いまの日本には「信用できない企業が多い」と思っている人は60%。「信用できない人が多い」も64%で、企業や人への不信感が目立つ―朝日新聞社が全国3千人を対象に2月〜3月上旬に郵送で実施した世論調査で、世の中の信用・信頼が揺らいでいる実態が浮き彫りになった。政治家や官僚への信用は18%と低く、教師や警察は60%台。裁判でさえ72%だが、家族には97%の人が信用をよせている。
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生活と密接な関係がある12の項目を挙げてどれくらい信用しているかを聞くと、「信用している」と「ある程度信用している」を合わせた信用度は、(1)家族97%(2)天気予報94%(3)新聞91%(4)科学技術86%(5)医者83%と上位5位が8割を超えたが、政治家と官僚はともに18%で最下位だった。
<企業・人「信用できない」6割 本社世論調査>
新聞を科学よりも高く、家族なみに信用してるなんて、衝撃的な結果です。この国は終わりですね。
まあそれはともかく、新聞をとらない、テレビも見ない、情報はネットから入手するという人は着実に増えていると思いますが、そういう人たちに、「ネットを信用するか?」と尋ねたらどんな答えが返ってくるでしょうか?
それだけネットを頼りにしているにもかかわらず、90%越えなんてありえないはずです。50%だって疑問です。新聞もテレビも捨てて、情報源をネットに絞るという覚悟は、まず第一にネット上の情報が信用ならないということを肝に銘じてからでないと恐ろしくてできませんからね。
でもどういうことなんでしょう?ネットを信用していないからこそネットを信用する・・・、いや、どこかに信用がなければネットに対する信用なんて生まれるわけありません。・・・しばらく考えてわかりました。自分ですね、自分。自分を信用しているから、ネットを信用できる。多分これで間違いありません。
てことは逆に考えると、ネット空間に強い拒否感を持つ人というのは、自分を信用できない人なのかもしれません。自分のことを信用できない人ほど信用できない人はいませんから、いい信用度テストになりそうです。ところで朝日新聞は、自分を信用しているのかな?
これは新聞をとっている人へのアンケートなのかもしれないですね。郵送による調査ということは住所を知っている人たちということですから、朝日新聞を購読している人たちなのかなと。
信頼してない人たちはとっていないだろうし、お金を払ってとっている人は信頼している人たちか、洗剤などのおまけ目当ての人たちだけでしょうし。
数字のトリックかもしれませんね。
2ちゃんねる管理人のひろゆきさんの、“嘘を嘘と見抜けない人は、この掲示板を利用するのは難しい”と言う名言?wを思い出しました。
たしかに夕方のワイドショーとか夜10時からのニュース番組とかは偏向しまくりでまともな神経なら見てられないくらい腐ってるのは知っています。
ただそれらはあくまでテレビでありでニュース番組なわけで、新聞の話ではありません。
自分が主に読むのは日経で、アサヒは食堂や公共施設でしか見ることはありませんが、日経はもちろんたまに見るアサヒでさえ、社説と読者欄の一部と天声人語以外はわりとまともだと感じます。(それでもどうしても構えてしまいますが・・・)
もちろん扱いの大小、報道の仕方等問題がないわけではありませんが、それでも各社の報道を読み比べたり、ネットを参照することでカバーできるように思います。
個人的には科学技術と医者はあまり信じないことにしているので、この調査結果は、おそらく新聞購読者に対する調査であることを差し引いても妥当なものだと思いますね。
あと、テレビが腐っているというのは、視聴者が求めている(と製作者側が想像した)ものを過度に追求した結果であり、新聞の信用度とはまったく別問題だと考えます。
誰もそんなこと言ってないけど、自分がこの問題について考えたときにネット対新聞・テレビ(マスメディア)というふうに考えがちだったので、一応念のためということで。
こちらは「新聞の必要性」についてらしいですけど。
同じく92%が「新聞は必要」と回答したそうですが・・・
http://www.t3.rim.or.jp/~ine/old8.html#SEC47
>1位、「全く利用しない」45.2%。2位、30分未満22.5%。
>オイオイオイ!両方合わせると、67.7%の回答者が殆どインターネットを使っていないじゃないか。
有効回答数のうち、50代、60代の比率がそれぞれ20代の倍以上もあるアンケート調査ですので、こんなものなのかもしれません。
>有効回答数のうち、50代、60代の比率がそれぞれ20代の倍以上もあるアンケート調査ですので、こんなものなのかもしれません。
まぁ、年金のときと一緒ですね。
どっか世代のみが90%越え=国民の声として載せる
みたいな。
新聞が信用できないか否かは、色々なことが明るみになってきているような過去の事柄に関する記事を参照してみると面白いかもしれません。歴史問題などといわれているものなどは特に新聞を始めとするマスコミが事実をどこまで正確に伝えているか、一方的な主張のみを掲載していないか、文中の主語述語の関係が曖昧な点はないか、色々と調べてみると面白いです。
一時期、特定アジアを話題にしたブログが爆発的に人気を伸ばしましたが、それもその辺に理由があると思います。幾つかの有名なブログでは、大手新聞社に掲載された記事に対して、電凸と呼ばれる事実確認をして、その折の受け答えを掲載しているところもあります。(新聞社の受け答えが見物です) また、そのようなブログの他にも、特定の新聞社を対象にした「まとめサイト」のようなものもあります。
信用失墜を招いた記事の多くは政治絡み、特定イデオロギー絡みであることが多いですが、それ以外の分野でも同様の記事は多く見られます。たとえば、ゲーム脳などがそうです。猟奇的な事件が起こった一時期、よくメディアに登場した言葉ですが、調べてみると、猟奇事件との関連性は甚だ疑問です。他にも発癌性物質であったり、添加物であったり、関連性が解明されていないものをさも関連があるように書いた記事は腐るほど見つかると思います。「犯罪者の九割はパンを食べている。……。だから、パンは……」というコピペなどはこうしたマスコミの記事を揶揄したものです。
>この調査結果は、おそらく新聞購読者に対する調査であることを差し引いても妥当なものだと思いますね。
新聞購読者かつ郵送されてきたアンケートにわざわざ答えて返信する人だと思いますので、このようなアンケート結果になるのは妥当といえば妥当だと思います。ただ、その範囲を日本人全体に適用している恣意的な部分が、こうしてブログに取り上げられる原因だと思います。
朝日新聞の電話調査の第1問は、「新聞は何を取っていますか?」で、この設問に「朝日新聞」と回答した人にのみ残りの設問を尋ね、他の新聞や新聞を取っていない回答者には、「ありがとうございました、設問はこれで終わりです」と聞いた事があります。
しかも電話が掛かってくるのは、昼間なので、仕事に外に出てる人は、まず回答する事がないとか。
なるほど、興味深いご指摘ありがとうございます。
たしかに、ネットをやってたら新聞を無条件に信用するのは危険だってわかってきます。
だけどこの調査結果は、ネットをあまり使わない人にとっては新聞は未だにそれだけ信用されているということを示しているのではないでしょうか。
そこそこネットを使ってる私でも、新聞に○○県で殺人事件ってあったら、そういう事件があったんだなと思う程度には信用しています。というか、新聞のテレビ欄を見て実際この通り放送されるんだろうなと思う程度に新聞に書かれている「事実」を信用しています。
(そういえばCSやケーブルテレビの普及で新聞のテレビ欄はある意味役立たずになりつつありますね)
もちろん社説や論説の傾向を見て逆にバイアスをかけたり、ネットや他紙と比較して何が書かれていないか考えたりはするようにはしていますが。
慰安婦や南京等、いわゆる歴史問題の経緯を私は概略しか知りませんが、国民の新聞に対する信頼を悪用した非常に狡猾なもののように思います。
逆に言えば、そういう新聞社の汚い手口が一般に周知されてきても揺るがないほど強固に信用されているとも言えます。
その点を見逃してネット上の狭い常識だけで新聞が信用できないのは常識だと信じるのはとても危険なことじゃないでしょうか。
ゲーム脳とかオタクとか添加物なんかの問題は「事実」を知るだけでは安心できない(どうしていいかわからない)受け手側の問題でもあると思います。「事実」だけではなく「原因」と「どうしたらいいのか」までをセットで求めてるのは受け手側の方じゃないかなあ
>ただ、その範囲を日本人全体に適用している恣意的な部分が、こうしてブログに取り上げられる原因だと思います。
その結果の誤差ってどれくらいのものなんでしょうね。揶揄する意味ではなく純粋に興味があります。
自分はほぼネット派ですが、新聞を信用するかと聞かれたら「信用している」と答えると思います。
これは簡単に言うと、数多くの情報の中で発信者がどの情報を発信するか決めることが出来る権利のことです。
新聞において(そして他のメディアにおいても)重要かつ問題なのは、載ってる記事の正しさよりも、むしろ載っていない情報が、なぜ載っていないのかという部分にあると思います。
ネットを使っていなくとも、他のメディアで新聞を酷評するようなものもありますので、ネットを使っているか否かが絶対的な分かれ目かどうかわかりませんが、概ねそのように思います。
>そこそこネットを使ってる私でも、新聞に○○県で殺人事件ってあったら、そういう事件があったんだなと思う程度には信用しています。
私も新聞に○○県で殺人事件ってあったら、そういう事件があったんだなと思う程度には信用しています。おそらく、他の新聞に否定的なコメントをしている方も、新聞に○○県で殺人事件ってあったら、そういう事件があったんだなと思う程度には「信用している」のではないでしょうか。
ただ如何せん、新聞は起こったこと以外にも、政治や歴史背景、人間や利益関係などを報じるものです。そこに記者の恣意が込められた記事は、信用に足らないと判断されているのだと思います。
また、この場合の「信用」という言葉に込められた意味の度合いがbachさんと私とは違うのではないでしょうか。だから、コメントに差が出ているのだと思います。その程度の信用を「信用する」というアンケート結果に当て嵌めてしまうと、アンケート結果にある「家族」などに対する信用が随分と薄っぺらなものになってしまうように思えてなりません。
私もそうですが、コメントされている多くの方もその辺りに違和感を覚えているのではないでしょうか。この程度の信用しか得られていない新聞と家族を同系列に並べることが適切なのか、と。過大解釈ではないか、と。
ただ、私を含めて新聞に否定的なコメントをしている人も、全ての新聞の記事が信用できないといっているわけではないと思います。情報源のひとつとして新聞社(紙面やサイト)に頼っているのは事実です。ただ、その中に信用に足らない新聞社や記者の書いた記事があり、新聞というメディアの影響力の大きさゆえに様々な問題を引き起こしてきたということが問題視され、新聞というメディアのイメージを失墜させているということだと思います。
そして何故、信用に足る部分よりも信用に足らない部分に光を当てるように見てしまうのかといえば、新聞が法的にも保護され、読者も新聞を読むために少なからず対価を払っているために、新聞の製品としての質を問われているからでしょう。また、読者には信頼を裏切られたという感が強いのかもしれません。
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新聞社の汚い手口が周知の事実なのか、徐々に知られてきているのかは私にはわかりませんが、購読者の多くが新聞社の汚い手口を知るようになりつつも依然として新聞を強固に信用しているというよりは、新聞社の汚い手口を何らかの機会に知るようになった購読者がネット上で、新聞に汚い手口をするな、と苦言を呈しているといった感じではないでしょうか。
特定の新聞社の汚い手口を知りながら、その新聞社の新聞の購読を続けている人がいて、アンケートに「信頼している」と答えているならば、どういうつもりで購読を続けているのか、そのような読者がどの程度いるのか、何故、そのような新聞を信用できるのか、個人的にはなかなか興味深いところです。
また、仰っている「ネット上の狭い常識」という言葉にどれほどの意味が込められているのか私にはよくわかりませんが、こうした議論におけるどちらがマジョリティで、どちらがマイノリティなのかも、簡単には判断できないものであり、それは今回の回答者の限定されたアンケート──bachさん風に言い換えるならば「新聞上の狭い常識?」のようなものに対して、「実際はどうだろうか?」と疑問を呈しているのが今回のエントリー記事なのだと思いますし、私も同様に疑問に思います。
(2006年にネット上で話題になった「サイレントマジョリティを考慮して」問題などはアンケートとその結果、マジョリティとマイノリティ、記事を書く人間の恣意について考える上で、なかなか面白いです)
ちなみに私は「新聞が信用できないのは常識だ」などとは思っていません。「信用できない記事もある」「記事によっては鵜呑みにするべきではない」程度です。(たとえば社説や評論、政治系の記事、証券・金融会社の役員などが語る経済の先行き、アンケート結果などは鵜呑みにするべきではないと思っています)
>「事実」だけではなく「原因」と「どうしたらいいのか」までをセットで求めてるのは受け手側の方じゃないかなあ
受け手が本当にそれを求めているかどうかはわかりませんが、受け手が求めているからといって関連性の証明されていないものを関連のあるように報道しても良いことにはならないはずです。
犯罪の被害者が犯人を捕まえて欲しいと願っているからといって、警察が憶測で、証拠も集めていない、関連性もはっきりしない人間を捕まえたら大問題です。そして後日、証拠を集めていないことや関連性がはっきりしないことが明るみになって、警察が犯罪の被害者が犯人逮捕を求めていたからと弁明しても、誰もそれに同意しないでしょう。犯人扱いされた人もいい迷惑です。ゲーム脳であれば、ゲーム業界に勤めている人々は本当にいい迷惑のはずです。
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長文によるお返事、ありがとうございます。
nkさんも指摘されているように、そもそもこの調査結果の場合「信用」の意味するものがすべて違っているように思います。
家族の場合は「どんなときでも自分を裏切らない」と思っている人の割合であり、企業や政治家は「ウラで悪いことをしていない」、天気予報では「当たるか当たらないかで言うとたぶん当たる」、科学技術と医者は「たぶん役に立つ(幸せになれる、自分を治してくれる)」程度の意味だと思います。
そして新聞についてですが私は「書いてある事実にウソが含まれるかどうか」を判断基準にしていたようです。
nkさんのコメントを読んでいて気付いたんですが、どうも私は社説や評論が信用できないのは当たり前、経済予測なんて外れるもの、アンケートはなんらかの恣意的な操作があるのは当然だ(それらは別に悪いことではない、そうなんだから仕方ない)と考えているようです。
そしてそれらのことは信用するかどうか以前に自明のことなので「信用しているかどうか」という問いの答えには影響しないと思っていました。
(考えてみるとテレビのニュース番組は新聞で言う社説や評論のみを垂れ流しているようなものなので信用できなくて当たり前ですね)
朝日新聞としては、印象操作のためにおそらく意図的に信用の意味を混同しているんだと思います。
そしてもう1つ、@調査結果が『「信用している」と「ある程度信用している」を合わせた信用度』であること Aそして数字から見ておそらく「どちらとも言えない(中立)」がないこと も指摘しておきます。これだとnkさんも含めてほとんどの人が「信用している組」に分類されるのではないでしょうか。
個人的には、大きな事件についてはマスコミが事実だけでなく(背景を含む)ストーリーまで報道するのは半ば義務化している感じがしています。視聴者はブログや2ちゃんねる等でマスコミが提供するストーリーに満足すれば賛同し、気に入らなければ批判します。
ゲーム脳等については、共通認識としてなんとなく存在する仮想の階層上、ゲーム、オタク、ニート、無職等は最下層に位置し、どんなに叩いても文句を言われないという暗黙の了解ができてるという気がしますね。
ネットに書かれてることは完全に信じてるわけじゃないですわな、話半分です
あえていえば、ネットという「システム」というものを信じてるとは言えますが
どうでもいいが、amazonの本レビューで、「あなたのこころの天使が〜」みたいなタイトルうる覚えのうさん臭い宗教本のレビューにある人が★5つの評価をつけてて、その同じ人の違うレビューを見ると、同じような胡散臭い本ばかり・・・
ネット上にもおかしな人がいっぱいいますね
このエントリーの肝はここだと思いますから。
>自分を信用しているから、ネットを信用できる。
情報の信用性というものは、なるべく多様な情報を持った大勢の人間が集まるほど向上する傾向があると思うのですが、
一つ危惧している事があって、ニフティサーブの全盛期や05年くらいまでの巨大掲示板(Yahoo!掲示板や2ちゃん)隆盛期は一つの話題について語りたいと思ったら、集まる場は大体決まっており、立場が違う人間同士が揉み合いながらも議論するしかなかった。
ブログの時代になってももちろんコメント欄で議論する事は出来るのですが、なんだか縁側に客を招きいれて気の合う者同士、茶飲み話をしているムードが出来上がりつつあるような気がしてなりません。