2012年12月04日

FIFAのメッセージ

オリンピックで「ドクトは我が領土」メッセージをかざした韓国選手に対し、比較的軽い懲罰にとどめたFIFA(国際サッカー連盟)は、絶好の機会を逸したと思います。

FIFA、ロンドン五輪の竹島プラカード選手の処分決定

サッカーに乱闘やファンの差別的行動はつきもので、FIFAの懲罰委員会は年中そうしたケースを審議して罰を下しています。しかし、あのように明白な政治的メッセージの発信は稀で、今回はそれに対するFIFAの態度を明確にする絶好のチャンスでした。しかも今ほど、毅然とした態度表明の求められている時はありません。

とうのも、2013年のサッカー界は、数十年に一度あるかないかの政治的に微妙なマッチを控えているからです。それは、ワールドカップ欧州予選グループA、セルビア対クロアチアの試合です。

1991年に勃発したユーゴスラビア内戦を経て分裂した両国の相互憎悪は病的で、韓国の日本に対するウルトラナショナリズムを10倍に濃くして腐らせたようなレベルです。両者ともに自らをホロコーストの被害者と認識し、相手をホロコーストの加害者と見て憎んでいます。

しかも両国は世界に名だたるフーリガンの国で、サッカーに絡んだ殺傷事件は日常茶飯事です。今現在も、U21のイングランド戦と、W杯予選のウェールズ戦での不祥事で、セルビアのサッカー協会は処分待ちの状態で、セルビアを対外試合禁止にすべきとの声も聞かれます。

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また先日、ユーゴ内戦で戦犯容疑をかけられていたクロアチアの2人の将軍に無罪判決が下った折には、クロアチア代表の監督が、2人をセルビア戦の始球式に呼びたいと発言して物議を醸していました。

Political tensions spill over to soccer in Serbia and Croatia following UN court acquittal.

そもそも1991年の内戦も、サッカーの試合を契機にして起きたという過去を持ち、歴史的、政治的、領土的に紛争を抱える両国の初の直接対決は、サッカー関係者の手に余る悩みの種と言えます。

来年の3月にクロアチアの首都ザグレブで第一戦が行われる両国の対戦に先立ち、あるいはその試合に関して重大な不祥事が起きた場合、もしFIFA/UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)がそれを軽く扱えば、それはサッカー界の秩序崩壊を意味します。

しかし一方で厳罰を下しても、それもまた将来に禍根を残します。何しろ両国の歪んだ憎悪の根幹には、「国際社会はフェアではない」という被害者意識があるからです。実際、サッカー大国のスペイン等でたびたび見られるファンの差別的行為は見逃されるのに、セルビアやクロアチアのフーリガンばかり問題視されるという傾向はあり、アンフェアな厳罰は両国の被害者意識を増幅させ、民族対立を先鋭化させかねません。

そんな折に起きた、韓国選手の明白な政治的行為です。もし厳罰を下していれば、それはバルカン半島の危ないサッカーファン、ひいては世界のサッカーファンに強烈なメッセージを送り、FIFAはアンフェアだという批判を封じ込め、将来の類似案件の処理を楽にしたことでしょう。

しかしFIFAは、違うメッセージを送ってしまいました。

今年の6月、デンマーク代表のニクラス・ベントナーは、ゴールセレブレーションで個人スポンサー(デンマーク代表のスポンサーにはライバル企業が名を連ねていた)の名入りパンツを見せて処罰されました。

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事件の後1週間を待たずに下された1試合出場停止と罰金10万ユーロ(約1千70万円)というペナルティは、韓国選手に対する3ヶ月を超える審議と31万円という罰金に比べていかに重く、迅速に下されたことか。メッセージは明確です。

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2008年04月04日

モスクワ五輪と北京五輪

今年の北京五輪は、チベット問題で、1980年モスクワ五輪以来の危機を迎えていると言う人もいます。ソ連のアフガン侵攻で日本を含む西側諸国のほとんどがボイコットし、多くのアスリートが涙したあの大会です。

今「あの悲劇を繰り返してはいけない」といえば、政治的な思惑でスポーツを翻弄するなということになり、それは五輪は五輪としてチベット問題と切り離して楽しもうよという意味に他なりません。

しかしながらモスクワ五輪について冷静に考えてみると、実はあのケースは、単純に政治がスポーツを翻弄したというわけではありません。というのも、冷戦のさなかにモスクワで五輪を開こうとすること自体ギャンブルであり、なぜそんな選択をしたのかといえば、その理由は政治ではなかったのです。

当時はまだ五輪のコマーシャル展開は始まっておらず、五輪は大赤字イベントでした。開催国は、国家の威信と引き替えに五輪に出資していたわけです。しかしそのモデルは、70年代に完全に行き詰まりました。世界的な不景気もあり、五輪を引き受けようという国がなくなってしまったのです。

立候補地は減少し、冬季五輪は廃止が検討され、1976年のモントリオール五輪などはとてつもない赤字を生み出し、それはカナダにとって、日本のバブル景気崩壊なみのトラウマになるほどでした。(大リーグチームのモントリオール・エクスポズのアメリカ移転について取材した時、カナダの自治体はプロ球団の引き留めのために助成しないのか?と自治体関係者に質問すると、全員が口を揃えて「わたしたちはモントリオール五輪を忘れてはいない」と答えたのは忘れられません。五輪開催から25年後のことです)

そんなわけで、五輪を引き受けてくれる国は、共産国のソ連くらいしかなくなってしまったのです。ですから1980の悲劇は、政治に翻弄されたというよりは、五輪が破産したために、翻弄されるべくして翻弄されたと言った方が正しいのです。

当時アメリカに従ってモスクワ五輪をボイコットした中小国のほとんどは、実は資金難のためにいずれにしても欠場せざるをえない状況で、政治的な理由は都合の良い口実だったといいます。五輪イベント自体それと同じことで、制度上の破綻による自壊という喜劇を「政治に翻弄された悲劇」とすることで、むしろ面目を保ったのです。

今回の五輪は、これからどうなるかまだわかりません。しかしもしボイコットが現実味を帯び始めたりすれば、モスクワ五輪ボイコットで涙を流す選手たちや、当時の悲しいエピソードがさかんにマスメディアを賑わすようになるでしょう。しかし当時の悲劇は決して、スポーツが政治に翻弄されたなどというきれい事ではなく、うらには大人の事情があったのです。

そう考えると、モスクワ五輪と北京五輪のアナロジーは、対極にあるものの対比といえるかもしれません。モスクワ五輪は、ビジネスとしての行き詰まりから政治の介入を招きましたが、北京五輪は、巨大な中国マーケットというエサにつられたビジネスとしての欲のかきすぎで政治介入を招こうとしているのです。

あの悲劇を繰り返すな?ならばチベットがどうなろうと、ダルフールがどうなろうと、中国のどこで何が起きようと笑顔で五輪を開催して、残酷な喜劇になるだけのことです。個々のアスリートたちは可哀想ですが。

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2006年09月13日

ちょっと感動しました

朝たまたまテレビをつけたら、NHKBSで大リーグ中継が始まった所で、そういえば今日は松井の復帰戦だったなと見ていました。

で、1回の裏に松井が復帰最初の打席に入ろうとすると、球場は長い長い盛大なスタンディングオベーション!

ちょっと感動してしまいました。

大リーグでは、ケガで欠場していた選手が復帰すると、「おかえり!」って感じでよくスタンディングオベーションをするのですが、今年ケガをする前の松井は調子悪かったし、もともとあちらでは「勝負弱い」とか囁かれているので、あそこまで大歓迎されるとは予想していませんでした。

ぼくはあんまりスポーツを通じてそういう感情を持つタイプではないのですが、「日本の選手をここまで受け入れてくれて、アメリカ人ていいやつらだな。こいつらとはいい友達になれそうだな」と、地球は一つ感を抱いてしまいました。

もちろん政治的アジェンダと単純な友好の感情は別で、国が違えばぶつかることもありますし、それを無理して避けるのは逆効果だとは思います。しかし例えばあんな感じで巨人のスンヨプさんにスタンディングオベーションを送り続けていけば、きっとかの国の人たちの誤解も解けるはずと、何か妙に前向きな気持になれました。

スポーツというのはすごい兵器だと思います。

しかし興ざめすることもありました。今日の試合でヤンキースは、1回の裏に大量9点を入れたのですが、アブレイユという選手が実にそのうち6打点!1イニングで6打点なんて、滅多にないことです。しかしNHKの中継は、独自のカメラでベンチに戻った松井ばかり追いかけていて、6打点をあげて塁上に立つアブレイユを全く映してあげないのです。ほとんど他の選手のお尻に隠れてしまって、松井の表情など伺えないというのに・・・。

まあ、ここは日本ですし、日本人選手を中心に紹介するのは一向に構わないとは思います。でも松井を大歓迎するシーンを見た後だっただけに、すごいことをやった選手くらいワンカットくらいは映してやれよと、野球は一人でやってるんじゃないんだぞと、ちょっと寂しい気持になりました。

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2005年10月27日

大味な日本野球

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Omedeto, Bobby! <AP


野球の日本シリーズは、最終第4戦こそ接戦でしたが、全体として見れば、史上最も一方的な内容でした。

ぼくは阪神ファンではありませんし、実は以前個人的にボビー・バレンタインさんにお世話になったことがあるので、圧倒的にボビーびいきです。しかしそれでも、アメリカ人監督に軽くあしらわれる阪神の弱体ぶりは衝撃的でした。

あまりに一方的なシリーズで霞んでいますが、とにかく随所で千葉ロッテの野球は緻密で、阪神の野球は大味だったように思います。確実にランナーを進める千葉ロッテに対して、阪神は大事なところでことごとくバントに失敗していました。日本の野球は小技に長けているはずなのに、アメリカ人監督の率いるチームに対して、全然かなわないのです。

最終第4戦の1点を追う8回裏、ノーアウトでランナー1塁の場面で、阪神の3番シーツはバントを試みて失敗しました。テレビの解説者は「あれはサインではない。シーズン中にバントをしないバッターがいきなりバントをしても成功するわけない」とシーツを責めていました。

自らチームのためにバントを試みたアメリカ人選手と、それを責めるプロ野球OBの解説者。これはとても象徴的な場面でした。

あれがサインだったのか、シーツ個人の判断だったのかは知りません。しかし、あと1敗すれば終わりの状況で、1点を追う8回にノーアウトでランナーが出たとなれば、アメリカ的感覚なら100パーセントバントです。それなのに、解説者は口を揃えてバントはおかしいとシーツの判断を責めたのです。

アメリカの野球は大味で、日本の野球は緻密だとよく言われます。確かにアメリカの野球は日本よりもパワー重視で荒削りなところもあります。しかしそれは、レギュラーシーズンの話しです。

絶対に勝たなくてはならない試合では、一球一球にあきれるほど時間をかけて、ピッチャーを頻繁に交代して、場合によっては4番バッターにもバントさせます。

昔の日本野球は、それくらい緻密でセコいことを当然のこととしてしていたはずです。しかしいつの頃からか、「それではファンに受けない、アメリカのエキサイティングな野球を見習え」と叫ばれ始め、小技野球=スモール・ベースボールを軽蔑する風潮になってしまいました。

90年代初頭、西武ライオンズの黄金時代に、森監督が面白くない野球をすると責められ、不遇のうちにチームを去ったことがありました。

勝つことよりも、おもしろい野球をする方が大事だということです。しかし、スポーツが面白いのは勝利に絶対的な価値があるからであって、勝利の価値が小さければ、どんなにエキサイティングでもただの見せ物です。

「日本シリーズは先に4勝するのではなくて、3回負けられるのだ」と言うようなことが言われ始めたのもこの頃だったと思います。当時明らかに戦力に勝る西武は、シリーズで優位に立つと、まるでレギュラーシーズン中のゲームかのように大味な試合をして、わざとシリーズを接戦に持ち込んでいるように見えました。

ファンの方を向いてプレーするのは大歓迎ですが、それはファンに媚びることとは違います。ぼくはその頃、プロ野球への興味を失いました。

そんな風に勝利を軽んじてきたプロ野球が、外国人監督として史上初めてポストシーズンに進出したボビーにこてんぱんにやられるのは当然という気がします。

何しろ、アメリカでワールドチャンピオンになるにはポストシーズンに11回勝たなくてはなりません。メジャーの一流監督たちはみな短期決戦を勝ち抜くための戦い方を心得ており、ボビー・バレンタインは、そんな中でも特に頭脳派と呼ばれているのです。

今回の日本シリーズではボビーの真骨頂である小技を見る機会はほとんどありませんでしたが、ボビーの野球はこんなものではありません。並の日本人監督では、ポストシーズンでボビーのチームには勝てないと思います。

やたらと選手のプレーを縛り、必要でもない場面でバントさせるのは興ざめですが、絶対に勝たなくてはいけない試合の1点を争う場面でバントのサインを出さなかったり、それを実行できない選手というのは、勝利を目指して戦う軍団とは言えません。

ボビーにはこの先何年も勝ち続けてもらって、ただの見せ物に堕しつつあるプロ野球に勝利の価値を取り戻し、やがてはボビーの夢である日米のチャンピオンチーム同士による真のワールドシリーズを実現して欲しいと思います。

それにしても、今日ワールドチャンピオンになったシカゴ・ホワイトソックスのオジー・ギーエン監督は、ボビーに輪をかけたスモール・ベースボールの名手です。もしマリーンズとホワイトソックスが真剣に戦ったら、どんな試合になるのでしょうか?

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2005年10月13日

野球とお金

村上ファンドの阪神電鉄株買い占めによる、阪神球団の行方が話題になっています。

村上氏は野球に愛着などないでしょうし、単に金儲けしたいだけに違いありません。愛する阪神を金儲けの道具にするなというファンの皆さんの気持ちはわかります。

しかし、阪神、ひいては日本のプロ野球チームを現状のままにしておくことは決してファンのためではなく、現状維持を求めて村上氏を非難するのは、ファンが自らの首を絞める行為に等しいような気がします。

何しろ現在のプロ野球は、ファンの方を向いているとはとても思えません。


プロ野球は儲かるビジネス

選手年俸の高騰などで球団経営はもうからないと良くいわれますが、実は大きな利益を生む打ち出の小槌です。

フォーブス誌によれば、アメリカのプロスポーツ球団の平均価値は1998年から2004年にかけて2倍に増加しており、メジャーリーグ最大の球団であるニューヨーク・ヤンキースの2004年の球団価値は9億5千万ドルです(1998年は約3億6千万ドルでした)。

仮にある球団を2億ドルで買って、5年後に倍の価格で売れれば大もうけです。そして買い手はいくらでもいるのです。

もちろんこれはアメリカでの話しですが、日本のプロ野球球団にそれほどの価値がないかといえば、そうとは言えません。

日本の人口はアメリカの半分以下ですが、狭い土地に密集して暮らしており、基本的にみな裕福で、球団数はアメリカの半分以下です。

さらに、野球の他にアメフト、バスケ、アイスホッケーとメジャースポーツがたくさんあるアメリカに比べて、日本で野球のライバルと言えるのはサッカーだけです。

台湾に韓国と、周囲に野球文化が根付いた国があることで海外展開も見込めますし、4、500億円程度の価値を持つ球団を育てることは十分に可能だと思います。

しかし現状はどうかというと、選手の年俸にしても、球場等の設備にしても、ファンサービスにしても、大きくアメリカに遅れをとっていると言わざるを得ません。

アメリカのすばらしい球場で野球を観戦したことがある人なら、その差はすぐに分かると思います。

球団経営のどこかに許されざる無駄があり、本来なら選手とファンのために使われるべき膨大なお金、巨大な富を生む可能性が消えて行っているとしか考えられません。


マネーゲームはファンのためにならない?

アメリカのチームは、すでに長らく大金持ちの投機の対象になっています。任天堂がオーナーをしているシアトル・マリナーズのように外国人に買われたチームもありますし、毎年のようにオーナーが変わるチームもあります。

ブッシュ大統領も、1989年にテキサス・レンジャーズのオーナーになり、5年間で球団の価値を4倍にふくらませて売却し、大もうけしました。

大金持ちのマネーゲームに使われると、ファンのためにならないという声もあります。例えばよく引き合いに出されるのが入場チケットの値上げです。

確かに近年のメジャーリーグでは、チケットの値段は大きく上昇しました。しかし、メジャーリーグの入場チケットはもともと安かったので、値上げされたといっても日本と比べれば知れたものです。

ある調査によれば、4人家族が野球観戦するのにかかるお金は、駐車場代、食事代を含めて、平均156ドルだそうです。日本のチケット代の高さ、球場内での食事の高さを考えれば、決して高すぎるとはいえません。

しかも、経営者は馬鹿ではないので、無闇にチケットを値上げして球団の最大の資産であるファン離れを誘い、みすみす球団の価値を下げるようなことはまずしません。

居心地のいい新球場を建設し、「これならチケット値上げも仕方ないな」とファンを納得させた上で値上げするのです。

だからアメリカでは、だいたい25年周期で球場は作り替え、あるいは大改修されます。そして工夫を凝らした美しい球場にファンは満足し、チケット代の値上げにもかかわらず連日スタンドを埋めるのです。

投資家にとって、球団は磨けば磨くほど価値を増す宝石であり、富を追求する投資家の努力は「はからずも」ファンのためになるという側面もあるのです。


マネーゲームの弊害

もちろんマネーゲームの弊害もあります。その例として良く取り上げられるのが、イングランドサッカーの雄、マンチェスター・ユナイテッドの買収です。

今年、アメリカの富豪、アメフトのタンパベイ・バッカニアーズのオーナーとして知られるマルコム・グレーザー氏が、上場されていたマンチェスター・ユナイテッドの株を9割以上買い占めて私有化し、上場廃止してしまったのです。

サッカーというスポーツに何の興味もなく、マンチェスターに足を踏み入れたことさえないアメリカ人にチームを乗っ取られたということで、激しいデモも起きました。

しかし、一部の過激なファンをのぞく多くのファンは、もちろんグレーザー氏の行為を面白くは思わないものの、以前の大株主たちもサッカーに興味になど持っていなかったと、比較的冷静です。

それよりもファンにとって現実的な心配は、マンチェスター・ユナイテッドの買収に際して莫大な借金をしたグレーザー氏が、資金難から給料の高い一流選手を放出してチームの弱体化を招き、入場料のアップなど、ファンに負担を押しつけるのではないかということです。

有能な投資家は、球団の価値を貶めるようなそうした行為はまずしませんが、それもこれも球団の持ち主であるオーナー次第で、無能であればやりかねません。そういうことはアメリカのプロスポーツ界でも時々起きますし、そうなれば、ファンにとっては悲劇です。

しかし、ファンのことを考えずに一流選手を放出したり、自ら招いた経営難のツケをファンに払わせる行為は、日本のプロ野球界でごく普通に行われきたことではないでしょうか?

日本のプロ野球チームは、恐らくグレーザー氏と比較にならないほど経営手腕に欠け、心の底では野球チームはファンのものだなどと露ほども思っていない企業家たちの所有物に過ぎません。

テレビ放映権料で大金が動くようになって以来、すでに長らくプロ野球興行は金まみれの「汚れた」世界でした。そして様々な特権に守られた無能な経営者たちはファンを蔑ろにして懐を潤してきたのです。

村上氏を初めとする投資家たちの行為を非難するのはもっともですが、現状維持を求めて結果として無能な経営者をアシストするのは、見ていてつらいです。


ところでぼくは、今すぐ阪神株を上場するのはどうかと思います。上場にともなうさまざまな規則を整備してからでないと、ずるがしこい投資家に阪神を突破口にしてプロ野球全体を牛耳られ、結局何も変わらない恐れがあるからです(すばらしい大改革につながる可能性もありますが…)。しかしもし理想の形で株を上場できたら、阪神はあきれるほど強くなると思います…。

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2005年10月11日

二人の監督

この連休、関東地方は雨続きで、まあぼくにとっていずれにしても連休は無駄な外出を避ける日になるわけですが、テレビでスポーツ観戦三昧でした。

特にこの時期おもしろいのはメジャーリーグです。野球のポストシーズンというのはペナントレースとは全然違います。一試合一試合に持てるすべてを投入し、とにかく勝つためには手段を選びません。

それでもワールドシリーズまで行くと目的は半分達せられたようなもので、選手たちにも多少余裕が見られるようになるのですが、そこに行く手前の地区シリーズやリーグ優勝決定戦は情け容赦ないサバイバルゲームで、スポーツ観戦の醍醐味ここにありという感じです。

今日朝9時から行われるニューヨーク・ヤンキースとロサンゼルス・エンジェルスの地区シリーズ第5戦は、勝った方が勝ち抜けですが、「野球は退屈だ」と思っている方は、だまされたと思って、NHKBS1にチャンネルを合わせてみてください。多分長いゲームになると思いますので、見る方にも暇と体力が必要ですが・・・。

ところで、ヤンキースのジョー・トーリ監督というのは、アメリカで理想の監督と呼ばれています。

アメリカでは、監督の仕事は何よりも選手の信頼を勝ち得ることだと言われており、その意味で彼の人心掌握術は抜群です。メジャーリーグには、日本の感覚では考えられないほど首脳陣批判をする選手が多いのですが、トーリ監督の悪口を言う選手はほとんどいません。

ヤンキースのように、年に数億円もらう選手がうじゃうじゃいる金満チームが分裂せず、むしろメジャーリーグで最も「フォア・ザ・チーム」の精神が浸透しているのは、選手からもファンからもメディアからも尊敬されている、トーリ監督の功績です。

そして彼はそのことを誇ろうとしません。ベンチでは帽子を目深にかぶってほとんど動かず、インタビューされても多くを語り過ぎず自分のエゴを見せない。それが、アメリカで最も尊敬される監督の態度なのです。

そんなトーリ監督と対極に、アメリカで最も嫌われている監督がいます。誰だと思いますか?

ヤンキースのスーパースター、アレックス・ロドリゲスは、今年の春のキャンプで、ある記者にこう揶揄されました。「いつも白い歯を見せて作り笑いを浮かべ、何を質問されても優等生的な答えをしてお高くとまっている。最近の彼はまるでボビー・バレンタインみたいだ。」

この記事を書いた記者は、最大級の非難をするつもりでこの例えを使っているのです。そう、アメリカで最も嫌われている監督とは、千葉ロッテのボビー・バレンタイン監督です。

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「なぜみんなボビーVを嫌うのか?」
1999年スポーティングニューズ誌


2000年にニューヨーク・メッツとシカゴ・カブスが日本で開幕戦をした時、当時カブスの監督だったドン・ベイラーが、試合前にボビーと握手するのを拒み続けたのは有名な話しですし、メジャーリーグには、「ボビーが嫌いだ」「ボビーが監督をしているチームには行きたくない」と公言する選手がたくさんいます。

選手からも相手監督からもメディアからもファンからも、ボビー・バレンタインほど嫌われている野球人はいないのです。

その理由は、監督としての采配に問題があるからではありません。

野球理論を誰よりも熟知していると言われる彼は、80年代後半にテキサス・レンジャーズの監督をした時も、メッツの監督をした時も、そして千葉ロッテの指揮官としても、常に弱小チームを勝てるチームに変身させています。

そしてその指導スタイルも、決して選手に嫌われるような、上から押しつけるものではありません。主役は選手だと公言し、その言葉通りに選手の自主性を重んじ、起用法も見事です。

ファンサービスを第一に考え、ユニフォームを脱いでも人格者で、アメリカでも日本でもチャリティに力を入れています。

ではなぜ嫌われるのか?ある人は言います。「やたらと頭が良くて物知りで、生徒会選挙をやれば常に勝ち、教師たちにおべっかを使ういい子ちゃん。そういう生徒にユニフォームを着せればボビー・バレンタインになる。」

野球に関する知識に溢れていて、何を言われても優等生的な笑顔を崩さず、何か語るたびに相手を馬鹿にされたような気分にさせる傲慢で鼻につく男。ベンチの目立つところに座り、オーバーアクションで注目を引きつけ、チームを自分色に染めずにいられない自己中心的な男。ー 意外かもしれませんが、ボビー・バレンタインがアメリカで嫌われるのは、そういう理由からなのです。

しかし日本では、10年前に当時千葉ロッテのジェネラル・マネジャーだった広岡氏と衝突した以外は、選手にもファンにも熱烈に愛されています。もちろんそこには言葉の問題もあるでしょうし、野球に対する見方の違いもあるでしょうが、一人の人間に対する評価が、二つの文化の間でこれほどまでに違うのは興味深い現象です。

ボビー・バレンタインは、アメリカで嫌われているといっても、その手腕の確かさと、嫌われているからこそ注目される存在感で、特に弱小チームから監督として引く手あまたです。それでも彼が、一度は追い出された千葉ロッテに帰ってきたのは、日本の野球に、自分と相容れるものを感じたからだと思います。

彼がリーグ優勝したのは、2000年にニューヨーク・メッツで成し遂げたただ一度だけです。ぼくは彼に、太平洋の両岸でリーグ優勝という史上初の快挙を成し遂げて欲しいですし、日本の球場で胴上げされることを祈っています。

そして、2000年のワールドシリーズでボビーを破ったトーリ監督にも、それ以来となる世界一を期待しています。おっと、プレーボールです。

…ヤンキースは負けましたね。2点差でランナー二人をおいて、最後のバッター松井というのはしびれました。来年のヤンキースは大きく変わるかもしれません。トーリ監督は辞めてしまうかもしれないし、長年ヤンキースの顔として活躍してきたバーニー・ウィリアムズは引退するでしょうし、今年で契約切れとなる松井もチームを変わるかもしれません。

あとは、去年のレッドソックスに続いて、ホワイトソックスにシカゴの呪いを解いてもらうことを期待することにします。

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