこそ不可逆的に破棄してしまいました。弱腰と見られることを何より嫌うブッシュ大統領が、黙って北朝鮮に妥協するとは考えにくいことでしたが、それにしてもなぜここまでの力技に出たのかどうも解せません。

これまで粛々と進めてきた対北融和を唐突に反故にしてしまったブッシュ。そしてやはり唐突に拉致問題に激怒してみせたプーチン。“ビッグボーイズ”たちの態度の豹変ぶりは、北朝鮮で何かが起きる前兆のような気がしてなりません。

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2008年04月28日

西欧エリートの世界観

IOCのロゲ会長が、欧米諸国に対し、北京五輪を控える中国への人権問題を振りかざした非難を中止するよう呼びかけました。彼の言葉は、いろいろな意味でアイ・オープニングです。続きを読む

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